第13話 セラナ(五)

 テオとセラナは仮設の祭壇を片付けて荷物をまとめると、皆の後を追う事にした。死者の亡骸は既に運び出された後で、部屋に残されたのは彼等だけであった。


 セラナは荷袋をひとつ手に取り、残りはテオに任せることにして開け放たれたままの扉へと向う。廊下に出ると、ちょうど階段と反対側の方向からフェルナンドがやってくる所であった。彼はセラナには見向きもせずに不機嫌そうな顔付きで階段へと向かって歩き去った。


 セラナはフェルナンドのやってきた通路の先を見た。その突き当たりに覗き窓がはめ込まれた扉が見えた。まだ生きている奴隷達がいる。セラナは反射的に階段とは反対の廊下へ踏み出そうとした。


「セラナ、向こうだ」出口と反対方向へ向かおうとするセラナを、ちょうど部屋から出てきたテオが呼び止めた。セラナは躊躇するような素振りで角部屋の扉と少年とを交互に見交わしたが、再びテオに急かされると大人しく彼の後に続いた。




 館の裏門ではマルセンとマイラが待っていた。他にこの館の二人の使用人とアマディオの姿があったが、差配役のフェルナンドの姿は見当たらなかった。通りには荷馬車が二台停められており、一台は塚から持ち出したもので、残る一台はマルセンがアマディオに言って手配させたものであった。


 すでに死者達の亡骸はそれぞれの荷台に分けて積み込まれており、遅れて出てきたテオ達が仕事道具を子供達の亡骸の脇に積み終えるのを見届けると、マルセンが出発の合図をだした。




 太陽は墓所の真上に差し掛かっていた。吹き過ぎる風にはまだ雨季の名残の蒸し暑さが混ざり、その場に居合わせた者達の体に執拗に纏わり付いた。


 先日弔ったばかりのマリエラと言う女の墓標のすぐ傍には大小六つの大きな穴がすでに掘られており、先に大人達の亡骸が、次いで子供達の亡骸が順に下ろされていく。


 大人達が粛々と作業をすすめる中、鎖に吊るされた香炉を手にしたテオとセラナが周囲にゆっくりと煙を振りまき、マルセンとマイラは彼等の後ろに控えて皆の作業が終わるのを静かに待っていた。


「旦那、終わりやした」アマディオがいった。六つの墓穴の前に七人の人影が並んだ。皆頭巾や帽子を取り去ると、頭をたれて死者に半眼の黙祷をささげた。


 マルセンは穴と参列者達の間に立つと祈りの言葉を短く三度繰り返した。それから後ろに並ぶ者達に別れを告げる者はあるかと尋ねた。


 すると館の者達が一人ずつ娼婦達の墓穴の前に立ち、小さな飾り結びの付いたお守りや磨かれた銅貨を死者達に手向けた。最後にアマディオが墓穴の前に進み出てきて神妙な面持ちで口を開いた。


「ベラ、それにアンナ……お前さん達は館の誰からも好かれてたよな。ゆっくりと眠ってくれ」アマディオは女達に別れを告げ、それから他の四人が横たえられた穴を見た。「すまねぇ、あとの連中は連れて来られたばかりの奴等で、誰も名前すら知らねぇんだ」アマディオはマルセンにそう告げるとそそくさと元いた列の端まで引き下がった。


 すると今度はセラナがふらりと前へ進み出た。少女はマルセンの方を見ると、埋葬される子供達の名を知っていると告げた。


 マルセンは彼女のその言葉に一瞬眉をひそませたが、すぐに元の表情に戻ると静かに頷きを返した。それをみて横に控えていたマイラがセラナの傍へ歩み寄った。マイラは少女の手から香炉を預かると、子供達に別れを告げるように促した。


「イラニア、アロミに、それから泣き虫のマティス」セラナは子供達の墓穴の前に立つと左の手を胸の下に添えた。

「こんな遠くへ連れてこられてさぞ不安だったでしょう。喧嘩とかしないで、みんなで仲良く眠るのよ……」セラナは言葉の最後に短い黙祷をささげると、今度は子供達の隣の穴に横たえられた男の墓穴を覗き込んだ。

「貴方の事は私も良く知らないけれど、どうぞ安らかに眠ってください」彼女は奴隷であった見知らぬ男にも同様に黙祷をささげ、マイラの隣へと並んだ。




 墓穴を埋め戻して墓標を立て終えた頃には日は随分と西に傾いていた。夕刻にはまだ程遠かったのでバローネの館の者達を彼等だけで街に帰すと、マルセンは難しそうな表情をしたまま帰り支度をしている子供達の事を見詰めていた。


 マルセンはマイラを近くへ呼び寄せるとテオとセラナを連れて先に集落へ戻っているように言った。それから小屋に着いたら子供達を部屋で休ませるよう言い、決して外出させぬように言い含めた。

 マイラは何も言わずに頷いたが、どうやらマルセンが今何を気に留めているのか察しが付いた様子であった。


 マルセンとマイラは馬車の傍にいたセラナの姿を無言で見つめた。少女は今日埋葬した子供達の名を知っていた。何故なのか……その理由を問いたださねば成らなかった。

 そしてその返答次第では面倒事になるやも知れぬとマルセンもマイラも理解していた。


 マルセンは少女が子供達の弔いを申し出た時、埋葬に随行した他の男達の表情をひそかに観察していた。男達の内二人はただ黙って頭を垂れていたが、アマディオという男だけは一瞬不思議がるような目付きでセラナの事を見たように思えた。


「親方はこれからどちらへ?」マイラが尋ねた。マルセンは霧の帳の塚へ出向くと彼女に告げた。ホルンベルの元を訪ねるのだ。

「セラナは奴が連れてきた娘だ。話には加わって貰わねばなるまいよ」マルセンは子供達の事をマイラに任せると、帰り道とは別の方角へと歩き去った。



 マルセンが小屋へ戻ってきたのは日暮れ間近であった。妻のアンが玄関先で出迎えてくれたが、その表情からするとマイラからはまだ何も聞かされていない様子だ。

アンはマルセンの労を労うと、じき夕飯の用意が整うからとにこやかに言った。


 すると今度は玄関の奥からマイラが顔を覗かせた。彼女は子供達が部屋で大人しくしている事をマルセンに伝えると、ホルンベルは一緒ではないのかと尋ねた。マルセンは彼が不在であった事を伝え、霧の帳の者に伝言を残しておいたと告げた。


「ホルンベルの所へいらしたの?」アンが嬉しそうに尋ねた。ホルンベルはかつてこの集落で暮らしていた仲間であり、宵星の塚から巣立った霧の帳の影祓いであった。

 また彼はマルセンの最初の弟子でもあり、子に恵まれなかったマルセン夫婦の、特にアンにとっては長男のような存在でもあったのだ。


 だがアンは、マルセン達のやり取りにどこか不穏な様子を感じ取ると急に表情を曇らせた。マルセンは彼女を安心させようと微笑みかけ、心配要らぬと告げた。


「セラナの事で一度話し合っておかねばならんだろう。お前もその場には立ち会っておくれ」マルセンはただそれだけを伝えると、腹が空いたと言ってアンを夕飯の支度に急きたてた。

 彼女はなおも不安がる様子を見せたが、渋々台所へと戻って行った。


「マイラ、すまぬがセラナを呼んでくれぬか。裏におるからそこへ来るように伝えておくれ。それと、他に頼んでおきたい事があるのだが……」マルセンは小声で幾つかの指示をマイラに伝えた。




 マルセンは小屋の裏に積まれていた薪束の上に腰かけ、夕空を眺めながら煙管を楽しんでいた。しばらくして横合いの戸口が開かれ、マイラに伴われてセラナが現れた。


 マイラはマルセンが頷いたのを見届けると、すぐにまた戸口の奥へ姿をけした。そして彼女と入れ替わるようにセラナが姿を現した。マルセンはセラナに隣へ腰かけるよう促したが、少女はマルセンの傍まで来ると、立ったままの姿勢で話が切り出されるのを待っていた。


「セラナよ、これから尋ねる事に正直に答えてくれるかね?」マルセンが尋ねた。セラナは黙ったまま頷くと、無表情にマルセンの顔を見詰め返した。


 マルセンは今日埋葬した子供達がどうやってこの土地へ連れて来られたか知っているかと尋ねた。セラナは知っていると答えた。それから少しだけ間をおき、彼女自身もあの子供達と一緒に奴隷としてこの土地へ連れられて来たのだと打ち明けた。




 セラナの話によれば彼女と今日埋葬された子たちは皆、南方の生まれだという。彼女達を載せた奴隷商の馬車の一団が街道沿いにある小さな街を目指して砂丘地帯を横断していた時、途中で大きな砂嵐に遭遇したのだ。


 商隊は覆いをかけた馬車の荷台で円陣を組んで数日を過ごしたが、砂嵐が収まる頃には水と食料が随分と心細くなっていた。

 さらに馬車の半数が砂に埋もれて立ち往生すると、彼等は商隊を二つに分ける事にして一隊を先に街へ送り、残りは最小限の水と食料を頼りに街からの迎えを祈りながら歩くこととなった。


 後発の隊にいたセラナは、見張りの目を盗んで逃げ出すことができた。彼女曰く、脱走自体はそんなに難しい事では無かったようだ。彼女の前に何人もの奴隷が隊から脱走したそうで、傭兵達は自分達の飲み水すらままならぬ中、奴隷達の脱走に半ば見て見ぬふりを決め込んでいたのだ。


 そこまでを一息に話し終えてセラナは小さな咳払いをし、再び淡々と語り始めた。この辺りの土地勘など皆無であった彼女は、一旦は隊から遠く逃げ出したあと、再びその隊列の痕跡を見つけ、その後をつけるようにして歩き続けた。

 だが水も食料も無しの状態ですぐに隊列から引き離されてしまい、後を追うにも痕跡はすぐに砂の中へと消えてしまった。


 セラナはそれから先の事はよく覚えていないと言い、死を覚悟しながら半ば無意識でさまよい歩いているところをホルンベルに救われたという次第であった。


「一番小さかった男の子がマティス……」話が子供達の事にふれ、セラナの声音に初めて感情の響きが織り交ぜられた。それはほんの微かなもので、悲しみとも懐かしみとも取れる響きであった。


「あの子は隣村の子ですごく泣き虫なの。イラニアとアロミはどこの子か良く知らないけれど同じ馬車に載せられていた子達よ。私の村からは他に二人の子が連れて来られたわ。二人とも幼馴染みなの」平静を装っていた少女の声は、全てを話し終える頃には酷く上ずったものとなっていた。


 マルセンはセラナを隣へ座らせると、しばらく何も言わずに煙管をふかしていた。そして少女の様子が落ち着くのを待ち、再び口を開いた。


「まだ二、三知っておかねばならん事があるが、答えてくれるかな」マルセンのその問い掛けにセラナは静かに頷いて見せた。だがその表情にはどこか悲壮なものが漂っていた。


 マルセンが市の日に無断で街へ入ったのは奴隷商の馬車を追うためかと尋ねるとセラナはそうだと答えた。彼女は自分達の乗せられていた馬車にも城門前で見たものと同じ紋様が描かれていた事を覚えていたのだ。

 そして馬車の後を追えば、一緒に載せられていた友の居場所が知れるやもしれぬという思いが彼女に行動を起こさせた。


 マルセンは馬車の後をつけてどうする心算だったか尋ねてみたが、セラナは首を振るばかりで、特に具体的な考えは無かったようだ。マルセンは、もとより彼女ひとりで何が出来るとも思わなかったが、セラナのあまりの無謀さに思わず深い溜め息を漏らした。


「お前はその者達にさらわれたのか、それとも……」マルセンの次の質問に少女は一瞬肩を震わせた。それは何とも酷な問い掛けであった。

 彼女は目元に薄っすらと涙の粒を溜め込むと、下唇を喰いしばった。それから噛み締めた唇をそっと解いて息を吐き出すとマルセンを見た。


「売られて連れて来られたの」セラナは短くそう答えると、後は言葉に成らぬ様子であった。マルセンは声も無く泣き崩れた少女の頭をそっと懐へ招きいれると、小刻みに震える肩をあやすようにさすり、今はこれ以上の詮索はするまいと決めた。


 それから暫くの間、マルセンはセラナの泣くに任せていたが、やがてそれも収まると彼女は両の手で涙の跡を拭い去った。


「黙っていてごめんなさい」セラナは顔を上げると微かに微笑んで見せた。それから少し間をおき、自分を奴隷商達に引き渡すかとマルセンに尋ねた。赤く腫れあがった目元に浮かべだ笑みは妙に痛々しく見えた。


 マルセンは大きくゆっくりと頭を振るうと、安心して良いのだと彼女に言って聞かせた。

「さぁ、じき夕飯だ。井戸のところで顔を洗ってきなさい」マルセンはそう言って話を打ち切ると少女を立たせて送り出した。




 マルセンはその後も独りその場に残ると暫く煙管をふかしていた。日はとうに暮れており、辺りはすっかり暗くなっていた。戸口からアンがおずおずと顔を覗かせ、セラナはいないのかとマルセンに尋ねた。

 セラナは表の井戸にいると教えてやっても、アンは不安そうな顔付きでなおも黙ったままマルセンの方を見ていた。恐らく戸口の影で先ほどの会話の幾らかは聞いていたのであろう。


「なあに、あの子の悪いようにはせぬよ」マルセンは煙管の吸いかすを地面に打ち捨てると静かに立ち上がり、なおも不安そうな顔のアンを伴って小屋の中へと戻る事にした。

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