第15話 セラナ(七)
墓所の中の物置小屋には今、マイラが居るはずであった。墓所の監視も兼ねてであったが、マルセンの指示でセラナが寝泊りする為の荷物を前もって運び込んでいる手筈だ。そしてセラナはこれからホルンベルと二人で小屋へと向かう事になった。
居間でマルセン達との話を終えたセラナが着替えの為に一旦部屋に戻ろうとすると、廊下の物陰にテオが隠れていた。
話を盗み聞きしていたのかとセラナが尋ねると、テオは気まずそうに頷いた。セラナはそれ以上言葉が見つからぬまま、黙って部屋の中へと入っていった。
「テオ、そこにおるのか?」居間のほうからマルセンの呼ぶ声が聞こえた。テオは物陰から大人しく出て行くと、セラナの過去の話を一部始終聞いていた事を白状した。
「まったく、困った奴だ」マルセンは呆れた様子で溜め息をつくと、聞いていたなら話は早いと言ってマイラの待つ小屋までセラナを送り届けてやるように言った。
セラナが服を着替えて戻ってくると、アンが飲み水を入れた皮袋を持たせてやった。そして少女の身体を引き寄せると静かに抱擁した。
「他に必要な物があればテオかマイラに言いなさい。あとで必ず届けさせるから……」アンはテオに灯りのついたランプを持たせ、気を付けて行くように言った。
二人が外に出ると井戸のほとりで馬を連れたホルンベルが待っていた。潅木の原に続く登り道をそろって歩き出した。いつも賑やかなテオとセラナであったが、今夜はさすがに無駄口を叩く気分にはなれないようだ。
潅木の原が途絶えると道は緩やかな下り坂にかわり、月明かりに照らし出された広大な丘陵地が一望できた。その至る所に無数の墓標が浮かび上がって見えた。夜道を歩きながら、セラナは時折すれ違う夜の墓所の住人達の事を考えていた。
最初に埋葬された娼婦のマリエラがそうであったように、影達の中には生前の姿を明確に留めている者も多くあったが、その何れもが薄ら寒い表情をしながら墓標の傍や道端にただ立ち尽くしているのである。
時にはゆったりとした足取りで夜の丘の向こうを歩き去る姿もあったが、その様子は当ても無しにさまよっているようにしか見えなかった。
セラナはホルンベルに死者達の事について幾つか尋ねてみた。彼等はなぜ戻ってくるのか、何をしているのか、或いは安らかに眠りにつく者とそうでない者の違いはどこにあるのか、影人とはいったい何なのか……唐突なセラナの質問攻めにホルンベルは少し驚いた顔をして見せたが、隣にいたテオも聞きたそうな顔をしていたので彼は自分の里の話をしてやる事にした。
「テオやセラナは死んだ者の魂はどうなるか知っているかい?」彼はそこで一呼吸おくと子供達の反応をうかがった。テオもセラナも知らないと頭を振り、話の続きを急くように目を大きくさせた。
「私の故郷ではね、死んだ者の魂は鳥達が運んでくれると信じられている。どこかは分からないが彼等の行くべき場所へだ。だけど自分の魂を導いてくれる鳥を見つけられなかった者は……」ホルンベルはそこで話を区切ると不意に夜空を見上げた。
「やがて悪霊となり、飢えた獣の姿になっていつまでも荒野をさまよい続けると言われている……」ホルンベルはそう言うと、視線をわざとらしく夜空から周囲に巡らせ、子供達の顔を順に見据えた。
そして子供達が息を呑んでホルンベルの話に身を乗り出させたその時、突然彼等の足元から乾いた音が大きく鳴り響いた。ホルンベルが落ちていた枯れ枝を故意に踏み抜いたのだ。
その音に子供達は度肝を抜かれ、セラナにいたっては目じりに薄っすらと涙まで浮かべていた。
「ホルンベルの意地悪!」セラナはそう言うとそっぽを向いてしまった。テオもこの手の話に久方ぶりに肝を冷やすと、苦虫でも噛み潰したような顔をしながらホルンベルに抗議の目を差し向けた。
「勘弁してよ、おじさん……さっきの話も全部作り話なの?」テオが胡散臭いものでも見るような目つきで尋ねた。
「すまない、すまない。二人があまり真面目に話を聞いてくれるものだから、つい……ね。でも、さっきの話は私の故郷に伝わるホントウのお話だ。二人にもそういった話の一つや二つ聞いた事はあるだろう?」ホルンベルは悪びれたふうも無しに膨れた面のセラナの背中をトンと叩いた。
三人は再び歩き始めた。
「テオは影祓い達が死者の存在をどうとらえているか知っているね」ホルンベルが道端の影人を見ながらテオに尋ねた。からかわれて不機嫌そうにそっぽを向いていたセラナも、まだホルンベルの話には興味がある様子でしっかりと聞き耳を立てている。
「迷い出た魂は影となって生前の自分の記憶を投影しているって親方は言ってた」テオのその答えにホルンベルは頷くと、その話の続きをこう補足した。
「死んだ者の記憶は時とともに薄れ、亡霊達はやがて影人となり影となる……影はいずれ薄れてどこか還るべき場所へとかえる。影や影人は決して悪霊などではないが、還るべき時を見失った者にはそうあるべきだと誰かが教えねばならない」
ホルンベルは最後に影達がどこへ消えて行くのかは影祓い達もよくは知らぬのだと言い、死者についての話をそこで終えた。
墓所の物置小屋が遠目に見える辺りでテオ達はホルンベルと別れた。ホルンベルは連れていた馬の背にまたがると霧の帳の集落がある方角へ去って行った。
丘の上にみえる小屋にはマイラが待っているはずであったが、灯りは見えなかった。するとセラナが別の方角を指し示した。物置小屋から斜面を下った辺りの茂みに小さな明かりが見え隠れしていた。ちょうど今日、六人の亡骸を埋葬した辺りであった。
灯りは次第に二人の方へと近づいてきた。それは小屋の周囲を見回りしていたマイラであった。彼女は、先ほど二人と一著にいたのは誰かと尋ねた。セラナがホルンベルだと答え、今夜親方達と話した内容を掻い摘んでマイラに聞かせた。
マイラはある程度その話の内容を予測していた様子であった。彼女は当面の生活に必要な荷物はすでに運び込んであるとセラナに告げると、小屋で先に休んでいるように告げた。
「私も見回りを済ませてから行くわ。不便かもしれないけれど今夜は火を焚かないでおいて」マイラはそれだけを伝えると、セラナの事をテオに任せて行ってしまった。
再び子供達だけになると二人は言われた通りに物置小屋へと向った。小屋の前には古い焚火の跡が残されていたが、セラナはその場で立ち止まると今日埋葬した者達の墓のある辺りを振り返った。
月明かりの下には墓標の他に何も見えず、埋葬された者達はどうやら皆静かに眠りについている様子であった。
テオが物置小屋の古びた戸をゆっくりと押し開けた。くたびれた木戸が夜闇の中に乾いた音を響き渡たらせた。セラナは今さらながらに薄気味悪さを覚え、今日からここが自分の暮らす場所なのだと考えると、我ながらひどく惨めな状況であると思えてきた。
テオがランプを携えて先に小屋の中へ入っていくと、セラナの足元が急に暗闇の中に取り残された。セラナは慌てて少年の後を追い、扉を後ろ手に閉ざした。
物置小屋の中は酷くカビ臭い匂いがした。ランプで照らし出された木箱や床の上には一面びっしりの埃。梁には分厚い蜘蛛の巣が幾重にも張り巡らされ、いかにも墓所の中の小屋であるという風情をかもし出していた。
小屋の中はそれなりの広がりが有るが、訳の分からぬ荷物がそこかしこに積みあげられ、棒切れやつるはしなどがそれらの間に無造作に転がっていた。
窓の近くに置かれた机の上にはセラナの為にマイラが運び込んでおいた荷物がまとめておかれており、テオがランプの灯りを頼りにその中身を確かめている最中であった。
ほかに目に付く物といえば部屋の片隅に煉瓦で設えられた暖炉があったが、その焚口には特に念入りに蜘蛛の巣が張り巡らされており、長年手入れされずに放置されていた事を如実に物語っていた。
セラナは窓際にたつと厚手のカーテンを軽くはたいてみた。途端に多量の埃が舞い上がって思わず咳き込んでしまう。
酷いところだとセラナが正直な感想を漏らした。小屋の外で焚火をしたことはあったが、実際に中に入るのは今回が初めてで、こうまで廃れた部屋の様子になぜかしら感心した風に頷いて見せた。
テオは机の上にランプを置くと、部屋の片隅で荷物の下に埋もれていた長椅子を掘り出しに掛かった。セラナも手伝い、二人掛りで邪魔なものをどけると赤い布張りの施された古風な長椅子が出てきた。
叩くとこれまた酷く埃の出る代物であったが、造りは頑丈で、座面の幅も奥行きも子供の寝床としては上出来といえた。
「今日はもう休もう」テオはマイラの用意してくれた夜具を長椅子の上に敷き、セラナに場所を空けてやった。セラナが不安そうな顔をしながらもう帰るのかとごねはじめたので、テオはマイラが戻るまでは一緒にいると約束した。
それから傍にあった厚手の布を肩から羽織り、大きな背もたれのある椅子に腰掛けた。そのとたん、大量の埃と共にカビ臭い匂いが舞い上がり、テオもセラナも思わず顔をしかめた。
「……ほんと、酷いところ」セラナは涙目で呟いた。
深夜を過ぎた頃、マイラが墓所の見回りを切り上げて物置小屋に戻ってきた。手にしたランプの灯りをかざすと長椅子を寝台代わりに眠っているセラナの姿が目に入る。入口の扉を静かに閉ざし、ランプの灯りを最小限に絞るとそれを机の上に置いた。
机の下、ちょうどマイラの足元あたりからセラナとは別の規則正しい寝息が聞こえて来た。そっと覗き込んでみるとテオが随分な寝相で眠りこんでいた。マイラは苦笑しながら、夜具からはみ出した少年の手足をきちんとその下に納めてる。
すると彼女の背後で人の動く気配がした。振り返ると背中に毛布を纏ったセラナが長椅子に腰掛けてマイラの事を見詰めていた。
「起してしまったわね」マイラが囁くと、セラナは頭を横に振って見せた。どうやら元から起きていた様子であった。
マイラは長椅子の傍に歩み寄り、少女の隣へ腰を下ろした。眠れないのかとマイラが問うと、セラナは頷いた。それから少し甘えるようにマイラの肩に頭をもたせ掛けてきた。
「今日は色々とあったわ」セラナは呟きながら机の下で眠るテオの事をぼんやりと見詰めた。マイラは少女の肩へ腕をまわすと彼女の小さな頭を自分の懐へと手繰り寄せた。
「眠れなくても身体は休めておいた方がいいわ」マイラはそのまま少女の身体を長椅子の上に横たえさせると、その頭を自分の膝の上に優しく誘った。
「ねえ、マイラ」セラナは上体だけを起用にひねると、マイラの太腿の上から彼女の顔を見上げた。薄暗い部屋の中でランプの灯りを秘めた小さな瞳が爛々と輝いて見えた。
「あの子達もいつかはお墓の傍へ出てくるの?」おそらくセラナは今日埋葬した子供達の事がずっと気になっていて、それで眠れずにいたのだ。
「どうかしらね……きっと静かな眠りについているのじゃないかしら」マイラのその答えにセラナは一度だけ頷くとあとは無口になり、再び身体を横向きにして机の上に置かれたランプの灯りに目を留めた。
するとマイラがセラナの髪に手串を入れてやりながら、あの子供達とは仲が良かったのかと尋ねた。セラナは頷き返すと瞼を閉じた。
「マティスは私の幼馴染よ……ファビオとロッタも同じ村の子だけれど、あの中には居なかったの。イラニアとアロミは馬車で一緒になったのだけれど、すごく優しくしてくれたわ」
セラナは村を出てからの出来事を振り返りながら、いつも一緒だった子達の顔を一人ひとり思い返した。
辛い日々の中にあっても微かな喜びというのはあるもので、固くなったパンを皆で分け合い、お互い身を寄せ合って夜の寒さを凌いだ時の事など、今ではひどく懐かしく、また幸せであったように思えてくるのが不思議であった。
「病気の人達はまだあのお屋敷に沢山いるの?」セラナが唐突に尋ね返した。マイラは思わず表情を強張らせると、膝の上にある少女の顔を見た。彼女は眠たそうな眼差しで相変らずランプの灯りを眺めていた。
「まだ、いるかも知れないわね……でも皆身体を休ませて、お薬を飲ませて貰っているはずよ」彼女の答えは嘘ではなかったが、真実とは程遠かった。
隔離されて部屋に残されている者達の多くは恐らくあと数日の内に、この塚で引き取る事になるだろう……マイラはそれをどう伝えればよいか迷い、苦し紛れに曖昧な答えを返すと、何故セラナはそのような問をするのかいぶかしんだ。
セラナは今の彼女の答えにこれといった反応は示さず、もう随分と瞼が重くなって来た様子であった。
「さぁ、もう寝なさい……」マイラは囁きかけるように言うと、長椅子の上を少女の為に明け渡してやった。
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