第9話

 ざわめきが遠のいた場所。

 闇の中、悠斗さんに支えられながら看板を横切っていく悠華さん。いいのかな、悪いことをしてるみたいで気が引けるんだけど。


「何してるの? あずささんも早く」

「ほんとに行くんですか?」


 ——悠華には絶対に逆らうな。


 悠斗さんの声が体の中を巡る。忘れろって言われたのに、こんなこと悠華さんに読まれでもしたら。


「あずささん? どうしたの?」


 荒い息遣いと掠れた声。

 妖魔は眠ったまま、だとしたら今の悠華さんに視えるものは何もないんじゃ。


「悠華さん、大丈夫ですか? 今……視えるものは」

「ないわ。ずっと視えている訳じゃないの」


 やっぱりそうなんだ。

 ちょっとだけ安心する、このまま何もなく家に帰れたらいいな。振り向いて誰もいないのを確認する。ふたりを連れてすぐ車に戻ればいいだけ。

 ふたりを追い看板を横切って歩く。

 思いだしたのは子供の頃のかくれんぼ。入っちゃいけない所に隠れてお父さんを困らせたっけ。隠れる時のワクワクした気持ちと見つかるまでのドキドキ感。子供の頃に戻ったみたいだな。


 月明かりが照らす細い道。

 纏わりつく暑さと悠華さんの息遣い。

 ふたりを追い歩く中、見えだしたのは草花に覆われた場所。


「あそこに……霧島さんの家が」


 いつかの過去、あったはずの家。

 霧島さんはどんなふうに過ごしてたんだろう。

 

「何もないんですね、家があったとは思えません」

「ここは彼の両親と妹が死んだ場所よ。妖魔に喰い殺されて」

「まさか……そんな」


 住宅地の中、家の中で⁉︎

 ありふれた日々、誰が襲われてもおかしくない。

 聞かされたのは現実味のない話。こんなこと誰が信じるだろう。


「そんなことが……本当に?」

「えぇ、喰い殺したのは私の中にいる妖魔」


 体中が妙な音を立てる。

 私を見る悠華さんの目、それが告げる現実味。


 闇と風に混じる音がある。誰かが歌うような響き。テレビかラジオ……どこから聞こえるんだろう。


「悠華さん、妖魔はどんな姿をしてるんですか? 人を喰い殺すものが……あなたの中にいるなんて」


 殺すだけじゃない。オモイデサガシを生みだすのはどうして? 思い出を探し彷徨う亡霊もの。生みだされた彼らに帰れる場所はあるの? 

 そうだ、本当に喰い殺されたなら。


 霧島さんの家族も……オモイデサガシになってるんじゃ。


「教えてください。どうして黙」

「何をしている」


 背後から響く声。

 振り向いて見えたのは、月明かりが照らす人影。


「……霧島さん?」

「その声、名刺の女か」


 近づいてくる霧島さんと背後から響く息遣い。さっきより苦しそうだけど、悠華さん大丈夫なの?


「ここが何処か、知らずに来ているとは思えない。……それに」


 霧島さんの口元に笑みが浮かぶ。


「傷痕がやけにうずく。これは知らせか……妖魔が」

「いるわ、ここに」


 風が冷たいのは夜のせいじゃない。私を挟む声が恐怖を呼び寄せるから。


「妖魔は私の中よ、霧島愁夜さん」

「随分と面白い冗談だ」


 私のそばに立った霧島さん。彼の目はまっすぐに悠華さんに向けられている。


「私は本当のことしか言わないわ。妖魔が眠る今なら簡単に復讐を遂げられる」

「僕の目的を知っているのか」

「さぁ、刺すことも焼くこともあなたの自由。私ともども妖魔を殺せるのよ‼︎」


 悠斗さんに支えられたまま、悠華さんは両手を広げ霧島さんに微笑む。刺すとか焼くとか、怖いことを平気で言うなんて。

『ククッ』と霧島さんは笑う。この状況でどうして笑えるの?


「妖魔が眠っているのだろう? 非力な者をいたぶる趣味はない」

「あなたがそう言うことは、妖魔の力で視えていました。行きましょう、お兄様」


 歩きだしたふたり、私達を横切って離れていく。どうしよう、置いていかれても帰り方がわからない。


「あのっ私は?」

「家には送り届けるよ、だけど悠華の目的はここからなんだ」


 目的って……何?


「馬鹿ね、彼に話があるのでしょう?」

「それは」


 送ろうとしたメール。

 白夜さんのこと、打ち込んで何度も消した。怖かった、どう思われるのかも返事が来ることも。それに……メールを送ることで私の日々がどうなっていくのか。


「話が終わったら車に来て。さぁ、お兄様」

「私を連れて来たのは……もしかして」


 悠華さんは知ってたんだ、霧島さんがここに来ることを。妖魔が視る未来は、確実に訪れる。

 ふたりがいなくなり、霧島さんと立つ闇の中。沈黙と気まずさが私を包む。こんな形で霧島さんに会うとは思わなかった。


「彼らは何者だ?」


 私を見る目が鋭さを宿す。

 気まずさを飲み込む緊張。霧島さんの人を寄せつけない雰囲気。同じ姿をしてるのに白夜さんと全然違う。


「もう1度聞く、彼らは何者だ? 言えないならすぐに立ち去れ」


 緊張を遠ざけようと息を吐きだす。

 嘘はつけない、今話せることだけを。


「和瀬悠華さんと兄の悠斗さん。大学のサークルで知り合ったんです。友達に誘われてサークルを訪ねたのがきっかけで」

「そのきっかけが僕を妖魔に引き会わせたか。面白い偶然だ」

「偶然じゃないと思います」

「どういうことだ?」

「悠華さんは知ってたんです、私と霧島さんのことを。妖魔の力が視せてるようです、私達の行動も未来も」

「すべてが視えると? 妖魔にとって僕達はおもちゃということか」


 冷ややかな声が闇に溶ける。

 おもちゃだなんて、霧島さんは被害者なのに。


 話さなきゃいけない、白夜さんのことを。白夜さんが無くした記憶、それが妖魔にどう繋がるのか怖いけど……それでも。


「あの、霧島さん」

「聞こえるか?」

「え?」

「風に混じる」


 霧島さんにも聞こえてるんだ、歌声のようなものが。

 私から離れ、霧島さんは雑草の中を歩く。闇の中、空を見上げながら。


「来た時から聞こえてます。誰かが歌ってるような」

「妹が気に入った歌」


 霧島さんの足が止まり、私に向けられた目。


「歌ってるんだ、妹が」


 妹さんが?

 どこにいるっていうの?

 妖魔に喰い殺されて……


「まさか、あなたの妹さんは」


 オモイデサガシになったんじゃ。


「妹がなんだ」

「……その」

「知らないふりはよせ、あの女に聞いているだろう。僕の家族はオモイデサガシになった。聞こえるのは妹の歌声だ」

「見えるんですか? 妹さんが」

「見えない、だが気配は感じる。妹だけじゃない、父さんと母さんもここに。喜んでいる、僕が帰って来たことを」


 どうして動くの? 私の足は。

 踏み入れてはいけない場所に向かって。雑草を踏みしめる音と、空を見上げた霧島さんの横顔。

 私にわかるのは歌声だけ。

 だけど霧島さんの家族は、確かにここにいる。


「妹が生きていたら、君と同じ年頃だった」

「名前は?」

「そんなこと聞いてどうする」

「別に、何も」


 私達を包む歌声、古めかしく優しいメロディー。

 それが呼び寄せるのは、懐かしさを慈しむ想い。


 亡霊も化け物も怖いものだと思ってた。耳にする噂や情報は、恐怖に包まれたものだったから。だけど冷たい風に混じる不思議な温かみ。


「話があると言ったな、手短かに話せ」


 霧島さんが手にしたのはペンとメモ。その顔に笑みはなく私はまた緊張に包まれる。


「彼らを待たせるのか? それに」

「なんですか?」

「僕の世界に他人は不要だからな」

「そんな、来たくて来た訳じゃ」


『ククッ』と霧島さんは笑う。

 もしも今、妖魔が眠りから覚めたなら。悠華さんには視えてるよね、私達の状況が。悠斗さんにどう説明するだろう、まさか痴話喧嘩とか言わないよね。

 なんだか腹が立ってきた。

 こんな人に笑われるなんて‼︎


「ご希望どおり、手短かに話します。私知ってるんです、霧島さんに似た人を」

「くだらないことを言うな、似てる人間など探せばいくらでもいる」

「そうですねっ‼︎ あなたに似てるだけなら」

「ひっかかる言い方だな、何が言いたい」

「似てるのはあなただけじゃない、オモイデサガシにも」

「どういうことだ?」


 霧島さんの目が興味深げに輝いた。

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