第15話

 高瀬さんに言われるまま部屋から出た。『落ちるなよ』と釘を刺されながら。高瀬さんの部屋は地面からは高く、僕はロープを使い窓から地面に降りた。スーツケースを手に軽々と飛び降りた高瀬さん。彼の運動神経の良さは妖魔の血がそうさせるのか。


 高瀬蒼波にとって、この逃亡劇は一族との決別と家族との別れを意味していた。とはいえ、この時の高瀬さんに感じられなかった焦り。


『町からは問題なく出られるよ、霧島君』

『どうしてそう思うんですか』

『蒼真が教えてくれたんだ、妖魔には未来を見る力がある。僕達が何処へ行くかも、蒼真はお見通しだよ』


 この時、着せられた服は高瀬さんのものだった。シルク生地の白いシャツと淡い水色のカーディガン。それは彼の育ちの良さを改めて感じさせた。行動と発言が妙なものでなければ、育ちの良さは彼の大きな魅力になっただろうに。


『駆け落ち相手が男とはね、僕の女運の悪さは筋金入りだ』


 高瀬さんが歩きだし、スーツケースを引く音が闇に響いた。彼を追いながら振り向いた、僕の足を止めたもの。


『……この屋敷』

『何してるんだ? ついてこないと迷子になる』

『妖魔に会った場所。この屋敷が』

『あぁ、同じものを建てただけさ。蒼真が殺されたあと僕ら家族はここに越した。おぞましい妖魔を遠ざけるため……一族にはそう伝えたが、僕達は蒼真が眠る場所にいたくなかったんだ。家族を貫いた剣、それを見るたびに思い知る現実。そんなもの耐えられないだろう?』


 どす黒い何かが僕の中を巡りだした。

 家族が喰い殺された憎しみと、望みもしないことで子供が命を奪われる不条理。

 もしも……僕が蒼真の立場なら同じことをしてただろうか。自由を望み、幻を作り続け、助けてくれる誰かを待っていた。手に入れた自由の中、人間ひとを喰らいながら思うままに生きる。

 だが僕は、霧島愁夜として生まれ生きている。もしもなどこの世界にありはしない。妖魔への復讐、それが僕が生きる糧。他に何があるものか。


 何もいらない。

 何も望まない。


 この先何が待っていようとも、僕のすべては家族のためにある。





『これからどうするんですか?』


 夜の町を歩きながら高瀬さんに問いかけた。『うん』とうなづきながら、懐中時計を手にした高瀬さん。


『始発の電車に乗る、行き先は東京だ』

『このまま駅に向かうんですね?』

『それなんだが、ここからは遠い。知人を頼ろうかと思うんだ』


 ポケットに手を突っ込むなり『そうだった』と苦笑い。何が可笑しいのかと思ったが。


『電話は置いてきたんだった。居場所を知られる訳にはいかない。車も利用出来ないし、僕にあるのは手持ちの資金だけだ』


 見せられた免許証。

 こわばった顔写真の妙な微笑ましさ。あとでわかったことだが、ほかに置いてきたのは通帳とクレジットカード。それでも逃亡に困らないだけの資金を持参していた。


『とはいえ、あたりに公衆電話もなし。ならいきなり訪ねても怒りはしないだろう。風変わりな人だからな』


 高瀬蒼波が風変わりと評した人物、どんな人かと想像を巡らせた。

 僕は迷惑をかけた人間だ。

 剣を抜き妖魔を解放した。僕を助けたことで町から出ることになった彼。本来なら僕は彼にとって忌々しい存在だろう。弟に頼まれたこととはいえ、僕を助けた彼も相当な風変わりだ。


『大の和菓子好きでね、自分の店を開くのを夢見てるんだ』

『どうやって知り合ったんですか』

『つまらない偶然さ。何処の店だったか……同じお茶を取ろうとして手が重なったんだ。互いに譲り合って笑い合った。話すうちに意気投合して、仲良しになったって訳』

『仲良し』


 圭太の顔が浮かんだ。

 町から離れることは圭太との別れを意味する。何も言わず出ていくのは嫌だった。どんな事実ことであれ圭太にだけは伝えたい。それだけを考えた。


『高瀬さん、話したい奴がいるんです。駄目でしょうか』


 連絡手段は何もなかった。

 見当たらない公衆電話。頼れるのは高瀬さんと彼が親しい人物だけだった。


『僕に起きたことを知ってほしいんです。何があっても僕の味方でいてくれる。そう……信じられる奴だから』

『信じる、大切だよその気持ちは。霧島君、歩きながら話そう。僕達は逃げてるんだから』


 高瀬さんに言われるまま歩いた夜の町。

 廃墟となった屋敷が気になったが、それを言えないまま彼のあとを追った。


『君の友達は電話を持ってるか?』

『はい』

『非通知でも出てくれるのかい?』

『圭太……友達は疑うことを知りません。出てくれるはずです』

『それなら駅の公衆電話を使おう。圭太君か、霧島君の名前といい洒落た名前だな』


 高瀬さんの名前には敵わない、そう思ったが口にするのはやめた。


『君には、他のことも話すべきかな』

『なんですか?』

『妖魔の力が生みだすものさ、オモイデサガシ』

『え?』


 聞き慣れない響きに止まりかけた足。


『オモイデ……サガシ?』

『無くした思い出を探し、黄昏時にだけ彷徨う亡霊。正体は喰い殺された人の魂さ』

『そんな……まさか』

『君の家族も彷徨い続ける。オモイデサガシとして』


 信じられるはずはなかった。

 僕の家族。

 喰い殺されたばかりか、亡霊となり彷徨うなんて。


『父さん、母さん……瑠衣』


 すぐにでも帰りたかった。

 僕が火をつけた大切な場所。 

 亡霊になった家族、それでもまた会えるなら。僕を……待っててくれてるなら。


『ここは何処なんだ? 僕の家……どうやって』


 自分がいる場所も方向もわからなかった。

 帰りたい、その気持ちだけが先走る。見慣れない景色、自分が住む町だとは思えなかった。


『どうすれば帰れるんだよっ‼︎』

『霧島君、落ち着いてくれ。霧島君っ』


 彼の冷静さに腹が立った。

 僕の気持ちなんてわかりっこない、妖魔にすべてを狂わされた気持ちなんて。怒りが体を震わせた。


『ここは何処なんですか‼︎ 帰るんです、家に』

『落ち着くんだ。言っただろう、オモイデサガシが彷徨うのは黄昏時。今はいないんだ……わかるね?』


 強い力で掴まれた肩。

 月と外灯だけが照らす町の中。

 僕達を包む静けさと闇。


『帰れる時は来る。君が大人になり生きる力を手に入れたら』

『……力?』

『知性と財力、物事を見極める冷静さだ。君は蒼真を憎んでいる。家族のために復讐を果たそうとするだろう。そのために僕は、君の力になり続ける』

『何を……言ってるんですか』


 どうかしてると思った。

 弟への復讐を認める兄がいるだろうか。意図が掴めずに戸惑った僕。


『あなたは、復讐の意味を』

『わかっているよ、僕も復讐を果たしたいんだ。弟を殺した一族への』


 闇の中、僕を見る目が金色に輝いた。


『そして終わらせるんだ、妖魔に支配される現実を。僕は信じたい、君の復讐は……僕と蒼真を妖魔から解放させるって。一族と違う、僕は僕のやり方で自由を手に入れる』

『高瀬さん』

『君が力を手に入れるまで僕が守る。わかってくれるね? ……霧島愁夜君』


 ——お兄ちゃん。


 瑠衣の声が聞こえた気がした。

 風に流れ、何処かから。

 浮かんで消えた、父さんと母さんの残像。


『僕は資金を集め続けた、蒼真のために何が出来るかを考えながら。僕に足りなかったのは、動きだす勇気と覚悟。君を助けたことで腹を括ったよ』


 肩を並べ、彼の目的地に向かう道。聞かされたのは東京でやろうとしていること。


『出版社を作ろうと思うんだ。目的は情報集め、蒼真が語らないことを調べようと思う。何が妖魔を生みだしたのか、妖魔は何故……オモイデサガシを生みだすのかを』

『どんな本を出すんですか』

『オカルト雑誌かな。タイトルは……そうだな、ミステリーショウ。どう思う?』

『売れそうもない名前です』

『いいんだよ売れなくて。まずは安い物件を借りる、僕達はそこを隠れ蓑に生活するんだ。僕は編集長、それと従業員を募集する。霧島君が働くのは成人を迎えたらだ』


 月明かりが照らした高瀬さんの笑み。

 それは子供のような無邪気さだった。

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