とある廃校の校長室にて、理由。12月23日

 桜高に軟禁されて約1か月半が過ぎた。迎えが来たのは、寒空広がる朝のことだった。

 手錠をつけられた神代かみしろは、武装した統合軍兵士に連れられて校門から出る。校門の前では、機動防護車が待機していた。

 後部ドアが開き、中に押し込められる。進行方向と平行に設置されたロングシートに座らせられ、両隣に兵士が陣取った。まもなくして、車が動きだす。

 宮守みやもりに連れて来られた桜高は、Sシリーズとの戦闘があったあの日から時が止まっていた。割れた窓ガラス、穴の開いた壁、崩れ落ちた天井。指揮所やクリニックはすでに撤収されていて、敷地内には人っこひとりいない。校舎はもはや廃墟となり、学校としても指揮所としても完全に機能を失っていた。

 必ず、サクラを取り戻す。それだけを考えて日々生きてきた。そして、12月23日の今日、独房と化した桜高での生活に終わりが来たのだった。

 両隣に座る兵士のおかげで、広いはずのロングシートが異様に狭い。外の様子は一切見えず、見えるのは向かいのシートに座る女の顔だけ。神代はこの人物が誰なのか知っている。

「久しぶりね、神代少尉」

 落ち着いた声で、長髪の女が言った。

 オペレーター三人娘のひとり、桐ヶ谷きりがやミクル。こうして対面するのは、本当に久しぶりだ。

「まずは、あなたにお礼を言わなきゃならない。ツバキのこと、ありがとう。止血剤のおかげで、大事には至らなかったわ」

 今の桐ヶ谷は、いつもそばにいる伊代月いよづきツバキや鹿角かづのマイヒメを連れていない。三人ではなく、たった一人で広い座席ベンチに座っている。

「本当はツバキも連れて来られれば良かったのだけれど、今はみんな忙しくて。すまないわね」

 車が揺れるたび、手錠だけがしゃらしゃらと音を立てる。

 神代は何も答えず、桐ヶ谷から目をそらす。

「その伸びた髪、あなたには似合わないわね。あとで切ったげる」

「……、」

 無視されても構わないのか、桐ヶ谷は話し続ける。

「いつも通り、ヒゲ剃りだけはしてあげられないんだけどね。ま、でも、その他なら任せて頂戴。シャンプーも頭皮マッサージも、今日は何だってサービスしたげるから。そうね、富嶽ふがく中将と面会したあとにでも」

「…………、」

「その服は……まあ、しょうがないか。新しい制服を取りに行く暇はないし、それでいいでしょう。

 シャワーはちゃんと浴びてたみたいね。正直、覚悟してきたのだけれど、臭くなくて良かったわ」

「………………、」

「そういえば、何か食べたいものとかある? マイヒメが作ってくれるそうよ。とは言っても、あの子、作れるのはカレーだけなんだけどね。ツバキに言えば空上からあげもできるけど、あの子はあの子で合成肉嫌いだから。多分、そこらへんで捕まえたカエルを――」

「もういい。分かった」

「あら、そう? それは残念ね」

 根負けした神代に、桐ヶ谷はとぼけて笑う。

 このまま無視を続けていたら、きっと永遠に喋っていたに違いない。

「用件は何だ」

「どうして?」

「だからわざわざ来たんだろう」

「違うって言ったら?」

「違わない。さっさと本題に入ってくれ」

 心外だとでも言いたげに、桐ヶ谷は唇をとがらせる。

 つまんないの、と小声で毒づいてから、

「じゃあ、コレ見て」

 座席ベンチに置いていたタブレット端末を差しだしてきた。

 画面には桜楯おうじゅん連合のエンブレムが表示されている。そこから先へはロックされていて入れない。

「これから、第二次防衛海域で停止していたスフィア型がどうなったのかを見てもらいます。あなたには事実を知る権利、いえ、義務がある。今後の行動はすべてを理解したうえで決めること。その後、富嶽中将との面会にのぞんでもらいます」

 事務的だった桐ヶ谷の声が人間味を帯び、

「今から知ることは、あなたにとって残酷な事実かもしれない。だけど、目をそらさずにちゃんと見て。耳を塞がずにちゃんと聞いて。つらいのは、あなただけじゃない。

 準備ができたら始めて頂戴。パスコードは“1224”よ」

 神代は桐ヶ谷の真剣な眼差しを正面から見、それからパスコードを入力する。

 ロックが解除され、“最終報告書”と銘打たれた電子レポートが開いた。内容はスフィア型キュウタァに関する監視報告。期間は8月25日から12月22日――つまり昨日までとなっている。

「あなたたちが放棄区域で生活を始めたその日、スフィア型は『U形態』への移行を開始したわ。」

 レポートに『U形態』となったスフィア型の写真が載っている。

 宙に浮かぶ紅い球体。その周囲を大小様々なが取り囲んでいる。環は合計して7つあり、それらは計235の『螺旋状の飛翔体』で形成されていたという。文書によると、環はスフィア型の周りを不規則な軌道で公転し、飛翔体自体もゆっくりと自転していたらしい。

「形態の移行が完了したのは翌15時。その3時間後に最初の『ピン』が打たれた。ピンはその後、12時間周期で打たれ続けたわ。上層部はこれを、戦闘再開までのカウントダウンと解釈した」

 桐ヶ谷の言う『ピン』とは、レポート曰く、環を構成する螺旋状の飛翔体のこと。スフィア型に1本ずつ打ち込まれ、その際に潜水艦が出すピンガー音に似た音を発することからそう呼称されていたようだ。

「もちろん、軍だって黙って見てたわけじゃない。何度もスフィア型を叩こうと試みた。だけど……、」

 目に飛び込んできた情報に、神代は愕然とする。

 スフィア型はSシリーズによって護衛されていた。その数、5人。これは木馬型との戦闘で行方不明になった人数と一致している。キュウタァはあの日、Sシリーズを手に入れていたのだ。そのこと知り、神代は思わず歯を食いしばる。

「カウントダウンは刻々と進み、12月21日、つまり一昨日おとといの18時に終了した。」

 レポートによると、その半日後、スフィア型は内部から崩壊したらしい。本体と見られる液が溶出し、海は紅く染まったと書いてある。

「監視艦隊は海域から即刻離脱。以降は無人機による空からの監視のみを続行。そして、今日になって事態が急変した」

「どうなったんだ?」

 レポートには昨日までのことしか書かれていない。

 桐ヶ谷はふぅっと息を吐いてから、話を再開する。

「海の中から無数のキュウタァが浮上してきた。護衛艦型、イージス艦型、駆逐艦型、航空母艦型、原潜艦型。それだけじゃない。戦闘機や爆撃機のカタチをしたものまで。出現したすべてのキュウタァが、過去の戦争で沈んだ軍艦や航空機の姿を模していたの。今や防衛海域上空は、キュウタァで埋め尽くされている。海の次は空が、紅に染まった。

 奴らはきっと亡霊だったのよ。紅い色をした大戦の亡霊。」

 四度に及ぶ世界大戦。禁じられた炎の使用。黒い雪による生物の死滅。

 人類は今、自らが生み出した兵器によって滅ぼされようとしている。


 ――人類からすると、キュウタァは敵だ。

 ――だが、少なくともこの世界にとっては救世主なんだよ。


 神代は宮守の言葉を思い出す。

「私たちは……一体、何と戦っているのでしょうね」

 ぽつり呟くと、桐ヶ谷はそれ以上喋ろうとはしなかった。

 神代も、神代の両隣りにいる兵士も喋らない。

 無言の時間が車内に流れ、結局、目的地に到着するまで誰も言葉を発しなかった。



「さあ、行きましょうか」

 後部ドアが開き、何十分ぶりかの陽光に照らされる。

 機動防護車が着いたのは、海岸からほど近い丘の上に建つ廃校だった。

「昔は『ハマナツ分校』という名で、子供たちの学びの場となっていたの」桐ヶ谷が懐かしそうに教えてくれた。

 校舎の背後には森、校庭を挟んだ正面には蒼い空と青い海が広がっている。

 丘の下に見えるのは港。かつては漁港だったようだが、今は漁船の代わりに軍艦がとまっている。

 広い飛行甲板に戦車を並べた艦や航空機関砲で武装した艦。りゅう弾砲や地対空ミサイル、自走臼砲じそうきゅうほうの砲塔のみを搭載した艦もある。その他にも、攻撃ヘリコプターや大型の無人攻撃機、ステルス戦闘機を積んだものなど、様々な艦艇がずらりと並んでいた。

 統合軍らしい光景だ、と神代は思う。陸海空の残存兵力を集結し、この国の総力を持って敵を討つ。今まさに、“桜楯連合統合軍”の真価が問われようとしている。

「ついてきて。案内するわ」

 桐ヶ谷に従い、平屋建ての木造校舎へ入る。

 入ってすぐの玄関ホールには大きな絵画が飾られていた。見ると、廊下の壁にも油絵や水彩画などたくさんの美術品が飾られている。ここはまるでちょっとした美術館のようだ。

 コツッ、コツッ、と足音を響かせながら桐ヶ谷は木造校舎の中を歩いていく。その背中を追って、神代も廃校の中を進む。

 しばらくして、桐ヶ谷はとある部屋の前で足を止めた。木製の室名札には『校長室』と書かれている。

「私の役目はここまでよ。さて、準備はいいかしら? 中では富嶽中将が待っているわ。あとは自分のタイミングで入って頂戴。それじゃあ、頑張ってね」

 そう言うと、桐ヶ谷は腰まで伸びた長髪を揺らして去っていった。

 ひとり残された神代は、引き戸の前で目を閉じ大きく息を吸う。ゆっくり吐ききって、目を開ける。戸を3回ノックすると、「入れ」低い声が聞こえた。

 来客用のソファーに掛けていた富嶽に指示され、神代はソファーに腰を下ろす。

 脚の短いテーブルの向こう側に富嶽がいる。厳めしい顔つきは初対面のときと変わっていないが、あのときと違って不思議と威圧感は覚えない。

「宮守から聞いているな? キュウタァが救世主かもしれないという話を」

 世間話などせずに、富嶽は単刀直入に話を始める。

「我々は過去の教訓を生かさず、第三次、第四次と過ちを重ねてきた。人類が存在する限り、この世から争いはなくならない。知性を持ちうる限り、戦争の歴史は繰り返される。キュウタァはそんな人類を世界から消滅せんとしているのだ。」

 第三次世界大戦終結後に立てられた不戦の誓いは、ある日、突如として破られた。何の罪もない人々が、日常から戦禍の中へいきなり放り込まれた。第四次の勃発を、禁じられた炎の再使用を、人類は防ぐことができなかった。

 遠くを見るような目で、富嶽は語る。

「我々は愚かだ。それに気づくのが遅すぎた。俺はあの時、戦争を止められる立場にいながら、何もすることができなかった。戦うことはできても、止めるすべを知らなかったのだ」

 富嶽は哀愁を帯びた声でくり返す、我々は愚かだと。

 そんな人類が生き残ることに、価値はあるのだろうか。サクラが戦うことに、果たして意味などあるのだろうか。

 しかし、と富嶽は続ける。

「しかし、すべての人類が愚かなわけではない。少なくとも、子供たちに責任はない。だからこそ統合軍は戦う。これ以上、未来の灯りが奪われることは許されない。今こそ、この国のたてになる時が来たのだ」

 富嶽の言う理屈は分かる。だが、理解はできても納得はできない。

 この国の未来は、統合軍が護ってくれるのだろう。だったら、サクラの未来は誰が護ってくれる?

「港を見たか」

「はい」

「各地の港で同じように準備が進められている。我々は世界に仇なそうとしているのかもしれん。だが、この国にとってアレは希望だ。寄せ集めの希望なのだ」

 未来のために武器を取る。自らの理由を胸に、命を懸けて戦う。

 この戦争に正義や不正義といった概念はない。

 あるのは人々の“生きたい”という願いだけ。

「キュウタァはこの国へ向け、今なお進軍中だ。12月24日、我々は総力をもってこれを撃滅する」

「えっ……」

「終末戦争は明日、終わりを迎えるだろう」

 そんなの、桐ヶ谷からは一言も聞いちゃいない。明日が決戦? 話が急すぎる。

 サクラは今どこにいる。明日までにどうやって彼女を探し出せばいい。時間がない。どう考えても時間が足りない。このままでは何もできないまま終わる。手をこまねいている間に、サクラが決戦へ動員されてしまう。そんなのダメだ。絶対にダメだ。

「代わりに俺が戦います! だから、サクラの出撃だけは……!」

 操縦は身体が覚えている。メガネさえあれば、右目の視力がほとんどなくとも戦える。特機型の1機や2機、戦艦型だろうが空母型だろうがいくらだって堕としてやる。だからもう一度、飛行士として戦わせてくれ。サクラのために飛ばせてくれ。

 お願いします、と神代は頭を下げた。

「何ができる。たとえ戦場に行ったとて、貴様に何ができる」

「……っ!」

「やめておけ。無駄に命を散らすだけだ」

 ギリリ、と噛みしめた歯が音を立てた。

 そんなこと、言われなくても分かってる。それでも動かないわけにはいかない。

「戦って消滅する。貴様はそれで満足かもしれん。だが、吉野よしのサクラはどうなる。戦う理由をくすこと。それがどれほど絶望的か、知らぬ貴様ではあるまい」

 知っている。理由を亡くすことがどれほど絶望的か、痛いほど知っている。

 唯一の家族だった母を護るために士官学校に入った。入学したその月、母の住む街が消えたことを知らされた。目の前が真っ暗になり、何も見えなくなった。やさぐれ、底の底まで堕ちた。宮守先輩のおかげでなんとか卒業だけはできたが、サクラと会うまで光は見えてこなかった。

 神代を諭すように富嶽は言う。

「何も敵を倒すことのみが戦いではない。信じて待つ。これも戦いだ。貴様はこの戦争、吉野サクラのために生き残らねばならない」

「んなこと言ったって!」

 じゃあ、どうすればいい。どうすればサクラが戦わなくて済む。何か考えろ。何でもいいから考えろ……!

「いつの世も、一番の激戦地は己の中だ。貴様は貴様の戦場で戦え。

 貴様が戦うのは何のためだ? 吉野サクラのためか、それとも自分のためか」

 そんなの決まってる。サクラのためだ。サクラを戦わせないために……。

 そこまで考えて、そうか、と神代は気がつく。

「……だったら。だったらもう一度、サクラに会わせてください」

「会ってどうなる」

「見極めます。どうすべきなのか、何をすべきなのかを。信じて待つとしたら、それはあなたに言われたからじゃない。自分の戦場は自分で決めます。そのために、もう一度サクラに会いたいんです」

 富嶽の鋭い視線が神代をつらぬく。本当の思惑が見抜かれぬよう、神代は心を静めて真っすぐに富嶽を見る。

 校長室はしんっと静まり返り、遠い夏の日の、うるさいセミの声はもう聞こえてこない。

「いいだろう」その一言が静寂を破った。

 富嶽は立ち上がり、そのまま校長机に歩いていく。そこから持ってきた何かを、ガサリと神代の前に置いた。

 目の前のテーブルに置かれたのは、ハンガーの上からビニールのカバーを被せられた軍服だった。白い布地に金色のボタン。すべてのボタンに桜といかりの紋章がある。これは統合軍の軍服でも、桜高専用の制服でもない。

「連合に編入される前の旧海軍、海上防衛隊の儀礼服だ。まだ一度も袖を通していない。貴様にやろう」

「どうして……」

「その、気の抜けたような服で吉野サクラに会うつもりか」

 言われて気がつく。いくら洗濯していたとは言え、長い軟禁生活のせいで着ていた服はくたびれきっていた。

「明朝8時、グラウンドに迎えが来る。準備しておけ。話は以上だ」

「はい」

 神代は軍服を持ってソファーから腰を上げる。

 引き戸を開け、校長室から出ていこうとしたそのとき、ぼそりと富嶽が言った。

「あいつの娘を、宜しく頼む」

 神代はその言葉を背中で受け止め、無言のまま引き戸を閉める。

 決戦は明日。サクラに会えさえすれば、あとはどうにでもなる。この国がどうなろうと関係ない。人類が滅ぼされようと知ったこっちゃない。彼女がこの国の犠牲になる必要なんてどこにもないのだ。

 終末戦争はもうすぐ終わる。もうすぐ、すべてに終わりが来る。サクラが幸せになってくれれば、それでいい。

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