「あなた」を諦め、別れを告げる?——2インチにも満たない壁を前に

 こうして、彼女は「接続」の終焉と「切断」の到来を迎え、そして数多くの有名ボカロPにも背中を向けられながら、ズタズタに切り裂かれた彼女は2010年代中盤を迎える。まるで鬱病であるかのような悲壮感を伴いながらも多くの歌を歌い続ける彼女は、2014年に投稿された「【初音ミク v3 English】 Glass Wall 【オリジナル曲】」にて、「ODDS & ENDS」にて提示した「あなた」への溢れんばかりの希望さえも、まるで捨て去ってしまっている。投稿者であるGuitarHeroPianoZeroは日本人ではなく、そうした投稿がニコニコ動画上でなされていることはある意味で、かつての初音ミクの「接続」の思想が成就したとも言えるだろう(そうした実現が2011年以後に到来していることは皮肉でしかないのだが)。しかし、その歌詞が果たして「接続」の希望に溢れているかといえば、全くもってそうではなかった。本曲タイトルの「Glass Wall」とはディスプレイのことであり、楽曲MVでは初音ミクが視聴者との間に敷かれた決して超えることのできない壁を前に、彼女が涙している様子が描かれている。楽曲の中で彼女は「このガラスの壁は私たちを隔てることはできない(This Glass Wall between us won't keep us apart)」と歌うものの、そのまえに「2インチにも満たない距離にいる貴方がとても遠く感じる(Less than 2 inches from you yet so far away)」ともいう。こうした楽曲の登場を、生誕から今に至るまでの彼女の歴史をもとに考えれば、そこに大きな意味が見えてくるだろう。「接続」が終わり、自身のことを「がらくた」とまで称しつつも、ユーザーとのつながりを確かめようとし、ただひたすらユーザーを肯定し支えたのが「ODDS & ENDS」だった。それを経て、本楽曲では初音ミクとユーザーとの間にある超えられない「断絶」が語られている。こうした変化は、「接続」思想を諦め、自己を否定しつつもユーザーを肯定的にとらえた初音ミクの心情を受け継ぎながら、それでも前を向いて「接続」しようとするという彼女の姿勢が、ある意味で限界を迎えているともいえる。私とあなたという関係であることは継続されつつも、そこに決して超えられない「ガラスの壁」を認知すること。そうして、2012年前後に見られた初音ミクによるユーザーへの接近は、ある種その限界を迎えている。


 こうしたなか、2017年に彼女は10歳を迎えた。挫折を経て一回り成長した彼女の10歳を祝福する様に、自身の声で歌う選択とった元ボカロPたちが楽曲を投稿するという、一種の祭りがそこで発生した。そこで注目されたのも、やはりハチとwowakaだった。有名ボカロPの久方ぶりの再投稿は界隈に大きな衝撃を与え、一時的な活性化をもたらしはしたものの、両者が用意した歌詞はいずれも、ボーカロイド文化に対していたって悲観的なものであった。ハチによる「砂の惑星」にはボーカロイド楽曲における数多くのモチーフが歌詞や映像の中に現われており、楽曲全体がボーカロイド10周年を意識して作られているが、「今後千年草も生えない砂の惑星」というように、現状をまさに悲観的に語り上げる。「砂の惑星」は言うまでもなくボーカロイド文化の比喩であり、彼はそれを「立ち入り禁止の札で満ちた」とまで称しているように、そこにはいたって閉塞的な空気感がある。その一方、wowakaによる「アンノウン・マザーグース」は彼が一貫して守り続けた映像形式を守りながらも、初音ミク自身の話と自身の話を混ぜ合わせる形で楽曲が制作されているといえる。「テノヒラ 」や「プリズムキューブ」などの楽曲に見られるように、彼は歌詞の中にネガティブな言葉を頻繁に詰め込むが、そうした言葉の用いられ方は本楽曲でも、あるいはヒトリエの楽曲でも同様だった。「繰り返す使いまわしの歌にまた耳を塞いだ」という歌詞は、いわゆる「ボカロっぽさ」を作り出した本人とまで称されるwowaka自身の様式が使いまわされることに対する批判か、あるいはボーカロイド文化においてN次創作的に連鎖していく創作への批判だろうか。あるいは、ヒトリエというバンドを始動させることによって結果的に初音ミクに背を向けたことに対する自責の念が、ここにあるのだろうか。本人がすでに帰らぬ人となった今ではその真相は予測することしかできないものの、オリジナルを無数に引用し続けることでユーザー間を「接続」し続けたニコニコ動画楽曲に対する批判を、彼は10周年を迎えた初音ミクに対する楽曲として提供したと考えることができるのなら、本楽曲はある意味で初音ミクに対し別れを告げた、といえるのかもしれない。そうした解釈は、2017年のボカロ文化を「砂の惑星」と称した米津玄師においても、同様にいえるだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る