小駒

 カルチャーセンターの入口脇に置かれた丸太づくりのベンチに座っていると、一台のワンボックスカーが公園沿いの道路で停車するのが見えた。ハザードが点滅し始め、やがて運転席が開く。


 降りてきたのは小駒だった。今日もこの間と同じ、飾り気のないシャツにくたびれたスラックス。ベンチの私に気付くと、何度も頭を下げながら小走りに近づいてくる。


「ああ戸田さん、お待たせしました」


「すみません。迎えに来てもらっちゃって」


「とんでもない。わざわざ来ていただくんですから、これくらいお安いご用です」

 

 先日小駒に電話して、施設を見学したい旨を伝えた。電話口でもわかるくらい小駒は喜んで、すぐにスケジュールを空けてくれた。最寄りまで電車で行くと言ったのだが、とんでもありませんと固辞され、こうして鎌田公園まで迎えに来てくれたというわけだ。


「じゃあ、すみませんが車まで」


 朝の太陽に照らされる小駒は、先日応接室で見たときより素敵に見えた。どちらかと言えば女性的な、童顔と言ってもいい顔立ちだが、ふとやんちゃな少年のような雰囲気も感じさせる。


 二人で車まで歩き、私は助手席に乗り込んだ。ドアを締め小駒は、小走りに運転席側に回り、軽快な動作でシートに乗り込む。施設の車なのだろう。ひと目で業務用だとわかる無骨な造りだ。


 私の視線に気づいたのか、小駒は苦笑いを浮かべて、軽く頭を下げる。


「本当はもうちょっと、かっこいい車でお迎えにあがりたかったんですけど」


 私はむしろ、この車に好感を持っていた。小駒が高給なスポーツカーで現れたりしたら、逆に幻滅していた気がする。見た目だけいい男とは、違っていてほしかった。


「私、こういう車、好きですよ」


 私の言葉に嬉しそうに微笑んだ小駒は、「じゃ、出発します」とハンドブレーキを下ろし、お世辞にもキレイとは言えないスニーカーで、アクセルを踏んだ。



 目的地の心身障害者福祉作業所オウルは、片道四十分から五十分程度の距離らしい。入所型の施設ということで、街から離れた山中にあるとのだ小駒が教えてくれた。


「戸田さんは、障害者支援施設に行ったことはありますか?」


「いえ、実は今日が初めてなんです」


 私が言うと小駒はそうでしょうという風に頷いて、「ちなみにどんなイメージをお持ちです?」と聞いてくる。


 私は運転席の小駒をちらりと見、口ごもる。答えが難しい質問だ。


「えーと……どうでしょう……」


 障害者施設と言われると、いわゆる隔離型の精神病院のようなものを想像してしまう。普通に生活できないような重い障害を持った人が、鍵のついた部屋に閉じ込められている、というイメージだ。だが、そんなことを正直に言うわけにもいかない。


 なかなか答えられずにいる私に、小駒は意外なことを言った。


「牢屋みたいな部屋があって、怖い看守がいて……そんな感じじゃないですか?」


「あ……いえ……」


 いよいよどう返せばいいかわからなくなった私に、小駒は笑いかける。


「私もつい最近までそうだったんです。そんな恐ろしい場所だとばかり思ってました」


「え?」


 意外な言葉に思わず聞き返す。それに、つい最近まで、とはどういう意味だろうか。


「実は私、この業界に入ってまだ一年ほどなんです。だから、普段施設に接点のない人の気持ちもよくわかるんですよ。近づきがたいと言うか、できれば考えたくない場所というか」


「ああ、そうだったんですか」


 なんとなくほっとして答える。


「そうなんです。でも、だからこそ、オウルに行って驚きました」


「驚いた? それは、どういう……」


「何と言うか、思ったより皆、淡々としてるんですよ」


「淡々と、ですか」


 繰り返すしかない私に、小駒は微笑みかけ、「せっかくなので、オウルのこと、少し説明させていただきますね」と話を続ける。


「私たちの施設は、就労支援事業といって、障害をお持ちの方に就労の機会、つまり仕事する場を提供しているところです。紙すきをしたり写真立てを作ったり、ああ、鎌田カルチャーセンターに置いてもらっているクッキー等のお菓子製造もその一つです」


 今更のように、そうかと思う。あれは単に趣味で作られたお菓子ではなく、そのように仕事の機会として作られたものなのか。


「もちろん、その方の持つ障害によって作業内容は変わりますが、皆さんそれぞれ、非常に真面目に取り組まれます。私語をする人も、ふざける人もいません」


「へえ」


「オウルには複数の作業所があって、いろんなものを作っています。それで、各作業所に一名か二名の施設職員が配置されるわけですが、それと別に主任という立場の人がいましてね。で、この主任というのは職員ではなく、利用者さんなんです」


「え?」


「怪我をしちゃったとか発作が起きちゃったとか、職員はそういうどうしてもの場合だけ介入して、そうでない時はあくまで主任を中心に、利用者さんたちで完結する体制を取っているんです。これは業界的にもまだ珍しいことではあるんですけど」


 障害者が鍵の掛かった牢獄のような部屋にいるというイメージが、早くも崩れていく。オウルの利用者は閉じ込められるどころか、作業所で毎日働いているというのだ。それも、できるだけ職員の手を借りずに。


「そんな様子を目の当たりにしたので、障害者支援施設に対するイメージがガラッと変わってしまって。もちろん皆さん障害をお持ちで、その分のハンデはいろいろと負っています。でも、オウルの作業場はきちんとしたルールに沿って運営されていて、とても平和ですし、自立的です。変な話ですが、一般的な企業よりいい環境じゃないかとすら思うくらいで」


 小駒はそう言って、照れたように笑う。


「へえ、何だか楽しみになってきました」


 小駒の穏やかな語り口もあってか、私は嘘ではなくそう言った。小駒はこちらに嬉しそうな視線を投げ、自信ありげに頷いて見せた。


「ええ、楽しみにしていてください。私自身がそうやって、オウルという施設に惹かれてやってきた人間なんです。だから、何というか、戸田さんにも早く見せたくて見せたくて」


 そう言ってはしゃいだような仕草を見せる小駒を、かわいいなと思う。そう言えば年齢はいくつなのだろうか。私と大きくは変わらないはずだが──とはいえ、いきなりそんなことを聞くのは不自然だ。


「そういえば、オウルはいつからあるんですか?」


 私は当たりさわりなく言った。実際、オウルに対する興味も嘘ではない。


「はい、来年で開設三十年になります。もともとは小さな授産施設としてスタートしたんですが、やがて社会福祉法人の資格をとって、入所型施設の運営を始めました。入所施設は第一種事業といって、社会福祉法人しか作ることができないと法律で決まっていますから」


「すみません、授産施設というのは?」


 聞き慣れない言葉に、思わず口を挟んでしまう。


「あ、すみません。授産施設というのは、障害を持った方の為の作業場のことです。作業、つまり労働の機会の提供が中心にあるという点で、一般的な入所施設とは違った性格を持ちます。とにかく、オウルは授産施設がベースになっているので、利用者も比較的軽度障害の方が多いんですよ。作業ができる時点で、あるいは、他人とコミュニケーションが成立する時点で、それは軽度ということですから」


 専門用語が多くていまいち理解はできなかったが、「コミュニケーションが成立する時点で軽度」という言葉に小さなショックを受ける。


「それで、その作業ですが、これはいろいろなことをやっています。鎌田カルチャーセンターに納品させてもらっているクッキー作りもその一つですし、他にも紙すきとか野菜の栽培とか、正式には就労支援事業というんですが、それを積極的に進めているんです。より細かく言うと、就労支援にもA型とB型の二パターンがあって、比較的簡単な作業を担当してもらって国が決めている工賃をお支払するというのがB型。施設と利用者が雇用関係を結んで、仕事内容に応じた給与を支払うのがA型。A型は新しい支援の形で、基本的には一般企業への就労を目指すんですが──」


 連続して飛び出す専門用語に、理解のスピードが追いつかない。小駒はまるで、教科書を読むように淀みなく説明する。


 やがて小駒はこちらを見てハッとすると、苦笑いを浮かべて頭を掻いた。


「ああ、すみません。戸田さんが来てくださるのが嬉しくて、つい張り切ってしまって。いきなりそんな話されても困りますよね」


 そう言いながら何度も頭を下げる小駒を、やっぱりかわいいなと思う。


 車はやがて、長らく走ってきた国道を右折した。


 反対車線を横切って片道一車線の道に入っていく。


 しばらく進むと、築五十年以上経っていそうな古い日本家屋ばかりの集落に入った。農家なのだろう、家のそばには納屋があり、そこにトラクター等の農機具が見える。畑に行くのだろうか、麦わら帽子にモンペ姿の老人がゆっくりと歩いている。笑えるくらいに長閑のどかな風景だ。


 鎌田公園を出て三十分ほど。そろそろ目的地に近づいているのだろう、車はどんどんと山の中へと入っていく。景色から人工物が減っていき、伸び伸びと茂る植物の割合が増えていく。


 やがて、点滅信号のある四差路に出た。自然に囲まれてどこか肩身の狭そうな信号には「大同駅前」とプレートが出ている。


「電車で来る場合は、この大同駅が最寄りになります。意外に本数はあるんですよ。一時間に二本もあるんですから」


 小駒が冗談めかして言い、私は笑う。知り合ってまだ間もない相手なのに、既に自分が小駒に心を許し始めているのがわかる。小駒は見た目通りに真面目で誠実な人のようだった。そして、口下手かと思っていたがそんなことはない。むしろこの三十分、少しも退屈しなかった。知識も豊富でおもしろいし、冗談も自然だ。


「さあ、そろそろ到着しますよ」


 大同駅前の四差路の中でも、最も細い上り坂を進んでいくと、やがて駐車場に出た。


 駐車場といってもアスファルトで舗装されているわけではなく、むき出しの土の上に黄色と黒のロープでライン取りがしてあるだけだ。ここがオウルの駐車場らしい。職員のものか、あるいは見舞客のものか、五、六台の車が停まっている。別に心配していたわけではないが、人が行き来している証拠を見た気がして、どこかでほっとする。


 小駒は慣れた手付きで空いたスペースに車を入れた。てきぱきした動作でエンジンを止めると、一人外に出て車外をぐるりと回り、助手席のドアを開けてくれる。


「足元、気をつけてくださいね」


 さすがに手を差し出してくれることはなかったが、それは小駒なりの遠慮かもしれなかった。考えてみれば私たちはまだ会ったばかりの関係なのだ。


 転んだりしたら恥ずかしいと、高さのあるワンボックスの座席から慎重に降りる。


 車外に出ると、強烈な自然のにおいが鼻をついた。


 土のような雨のような、自然のにおいとしか言えないような香り。家のある住宅街、あるいは一人暮らしをしていた都会とはまったく違う。


 私は思わず目を閉じ、空に顔を向けてその空気を吸った。


「気持ちいい」


 思わず言うと、隣で小駒が小さく笑った声がした。目を開けると微笑む小駒が自分を見ていた。


「あ、ごめんなさい。こんな大自然、久しぶりで」


 小駒は嬉しそうに頷くと、「さあ、行きましょう」と奥へと続く緩やかな坂を示した。

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