第3話 そう決めた

 住み慣れた家で、話し慣れた相手に声を掛けるというだけなのに、心臓が今までに無いくらい激しく拍動している。


(落ち着け、ラースとしての記憶はあるんだ。他の人ならともかく、アンナさんなら問題なく話し掛けられる)


 取り敢えず食堂に向かっているが、今がどのぐらいの時刻なのかは分からないため、都合良く食事があるとは限らない。

 

 しかし、特にアンナが居そうという場所にも心当たりがないため、食堂に行って居なければ、離れの中を探し回るしかないだろう。


 お腹が空いているため、早く見つけたいはずなのに、居ないでくれと思っている自分もいる。


(はぁ、情けないな……)


 客観的に見れば、女の子一人に話し掛けるというだけで、激しく緊張している自分の情けなさに鬱屈とした気分を抱いていると、いよいよ食堂が見えて来た。


 そして、食堂の扉の前に立った所で、中から音が聞こえた。


(!……中に居るな)

 

 食事を作っている最中なのだろうか、微かに包丁を扱う音が聞こえる。


(…………よし)


 二度深呼吸をした後に、ゆっくりと扉を開ける。

 食堂といっても中はそこまで広くはない。普段一人で使っていたため、狭いと感じたことはないが、前世のイメージからすると、最早食堂と言っていいのか、というレベルではある。

 

 自分の部屋に比べ、全体的に簡素な雰囲気の食堂の奥に、確かにアンナが居た。


 アンナも入ってきた俺に気付いたのだろう、小走りで駆け寄ってくる。


「ラース様!もうお加減はよろしいのですか?」


 こんな悪童を心配してくれるなんて、本当に良い子だな。表情からも心配そうにしてくれている様子が伝わってくる。


「ええ、もう大丈夫です。ご迷惑をお掛けしました」


「!?……どうしたんですか、ラース様!?」



(やっぱり、違和感がすごいか)


 ラースは悪童、こんな丁寧な話し方はしない。

 

 しかし、ラースはともかく、令人としてはアンナと話すのはこれが初めてなのだ。

 

 

 普通気付かれるとは思わないが、別人格が宿ったことを知られたくないとはいえ、気安く話すことにはどうしても抵抗がある。



「……あー、いや、もう大丈夫だよ。心配を掛けたかな」


「…………あの、やはりまだお加減が優れないのでは?口調も雰囲気も普段と全然違いますし」


 ある程度口調を崩したとはいえ、今までの態度が酷過ぎてこれでも不自然に映るか。

 

 とはいえ、俺の態度が不自然だと思われることは、流石に想定出来ていた。

 

 違和感を無くすためには、ラースらしい振る舞いをすればいい話だが、流石に今までのラースのようには絶対に振る舞えない。


 ならば、どうするか。一応案は考えている。



「………えっと、さっきの一件で色々な人に迷惑を掛けたし、流石に頭が冷えてね。これからは、真面目に生きようかなと思ったんだよ」


 単純な策ではあるが、改心した風を装うことだ。


 先程ラースがベッドで寝ていたのには、実は理由がある。単に寝ていたのではなく、気絶していたのだ。

 

 ラースが興味本位で剣を扱いたいと言い出し、半ば強引に家の騎士を連れ出し、模擬戦紛いのことをしようとした。しかし、碌に運動もしていないラースが剣を振るえる訳もなく、逆に剣に振り回され、派手に転び、頭を打ったという経緯だ。


(俺じゃないのに、俺がしたことなんだよな)


 あまりの間抜けさに最早呆れを通り越すが、それをしでかしたのが他人からすれば、自分だと思うと無性にやるせない気持ちになる。


 ラースが気絶し、その後の経緯は分からないが恐らく治療を施して貰い、離れに運ばれたのだろう。


 

 

 この件を機に心を入れ替えたということにしようと思うが、アンナの反応はどうだろうか、




「…………そう、なんですね。……えっと、素晴らしいと思います!人々からは少々誤解されていますが、ラース様は本当は素晴らしい方だと信じておりました!」


 少しの沈黙の後、アンナはそう言ってくれた。

 

 

 これは、一先ず納得してくれたということだろうか?妙に歯切れが悪いというか、言葉にどこか不自然さがあったような気もするが。



(まあ、やっぱり改心したなんて、すぐには信用出来ないよな)


 アンナのぎこちない態度の理由は、改心したことへの不信感だと納得出来る。

 この点に関しては、今後の姿勢で信じてもらうしかないだろう。

 

 それに、まだ言わなければならない事がある。



「えっと、それでアンナにも謝らなければいけない。今まで酷い態度を取ってきて、本当にごめん。こんな謝罪一つで許して貰えるなんて思わないけど、今後は改めると誓う。そして、これからの俺を見て判断してくれると嬉しい」


 深く頭を下げながら、アンナに謝罪の言葉を告げる。すると、


「いけません、ラース様!頭をお上げ下さい!私のようなものにそのような……」

 

 一瞬呆けたように固まったアンナだが、すぐにハッとして、頭を上げるように訴えてきた。


「これは俺たち二人での話だ、ここには俺とアンナしかいないし、問題はないだろう?誠意を示すためだ、頭位いくらでも下げるさ」

 

 確かに、伯爵令息が一介のメイドに頭を下げるなど、あってはならないことなのだろう。

 

 しかし、ここは離れで俺とアンナの二人しか居ない、その点については何の問題もないはずだ。


 頭を下げ続ける俺に対し、意志が固いと理解したのだろう、


「分かりました!ラース様の謝罪は受け取ります!ですから、頭を上げて下さい」


 そう言われ、俺は頭を上げる。これ以上やっては、逆にアンナに迷惑を掛けるだけだろう。


「困らせてしまってごめんね、それに結局強引に認めさせるような形になって。でも、本当に俺の謝罪を受け取ってくれるのかな?」


 先程のやりとりでは、俺が頭を下げたことでアンナが恐縮し、早く頭を上げてもらいたいという気持ちから、謝罪を受け取ったように思える。

 実際はどうなのだろうか、


「えっと……」



「……さっきも言ったけど、ここには俺とアンナしかいないし、怒るような真似は誓ってしないから、アンナの本当の気持ちを教えて欲しい」


 アンナが少し言いにくそうにしているように見えたため、さらに後押しをする。

 そのおかげかどうかは分からないが、


「……えっと、………私は、」


 まだ少し、整理する時間が必要なのだろう。

 それでも自分の考えをまとめ、必死に言葉を紡ごうとしてくれている。



 

 

 そんな中俺は、何気なくこの質問をしたことに遅すぎる後悔の念を抱いた。


 気付かぬ内に、自分が運命の分岐点に立っていることを自覚する。


 自分がこれからラース・フェルディアとして生きていく可能性があるという事を、俺は全く理解出来ていなかった。


 

 転生して、ラースとして出会う初めての存在。

 アンナは今まで、ずっとラースの傍に居てくれた。


 アンナという少女は、嫌われ者のラースの関係者の中でも、まだかなりましな関係を築いていた存在だ。

 そのアンナに、もし受け入れて貰えなかったら、俺はこの先ラースとして生きていくことなど出来るのだろうか。


 今後出会う存在で、アンナよりもラースに好意的な者など間違いなく居ない。

 そんな状況で、アンナにすら拒絶されたとしたら、この世界でやっていくことなど俺は耐えられるのだろうか。

 

 今更ながら、そんなみっともない不安を覚える。


 拒絶される恐怖に耐え、ひっそりと拳を強く握りしめ、彼女の言葉を待つ。


 すると、



「……えっと、………確かにラース様に酷いことを言われたり、無茶なことを言われたりして、その時は、少し悲しかったです」


 ラースと最も多く関わってきたのは、間違いなく専属メイドであるアンナだ。

 そうなれば必然、心無い言葉を浴びせたり、自分勝手なことを言ったり、癇に障ることがあればキツくあたったりなど、最も迷惑を掛け、最も傷付けてきたのもアンナだ。


 

 考えてみれば当然だった。こんな存在をどうして許そうと思えるだろうか。

 口汚く罵られる方が、ラースにはよっぽどお似合いだ。


 (ッ………)



 しかし、そのはずなのに……




「……でも、……それでも私はラース様のことは嫌いではありません。ですから、そんなに思い詰めないで下さい。ラース様の仰る通り、そんなに謝られると少し困ってしまいます」


 




 そう言って、困ったように微笑む彼女の顔を見て、ほんの少し、悩んでいたことの答えを出すことが出来た。

 そして、一つの決意を胸に抱く。





「でも、ラース様が今後は真面目に生きるということは、本当に素晴らしいことだと思います。私も専属メイドとして、これからも精一杯お傍で支えさせて頂きますね!」


 

 

 正直な話、なんで俺がラースの代わりに謝らなければいけないんだろうと、思っていなかったと言えば嘘になる。

 

 今の自分がラースで、でも本当は違うということを打ち明けられない以上、今後も一先ずはラースとして生きていくしかない。

 

 それならば、これ以上自分の立場を悪いものにしないためには、迷惑を掛けた人々に謝罪し、より一層誠実に振る舞わなければならない。


 しかし、それが合理的だと頭では理解出来ていても、感情までは付いてこない。


 自分は何もしていないのに、多くの人から嫌われていて、謝らなければならない。

 そんなものは理不尽だ。


 だから、アンナに謝った時も、誠心誠意謝ったつもりではあるが、釈然としない気持ちを抱いたのも確かだ。




 

 けれど、………今まで傷つけられ、悲しんできたはずのアンナは、こんな俺ラースを許してくれた。それどころか、終始気を遣ってくれた。


 

 こんなに良い子が、今まで傷つけられてきた。

 それだって、立派な理不尽だ。

 そして、それを行ってきたのは今の俺ラースだ。

 アンナは長年受けてきた理不尽を許し、これからの俺を受け入れてくれた。

 なら、俺も少しくらいの理不尽は飲み込もう。

 この子が傷つき、悲しむことに比べたら、俺の感じる理不尽など些細なものだ。

 

 

 未だ、ラースとして完全に生きていく覚悟が決まった訳ではない。死んだ存在とはいえ、やはり自分は令人であるという意識がある。

 ラースとして生きていくことも、それ以外に選択肢が無いという理由からだ。

 

 完全な答えを出せた訳ではない。

 

 

 けれど、それでも心に決めたことも確かにある。




 アンナが誇れる主人になろうと。 

 この人に仕えて良かったと、そう思えるような人間として振る舞おうと、…………そう決めた。

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