第2話 グッドゲームを

 日下部くさかべゼン月見里やまなしジンの出会いは、中学一年生にさかのぼる。


 その当時のゼンは、成績優秀品行方正文武両道、自他ともに認める完璧な人間であった。

 彼は中学一年生にして、自分の完璧さを自覚し、いかにそれを活用した人生を送るかを考えていた。

 よい高校、よい大学へ進学し、よい勤め先に勤める。絵に描いたような完璧な人生。それがゼンの目標であった。


 完璧な人間であるためには、完璧なふるまいをすべきである。

 そういう完璧な人間のステレオタイプといえば、生徒会である。

 当然、ゼンも生徒会役員になることを考えた。しかし一年で生徒会に入るのはあまり前例がなく、また目立ちすぎて変にやっかみを買うのもつまらない。それに運動ができることのアピールもしたい。


 であれば、一年のうちは運動部に入るのがよい。それも二年で生徒会に入ることを考えると、ほどほどに活動して簡単に辞められる部活が望ましい。

 その点でまず、野球部やサッカー部はよくない。チーム競技であるから、つまらないしがらみが生まれる。

 陸上部などもよろしくない。個人競技ではあるが熱心に活動する部活であり、また記録を求められる競技なれば、育ちざかりでこれからどんどん記録を出せるであろうゼンが二年で辞めるのをよしとしないかもしれない。




――そんな消去法の結果が、これだ。




 卓球部。ゼンはこれだと思った。

 運動部ながらほどほどの活動で、ダブルスもあるが基本的には個人競技。

 また他の運動部と比べて陰気な人間が集まるという偏見があり、そういった人間が困っているときに手を差し伸べて、品行方正な人間としてのアピールもできるだろう。


 ゼンは卓球部に所属した。

 ゼンの目論見通り、大人からの心象をよくするのに利用できそうな陰気な人間が多かった。

 その中に、彼はいた。




――出会ってしまった。出会ってしまった……!




 ぞろりとした長い前髪で、目の半分が隠れた男。

 月見里やまなしジンと、出会ってしまった。




   ◆




 スポーツセンター内。試合会場。体育館。

 規則正しく並べられた卓球台と、青い仕切り。

 外周二階にはぐるりと観客席があり、試合のない者などがそこから観戦する。


ゼンー! ジンー! 高校生での初試合、かましたれよー!」


 観客席から先輩に声をかけられ、ゼンはほがらかな笑みを返し、ジンはただ陰気な目線で見上げるだけ。

 そうして二人の顔は、対戦相手の方を向いた。


「はっは! まさか本当に対戦することになるとはな!」


「一回戦から、面倒な相手に当たったな……情報通りだと、疲れるんだよ、この二人と戦うの……」


 ゼンジンの正面。

 さっき会った全身つるつるの双子、半田兄弟がそこにいた。

 二人とも、俗に言う「考える人」のポーズで空気椅子をし、顔だけをゼンジンに向けて、仮面のような微笑をたたえていた。


「くすくす。ねぇ兄者。本当にこの二人と戦えるよ。よかったね」


「くすくす。ああ弟者。どんな狂気を見せてくれるか、楽しみで仕方がないよ」


 半田兄弟の微笑に、ゼンはにっこりと快活な笑みを返し、ジンはじとりと陰気な目で見て。

 ぽつりと口を開いたのは、ジンだった。


「正気のままで卓球やれるつもりなら、帰ってくれないかな……お遊戯会じゃないんだから」


 審判に聞こえるほどの声量ではない。

 だが半田兄弟の仮面的微笑は、微笑のまま凄みを増した。


 一般的な試合のルールに基づき、ラリー練習。

 カコン、カコン。ピンポン玉を返す音。

 キュッ、キュッ。シューズが床をこする音。

 まだ試合本番の激しさはない、ただの肩慣らし。

 それでも練り上がる。ゼンの、ジンの、半田兄弟の、殺意にも似た闘争本能。

 芯に火のついた木炭のように。

 その中でジンは、半田兄弟の顔を見て、いやな気配を感じた。


(気色悪いなぁ……、試合中もずっとそうなら……なるほどやりにくい相手だよ……)


 半田兄弟は、変わらず仮面のような微笑をたたえて、二人を見つめてくる。


 ラリーを終え、ラケットの確認。

 サーブ権。先に取ったのはゼンジンペア。

 ゼンが開幕の初球サービスを打つ。


ゼン


 ジンに声をかけられて、ゼンは振り向いた。

 ジンは左手を上げて、こぶしを突き出してみせた。


「グッドゲーム……期待してるよ」


 ゼンはそれを見て、にこりと笑って、自分もこぶしを出して、突き合わせた。

 そして二人は、配置についた。


(はっはっは)


 ゼンは心の中で笑う。表情で笑う。


(はははは……ははははは)


 笑う。笑い続ける。


(はははは……はははははァ!!)


 ぴきり。こめかみや手の甲に、血管が浮く。

 笑い続けなければ、優等生の仮面が今にもはがれ落ちそうだ。


(グッドゲームをだと!? 期待!! なんだその上から目線は!!

 ジンの分際で!! スクールカースト最底辺の腐れ隠キャの分際でッ!!

 どこまでもなめ腐った最悪のウジ虫がッ!!)


 それらの心情を、ゼンはおくびにも出さない。

 たださわやかでにこやかな優等生の仮面を被って、卓球台の前で構える。

 その、今にもかげろうが立ちそうなゼンの背中を、ジンは半分隠れた目でただ見やった。


 静止。

 サービスを打つ前の、一瞬の静寂せいじゃく

 他の台で試合を行う音も、今は遠く現実感がない。


(僕は……完璧だ)


 煮えたぎる怒りを、ゼンは封じ込めた。

 心の内にではない。ピンポン玉に。これから打つ打球に。

 力を込めるのではない。怒りに任せた雑な打球をしてミスなどして、そんな姿をジンに見せるようなことがあれば、それこそゼンはどうなるか分からない。


(そうだ。完璧な人間たること。

 それこそが僕の目標であり、この煮えたぎる殺意を発散する唯一の方法だ)


 完璧な人間。

 非の打ち所がない人間。

 そんな人間としてジンの隣に立ち、明確に格上だと、敬うべき絶対の上位存在だと認識させる。

 それがゼンの、ジンとダブルスパートナーを組む、唯一無二の目的でありモチベーションだった。


 呼吸を一拍。

 投げ上げトス

 ピンポン玉が、左手から宙に浮く。


(その目的のために、ひざまずけ……有象無象どもッ!)


 燃えるような初球サービスが、半田兄弟に迫り――


「――……!」


 まるで、時間が飛んだようだった。


 半田兄弟の後方で跳ねる、ピンポン玉。

 彼らの向かいには、ゼンと入れ替わったジンが、卓球台にへばりつくような距離感でラケットを振り抜いていた。

 前髪に半分隠れた目は、氷のように冴え冴えと。


 起こったことを順に言えば、ゼンがサービスを打ち、半田が返球レシーブし、ジンが打って決めた。

 シンプルな三球目攻撃である。

 ただ、その速度が尋常ではなかった。


 半田兄弟は、背筋が凍るような感触を味わいながら、くすくすと微笑した。


「前陣速攻……」


 前陣速攻。

 卓球台から離れず、台上でスピーディに玉をさばく超高速・超攻撃型戦闘スタイル。

 それがゼンの、そしてジンのフェイバリットスタイルであった。


ゼンジン速攻……!」


 半田兄弟の仮面的微笑が、深く口角を上げた。

 その正面で、ジンは振り返り、ゼンを軽く叩いた。


「三球目攻撃のお膳立て、ありがとう……」


 前髪の下から見上げるジンの目は、半分隠れても冴え冴えと。


「てっきりサービスエース、狙うと思ってたんだけどね……」


 びきびきと、ゼンの笑顔に青筋が立った。


(ああ……そうだとも! 当然僕は初撃必殺サービスエースを狙ったさ!

 それを返されて三球目攻撃に! クソが!)


 ゼンはそして、にっこりと笑顔を返した。


「うまく崩せて、打ちやすかったろう?

 この調子で僕たちの力を見せていこう」


 そして二人は配置につき、試合を続ける。

 殺意だけが、高まりに高まっていく。

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