未知なる浅層へ

 探索者たちにとって、家族への情というのは現役を退いてから強くなるものだ。

 ティレンがそうであるように、フォゾンも現役の間は自分の親に対してあまり感傷を抱かなかったという。だが、ティレンが生まれ育ち、探索者としての高い資質を見せるようになって、自分が探索者として過ごした楽しさと辛さ、苦しさを思い出してしまった。

 ティレンはリブラディエルから一人前だと認められると、一切後ろを振り返ることなく最前線へと向かった。フォゾンが制止などする暇もなかった。だが、それで良かった。そうでなくては探索者とは言えないからだ。

 一方で、ラキはティレンほどに探索に前のめりではなかった。兄と同様に憧れはしたが、自分でも兄ほどの熱量を持っていたわけではないことも分かっていたようだ。


「そんなわけで、あたしはまだ親父から一人前と認められてないのよ。だから探索にも参加していない。……最近は、ここでずっと過ごすのもいいかなって思ってる」

「そっか。ま、勝手にするさ」

「うん」


 探索者への憧れは、一過性の熱病のようなものと言ったのは誰だったか。その瞬間に走り出せなかった者は、やはり永くは探索者を続けられないし、そのまま階層の住人に落ち着いてしまうことも多いと聞く。

 探索者は独りで生きるものだ、とティレンは思っている。人脈も装備も、親から与えられるのではなく、自分の力で手に入れるものだ。そんな孤独な生活の中で、互いに認め合える同格の友と出会えればそれこそ生涯の喜びであるし、そんな友だからこそ競い合うことができる。

 ティレンにとってヴァルハロートと出会えたことがその喜びだ。他のものは、今のところ余分なだけ。


「地図ありがとな、親父」

「おう」

「爺さんは生きてるかな」

「分からんな。生きていれば百四十層あたりにいると思うが」


 フォゾンもまた、自分の親への情はあまり強くない。家族に対して強い愛情と庇護欲を持っているようだが、それはあくまでつがいである母と、その間に生まれた子供たちだけが対象なのだ。

 ティレンに対しては、再び会えて嬉しいという程度だろうか。自分より上位の者を心配するのは失礼だと考えるのは、探索者も元探索者も変わらない感性だ。その辺りはまだ鈍っていないらしい。


「じゃ、もう行くよ。元気で」

「ああ。楽しめ」

「言われなくても」


 おそらく、弟妹と最前線で会うことはない。ティレンは何となくだがそう思った。残念ではない。彼らは最前線への好奇心よりも、今の安定した生活を続ける方を優先しただけだ。互いに自分の大切なものが違う、その想いを尊重するだけのこと。

 ティレンが預かった地図は、フォゾンが探索者を始めてから百六十層までに使ってきたものの写しだ。百四十一層から探索を始めたというから、二十層分あることになる。

 前線基地には、前の層の地図が伝統的に保管されている。宿願を持って地上を目指す探索者に渡すためだ。だが、急ぐ旅ならば前線基地に寄らない方が早いのも確かである。事実、ティレンは百八十五層からここまで、飛ばした前線基地の方が多い。

 先達が通ってきた難関については、噂程度には聞いている。だが、やはり地図があるとないとでは、情報の信頼度にも大きな差がある。


「随分、そっけないんですね」

「ん?」


 歩き出すと、後ろを振り向くこともせず、地図に目を落とし始めたティレンにアリアレルムが声をかけてきた。

 ティレンにはよく分からないが、アリアレルムはティレンと家族の関係に何か不満があるらしい。


「何か変だったかな? 探索者ってやつは大体こうだよ」

「それでも!」

「カイナスたちだって同じだったろ? つがいや子供のことは気にかけるけど、親の話は聞いたかい」


 納得は出来ていないようだったが、反論はなかったからカイナスたちも自分の親の話はしなかったか最低限だったのだろう。

 ティレンは地図を懐にしまうと、アリアレルムとネヴィリアに告げた。


「ここからは少しずつ楽になっていくよ。危険な階層は変わらずあるから備えはいるけどさ」

『ま、それはそうだな! わらわの同族にも、深層に挑む者はいるが浅層にわざわざ向かう者はおらぬ。歯ごたえがないらしい』


 ティレンが先達から聞いた話の中で、百六十層より浅い階層で危険なのは五層程度しかない。無論、当時の最前線を基準にしてのものだから、アリアレルムにとってはまだまだ苦労するのに変わりはない。

 ティレンにとっても未知の階層だ。探索者として、未知の階層は気を抜いてよいものではない。たとえ生態系の強度や罠の質が下がるとしてもだ。

 ネヴィリアがティレンの肩に捕まる。彼女をつがいにするかどうかはまだ結論を出していないが、ドラゴンをつがいにするのであれば不満は特にない。今はティレンより弱いが、ネヴィリアはまだまだ若いドラゴンだ。成長する伸びしろはティレンよりも遥かに大きい。

 むしろ、ティレンが成長した彼女に捨てられないかということの方が心配だ。


「あれが百五十九層への穴かぁ」


 百六十層は、浅層の者たちにとって探索者の楽園である。多少無理をしてでも目指す価値のある、力と才に乏しい者の最終到達点。

 迷宮商人は語る。百五十九層より下は、百六十層を目指す者たちがたむろする、殺伐とした階層であると。

 『抹殺の』とあだ名された百五十層を乗り越え、命や装備をすり潰しながら進む者たちの地獄の道程。最前線を進む探索者たちへのいわれのない怒りや、嫉妬が満ちる場所でもある。

 ティレン自身は、そんな世を拗ねた探索者モドキたちに負けるとは思っていない。だが、アリアレルムの身の安全は確保しなくてはならないし、連中がネヴィリアの体を装備の素材として狙う可能性は大いにある。


「気合、入れないとな」


 腰に携えた、ネヴィリアの角で作った鉈を軽く叩きながら、ティレンは穴をくぐるのだった。


***


「振り返りもしねえでやんの」


 苦笑を漏らしたフォゾンは、目に涙を一杯に溜めて見送るヴェリアの頭を撫でた。

 振り返ったヴェリアが、フォゾンの胸元にしがみついて大きな声を上げる。背中の骨が軋む嫌な音に耐えつつ、情の深い妻の涙が止まるのを待つ。

 そんな母の様子に呆れながらも、ラキとセインは互いを見て小さく溜息をついた。


「ほらほら、母さん。これ以上力入れると、父さんが死んじゃう」

「!? ダメ、フォゾンは元気じゃなきゃダメっ!」


 がば、と離れると、ヴェリアは今度はフォゾンの無事を願って泣き出す。処置なしだ。


「こんなんじゃ……」

「出られないよねえ」


 兄への説明には、ちょっぴり嘘が交じっている。

 ティレンが百六十層を旅立った後、ヴェリアはそれはもう大きな声で泣いたのだ。命がすり減るほどのありさまで、三日三晩。

 泣き疲れて眠り、目が覚めてまた泣く。

 探索者の母親としては不自然なほど情が深い彼女が、ティレンよりも才に乏しいラキとセインの旅立ちを受け入れられるわけがない。


「でも、ティル兄さんはすごく強くなっていたなぁ」

「そうなの? 最前線の人ってすごいなあとは思ったけど」


 ティレンが旅立ってから生まれたセインには、初めての兄との出会いだ。そしておそらく、最後の出会いになる。

 ラキとセインの会話を聞きとがめたのか、ヴェリアが大粒の涙をこぼしながら顔を上げた。


「ラキ! セイン! おまえたち、ティレンに憧れたのか!? ダメだぞ、お前たちはダメだ!」

「ああ、はいはい。私とセインはここにいますよ」


 ぎゅう、と強く抱き締められながら、ラキは諦め交じりにそう答えた。

 そう。ここでの生活は悪くない。自分の性格にも十分合っている。弱いドラゴンくらいなら今の自分でもやっつけられる。強者としてドラゴンたちに尊敬されながら生活するのも悪くない。それは偽らざる本心だ。

 それでも、兄のように。常に自分の限界に向き合いながら階層を攻略する姿に憧れる気持ちだけは。心の奥にそっと大事に持ち続けていたいとラキは思うのだった。


「本当に、こんなんじゃ」

「出られないよねぇ」

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