第41話

 蒼真君の体から吹き出した血。それは彼を濡らし白夜さんを覆っていく。


「悠華、今行くよ」


 悠斗さんの穏やかな声。

 音を立てず、形を崩していく悠斗さんの体。

 闇に飲まれだした空の下、響き続ける瑠衣ちゃんの歌声。黒く染まったオモイデサガシ。

 夜を迎える世界の中、彼と白夜さんだけが赤いのは何故だろう。


「あずささん、怖がらなくていいよ」


 溶けだした蒼真君。

 黒く染まった顔、残された目が金色に輝いた。


「赤と黒は対極だよ……残るものと消えるもの」



 ゴボ……

 ゴボリ……



 泡を吹く妖魔の体。

 それは蒼真君を飲みながら砕けていく。


「悲しまないでよ、消えていく僕達にも未来があるから。妖魔が生みだした者達……彼らにも、未来をあげるよ。そのためにここへ呼び寄せたんだから」


 オモイデサガシ。

 思い出を探していた亡霊もの達が……未来を探す? いつか……生まれ変わって


「だから泣かなくていいよ」


 泣いてる?

 私……泣いてるの?


「愁夜さん、蒼波兄様をよろしく」


 夢の残像が浮かんだ。

 瑠衣ちゃんの可愛らしい笑顔。


 ——あずささん、お兄ちゃんをよろしく。


 あの夢は、蒼真君が見させたもの?

 蒼真君が秘め続けてた……優しさが。



 見上げた空に大きな星が見えた。

 体から力が抜けていく。


 瞼が……重い……











「あずさ、あずさってば」


 親しげな声が響く。


「大丈夫? あずさ」

「……ミサキ?」


 私を見るミサキと見慣れた天井。


「私の部屋? どうして……ミサキがいるの?」

「あずさが倒れたって電話があったから。お父さんに送ってもらったの」

「それ……車で?」

「あたりまえでしょ? 悠幻堂ここ、私の家からは遠いんだから」

「ミサキのお母さん、免許は」

「無理無理、あずさも知ってるでしょ? お母さんのドジっぷり、運転なんて危ないってば」

「そうだよね……ごめん」


 桔梗さんと私の前に現れた幻。あれはミサキだけじゃなかったんだ。


「それはそうと霧島さん。びっくりしちゃった、外国の人みたいで」

「え?」

「さっきまで霧島さんと話してたんだ。沙月さんともうひとりを交えて。あの人なんて名前だったっけ、編集長の」

「高瀬さん」

「そう、高瀬さんだ。あずさってばいいなぁ。こんなことなら、私が霧島さんと占ってもらうんだった」


 声を弾ませるミサキ。

 疑問が浮かぶ。彼の頬の傷痕あと、ミサキが何も言わないのはなんでだろう。ミサキの性格を考えたら黙ってるとは思えない。それに……外国の人ってどういうこと?


「あずさ、無理しないで」


 体を起こそうとして止められた。

 彼のこと確かめなきゃいけないのに。


「会わなきゃ、霧島さんに」

「しょうがないなぁ、呼んできてあげる。そのかわり今夜は泊めてもらうからね。お父さんのおまけつきで」

「泊まる?」

「こんな真夜中に帰れって言わないよね」


 ドアが閉められひとりになった部屋。

 覚えているのは夜を迎えた頃、蒼真君が消えていくまでのこと。

 私……気を失ったんだ。


 信じられない。

 悠華さんと悠斗さん、ふたりがもういないなんて。

 大学に行けば会える。予感めいたものが私の中で疼いてるのに。


 ベッドから離れ近づいたテーブル。

 見えたのは、悠斗さんに託されたノート。めくり見えるいっぱいに書き込まれたレシピ。


「……悠華さん」


 これを見ても信じられない。

 本当に、あのふたりは



 コンッ

 コンッ



 ドアを叩く音。


「どうぞ」


 答えてすぐに開いたドア。

 私を見るなり高瀬さんは目を丸くする。


「あずさちゃん、起きてて大丈夫なの?」

「すみません、心配かけちゃって。あの、霧島さんは?」

「いるよ、入っていいかな? 僕は邪魔かもしれないけど」


 高瀬さんが入ってすぐ顔を見合わせた彼。


「……ぁ」


 声になり損ねた息が漏れる。


 傷痕が消えた顔。

 赤みがかった鳶色の目と黒に近い灰色の髪。

 本当に、白夜さんの命は彼のものになった。


「驚いたよ、霧島君を見た時は」


 私達を見て高瀬さんは笑う。


「考えもしないことだった。白夜君の願い、それを叶えた蒼真。僕が知らない所で、蒼真は成長してたんだな」


 彼をうながしテーブルを囲んだ。散らかったテーブルの上、部屋は大丈夫かと見回してみる。


「何があったかは霧島君に聞いている。悪かったねあずさちゃん。怖い思いをさせて」

「元々は僕が軽率だったんだ。高瀬さんが謝ることじゃない」

「あずさちゃんを見た時も驚いたけどね。霧島君とお揃いで埃まみれでさ、何をすればそんな格好になるのかねぇ」


 高瀬さんの疑問を前に思わず咳払い。


「とにかく妖魔は消滅し、オモイデサガシも町から消えた。あずさちゃんに頼みがあるんだ。いいかな?」

「なんですか?」


『うん』と高瀬さん。レシピを読みながら、興味深げに目を輝かせてる。


「高瀬玲香、あずさちゃんのことだから彼女に話そうとするだろう。話すのを止めるつもりはない。ただ彼女に言ってほしいんだ。妖魔とオモイデサガシが消えたこと、一族の誰にも報告はするなと」



 トンッ

 トンッ



 彼の指がテーブルの上を叩く。

 その動きは白夜さんを思わせる。一緒にお茶を飲んでいた時がやけに懐かしい。


「僕が考える復讐のひとつ。それは彼らに妖魔の存在を残し続けることだ。一族が愚かさに気づくまでは……ね」

「他にも、考えてることが?」

「復讐というほどでもないんだけど。あずさちゃん、ちょっといい?」


 高瀬さんが私の耳に顔を寄せる。

 私にだけ聞こえる囁き。


「————」

「そんな‼︎ 無理ですよ、そんなこと‼︎」

「出来るよ、あずさちゃんなら」

「わっ私、そんな才能無いですから‼︎」

「大事なのはね、才能じゃなくて気持ちだよ。伝わればそれでいいんだから。ちっぽけでもそれは、いつかは種を蒔き芽吹く時が来る……そうだろ?」


 ……芽吹き。


 彩芽の笑顔が浮かんだ。

 何があっても諦めなかった彩芽。

 彼女が秘め続けたまっすぐな想い。


「私でいいんですか? 高瀬さんのほうが、絶対にいいものが出来るのに」

「あずさちゃんだからいいんだよ。出来なければ、霧島君との交際は認められません」

「僕達のことは高瀬さんに関係ないでしょう」

「あるよ、僕は霧島君の保護者なんだから。……君は僕の」


 途切れた声。

 照れたように笑う高瀬さん。

 彼に言おうとしたもの。



 大事な家族なんだから。



「わかりました、やれるだけのことやってみます」

「さすがあずさちゃん‼︎ 霧島君と別れたくないもんね‼︎」

「もうっ‼︎ 私は真面目に」

「怒らない怒らない。霧島君に逃げられたらどうするの?」

「逃げたいのは僕だ。こんな人に保護者を語られるなんて」


 彼の顔に浮かんだ笑み。



 それは温かく……柔らかい。

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