蒼波と玲香、愁夜と白夜

第26話

 霧島さんの黒いコートに身を包んでいる姿。それに見慣れていて、真っ白な寝巻き姿はすごく新鮮。

 テーブルに置かれた料理らしきもの。それを見てすぐの呆れた顔つきも。


「霧島君は気にしなくていい、これは高瀬君が高瀬君のためにだけ作ったものだからね」


 ワンッ‼︎ ワンッ‼︎


 沙月爺に賛同するようにチロちゃんが鳴いた。


「いやいや、沙月さんこそ遠慮しなくていいんですよ。不味……珍しい料理なんて、一生に1度お目にかかれるかどうか」

「片付けは僕がやるから存分に味わうといい。皿を割られてはたまったもんじゃない」


 食べないための逃げ道、沙月爺ったら我先にと。


「沙月爺、私はお風呂に入るから」

「あずさちゃん、せめてひとくちくらい」

「でも夜も遅いですし」

「ひとくちほど簡単な食事はないんだよ。ほらほら‼︎」


 差し出されたスプーンとお皿。

 変な色と匂い、元の食材はなんだったんだろう?


「少しなら、僕が食べよう」

「ほんとに? 霧島君‼︎ さすが、僕が育てただけはあるなぁ‼︎」


 高瀬さんってば、嬉しそうに笑ってる。

 子供みたいに目を輝かせて。


「何をしてる? 早く行け」

「……え?」


 霧島さん、私を助けてくれたの?

 気のせいかな、でも……もしかしたら。


「それじゃあ……私はお風呂に」

「あずさ、その前に話があるんだ。長い話じゃない。犬にはそうだな、肉を焼いてやろうか」


 クゥ〜ン、キュ〜ン。


 可愛いなぁチロちゃんは。

 あんなに尻尾を振るなんて。


「賢い犬だ、美味いものをちゃんとわかっている。高瀬君は日頃、何を食わせてるんだか」






 みんなと別れ入った浴室。

 髪と体を洗ったあとシャワーを浴びた。

 お風呂、彼のあとに入るのが恥ずかしい。

 思いだす彼の感触。

 高鳴る心が……妖魔への恐れをかき消していく。











「あずさってば‼︎ 大学に来ないってどういうこと?」


 ミサキの大声が電話越しに耳を痛くする。


「ごめん、ミサキ。今日は色々と大変なの」

「お店のことと霧島さんのこと……どっち?」

「うん、えっと」


 どう答えればいいだろう。

 だと言ったらミサキはどんな反応するのかな。彼が家にいるって言ったら会いに来るって言いだしかねないし。ミサキに嘘はつきたくないけど……ごめんね。


「玲香さんが体調崩しちゃったの。私がお店に出ることになったから」

「玲香さん大丈夫なの? あずさは接客に慣れてないんだよね。手伝おうか?」

「せっ接客なら沙月爺がフォローしてくれるはずだから。玲香さんも……明日には来れると思うし」

「そう? 困った時は遠慮しなくていいんだよ?」

「ありがとう。今日は……がんばってみる。じゃあね、ミサキ」


 電話を終えて深呼吸。

 もうすぐ7時だ、着替えなきゃ。

 深夜、高瀬さんの怪しい料理を前に沙月爺が言ったこと。


 ——今日は店を休む。話し合いもだが、この歳になっての寝不足は体に堪える。


 休みと聞いて私が思ったのは玲香さんのことだった。早めに連絡しないと、玲香さんが来てから言うのは申し訳ないし。だけど


 ——9時になったら和室に集まってくれ。玲香さんも交えて色々と話し合おう。


 玲香さんも交えて。


 その響きがやけにひっかかった。

 妖魔の存在が私達にどう影響するかわからない。みんなで話し合うのは当然のことなのに。

 だから沙月爺に聞いた。

 どうしてじゃなくだったのかを。


 ——沙月爺、玲香さんもってどういうこと?


『ふむ』と呟いて、沙月爺が目を向けたのは高瀬さんだった。自作の料理に悶絶していた高瀬さん、沙月爺に見られたことに気づいてなさそうだったけど。

 その時、私は気づいたんだ。

 玲香さんの名字を聞いたことがなかったって。


 もしも……玲香さんの名字が高瀬だったら。

 それが意味することは何?


 ——この町で高瀬の姓を持つ者は一族の人間だよ。


 高瀬さんの声が私の中を巡る。


 わかることは、沙月爺が玲香さんを雇うつもりはなかったこと。

 働かせてほしい。玲香さんの熱意に折れて沙月爺は働くことを了承した。

 沙月爺が断ろうとしたのは何故なのか。

 私が高校生の時、玲香さんは悠幻堂に訪れた。悠華さんが妖魔を閉じ込めたのも高校生の時。

 私と悠華さんは……同じ歳。


 ——一族には存在するんだ。妖魔の力を追い生まれてくる見張りのような者が。


 高瀬さんが言っていたこと。

 もしも、玲香さんが妖魔の見張りだったら。

 玲香さんもわかってたんじゃ。

 妖魔の思考を読み取って、いつかは……彼が復讐を遂げようとすることを。

 だとしたら、玲香さんの目的は何?

 一族の手で、妖魔を再び封印する。そのために何かを考えてるとしたら。

 妖魔を解放した彼を……一族はどうするつもりなの?


「まさか……違うよね」


 玲香さんが一族の人間。

 そんなはずはないと自分に言い聞かせる。そうだよ、違う名字かもしれないんだし。

 私が玲香さんの挨拶をちゃんと聞いてなかっただけ。断ろうとしてたのは、玲香さんが美人で仕事に集中出来なくなる。沙月爺はそう思ったんだ。神坂食堂での桔梗さんとの茶飲み話。それはやっぱり、玲香さんがいたら仕事に集中出来ないから。

 そうに決まってる。

 玲香さんはお姉さんみたいな人。私にとっては、それ以上でもそれ以下でもないんだから。

 玲香さんは……玲香さんだもん。


「これでいいかな、寝癖は……ないよね?」


 着替えを終え窓を開けた。

 朝のちょっとだけ冷たい空気。

 起きたのかな、彼も高瀬さんも……それに白夜さん。


 ——すまないが、高瀬君達は9時を過ぎるまで僕の部屋にいてほしい。君達がいきなり現れたらあずさの母親を驚かせてしまう。白夜君も心の準備が必要だろう。朝飯の時に伝えるよ。来客がある、店は休みだと。


 ——沙月さんの部屋に僕ら3人か。チロを入れたらもっと狭くなる。霧島君はあずさちゃ。


 高瀬さんの声が途切れたのは沙月爺に睨まれたから。高瀬さんの軽口、限度を崩すのも沙月爺の仕事みたい。


 ——和室に食べるものは準備しておく。それが君達の朝飯代わりだ。いいね?


 9時を過ぎれば何もかもがわかる。

 白夜さんのことも玲香さんのことも。

 すべてが……


「そうだ、霧島さん」


 洋服ダンスを開け、畳んだ服を取り出していく。何処かにしまっていた、お父さんにもらったカーディガン。


 ——結婚前、お母さんが買ってくれたものなんだ。サイズを間違えてて小柄な僕には大きすぎる。いつか着てもらえたら嬉しいな、あずさが一緒に……未来を歩いていく誰か。あるんだよなぁ、あずさが僕の手から離れ羽ばたいていく。いつかはそんな未来が。



 そう、未来はある。


 復讐の先。


 悠華さんが望む未来があるように。

 霧島さんを待つ何かが……きっと。


 それが何かはわからない。

 私がそばにいられるかもわからない。


 それでも……未来はある。



「これだ」


 淡いクリーム色、彼に似合いそう。

 少しでも寒さを遠ざけられるなら。


 カーディガンを手にドアを開けた。

 やけに心が弾む。

 早く沙月爺の部屋に行かなくちゃ。



「……お味噌汁」


 台所から流れてくる作りたての匂い。

 彼の体を温められる。

 少しもらっていこう。具材、彼が好きなものならいいな。


「お母さん‼︎」

「おはよう。めずらしいわね、あずさが台所に来るなんて」

「これからは何度か来ると思うよ」


 彼が家にいるうちはね。


「あら、花嫁修行のつもり?」

「そんなんじゃないけど。お味噌汁、ちょっともらえない?」

「朝ご飯はもうすぐよ?」

「わかってる。その……どんな具材か気になっちゃって」

「あずさってば、色気より食い気なのね」


 クスクスと笑いながら、お母さんはお味噌汁を入れていく。私が使ってるお椀だけど大丈夫かな?


「ありがとお母さん。またあとでね」


 割り箸を手に台所から出た。

 カーディガンとお味噌汁。ちょっとでも喜んでもらえたらいいな。笑ってほしいとか、褒めてほしいとかそんなことは考えない。

 体が温まれば少しだけ……心が軽くなるはずだから。






 沙月爺の部屋。

 閉められた襖の奥に彼がいる。

 沙月爺も高瀬さんも。

 ふたりにはどんな顔をされるだろう。どう思われても彼のために出来ることをしたい。


 ワンッ‼︎ ワンッ‼︎


 チロちゃんが鳴きだした。

 大丈夫かな、お母さんに聞こえなきゃいいけど。

 トントンと襖を叩く音、たぶんチロちゃんだ。お味噌汁の匂いが気になってるのかな。


「駄目だよチロ。襖が壊れたら、怖いお爺さんに叱られる」


 高瀬さんの声と近づいてくる足音。

 開けられた襖。


「……霧島さん」


 彼が立っている。

 驚いたな、襖を開けたの高瀬さんだと思ったのに。

 みんなまだ着替えてない。夜中の騒ぎで疲れてるんだな。


「あの、これ」


 カーディガンとお味噌汁。私が言うより早く、彼の手が伸ばされた。


「お味噌汁、作ったのお母さんです。その……味見に」


 高鳴る心。

 私がしてることどう思われてるだろう。

 恥ずかしくて彼の顔が見れない。


「それじゃあ、またあとで」


 ゆっくりと閉めた襖。


 ワンッ‼︎ ワンッ‼︎


 緊張を柔げるチロちゃんの鳴き声。


 9時を過ぎれば何もかもがわかる。

 怖いけど……もう戻れない。



 だけど。



 戻れなくてもいい。

 決めたんだから、彼のために……私が出来るだけのことをするんだって。

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