黄昏の妖魔〜オモイデサガシのモノガタリ

月野璃子

オモイデサガシ〜噂と青年〜

鹿波あずさ視点

第1話

 


 それはいつからか、この町で語られだした亡霊の噂。

 妖魔に喰われ、無くした思い出を探し彷徨うことになった人だった者達。

 逢魔が時とも呼ばれる黄昏時にだけ、オモイデサガシは町を彷徨い歩く。真っ白な髪と薄青色の肌。物憂げな赤い目とかすれた声。

 噂の始まりが何かはわからないけど、黄昏時を迎える頃この町は静けさに包まれる。噂を信じる人達が家に閉じこもり、外に出ようとする家族を引き止めてしまうから。


 人を喰らう妖魔。

 彷徨い歩くオモイデサガシ。


 ありもしないものを信じるのは何故だろう。

 生みだされ広がっていく噂。

 それは時に……人を惑わし操ってしまう。


「遅いわね沙月さつきさん」


 玲香れいかさんの声が響く。

 お客さんがいなくなった店内に漂う甘い匂い。陳列台に並ぶ色とりどりの和菓子。人気のどら焼きは午前中に売り切れてしまった。

 大福餅やカステラ。

 黄昏時が過ぎて、お店が閉まるまでにどれだけ売れるかな。


「迎えに行ったほうがいいかしら。お店はあずさちゃんがいれば大丈夫だもの」

「茶飲み話に夢中になんだよ。仕事そっちのけで……沙月爺ったら」

「じゃあ、神坂食堂は今大賑わいね。沙月さんも桔梗さんも話し上手だもの。元気で何よりだわ」


 玲香さんの顔に柔らかな笑みが浮かんだ。美人で華やかな雰囲気の玲香さん、仕事が丁寧でお客さんにも評判がいい。平凡な大学生の私とは大違いだ。


 悠幻堂ゆうげんどうという和菓子屋。

 店主を務める鹿波沙月かなみさつきは私のお爺さん。

 桔梗さんがいる神坂食堂は、悠幻堂の3軒隣にある。玲香さんにお店を任せ、沙月爺が神坂食堂に向かうのは日課みたいなもの。


「どんなお土産話を持ってくるかしら。昨日の駄洒落祭り、あずさちゃんを呆れさせてたわ」

「呆れてたのはお母さんも。玲香さんだってそうでしょ?」

「実はね、顔に出さない自信はあったのよ」


 玲香さんの笑う声に心が弾む。ひとりっ子の私にとって玲香さんはお姉さんみたいな人。私がそう思ってるの迷惑じゃなきゃいいな。玲香さんの弟ってどんな男の子なんだろう。


「たぶん、沙月爺もわかってたんじゃないかな。玲香さんも呆れてたって」

「そうかしら? まぁ、沙月さんの勘の良さは認めるけどね」

「ゾッとする時があるんだ。嘘をついてもすぐバレちゃうし。沙月爺にはわからないことがないのかも」


 沙月爺は不思議な人。

 朗らかで優しいのに、怖いと思う時がある。

 怒らないし乱暴な素振りもない。だけど時々感じる威圧的な雰囲気や、ふいに見せる冷ややかな目。お母さんと玲香さんは何も言わないし、沙月爺の変化に気がついてるの私だけかも。


 沙月爺と男勝りな桔梗さんは、この町のちょっとした有名人。ふたりに会おうと町に来る人達がいる。

 きっかけは数ヶ月前、オモイデサガシの噂が動画で拡散されたこと。動画の中、沙月爺と桔梗さんは肩を並べて映っている。オモイデサガシのことを話すはずが、結局はお店の宣伝になってるんだけど。それは、動画の中の絶大な癒し演出だとコメントで書かれてた。どら焼きが悠幻堂の人気商品になったのも、沙月爺と桔梗さんが動画の中で食べていたから。

 悠幻堂と神坂食堂、店内に貼られた何枚もの写真。知らない人達とにこやかに笑う沙月爺と桔梗さん。

 桔梗さんとは子供の頃からの腐れ縁みたい。


 動画をきっかけに町に来る人達も噂には慎重になっている。オモイデサガシの存在を信じてるんじゃない、町を包む雰囲気やモラルを守ってくれるという意味で。だから彼らが悠幻堂ここと神坂食堂を訪れるのは午前中だけ。


「……沙月爺」


 もしかして、帰ってくるの夜になるのかな。桔梗さんの所で晩御飯を食べてくるとかないよね。家族みんなで食べるのは、お父さんがいなくなってからの約束なんだから。

 事故で死んだお父さん。

 ボールを追いかけ、道路に飛び出した男の子を助けようとして車にはねられた。それは私が中学生の時。


 私がオモイデサガシになったなら。

 探すのは、たぶんお父さんとの思い出だ。

 写真でしか会えない笑顔や聞こえなくなった声。探してもお父さんに会えはしないのに。進み続ける時の流れ……どんなに願っても、過去には戻れない。


「玲香さん、よかったら晩御飯を食べてってよ」

「いいの? 迷惑じゃない?」

「お母さんも沙月爺も喜ぶよ。私も嬉しいな、食べたいものがあったら遠慮なく言って」

「作るのはお母様でしょ? あずさちゃんったら自分が作るみたいに」

「得意料理はあるんだけどね。美味しいって言ってもらえるか自信ないんだ」

「何が得意なの?」

「秘密。……大事な思い出でもあるし」


 オムライス。

 初めて好きになった男の子の大好物。

 話せただけで実らなかった恋。だけど男の子が話してくれたこと全部が宝物で、忘れないようにとノートの隅に書き込んでいた。

 尊敬するサッカー選手や好きな歌。

 ラッキーカラーと将来の夢。

 ノートをめくるたびにときめいていた。

 遠のいた小学生だった日々。私が話したことのひとつくらい、男の子の思い出になってたらいいんだけどな。


 玲香さんがカウンターから離れ、店内に足音が響く。玲香さんを追い見える店の外。黄昏に包まれた静けさ。夜になれば町はざわめきに飲み込まれる。買い物に訪れる主婦や仕事帰りの人達が行き来するから。

 開かれた店の入り口。

 外を見回す玲香さんの髪を黄昏が照らす。


「誰もいない、いつものことだけど気味が悪いわ」

「玲香さんは信じてる? オモイデサガシのこと」

「見たものしか信じない。亡霊も妖魔もいるとは思えないわね」

「私もそう思うんだ。どうして信じる人達がいるんだろうね」

「それなんだけど、あずさちゃん。私が考えてること話していい?」

「何?」


 振り向いた玲香さん。

 黄昏の光が、綺麗な顔をやけに引き立たせる。


「オモイデサガシは町の宣伝に作られた存在もの。信じてるフリをしてるんじゃないかしら」

「演技ってこと?」

「そう、動画が拡散されたことで町に来る人達がいる。興味や考察……ひとつの動画をきっかけにいくつもの憶測が広がっていく。いつかはネットに取り上げられて、テレビや雑誌が飛びついてくるかもしれない。妖魔の存在も、町を盛り上げるための提案かもしれないわ」

「嫌がる人はいないのかな。演技なら外に出たって怒られないのに」

「だから気味が悪いの、全員が流されるまま動いてるなんて。私はそう考えてるだけで、本当のことはわからないけど。ちょっと待って、そうなると」


 クスクスと笑う玲香さん。

 どうしたんだろう、面白そうに笑っちゃって。


「玲香さん?」

「ごめん、あずさちゃん。今思ったことだけどね」

「うん」

「あの動画。沙月さんと桔梗さん、オモイデサガシの噂を利用したんじゃないかしら」

「何に?」

「お店の宣伝よ。ふたりだけだもの、オモイデサガシのことをすぐにはぐらかしたのは。他の人達は顔を隠しながら話してた、オモイデサガシの姿や特徴を。町の宣伝にとがんばる人達の中ふたりだけは自分のお店を猛アピール。おかげでどら焼きが人気商品にもなった。沙月さんも桔梗さんも確信犯ってことよ」


 町のことにも人にも流されない。

 いいコンビだな、沙月爺と桔梗さんってば。

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