第11話 サッカーボールキック

「……ちょっとすぐには信じられないですけど」

 晴日は可愛い額に深い皺を寄せた。無理もない、と陽虎も思う。

 実体験を説明した当人だって信じられないし、信じたくないのだから。


「確かめます」

 陽虎の頬に柔らかいものが触れる。晴日が初め指先で、ついで掌で撫でてくる。多少の違和感はあったものの、妹のほんのりした体温がちゃんと伝わる。晴日はふむと頷いた。


「特に変な感じはしません。変態な感じはします。いつものおにぃです」

「どんなだよ」


 晴日は頬を撫でるのをやめ、代わりにぷにぷにと突つき始めた。遠慮がちだったのがしだいに大胆になっていき、ついに臨界を突破する。


「あ」

 晴日は小さく声を上げた。指が頬にずぶりとめり込んでいる。陽虎にとっては、穴が開いたというよりその部分だけ己が希薄になったように感じる。

 口を結んだ晴日が指を引き抜いた。立ち上がり、おもむろに陽虎の正面に回り込む。


「晴日?」

「おにぃはそのまま正座。とおっ!」


 足が元気いっぱい跳ね上がった。陽虎の顔面をサッカーボールみたいに蹴りつけ、しかしあっさりと素通りする。

 陽虎が唖然と見上げる間に、高々と伸ばしていた足を晴日は下ろして、元の通り陽虎の間近にぺたんと座った。


「驚きです。どうやらおにぃは本当に幽霊になってしまったみたいです」

「お前な……もっと他に確かめようがあるだろうが。あとスカートでそういうことするなよ」

 ちなみにパステルピンクだった。


「平気ですよ。この場に男の人はおにぃだけなので」

「まあ、俺だけならいいけど」

「へえそう。陽虎は晴日ちゃんのパンツを見てもいいんだ。幸せだね」


 櫻子が真綿で首を締めるように絡んできた。ひどい言いがかりだった。陽虎は幼馴染みに抗議した。


「おい変な誤解するなよ。晴日はただの妹だぞ」

「そうです。おにぃは『ただの妹』の下着ぐらいいつでも見てます。お風呂だって三日前に一緒に入ったばかりです」


「あれはガス代がもったいないからって、お前の方があとから入ってきたんだろうが!」

「そうですよ?」


 焦る陽虎に対し、晴日はいつものごとくの涼しい顔だ。

 ぶっちゃけまだ胸も膨らんでおらず、そのうえ生まれた時から知っている相手である。そういうふうに意識はしないが、傍からどう映るかはまた別の問題だ。

 ゴミを見るような櫻子の目付きが心に痛い。


「やっぱり陽虎は女の裸が好きなんだな」

 シャルロッテが妙に納得した風情で口を挟んだ。櫻子がすかさず食いつく。

「やっぱりって? どういう意味ですか」


「さっきもずいぶんあたしの裸に興奮してたからさ。櫻子だっけ、お前も見せてやったら喜ぶぞ。陽虎の気に入りだしな」

「ちょっ、シャル、適当なこと言ってんじゃねえよ!」


「とにかくです。おにぃが生き返るためには、首から下の体が必要なんですね?」

 晴日が些か強引に話を戻した。シャルロッテは頷く。

「場所さえ分ればあとはあたしがどうにかするよ。こっちの連中が相手なら出し抜くのは難しくない」


「じゃあ警察ですね。わたしが明日確かめに行ってきましょう」

 晴日は自ら役目を買って出たが、櫻子はお役所対応に不平を鳴らした。

「まだ家に戻ってきてないなんて、ちょっと不親切だよね。怠慢じゃないかしら」


「あんな事件で昨日の今日です。色々手続きがあるんでしょう」

「そういやあれからもう丸一日以上経ってるんだよな。シャルが馬鹿みたいに長く眠りこけてたおかげでさ」

 陽虎は恨みがましく皮肉を飛ばす。


「さすがのあたしも疲れてたからな。そこそこ回復するのに時間が掛かったんだよ。食い物でもあればもう少しましになるだろうけど」

 肩を竦めたシャルロッテを、櫻子はじろりと見やった。


「ずうずうしい。ちょっと待っててください。適当に持ってきてあげますから」

「別に催促したわけじゃないぜ。けど食わせてくれるっていうならありがたくもらうよ」


「別にあなたのためじゃないです。勘違いしないでください。あくまで陽虎のためです」

「お、おう、俺のためか。さんきゅな、櫻子」

「あ……違うわよ、陽虎も関係ないから! これは未来の自分のためなの!」

 櫻子は意味不明な供述を残し、慌ただしく部屋を出た。

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