第19話 ~ 玉手箱 ~

 合宿を含めたチャレンジカップの二週間、錠は仮にも代表の一員として日々を過ごした。一方その間、竹内、前田、大木は就活に精を出し、その結果、三人そろって内定を手に入れていた。

 日常に戻った錠は、久しぶりに彼らとの飲み会に顔を出した。この日は全員がスーツではなかった。

「俺マジで助かったわ。ミキ産業がなかったらプータローだったわ。まあ、三流企業だけどさ」

 前田は複雑な面持ちで言った。

「何言ってんだ。真っ先に内定出たの前田だろ。すごいじゃん」

 竹内がフォローする。

「でも、そのあと一つもなしって。お前らにすぐに抜かれていったもんな」

「そんなの関係ない。入る企業は一つなんだから」

「まあ、そう言われりゃあ、そうだな。はははっ」

 前田は途端にはしゃぎはじめた。

「そう言う竹内もよかったよなあ。内定二つもあるもんな。で、どっちにすんの」

「どうかな。どっちかっていうと……、いや、もうちょっと考えようと思う……」

 竹内はふと顔を曇らせたが、すぐに大木のほうを見た。

「いやあ、大木はやっぱりすごいな。三つだもんな。それもいいとこばっかり」

 大木の内定先はどれも訪欧大学から入れるトップレベルの企業ばかりだ。にもかかわらず、大木は不満げに目を伏せた。

 錠はただ無関心を装い、ひたすら酒を口に運んでいた。

「お前ら、一つ錠にやれって。……い、いや、やっぱり俺にオザワ商事、いい

やイトダのほうでいいからくれっ、大木っ」

 相変わらずの前田に対し、他の三人のテンションはおのおの上がらなかった。そのぶん酒は早く進んだ。

 竹内は飲みはじめから、口数少なく手酌を続ける錠を気にしていた。

「錠……。まじめな話さあ」

 竹内はおそるおそる問いかけた。

「いいのか? 就職活動しなくて」

 このあたりはいつもの竹内だ。

「あん? 今それどころじゃねえよ。ワールドカップかかってんだよ」

 案の定、機嫌悪そうに答えが返る。

「まあ、錠は竜宮城から戻ったばかりだから、お疲れなんだろうよ」

 大木の辛らつな言葉に、さらに前田が乗っかる。

「ある意味、ウラシマ状態だろ。あの日の俺たちはもういないぜ」

 それでも前田節には変化はなかった。

「でも錠は大丈夫だろなあ。いざとなりゃ、面接官にレインボーくらわせりゃ、一流企業だって一発だろ。印籠みたいなもんだ」

 これに、乗り切れていない竹内がまじめに返す。

「たとえそうでも応募しないことには始まらないだろ」

「あ、そうだった。煎じなきゃな」

「そうそう、煎じるのが大変なんだ。錠は特にな」

「煎じる?」

「いや、大木はわからなくていい。あのとき、いなかったからな。ははは」

 竹内も酒がまわってきたか、乗ってきた。

「でも、応募すりゃいいだけかあ」

「それも言いすぎだろ。そこまでじゃないだろ」

「いや、あのジョーだぜ。虹をかける男だぜ。超一流の有名人じゃん」

 面倒くさい展開が始まった。

 勝手に言ってろ――。

 錠はいつものように別の世界に逃げ込むべくジョッキに視線を落とした。

「っていうか、やっぱり錠の就職先はJリーグだろ」

「なら、一般企業の就職活動いらないじゃん。もう一流じゃん」

 酔っ払いの会話はかろうじてまだ錠の耳に届いた。

 一流とかうるさいんだよ。どいつもこいつも。

 そのフレーズから中羽のセリフを思い出し、錠は胸のむかつきを催した。

 しかし、Jリーグか。まあそれは俺も考えてみた。毎度いいとこで登場、レインボー決めておいしいとこをもっていく。ただなあ……、いや、マジでフリーキックだけでもいいなら……。

 そんなふうに錠も空想を膨らませた。

 だが、しばし黙っていた大木が口を開いた。

「しかし、サッカーでずっとメシが食えるかよ」

 玉手箱を開けた大木の言葉は、彼らをファンタジーから引き戻した。錠も思わず顔を上げる。

「……そりゃまあ、そうだ」

 前田が目の覚めた顔で言った。

「うーん、やっぱりさ、錠。就職活動はしたほうがいいんじゃないか」

 竹内の言葉に、錠は顔を紅潮させたものの、言葉は抑えていた。が、

「言ってみりゃ今がチャンスかもしれないぜ、虹を呼んでるうちがな」

 前田節のこのフレーズに、一気に目と口を尖らせた。

「うるせえんだよ。お前らとは違うんだよ!」

 錠は怒りを吐き出した。そしてさらに、もう一言を投げつけた。

「犬のくせによ」

 さすがに辛口の面々も、これには気が塞いだ。言葉もない。

 錠は険しい顔のまま、財布から紙幣を出してテーブルに置いた。

「今日は帰る」

 そう言って立ち上がり、店を出ていった。

 この出来事のあと、錠は大学に全く行かなくなった。彼らとかちあう日は限られているが、一つ都合悪くなると他も投げ出すのが錠の悪い癖だ。

 昼間の生活には多少ながらも変化が起こったが、夜は変わらなかった。テレビを見たあと、深夜はゲーム。これは欠かさなかった。

 ゲームの合間にコンビニに通うのも、日課の一つだ。

 店舗に入ると、まずは雑誌のコーナーに行く。手に取るのはゲーム雑誌がほとんどだ。だが、週刊誌の表紙はやはり気になる。

 その日も、何気なく横目で見出しをチェックしながら、ゲーム雑誌のほうに向かった。が、その足を止めさせたのは〝ジョー〟の文字、そして〝女〟だった。

 錠は思わずその週刊誌を手に取った。ページをめくっている間、頭のなかを支配するのは玲子のことだ。

 ここか……。なんだこれ?

 記事の見出しは大きく、〝ジョーの部屋に女の影〟とある。

 それとともに見開きで大きな写真。通りの向かいから撮ったのだろう、暗い時間に撮られたようで画質はあまりよくないが、玄関から出ていく女性が写っている。

 顔は髪で隠れてよく見えないが、玲子のロングヘアーに近いシルエットだ。

 ひょっとして、留守中に――、合鍵で――。まだ未練――?

 淡い期待の言葉が錠の脳裏を瞬時に流れていく。

 左下にもう一枚写真があった。薄暗くて、これまたわかりにくいが、そこにはドアの前、自分であろう人影の傍らにその女性がいる。

 それについての小見出しは、〝仲むつまじく部屋に消える二人〟だ。

 いつのだ? 

 ここ最近、女性を部屋に入れた記憶などない。

 記事の中身は、〝ジョーは誰にも見られていないのを確認してから女性を玄関の前まで誘い、二人で一緒にノブを握ってドアを開けた。〟とある。

 その文面を見てから写真を見ると、確かにそう見えなくもない。が、玲子との過去をたどるも心当たりはまるでない。

 記事をさらに読むと、〝ドアが開いたあと、彼女は髪も乱れんばかりに、はしゃぎながら部屋に飛び込んだ。〟とあった。

「あっ!」 

 思わず、錠は声にならない声を上げた。頭に浮かんだ長髪のシルエット――。

 あいつっ! 

 錠はしばし、雑誌を手にしたまま固まっていたが、やがてため息をつき、それを棚に戻した。

 あの野獣……。

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