迷宮エルフと探索者

 迷宮は、それぞれの階層ごとに生態系も文化も何もかもが異なる。

 神が気合を入れたとされる迷宮の各階層がどのように作られたのかが判明したのは短命種が百二十六層の攻略に入った頃のこと。

 階層に、対話の出来る種族が生息していたのだ。

 鳥の頭に人の体。魔術による言語翻訳と対話の結果、階層とは無数に存在する『別世界』のコピーであり、ヒルスリオンと名乗った彼らは自分たちの世界が滅びに面した時、天神の導きでこの階層へと移住してきたのだと語った。

 短命種からこの驚くべき情報が届けられた時、長命種たちは情熱を新たに攻略を再開……とはならなかった。攻略に疲れ果てた彼らの心を動かせるほどの情報ではなかったのだ。

 当時の探索者たちは、迷宮に住む種族の話は地上の人々が求めるものではないという結論を下した。結局、迷宮に異種族が住む階層は、攻略に力を尽くさなくても良い幸運な階層だという以外に特徴がないと伝えられており、ティレンたちもそのように理解している。


「で、その階層のひとつがこの百六十六層というわけだね」

「そんな重大な話が、何で伝わってないんですかぁ!?」


 アリアレルムは半泣きでティレンに苦情を申し立てる。そんなことを言われても、ティレンの知ったことではない。文句ならば当時報告を上げたご先祖と、その報告を無駄にした長命種の連中に言ってほしい。

 と言うのも。


「ティルよ。随分と貧相なエルフを連れているな。お前の世界のエルフはみな、こんなに貧相な体をしているのか?」

「こんな体つきでは、この階層に住む獣など一頭も狩れぬぞ。森の精霊の名が泣くというものだ」

「やはり力よ。力は全てを解決する」


 長い耳。流れるような金髪に、白い肌。

 翠を基調とした服装と、流麗な声音。美しい顔立ち。

 そして、全身余すことなく鍛え上げられた筋肉。

 老若男女の別なく、実にマッシヴな体格のエルフたちがこの階層には住んでいたのである。


「迷宮エルフ族の皆さんだ。魔力と決別し、剛弓をもってこの階層の巨獣と渡り合う戦闘民族であらせられるよ」

「うむ。私は族長のアランハルト。別世界の同胞よ、会えて光栄だ」


 何というか存在の圧が強いアランハルト族長の挨拶に、アリアレルムはもう泣きそうだ。


「それにしても、この世界のエルフは迷宮攻略を諦めたと聞いていたが。我々に気付かれずにここを抜けて深層にたどり着いていたとは、アリアレルム殿は見事な隠形を獲得されておられるのだな」


 そして誤解も甚だしい。

 誤解を解くには自分の恥を晒すことになるので、どう言ったものか悩んだアリアレルムだったが、ティレンはそんなアリアレルムの悩みなどどうでも良いらしく事実をあっさり話してしまう。


「いや、アリアレルムさんは世にも珍しい百層単位の転移罠で深層に迷い込んできたんだ。宿願を届けるついでに下まで護衛する予定だよ」

「百層単位の転移罠? なんと、それは大変だったな」


 特に侮るでもからかうでもない、同族からの実に真っすぐな同情の言葉に、アリアレルムは恥ずかしくて顔を上げられない。

 アランハルト族長は輝くような笑みを浮かべて宣言した。


「ともあれ、地上からの来客と、懐かしいティルの来訪だ。今宵は宴だな!」


***


 百六十六層の前線基地は、迷宮エルフと呼ばれた種族の都に間借りしている形だ。

 食糧も豊富で、気の良いエルフが警戒から狩猟まで自発的にやってくれるので、ここに来た探索者たちはやることがないと嘆くほどだ。

 迷宮エルフの都は、アリアレルムが郷愁を覚えるほどには故郷の姿に似ているらしい。エルフ様式というのは、どこも似たようなものらしい。


「アリアレルム殿と、ティルに乾杯!」

「乾杯!」


 蜂蜜酒を注がれたジョッキを煽る。美味い。

 祭壇の上では若い女性のエルフが何人も見事な踊りを見せている。しなやかな肉食獣のような筋肉が躍動しており、それをあからさまにティレンに見せつけてくる。

 迷宮エルフと探索者のは面白いほど一致している。まず強さ。そしてどのような局面でも生き延びようとするための知恵と意志。外見などは二の次だ。

 ティレンの活躍はどうやらこの辺りにも十分届いているようで、探索者になった当初、最前線に向かう途中で立ち寄った時よりも遥かに強い視線が向けられている。

 あくまで二の次ではあるが、外見もそれなりに重要な要素だ。そういう意味ではティレンの銀髪と整った顔立ちは、迷宮エルフの美的感覚でも相当な上位に位置するらしい。


「悪いけど、ここを終の棲家にするつもりはないぜ、アラン」

「分かっているよ、ティル。ただまあ、行きずりの関係でも良いという娘も中にはいるかも……思ったより多そうだな」

「肉食獣の視線なんよな」


 百年の恋も冷めるような灼熱の熱視線を向けられては、ティレンとしても気が乗らない。

 アランハルト族長は額に掌を当てて、あちゃあと軽く笑った。この男は大体いつもおおらかに笑っている。


「はっはっは。お前たち、獲物を前にしたら殺気を隠せといつも言っておるだろう。今日の獲物ははっきりと警戒しておるぞ」


 獲物扱いされたティレンだが、族長の言葉に見事に視線の圧が弱まる。

 迷宮エルフの注意が散ったところで、ティレンは隣に座るアリアレルムに話しかけた。


「大丈夫? 食べてる?」

「それは、はい。……というか、私はやっぱり馬鹿にされているんでしょうか?」

「なんで?」

「そりゃ、さっきの話ですよ。罠にかかった話をされたから」

「いや、気にしてないよ。単純に好みじゃないってだけでしょ」


 アリアレルムの非難がましい視線を受けても、ティレンはびくともしない。しっかりと事情を説明したのにも理由があるのだ。

 好みじゃないと断定されて頬を引きつらせるアリアレルムだったが、


「さっきの話だけど、変に誤魔化すと後が大変だよ。自分たちも気づかない隠形とか言ってたけど、話に乗ってたらぜひ教えてくれってことになったんじゃないかな。アランハルト族長は独り身だから、求婚されたかもね」

「!?」

「一度亡びかけたからかな、迷宮エルフはまっすぐ生きているんだよ。迷宮という世界に適応して、自分たちの繁栄を維持しようとしてる。まっすぐ生きている連中には変に誤魔化すんじゃなくて、事実を事実のまま伝えた方がいい」

「そうかもしれませんけどぉ」


 まあ、誰だって自身の恥を他人に晒されるのは嫌だろう。

 ただそれも、ティレンに言われる前に自分で言えば良かったのだ。誤魔化そうとすることが自分や周りの命を危険に追い込む場合があることを、探索者は日々の経験で知っている。

 と、アランハルト族長が豪快な笑顔で再び近づいてきた。

 何か良いことを思いついたようだ。次の標的はティレンではなくアリアレルムの方か。


「アリアレルム殿。もしよければ、我々の訓練に参加してみないかね?」

「えっ」

「ティルは最前線の探索者だから実力に疑いはない。だが、それだけについていくのは大変ではないかな? 我々のエルフ式トレーニングであれば、短期間でそれなりの実力を身に着けられると思うぞ。何しろ君は世界は違えど同胞なのだからね」

「そ、そんな方法が……!?」

「うむ。あまり長期間の滞在は難しいだろうから、まずは三日。実力の向上は保証するぞ」


 あからさまである。ティレンの足止めのために、アリアレルムの特訓ときたか。

 アランハルト族長も大変だ。笑顔の奥にほんのり冷や汗が浮かんでいることにティレンは気付いている。ついでに、彼の背中に向けられる無数の視線にも。


「わ、分かりました。ぜひっ!」


 そしてアリアレルムは目を輝かせて提案を受けてしまった。

 迷宮に入っているくらいだから、基礎は出来ていると思う。死ぬほどきついということはないだろうが、悲鳴も上げられないくらいの訓練になるのは想像に難くない。


「あーあ。知らね」


 ティレンは苦笑交じりに呟いた。明日のアリアレルムの悲鳴が、今から聞こえてくるような気がして。

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