42――まゆの告白


 夏休み前の期末テストも終わって、インターハイに向けての練習にますます熱が入る。


 中学時代は赤点常連だったオレが、これだけ部活に重点をおいた生活をしていても高得点が取れるなんてまるで夢を見ているようだ。勉強そのものと効率の良い勉強法を教えてくれた教授達には、本当に感謝しかない。


 いつも通りの基本練習に加えて、他校や自分たちの学校内でチーム分けして練習試合をする実戦的な練習が増えてきた。


 もちろんベンチメンバーのオレも、レギュラーチームの交代要員として何度か試合に出させてもらった。監督もどういう組み合わせで誰を使うか、どう入れ替えるかを模索しているみたいで、レギュラーメンバーと控えメンバーそれぞれ平均的に出番をもらえたと思う。


 県内の有力校としてはすでにウインターカップに向けて動いているので、少しでもうちの学校の実力を把握して対策を立てたいのだろう。打倒松風を強く意識していることが、相対しているオレたちに強く伝わってきた。


 オレの仕事は相変わらず遠距離スリーポイントでの不意打ちで、実際にオレが試合に出場していなかった何校かの試合では警戒もされず、すごく仕事がしやすかった。ただ実際に決勝で戦った俊英高校は、オレが交代してコートに出た途端にディフェンスがひとりベッタリと張り付いてきた。


 その粘着質なディフェンスに押し倒されそうになっていたオレを助けようと、まゆたちも駆け寄って来ていたが監督が大きな声でそれを咎める。


「お前ら、1年生だからって過保護になりすぎだ! 井上、お前は前に張り付いてボールが来るのを待っていろ!!」


 その言葉にちょっとだけ不満げな表情を浮かべたまゆだったが、『はい!』と大きな声で返事をして相手ディフェンスを翻弄すべく左右に移動してプレッシャーをかける。


「河嶋、お前も自力でディフェンスを突破しろ! いつまで親にエサを運んでもらう雛鳥のままでいるつもりだ!!」


 おっと、オレにも怒声が飛んできた。こちらのやる気を煽ってるつもりなんだろうけど、監督の言葉選びがなんか回りくどくてピンとこないんだよね。それどころかちょっと面白く感じて、クスリと笑みが溢れる。


 まぁ負けてもやり直しがきく練習試合だし、多分オレが自分で相手を抜いた場合と抜かなかった場合の体力の減り方とかを知りたいんだろうな。それによって起用時間とかも変わってくるのだろう。


 まぁ失敗してこその練習試合だよね、と気合を入れ直した。レッグスルーでボールを左手から右手に移した途端に、バックターンで一気に体を相手の隣に移動させる。そしてそのスキに今度はバックチェンジで再度ボールを右手側に移動させて鮮やかに抜き去った。本番だとこんな風に上手くはいかないと思うけど、多分マーカーが油断してたんだろうね。


 ドリブルで少し前に出て、そこからジャンプシュート。当然スリーポイントラインの後方なので、ここからシュートを打っても入れば3点が入る。バックボードに当たってそのままボールがリングを通り抜けて、うちのベンチから歓声が上がった。駆け寄ってきてくれたまゆたちとハイタッチして、相手の攻撃に備えるために自陣へと急いで戻る。


 相変わらずの高速パスに苦しめられたけれど、結局この試合はうちの学校が20点差で勝ってインターハイへのはずみをつけることができた。


 練習終わりにインターハイに向けての注意事項を聞いて、順番にシャワーを浴びる。実はうちの高校では部員全員でインターハイには向かわず、レギュラーと控えメンバーとマネージャーだけが遠征するのが伝統らしい。先輩たちに理由を聞くと部費の節約と、残された部員たちが『来年は自分たちが遠征組に入る』と練習を頑張るからだそうだけど、多分お金の方が比重が高いんだろうな。


 オレも中学の頃に全国大会に出た経験があるけど、顧問の先生が保護者に寄付をお願いしたりしてたもんな。ホテル代とか食事代とか交通費とか、色々と入り用になるし。


 そういう面倒臭いことは大人に全部丸投げするとして、オレも一応控えメンバーに入っているので3年生の先輩たちにシャワーの順番を譲られたりしてちょっと恐縮してしまう。『風邪ひいたら大変だから』と背中を押されて脱衣所に放り込まれたんだけど、これはもしかしてオレの病弱設定もこの過保護扱いに拍車をかけているのだろうか。


 せっかくの好意なので汗だくのTシャツやショートパンツ、下着類を用意してきたビニール袋の中に畳んで詰め込んだ。代わりに着替えをカゴに入れて、手早くシャワーを浴びる。ボディソープやシャンプーとコンディショナーが備え付けなのがありがたい、やっぱりお湯を浴びて汗を流すだけよりさっぱりできるし。


 手早く済ませて脱衣所に戻って、髪を乾かす間もなく外で待っている先輩と交代した。順番を譲ってもらってるんだから、感謝と急いでる様子ぐらいは見せないとな。オレが先輩方の立場だったら、のんびりされてると調子に乗ってるとか生意気とか思うかもしれないから。


 多少髪が濡れていても今は夏真っ盛りだ、多分家に帰るまでの間に乾くだろう。そんなことを考えながら自分の荷物をまとめて部室を出ると、まゆがにこやかに笑顔を浮かべて立っていた。


「ひなたちゃん、せっかくだし一緒に帰らない?」


 断る理由もないのでこくりと頷いて、まゆの隣に並ぶ。『ちょっと話があるんだけど、寄り道しない?』と耳元に口を寄せて囁かれて、ちょっとだけゾクッとした。まぁ別に試験も終わったし、帰っても飯食って復習して寝るだけだから時間は余りまくっている。


「いいですよ、時間も余裕がありますし」


「よかったぁ、断られたらどうしようかと思った」


 オレの返事にまゆは心底ホッとしたようにそう言って、オレの手に自分の手を重ねてぎゅっと握ってきた。熱心にバスケの練習をしているのに、その手のひらは柔らかくてスベスベしている。夏だからオレとまゆの手が重なっている部分に手汗をかかないかと不安になりつつ、半歩ぐらい前を歩くまゆの誘導に従うように歩く。


 たどり着いたのは馴染みのある駅前のバスケコートだった。オレが女になって、初めてまゆとバスケしたのもここだったなぁと思い返す。季節は春だったからまだ数ヵ月前の話なのに、なんだかもう随分前のことのように思える。


 コートの片隅にあるベンチの前で立ち止まると、まゆはオレと繋いでいた手を離して数歩歩いてからくるりとこちらを向いた。相対するように立つまゆの様子に、オレは何の話だか全然見当もつかずに少し緊張してしまう。


「まわりくどいのは苦手だから、単刀直入に言うね」


「…………はい」


 笑顔で言うまゆに、オレは何を言われるのかと戦々恐々としながら頷いた。脳内にはすごいスピードで最近あったまゆとのやり取りが再生されているのだが、特に何か失礼なことをした覚えはまったくなかった。


「私は、ひなたちゃんのことが好きです。あ、最初に言っておくけど後輩としてとかじゃなくて、恋人になりたい好きだからね」


「えっ……はっ……?」


 突然のことで何を言われたのかが理解できなくてそんな声しか漏らせないオレに、まゆはクスクスと笑う。


「ごめんね、びっくりしたよね。でも結果はどうあれ、できればインターハイにはモヤモヤしたまま出たくなかったから」


 それはそうだろう、とオレも思う。やっぱり大きな舞台に出る時は、それ以外の煩わしいものは全部除いてスッキリした状態で臨みたいと思うだろう。ただそれが自分への告白となると、どう答えればいいのかさっぱりわからない。頭の中でぐるぐると色々な考えを巡らせていると、目の前のまゆが震えているのがわかった。


 なんだかその様子を見ていると、ちゃんと真摯に答えないといけないという気持ちが湧き上がってくる。言えないことが多いオレだけど、その中でも伝えられることはいくつもある。


「その、まゆ先輩の気持ちはすごくうれしいです。ただ私、そういう好きって気持ちがよくわからなくて」


「……そっか、ひなたちゃんずっと病院暮らしだったんだもんね。同年代の子と触れ合う機会がなかったら、そういうのに疎くなるよね」


「一応病院内にある教室には通っていたんですけど、メンバーが短い期間に変わるからそんなに親しく付き合わなかったですし」


 これはカウンセリングを受けた時に、教授たちから『こういう風に言えばいい』と教えてもらった回答のひとつだ。オレ自身は院内学級に通ったことはないけど、実際に通ってた子供が退院したり、もしくは惜しくも亡くなってしまったりしていなくなるという事例はあるらしい。


 ちょっとだけ鎮痛な面持ちだったまゆが、空気を変えるように笑顔を浮かべて一歩オレの方に足を踏み出した。そしてオレの手を取って、両手でぎゅっと握る。


「じゃあ、私のことが嫌いっていう訳じゃないんだよね。ひなたちゃんに好きになってもらうために、こんな風に触ったりしても大丈夫……かな?」


「それは……はい、大丈夫です。それにまゆ先輩のことは嫌いじゃないですし、むしろ先輩としては尊敬してます」


 混乱しているオレが必死に頭を働かせてそう答えると、まゆは嬉しそうに笑ってオレの手を軽く自分の方に引く。急に引っ張られたオレはそのままポスンとまゆに抱きとめられる。


「これからひなたちゃんが嫌がらない程度にぐいぐいアピールしていくから、よろしくね」


「……お手柔らかにお願いします」


 まゆってこんなキャラだったのかと思いつつ、消極的なのか積極的なのかわからない宣言に思わずそう答えていた。


 抱きとめられた格好のままで色々と話をしてみたが、まゆは特に女子が好きだとかそういう趣向はこれまでなかったらしい。好きになったきっかけは一緒に買い物に行ったあの日に、オレのジャンプシュートを打つ姿に惹かれたらしい。それはあくまできっかけで、その後入学してきたオレと先輩後輩として色々と接してきて気持ちが固まったのだと照れたように言っていた。


 ちなみに女子同士での恋愛については、特に抵抗はないらしい。逆にオレはどうなのかと聞かれたが、他人をちゃんと好きになったことがないので特に同性だからと言って恋人にしちゃいけないとは思わないと答えた。むしろ男だった頃は同性と付き合うとか恋人になるなんて考えられなかったし、今もその気持ちは残っている。そうなるとオレの恋愛対象は女子になってからも変わらず女子ということになるのだろう。


 ひとしきり話してから、オレとまゆは改めて手を繋いで駅までゆっくりと並んで歩く。なんかこれまではこんな風に手を繋いでもらった時も、先輩として後輩のオレを気遣ってくれているんだなと思っていたんだけど、こうして好意を伝えられた後だとなんだか意識してしまって照れてしまう。


 もしかしてオレ、もうまゆのことを恋愛対象として好きなんじゃないだろうか。そんな感情に顔が熱くなりながらも、何故だか繋いだ手を離す気にはなれなかった。

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