3
奥のブランコや砂場で遊んでいた子供たちが、次々とお母さんに手を繋がれて別れを告げていく時間。
その光景を、佐藤はじっと見つめていて、そんな佐藤を私は見つめていた。
そうか、佐藤の親は、もう……。
「兄妹であーやって遊んでたのが懐かしいな」
ぽつりと呟く佐藤は、思い出の中を辿っているのだろうか。
「俺さ、妹が羨ましかったの」
「え?」
「俺の妹……ちょっと今はガリガリになっちゃっでブサイクに見えるかもしれないけど、バカみたいに可愛くて」
ガリガリ……といっても、確かにあの子のパーツはとても綺麗だったと思う。
妹が羨ましい……って、どういうことだろう。
まさか本当に女の子になりたかったとかなら……私、うん、それでも応援はするけれど。
「変なこと考えてる顔してるけど?和香さぁん」
「……いや、別に。佐藤がそうしたいなら応援する」
「いや、羨ましかったっていうのは、妹の蜜が俺より可愛がられてたからで……女になりたいわけじゃないかんね?」
「!!そ、そうなの?」
いや、確かに前にもそんなこと言ってたような……気はする、けれど。
「違ったんだよ」
「なにが」
「女だからって可愛がられてるわけじゃなかった」
佐藤はそう言って空を見上げる。
その表情はまた、感情を映さないものだった。
「うちの親は男女で差別するような奴らじゃなくて。蜜が人の内側に入り込むのが、特別上手いだけだったんだ」
「……信頼されやすい、とか?」
「いや、人を操るのがめちゃくちゃ上手い」
操るのが上手い、とは……??
あの可愛い蜜ちゃんからは想像も出来ない言葉に、私は聞き間違いかと疑う。
「蜜は……親もそうだけど、俺とか、先生とか、友達にも取り入ることが上手くて……手のひらで転がしてるようで、でも誠実だった」
「……ギリ悪女じゃない」
「そ。すげぇ計算高かっただけで、人を見る目があって、自分の理想に促すように取り入って、それを裏切ることもなかった」
「……あれ、じゃあ友達たくさんいたんじゃないの?」
それが本当なら、彼女にはたくさんの友達がいたはずじゃないか。
例え学校に通えなくなっていた期間が長かったにしても、わざわざ佐藤が友達を作ってあげるような理由は……。
「違うんだよ、広く取り入りすぎてた」
「どういうこと?」
「誰にでも優しくて、誰とでも仲良くなれて……良い奴は確かに集まってくるけど、その中に本気でずっと付き合ってくれるほど強い繋がりを持つ奴なんて、いなかった」
思い出すのは、シンプルな病室。
なにも飾られていない、最低限のものしか置かれていない、病室。
────誰一人として、お見舞いに来る友達がいなかったということだろうか。
「誰とでも仲良くなれる。けどそれは誰とも深い仲になれないことの裏返しでもあって」
「……そんな」
「俺はすげぇ、悔しかったんだよ。あんなに羨んでたくらいすげぇ妹が、目を覚まさなくなっただけで簡単に切られる繋がりの脆さに」
片手で頭を抱える佐藤は、震える声で言葉を紡ぐ。
「蜜のことがすげぇ羨ましくて、自分と勝手に比べて、それで俺はグレたのに」
「それでグレたのか」
「なんで人一倍頑張ってたアイツの周りには、そんなやつしかいなかったのかって……」
流れとして、わかってきたような気がする。
佐藤は簡単に妹を切ってしまう蜜ちゃんの周りの環境が悔しくなって、それなら自分が……と、簡単に裏切らない関係を求めていた。
そして辿り着いたのが、私たち。
「俺の友達として蜜に紹介したって、絶対に裏切らないとは限らない、わかってる。俺と蜜は別の人間だから、わかってる」
「うん」
「それでも、俺が出来ることなんて、そんなことしか思いつかなかったんだ」
ねぇ、佐藤。
佐藤がそんなに悩んで悩んで、行動にまで移してくれたこと。
蜜ちゃんは今眠っているままで、そんなこと知りもしていないだろうけれど。
きっとそんな佐藤の作戦が失敗していたとしても、佐藤氷がいるだけでも、蜜ちゃんは報われるんじゃないかな。
一番近い人が、一番自分の為にって頑張ってくれてたんだから。
「きっと、大丈夫だよ、佐藤」
私は佐藤の握られた拳の上に、手を乗せる。
そんなことじゃ、慰めになんてならなくても。
それでも、佐藤の不安に思っている気持ちが、少しでも軽くなればいい。
全部は無理でも、半分は私も支えたい。
「誰よりも蜜ちゃんを想ってくれている佐藤がいるだけで……それだけでも十分だと思う、し。私だったら、嬉しいと、思う」
慰めの言葉なんて、知らない。
へたくそだ、人の気持ちに寄り添うなんて高等テクニック、私なんかが持ち合わせているはずがない。
それでも、伝えたい気持ちがある。
伝わって欲しい、想いがある。
「私はそんな蜜ちゃんが羨ましいと思う」
……羨ましいってなんだ、別に妹になんて嫉妬してるわけじゃないぞ、なんて頭の中で逃げ道を探すも、うまく言葉にならない。
「和香は、蜜が羨ましい?」
「……だって、そんなに自分を想ってくれる人なんて、なかなかいない」
俯いてしまう私の耳には、その後の言葉が聴こえて来ず。
数秒経ってから、それに気付いて佐藤を見上げる。
「……?」
「想ってる奴、ここにいるよ」
ふわりと腰から背中に回される腕が、私を引き寄せる。
まって、なんで、急に……そんな雰囲気、だったっけ?
「のどか」
首に顔を埋めて擦り付ける、髪の毛がくすぐったくて体をきゅっと捻る。
「……な、なに」
「和香のこと。俺が誰よりも想ってる自信ある」
「え……いや、でも」
「だめ?」
「……っ」
見慣れない男の姿で媚びるように顔を覗き込んでくる佐藤に、こういう時ばっかり可愛く見せる所が恨めしい。
可愛く見えてしまう私の眼も、相当佐藤の色に染まっているんだろうけれど。
『感情を人と比べない、人の気持ちを勝手に疑わない、自分を否定しない』
『和香の本当の気持ちは、どこにあるの?』
背中を押してくれた緑の言葉を思い出す。
比べない……妹だろうが、他の誰が相手だろうが、比べない。
私は、私で。
気持ちを疑わない……佐藤の気持ちがすぐに離れていっちゃうとか、自分と釣り合わないだとか。
そういうのは悪い想像でしかないし、それに佐藤を疑ってることになる。
自分を否定……しないのはちょっと、今後の自分に期待する、として、頑張るから。
すぐにはこんな自分は変えられないから。
――――私の気持ちは?
もう、こんなにもはっきりとしている。
だったら迷うことない、逃げることない。
佐藤は今、ぶつかって来てくれてるじゃない。
それに向き合うタイミングは――今、でしょう?
「……ひょう」
「――え」
「氷」
言い慣れないその名前を口にして、私も恐る恐る、佐藤の……氷の背中に手を回した。
ピクリと反応するその体は、また私をキュッと強く抱きしめて、深く息を吐き出す。
「和香」
「うん」
「俺、和香の男になりたいんだけど」
「……っ」
込み上げてくる、なにか。
期待と、喜びで、体の奥底からゾクリと湧き立ち、鳥肌が立つ。
どくどく、高鳴る心臓の音は、聞こえていないだろうか。
熱くなる顔は、抱きしめられているから、見られはしない。
けれど私も……その氷の顔が、見えない。
「のどか」
優しい声で、求愛してくるような、甘い声。
「俺をあげるから、和香をちょーだい」
首をすりすりと擦られると、簡単に頭の中が真っ白になる。
欲しい、欲しいと思ってしまう。
いや、いいんだ、欲しくなって、いいんだ。
自分のかけた呪いは、自分で解かなければ、前になんて進めないのだから。
「私も、ほしい」
「……っ」
「氷が……その、うわっ」
痛いくらいにぎゅーぎゅーと締め付けられる腕に、呼吸することも苦しくなる。
ばか力、あくまで男の力なんだ、私が勝てるわけもない強い力。
いや、戦っているわけ、では、ないはずなのだけど。
「もうダメ、好き。和香が大好きで俺溶ける」
「溶けるの?」
「溶けるから、和香も一緒に溶けて」
なんて無茶言いやがる。
なんて心の中でツッコミを入れている間に、首筋にきゅっと吸い付かれていて、その頭を離そうと藻掻く。
前言撤回、私たちは戦っていたのかもしれない。
ちょっと待って、今首に何をしたんだこいつ。
「はぁ……俺の和香の香り」
「こんなところで嗅ぐな変態っ」
「外じゃなきゃいいってこと?」
「どうしたらそう聴こえるの、違くてっ」
かと思ったら、急にがばっと体を起こした氷が、肩を掴んで私の眼を真っ直ぐと見つめる。
今度はなんだ、忙しいな。
「それって和香も俺のこと好きってこと?」
「……っ」
どうやら私は、なにか口を滑らせてしまったらしい。
なんて言ったっけ私……。
『私も、ほしい』
氷が……と、そんなことを口走っていたことを思い出して、むくむくと顔に熱が集まってくるのを感じる。
夕焼けのせい、夕焼けのせいだ。
「……ばか」
「和香?もっかい」
「は?…………ばか」
「違う、そっちじゃなくて!!和香の気持ち、もっかい聞きたい」
がっしりと肩を掴まれたまま、そんなことを要求される。
もっかいって……氷がほしいって、それを言えってこと?
ここで?また?
「……っ、おしまい!今日はもうおしまいにするっ」
「なんで!?もっとイチャイチャしようよ!?」
ムリムリムリムリ、と私は首を横に振る。
この男と自分を向き合わせるというだけでも、相当な決意が必要だった。
逃げてしまいたい自分の心を、強く食い止めて、それだけでも今日の私はよくやった、勤勉だった。
これ以上は未知の領域に足を踏み入れる前にキャパオーバーを起こす。
「のどか」
彼の手が、頬に当てられる。
くいっと上を向けられた私の顔は、隠しようがなくなってしまって、情けない顔が向けられていることだろう。
それでも、満足そうに、幸せそうな顔で私の顔を覗き込む彼は、酷く近い距離にいて。
そっと、唇が触れて、離れた。
深い想いを、その一瞬にぎゅっと込められたような、震えるようなキスだった。
「好き。どうしようもないくらい、和香のことばっかり考えてる」
「……う、ん。……私も」
「ん」
一呼吸置いて、振り絞る勇気。
今度はその微かな距離を埋めたのは、私の方から。
微かすぎてくすぐったいくらいのキスを、それでも精いっぱいの私の想いを詰め込んで。
「――――氷が、すき」
その後、黄昏時の薄闇の中。
私たちはもうしばらく、想いを重ね合わせていた。
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