三章
1
初めて見たのは……そう、入学式の時。
誰よりも目立つ赤色の髪に、女子にしては高めの背丈。
憂いのある瞳は、派手なその化粧と合っていなくて、人目を引いていた。
次に見た時、その隣には鞠がいた。
あぁ、あの子友達が出来たのか。
あんな風に明るく笑える子だったのか。
鞠の元気をそのまま鏡に映したように、そのギャルもまた明るくキラキラしていた。
最初に見た頃のあの人はどこへ消えたのか……それとも、鞠があの姿を引き出したのか。
遠目から見ていただけの私には、わからない。
さらに数日が経った頃、あの子の隣にはもう一人、凛々しく佇む女の子が増えていた……緑だ。
腕を組んで呆れたように元気な二人の姿を眺めていると、そのうち宇宙人に攫われるかの如く両腕を二人に絡まれて、引き摺られながらどこかへ連れて行かれた。
あの二人とは全くタイプの違いそうな、真面目そうな女の子だった。
それがまた不思議で、あの三人に意識が向く。
『あの……!すみません、少しお時間いただけませんか!!』
三人に向けていた視線を、声の聞こえた方にゆっくりと移す。
『……私、ですか?』
『はい!!』
その男の子は酷く緊張している様子で……何度かこういう人を見たことのあった私は、既に罪悪感を抱えながら、彼と建物の影へと移動した。
私なんて……一緒にいても面白くないだろうに。
なんの取り柄も無い、学生の一人なのに。
『あの、つ、付き合ってる人とか……』
『お断りします』
『え!?』
『お断りします』
『せめて告白はさせてください!!』
『お断りします』
『そんな……』
『私なんかより……いい人なんてたくさんいますから』
それだけ告げて建物の影から出ると、死角から例のギャルが壁にもたれてこちらを見ていたのだ。
『マジウケる〜。話聞く間もなくバッサリいったね?』
『……聞いてたんですか』
『アンタそんな優しそうな顔して結構毒舌だったりする?』
『別に。あぁいうのはちゃんと断っておかないと、変に懐かれたりするので』
『前にストーカーにでもあった?なんか断るのも慣れてんねぇ。彼氏いるの?』
なんでこの子が私なんかに話しかけているのか、状況がよく理解出来ていなかった。
からかわれてる?にしてはただ疑問を投げ掛けられているだけのように感じる。
『彼氏はいないです。私なんかに付き合っても、面白くないでしょうし』
『アンタそんな理由で、まさか片っ端から断ってんの?』
何が言いたいんだろうか、このギャルは。
私と話してる時間が勿体なくはないんだろうか。
あの二人はどこへ行ったのか……この人は今ここにひとりなのか。
『アンタさぁ、それじゃいいご縁も片っ端からぶった切ってってるんじゃなぁい?勿体ないよぉ?』
『別に……あなたには関係ないじゃないですか』
『まぁ今は、そーだけど、さぁ』
くるくる、くるくる、自分の髪の毛を指に巻いて、それからそれまで貼り付けられていた笑みを消して、その人は言った。
『もっと自分を大事にしな?』
その言葉は、口調が強かったり、酷い言葉でも助けるような言葉でもないのに。
私に、強く衝撃を与えた。
自分を、大事に?
なぜ、自分の話はしていなかったのに、むしろ私は他人を避けようとしていたのに、なぜその言葉が出てきたのか?
けれどそれは深く深く自分の芯に突き刺さって、何度も頭の中でリピートされる。
《自分を大事にしな?》
私は、自分を大事にしていなかった、のだろうか?
『アンタいつも一人でしょう?』
『喧嘩売ってますか?一人ですけど』
『あーしらのとこにおいでよ。ちょっと騒がしいかもしれないけど、きっとアンタにはそういう関係が必要だよ』
私に、そういう関係が必要……?
『え、いや……私いがてもつまらないですし』
『それ!そーいうのさぁ、決めんのは付き合った人なわぁけ。アンタが決めることじゃないわぁけ。わかる?』
『む……でも』
『アンタは否定されんのが怖くて逃げてるだけなわぁけ。あーしらの中にはそんなアンタを否定する奴なんて一人もいないわぁけ。そんな奴いたらクビだから!責任もってあーしが勧誘してってんだから』
『勧誘って……』
『だから、アンタは否定されない。こーんな好条件なのに経験値積まない理由なんてあるのぉ?』
そのギャルは、私のメリットばかり話して来るから、ほんの少し、心が揺らいだ。
けれど、それでも申し訳ないという言う気持ちは消えることはなく。
『私は……あなたたちの為に、何かできるわけじゃない』
『友達なんだから、そんなのだぁれも求めてないわぁけ。しいていうなら、みんなでいる時間を楽しめればいい』
『だから……楽しいこととか、私になんて出来ないから』
『楽しいをアンタだけに求めてるわけじゃないの。今のメンバーとなると、アンタを含んだ四人で。四人で楽しい時間を作るんだよ』
四人、で、楽しい時間を……?
『幸いうちらんとこには騒がしーいキャラが二人いるかぁら、アンタそんなボーッと突っ立ってる暇なんてきっとないよぉ?まぁそのうちの一人はあーしだけど』
気にはなる、けれど、どうもその一歩を踏み出すことに、躊躇してしまっていて。
それに気付いたその子は……佐藤は、私の手を取って歩き出す。
き、急になに……!?
『迷ってるくらいならぁ、実際に飛び込んでみよーぉ!』
るんるんと、楽しそうに私を引き込む佐藤に、私はそのまま流されて、そして知った。
私が恐れていた世界は、現実には起こらないことを。
佐藤が……佐藤と、鞠と、緑が……教えてくれた。
私がその場所にいてもいいということを。
私と一緒にいても、つまらないなんて思う暇もないくらい、騒がしい毎日を。
四人でいるこの時間が、かけがえの無い私の宝物だということを。
そしてまた、私は新たに知った。
人を本気で好きになることが、自分を強くしてくれるということを。
病院の一室、静かな個室のその空間には、機械に繋がれた一人の女の子が眠っていた。
痩せこけて、たくさんの管で繋がれている体。
微かに佐藤と似ている顔立ち、穏やかな表情。
この子が、本当の『蜜』ちゃん。
「はじめ、まして」
決して返事の返ってこないその子に、私はそれでも話しかけていた。
「和香っていいます。氷の……蜜ちゃんのお兄さんの、今の友達で……」
話しながらも、なぜだろうか、目が潤んできてしまう。
微かにぼやける視界の端で、佐藤が……氷が、私の肩に手を回して宥めてくれる。
今日、佐藤は女装をしていない。
すっきりとしていて、いつもとは別人のような男の姿で、蜜ちゃんの病室へと連れて来てくれた。
彼女を見て、こんな……涙が出るなんて、思ってもいなかったんだけど、なぁ。
「蜜、今は俺の友達で、蜜の友達になってほしいと思ってる子だよ。早く仲良くなって欲しいな」
「……っ」
「我慢しなくていいよ、和香。蜜の姿、初めて見たんだから、仕方がない」
「ごめ……っ」
この子とは初めて会ったのに、そんな気がしない。
佐藤に雰囲気が似ているからだろうか。
穏やかに寝ているけれど、眠っているだけじゃないということがわかる。
胸がグッと苦しくなって、ほろほろと流れてしまう涙は、私の中のどのの感情を震わせているのかはわからない。
ただこの子が、佐藤の大切にしている蜜ちゃんなんだと認識したとたん、ゾワリと肌が繰り立ち、胸がぐっと苦しくなった。
「無理してるわけ、じゃなくて」
「うん」
「……この子の為に、佐藤は頑張って来てたんだね」
「うん、俺の大事な大事な妹。仲良くしてくれる?」
「当たり前、だから」
事故を起こした時のこの子の傷は、もうずいぶんと前には癒えていたらしい。
車の後部座席に座っていた蜜ちゃんは、強い衝撃を受けたものの、外傷はさほど酷くはなかった。
時が経ち、傷は綺麗に癒えたけれど、目を覚まさないまま。
「蜜に会いに来るとさ、夢の中で両親に会ってんのかなぁとか、現実に戻ってきたくないのかなぁとかさ、いろいろ考えんの。俺が全然蜜の相手もしてなかったから……嫌われたんかな、とか」
「そういうんじゃないよ、きっと。佐藤のせいじゃない」
「うん……そうだけど。時が経つたび、どんどん怖くなっていく」
想像しただけでも、怖い。
もし大事な人がずっと眠ってしまったら……目が覚めるか覚めないのかすらもわからないまま、自分だけが歳を重ねて行ったら。
佐藤はその恐怖を、一人で抱え込んでいたんだろうか。
「学校ではそんな姿、見せないくせにね」
「こんな理由で楽しい雰囲気壊したくないし……それに四人でいる時は本当に、沈んでる暇なんてないから」
「たしかに」
「この四人で仲良くなれて、救われたのは俺の方」
「私も救われてるけどね」
佐藤には特に、ね。
蜜ちゃんの病室を出て、売店で飲み物を買った。
私は桃サイダーを買って、佐藤はコーヒーを。
ていうか佐藤ってコーヒー飲むのか、いつも飲んでもカフェオレだったじゃないか。
休憩スペースを借りて二人並んでそのボトルを開ける。
「佐藤って、自分の好みまで女の子らしさとか……意識してたの?」
「ん?いや……大体は蜜の好みを忘れないようにって。でもそれじゃ、和香に俺自身の好みも知って貰えねぇじゃん」
「もはやどこからが嘘なのか、それとも全部嘘なのか、本当に区別付かないよ佐藤」
「いや、嘘より俺の本当を探して?」
複雑そうな佐藤の顔に、私はペットボトルに口を付けたままクスリと笑う。
こくっと飲み込んだ甘みと炭酸は、この前飲んだ酒のような苦味を含まない。
お酒はあんまり好きでもないからね、私。
そんな姿をじっと見つめていた佐藤が、また口を開く。
「……やっぱさ」
「なに?」
「……和香には、名前で呼ばれたい」
急になにを言い始めたのかと佐藤を見返すけれど、至って佐藤の瞳は真剣なようだ。
「いや、それだと鞠と緑にそのうちバレそう……いや、もうバラしてもよくない?二人にもいつかは蜜ちゃんのことを紹介するんでしょう?」
「するけど……そうだよな、和香はぼんやりしてるから呼ばせてたらいつかボロが出る……」
「その通りだろうけどなんかムカつく」
軽く、佐藤の足を蹴ってやった。
その足元は、普段スカートで露出している脚が見えず、デニムに隠されている。
佐藤のデニム姿なんて初めて見るんじゃないだろうか。
上はシンプルなパーカーだけれど、髪はやはり赤い。
大学ではウィッグを付けているくせに、地毛まで赤くする必要はあるのだろうか。
「マリリンにもみどりんにも、話しても拒否されるなんてことは思ってなくてさ」
「その呼び方は男バージョンでいても変わらないのか」
「友達であることに変わりないしね」
拒否されるとは思っていない、けれど話すことに抵抗はあるようで。
私はまたペットボトルに口を付けて一口含み、言葉の続きを待った。
「でもさぁ、よく考えてみて?俺今ハーレムってことじゃん」
「すごい今更じゃない?何言ってんの?」
「いや、ギャルの格好してるから目立たないだけで俺ハーレムの中にいるんだわ。これは絶対呆れられるかいじられる。みどりん辺りに」
「あのメンバー集めたの、自分のくせに?」
「そう、自分が蒔いた種なんだけどさ」
そんなことを話しながら、頭を抱える佐藤。
佐藤は自分の為の友達集めをしてきてなかったからなぁ。
「じゃあ、佐藤が男探して来れば?三人くらい」
「何それ合コンみたい」
「佐藤自身の友達は、つくらないの?……って言っても、女装してることを話せるような相手がいれば、だけど」
「うぅん……そんないい奴身近にホイホイいねぇんだよねぇ……」
「佐藤なら人を見る目あるんだから、メンバーが増えても誰も反対なんてしないでしょ」
このメンバーに男を増やす、となると、心配なのは緑のことだけれど。
あの子は男に厳しい所があるから。
でもそれでもきっと、佐藤のことを思うなら拒否なんてしないだろう。
なんたって我らがイケメン、緑さまだ。
「俺の友達……か」
「私はハーレムだろうがどうでもいいけど。佐藤は佐藤だし、あの四人でいられることに変わりないなら、それで」
私が怖いのは、関係性の崩壊だ。
それを佐藤もわかってくれている。
ただ、少しだけ……男だと認識されるのは不安もある、けれど。
「和香は俺がハーレムでもいいの?」
「……いい、でしょ、べつに」
といいつつ、鞠と佐藤の関係性が変わってしまうんじゃないかという不安が過ぎってしまう。
こんな私には、つなぎ止める術なんて、ないから。
「嫉妬、してくんねぇの?」
「……なんで。別にしないし」
「とか言う割には、体がギュッと縮こまってきてるよ?和香ちゃん」
そこはスルーして欲しい、佐藤のばか。
「和香の嘘はへたくそで可愛いなぁ」
「うそじゃない」
「そんなに認めたくないなら、どうしようもないくらいに落としてあげるだけ、だよ」
静かに告げられるその言葉は、また私の心を鷲掴みに来る。
もう落とされてる……それなのに、素直になれない。
自分が佐藤と釣り合うだなんて、思えないから。
それでいて鞠に取られてしまう事を恐れているという、なにもかも中途半端な私。
そんな私にも、佐藤は気付いているんだろうか。
「ねぇ和香、俺とあーし、どっちが好き?」
なんだその唐突にどうでもいい質問は。
一人称の話?それとも男か女かって話?
どちらにせよ──。
「どっちって……どっちでも」
「どっちも好きってことかぁ」
「いや、なんでそうなるの、どっちでもいいの」
慌てて否定をしてしまうも、佐藤に言われたこともあながち間違ってはいなくて。
きっとどちらでも好きだし、佐藤が佐藤である限り、どんな姿でも……好きなんだろう。
「それなら、俺は俺でいていいかな」
「……うん?」
どういうこと、だろうか?
また口に含んだ炭酸が、シュワシュワと喉を通り越していく。
「俺さ、自分のことなんて放っておいて、蜜のために何かが出来てれば、それであいつの為に何かしてた気になってたんだよ」
「佐藤は自分に厳しすぎるんじゃない?」
「いや、それも自分の罪悪感を和らげるためでしかなかったんだよな」
コーヒーを持ったまま天井を見上げる佐藤の瞳は、いつものように笑ってはいなくて。
今日は一日、どことなく憂いているような、寂しそうで心ここにあらずというような瞳をしていた。
あの時の……入学式の時のような、佐藤の眼差し。
「それって誰にも頼まれたことじゃねぇの。叔父さんは俺のやりたいようにって自由にできるようにサポートしてくれてたし、蜜は眠ったままだし、両親もいない。俺が、俺の為に縛り付けてただけだったんだよな」
そう言って佐藤は、コーヒーを一気飲みして、私の方を向いた。
「のどかが、そんな俺に気付かせてくれた」
そう口端を上げて佐藤は私に顔を向けるけれど、私はそんな、何もしてなんてない。
「佐藤が自分で気付いたんでしょ。私は別になにも……」
「俺が俺に厳しいって、俺には友達作らないのかって聞いてくれたの、和香でしょ」
「それは……そう思ったから言っただけ」
「いいの。俺にはその言葉が嫌なほど響いたんだから」
ペットボトルを握っていた私の手の上から、佐藤の指先が重なる。
今度はなんだ、と気構えるけれど、佐藤は私をのぞき込むようにして、ふわりとした笑みを見せた。
「だから俺、ギャル卒業するわ」
それはとてもすっきりしたような顔で、それでいて心底楽しそうな瞳で私を射抜いて。
「……は?」
最初に『男だ』と告白された時のような衝撃とデジャヴ感が、頭の中を駆け抜けた。
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