第16話 不正

 パーティー潜入も無事に終わり、リアリナにも約束していた美味しいタルトを奢った。グラーツにとっても、短い時間だが美しく着飾ったリアリナと夫婦役で役得としか言いようがなかった。


 手に入れた密書をあらためる。パーティー主催の貴族の所領の租税を少なく報告する代わりに、議会で自分の意見に従うように、という密約であった。差出人の名はご丁寧にも書かれていない。


 グラーツはその貴族の所領の記録を調べる。すると、ある年からガクンと収支が減っており、税が安くなっている。本来そういった不正を防ぐために監査官が視察に行っているはずなのだが。


「監査官は……ベルント・エーデン……!」


 グラーツは言葉を失った。兵学校からの友人で、アドラスと一緒に馬鹿騒ぎして過ごした仲だ。生真面目な性分は軍人よりむしろ監査官に向いていると思う位だ。そんな奴が何故、この汚職に関わるのか……


 それでも確実な証拠として手に入れた文章だ。まずは本人に問いたださねばならない。


「何人か、ついて来い」


 険しい面持ちで、ベルントのいる部署へ向かった。


 ベルントの部署は財務を取り仕切る部署の一部屋だった。部下が出口を塞ぎ、グラーツはノックする。


「ベルント、開けるぞ」


 書類と帳簿が整然と並べられた小部屋。ここがベルントの仕事場だった。椅子に腰掛け、帳簿から目を挙げる。


「やぁ、グラーツ。久しぶりだね」


 ベルントはいつものような穏やかな笑顔だ。


「俺がここへ来た意味がわかるな?」


「……もちろんだよ」


「認めるのか?お前が租税を監査で誤魔化したってのか?!」


「そうだ。僕が一人でやった。母が病気でね、金が入り用だったんだ」


 妙に淡々と罪を認めて自白する。周りの役人達もただならぬ様子に集まってくる。


「お前っ!そんな男じゃなかっただろう!!どうして!」


 ベルントは普段と変わらない様子で立ち上がり、机の上の帳簿を棚へしまう。


「グラーツは変わらないね。気に食わない上官に逆らってもクビになることもない。本当に羨ましい」


「何が言いたい?」


「……正義感ばかり振りかざしていられるほど、世間は甘くなかったってわけさ。残念なことに」


 ベルントがグラーツの方を向いた。グラーツは剣の柄に手をかけた。それを見てベルントは笑った。


「僕を捕らえに来たんだろう。でもね、それには及ばないよ。友人の手を煩わせるわけにはいかないからね」


 と、何かを飲み込む。すると、即座に膝から崩れ落ち、床に倒れた。ベルントの口から一筋血が流れ落ちる。


「ベルント!おい!!」


 グラーツ達は慌てて駆け寄るが、名を呼び肩をゆするが、すでにコト切れていた。


「あと、頼む」


 命を失った骸を部下に任せ、グラーツはその場を足早に立ち去った。





 その日リアリナは頼まれていた資料を届けに城まで来ていた。もしかしたらグラーツに会えるかもしれないと、淡い期待に胸が弾む。


 回廊を進む時、1人城を後にするグラーツの姿が見えた。遠目からだが、険しい顔つきである。仕事の時の真面目な顔つきともまた違う、どこか辛そうな、苦しそうな。声を掛けるのを躊躇われた。




 ベルントが死んでしまったお陰でグラーツの今日の仕事はこれで終わりになってしまった。官吏には、「処刑する手間が省けた」と、笑えない冗談を言われた。報告書には、本人が自白し毒をあおって自殺と。


 こんな風にポッカリと空いた時間は酒か女か賭博か……最近ならリアリナの所に顔をだすのだが、今日に限ってはとてもその気にならない。


 珍しくまっすぐ家に帰る。四肢を放り出してソファに寝そべるうちに、いつしか寝てしまった。





 仕事を終えた夕方、リアリナがグラーツの家を訪れていた。今日は以前いた使用人が不在のようである。馬があるので、グラーツも帰っているはずだが、声をかけても出てこない。逡巡した後、リアリナはそっと部屋に入ってきた。


 ソファに横たわるグラーツの姿。眉間に皺寄せ、表情は何やら苦しそうである。日も暮れて、窓から入る風が涼しく感じる。リアリナは手土産をテーブルの上に置くと、無造作に置いてあった毛布をグラーツの身体にかけた。


「誰だっ!!」


 突然身体を起こし、リアリナの手首を強く掴んだ。


「あ、あの、ごめんなさい……」


 くっつくほど近くで驚くリアリナを見て、グラーツはようやく目を覚ました。


「リアリナ殿?」


 手を離す。グラーツは頭をくしゃくしゃとかいた。


「すまない、驚かせて。今日はどうした?」


 寝起きからかいつもの精彩にかける。


「……あの、今日先ほど城でお見かけして……グラーツ様が、どこか元気がないように見えたので」


 と、いつだったか一緒に食べたアップルパイとワインを差し出す。


「これを俺に?」


 頷くリアリナの目には含むところもなく、心配そうにグラーツを見つめる。


「これ食べてゆっくり休んでください」


 グラーツは今日何があったかを話すわけにもいかない。だが、その心遣いが嬉しかった。努めていつもの笑顔を作る。


「ありがとうリアリナ殿。……そう、今日少し忙しくてな。やっぱり仕事のしすぎは良くないな。こいつでまた明日から元気になれそうだ」


 リアリナがホッとした顔を見せる。


「ご無理なさらないでくださいね」


「ああ」


 リアリナの頭をいつものようにポンっと撫でようとした手を直前で止めた。不自然に引っ込めたのをリアリナは気づいていないようだ。


 リアリナが帰った後、1人嘆息する。


 昼間あった出来事の焦燥感がなくなったわけではない。


 だが、リアリナが気づいてくれたこと、リアリナと声を交わせただけで、曇った心の霧が晴れて行くことに気づいた。


 昼間、本心はリアリナの顔を見たかったが、そのまま会うことは躊躇われた。心の内を見透かされそうで。彼女に会うことに罪悪感を覚え、合わせる顔がなかった。この汚れた手で触れるわけにはいかない。だが……


 今までも『兆し』はいくつもあったが、深く考えないようにしていた。


 引きこもりの氷姫を溶かしてみたくて、あれこれ世話を焼いていた。ちょっとした暇つぶしとか気まぐれのつもりだったはず。


 だが、もはやこれ以上自分を誤魔化すことはできない。娼館の女が最後に言った言葉がよぎる。


「本当に……参ったな」


 つぶやいた言葉とは裏腹に、心は温かく満たされている。だが、その温もりに甘んじるわけにもいかないことはわかっていた。


 その日を境に、グラーツはリアリナの元を訪れることは無くなった。

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