第22話 西へ(二)

 フェルナンドは珍しく声を荒げていた。ネビアにある娼館の一室である。彼は額に青筋を浮かべながら唾液が飛び散るのもかまわず、ひたすら面前の男達に向かって罵声を浴びかけていた。


 彼の前にはゴロツキ風の男が二人並んで立っていたが、いずれも殊勝な様子で頭をたれると嵐の過ぎ去るのを黙ってやり過ごしていた。二人は共に今朝方宵星の集落を訪れた男達で、片方は痩せぎす長身のアマディオ。もう一人はベルナールという五十絡みの男で、こちらは剣の柄に手を掛けてヨアキム達に詰め寄った男である。


「この、役立たず共が……」フェルナンドは最後にそう吐き捨てると、さも叫び疲れたと言わんばかりに机の上に置かれていたグラスの中の水を一息に飲み干した。

 彼の怒りの原因は、墓所の集落で匿われていた娘と、彼女の逃走を手助けしたという少年を捉えに向かわせた者達が手土産一つ無しに戻ってきた事にあった。


「それで、小屋の中も調べず、塚人相手に警告一つ与えて帰ってきたのだな」フェルナンドは尚も不機嫌そうに唸ると、脇に控えていた別の男を横目で睨みつけだ。法衣姿のジベールであった。


 本来であれば今までの罵声のほぼ全てが彼に向けられるはずであったが、フェルナンドはこの得体の知れない男が苦手であった。彼は調薬や呪術の知識に秀でており、バローネの現総主であるオドレイのお気に入りの一人でもあった。


 ジベールは塚を追われた影祓いで、街道沿いの街を転々とした挙句にネビアの裏街に住み着いた、いわゆる外法士の一人である。

 かつてフェルナンドの元でしがない商売女をしていたオドレイが、自らのし上がる為ならば手段を選ばぬ努力家であった事は彼女を知る者ならば誰もが認める事実であったが、その努力の多くを報われるものにすべく手を貸していた者が塚を追われた呪術者であった事は彼女自身とフェルナンドを除いて他に知る者はいなかった。


 彼等は富と権勢のため密かに結託した。オドレイは権力を手に入れ、ジベールはその庇護を得たのだ。だがそもそも彼等を引き合わせたのはフェルナンドであった。


 随分と昔の話になるが、己の営む安宿で客取りをしていた女にジャン・バローネが入れ揚げている事を知り、彼は冗談半分でその女を焚付けてみた。するとその女の心のどこかにくすぶり続けていた野心が彼の助言を冗談とは受け取らず、逆に彼に手を貸すよう持ち掛けてきた。


 オドレイは、当時ネビアの裏街で名が売れ始めていたジベールを探して連れて来させた。フェルナンドも当然彼等の企てに手を貸し、何度かは危ない橋も渡ったものだが、その見返りとして彼はこの娼館の差配役の地位を手に入れた。

 だが事が成ってより後、彼に対する他の二人の、特にオドレイの評価が次第に変じた事を彼は肌で感じていた。


「差配役殿」ジベールが口を開いた。「この者等はただ共をしただけであって、咎めがあるならば名代を名乗りましたるこの私になさるべきでは」それはもっともな申し立てであった。ジベールは人前ではフェルナンドの立場を尊重するような態度を常にとってみせたが、それはあくまで彼がオドレイの個人的な相談役という立場を崩さなかったからだ。

「法士殿も勝手な振る舞いをなされては困る」フェルナンドは苦々しい顔をしながら言った。彼はジベールのこの慇懃な態度の裏側に、彼に対する敬意など微塵も含まれておらぬ事を重々承知していた。


「たかが小娘一人、何も塚人共と事を荒立てる必要などありますまいに」ジベールが得意そうに言った。他の二人の男達はあらぬ方から出された助け舟に面食らい、また密かにほくそ笑んだが、その言葉にフェルナンドに対する明らかな嘲笑が含まれてようとは知る由もなかった。


「ですが、法士殿……」フェルナンドだけがその言葉の意図に気付くと、再び血管を浮かび上がらせた。そもそも事を荒立てぬ方が得策であると主に進言したのはフェルナンドであった。しかしオドレイを陰で焚き付けたのはジベールであり、その張本人がフェルナンドの口にした言葉をしたり顔でそのまま引用して忠告して見せたのだ。

 フェルナンドはさすがに言葉を詰まらせると、今度は恥辱とそれに対する怒りに身を震わせた。


「仰る事はもっとも」フェルナンドは絞り出すように声を発した。「ですがご夫人は早々に事を解決せよと私に仰せられたのだ。商いの面子にも関わる話で、貴殿が安易に口出しなされる事ではないはずだ」フェルナンドは声の抑揚を抑えながらも不快の念を叩きつけるように言葉を続けた。


「左様でしたな。出すぎた振る舞い、平にご容赦を」ジベールは相変らずフェルナンドにしか分らぬ嫌味な態度で丁寧に詫びると、与えられた役儀は果たして見せると誓ってみせた。


「そう、願いたい……」フェルナンドは怒りを通りこして、感覚が麻痺し始めていた。なおもくすぶり続けていたものはただ一つで、それは以前からぬぐえぬ疑問であった。


 それはまさしく、たかだか小娘一人に……である。フェルナンドはオドレイとジベールが何故あの娘にこだわるのか理解に苦しむばかりであった。それは彼等二人の思惑なのか、或いはどちらか一方の主張なのかを考えながらジベールの顔を見据えてみたが、目の前の男の表情からは何一つ読み取れなかった。


 この件に関してフェルナンドは当初、彼自身を貶める為の口実なのかも知れぬと警戒した。だがすぐに馬鹿げた考えであると考えなおした。

 なぜなら己が今のオドレイにとってもはや不要な存在である事は十分に承知していたし、彼を排除する為にオドレイやジベールが何かしら理由を欲するなどありえない話である。それはいうなれば、足元を行き交う蟻の一匹を踏みにじる大儀を求めるに等しい行為でしかなかったからだ。


「あの……」アマディオがぼそりと声をあげた。フェルナンドが不機嫌そうに睨みつけると、彼は一応申し訳なさそうな顔をして見せた。

「俺らはこの辺で……そろそろ最初の知らせがくる頃でして」アマディオは上目遣いでフェルナンドの様子を窺っていた。彼はジベールの指図で墓所や街道沿いに手下の者達を配した事を伝え、じき最初のつなぎが戻ってくる頃だと告げた。


 フェルナンドは胡乱な眼差しでジベールを一瞥する。たかだか娘子一人に実に用意周到な事である……フェルナンドは内心そう毒づくと、アマディオとベルナールを部屋から下がらせた。




 アマディオ達が出て行くと室内はジベールとフェルナンドの二人だけとなった。

「何だ、あの茶番は!」早々にフェルナンドが食って掛かる。元来小心者であった彼にしてみればそれは珍しい事であった。

 野望の人であるオドレイや異形の技を繰るジベールを向こうにまわして立ちまわろうなどと本来の彼ならば微塵も思わなかったが、その彼にも我慢の限界と言うものはあるのだ。


「何の事だ?」ジベールはしらけた顔をしながらそう言ってのけたが、その言葉遣いに先程までの丁寧さは皆無であった。彼は大仰に思案してみせると、わざとらしく何かに思い至ったふりをしてみせた。


「ああ、あれはただの余興だ、フェルナンド。私が其方如きとまともに議論を交わそうなどと欲するはずあるまいに」ジベールはククッと耳障りな笑いを言葉の最後に含ませると、仄暗い笑みの中から嘲りの視線をフェルナンドに差し向けた。


 フェルナンドは一瞬たじろぎをみせ、やはりこれがこの男の本質なのだと改めて思い知らされた。


 この男は蛇である。館の中では女主人の思慮深い相談役を演じていたが、そんなものは幻かしでしかないのだ。軽蔑、侮蔑、嘲笑……ジベールにとって他人の尊厳など取るに足らぬ代物で、恐らくは現在の庇護主であるオドレイに対してもその考えは変わらぬのだろう。


 無論、オドレイもそんな事など承知の上で、ただ彼の技と知識のみをこよなく愛して手元に置いているに過ぎない。


 つまるところ彼等は互いの利害が一致するというただその一点のみによって結ばれた、性質の悪い愛人のようなものである。フェルナンドは言いようのない吐き気を覚えると、ジベールから視線を遠ざけた。


「何故、あの娘にこだわる?」フェルナンドは率直に問うた。「余興にしては手間も金も掛かりすぎているぞ」彼のその問いにジベールは不適な笑みを返すばかりであった。


「それこそ其方の気に病む事で無い。お前の失態を尻拭いしてやろうと言うのだから黙ってありがたがっておれば良いのだ」ジベールは言葉の最後に再び嫌味な笑みを忍ばせ、後は黙って部屋を出て行った。




 ジベールは階下にある控えの間に向った。そこは娼館で働く者達の為の部屋ではなく、奴隷商売の為にお抱えのゴロツキ達に宛がわれた部屋であった。部屋ではアマディオ達が待っており、ジベールが入ってくるのを見ると傍に寄ってきた。


「知らせはあったか?」ジベールが言った。その態度は横柄なものであったが、しかしフェルナンドの執務部屋でみせたような陰湿さは何処かへなりを潜めていた。


「一人、耳寄りな話を持ってきた者がおりまして……」アマディオが言った。

「川沿いに貧相な物売り小屋の立ち並ぶ場所が在るんですがね、そこへ毎朝仕入れの為に顔を出している者の話だと、物売りの一人と馴染みの男が今朝方早くに子供を含めた四人連れで訪れたそうなんで」ジベールは多少興味を引かれた様子で目元を細めると、アマディオに話を続けるよう促した。


 アマディオは物売りと馴染みの男というのが実は影祓いであると前置きを済ませ、その男が子供二人を連れて街道を西へ向かったらしいと述べた。


「街道を西へ向かったとなりますと、まずはセムかアラナンドを目指すのが筋でしょうが、もし街へ入られでもしたらとてもじゃないが見つかりませんぜ」ベルナールが口を挟んだ。

 ジベールは素早く考えを纏めると、アマディオに早駆けの馬を手配するよう言いつけた。


「アラナンドに急ぎ知らせを出せ。向こうにいる手の者にネビア側の門をすべて見張らせるのだ。それから道中、それとおぼしき子連れの男がいたらすぐに知らせよ」ジベールの指図にアマディオとベルナールは顔を見合わせた。それからアマディオが恐縮した様子で少しやり過ぎではないかと尋ねた。


「娘っ子一人に、何もそこまで……」言いかけてアマディオは口を閉ざした。ジベールは冷ややかな目で睨みつけると、これは金勘定の話ではないと二人に釘をさした。アマディオ達は黙ってジベールの指示を聞き届け、最後にフェルナンドに知らせる必要はあるかと尋ねた。


「その必要は無い」ジベールが言った。「この件は御夫人から私に一任された。差配役殿には私からおって知らせる」ジベールは人数の手配をアマディオに任せると、自分もアラナンドへ向かうと告げた。

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