前線基地の一夜

 露店の奥にある建物は、どうやら夫婦の持ち物であるらしい。

 アリアレルムが通された先には、見たこともないような眩い品々が乱雑に並べられていた。


「本当はそろそろ荷物を地上に持っていかなきゃならないんだけどね。転移石は中々手に入らなくてね」

「はあ、転移石」


 迷宮商人の旅は過酷だ。階層の移動には探索者の護衛を雇うことが一般的だが、最前線にいる探索者と比べれば後発の探索者はどうにも実力に不安がある。

 先に出たはずの商人が探索者と共に行方不明になる、なんて話は日常茶飯事だという。

 並べられている装備の中から、ヘレンが服と胸当てを手に取る。


「そういう意味じゃ、お嬢ちゃんはツイてるよ。一緒にいるのは銀雷だろ? 最前線でも特に有名な探索者の一人だ」

「銀雷?」

「雷よりも迅い剣士だって聞いてるよ。今の探索の中心はあいつら第八世代だから、こんなところにいることは普通ないんだけど」

「宿願? がどうとか」

「宿願かい。それなら納得だ」


 うんうんと頷くヘレンを後目に、渡された服に着替える。雑多に置いてあったにしては、肌に吸い付くような上等な仕立てだ。続けて胸当てを宛がうと、少し大きかったものが自分の体に合わせてきゅっと縮んだ。


「えっ」

「服はここの基地で養殖してる魔蚕の絹で織ったもので、胸当ては二つ前の階層で出土した出土品。あんた、魔術は得意かい」

「魔法はちょっと苦手で。どちらかといえば弓が……」

「魔法が苦手なエルフっているんだね? ああ、だから探索者なんてやってるのか」


 訳知り顔で頷いたヘレンは、立てかけてあった長物の中からいくつかを引っ張り出してくる。

 シンプルなつくりから仕掛けの多い弓まで、品ぞろえが実に豊富だ。


「迷宮じゃ弓はあんまり人気ないんだよ。何故か分かるかい」

「効かない相手が多いんですか」

「そう。刺さった程度じゃ怪我にもならないデカさのやつとか、矢が通らない甲殻や鱗を持っていたりとかね。そもそも被造物系は矢が刺さった程度じゃ全然動きを止めないし」

「そうなんですね……でも」

「ま、そんなわけで。ここじゃあ棚の肥やしにしかならないんだ。気に入ったのがあれば持って行きな」


 ヘレンの言葉に嘘はなさそうだ。アリアレルムは飾りのない弓をいくつか持って、弦を軽く引く。

 目をつけた五本のうち、四本目。驚くほど手に馴染む。エルフの嗜みとして魔力で造った矢を番えてみると、まるで自分のために誂えられたかのような。

 ヘレンがその様子を見て、ほうと息をついた。


「さすがエルフ、絵になるねえ」


 これが良い。アリアレルムは矢を弓から外すと頷いた。

 装備を整えてみたことで、何となく分かる。おそらく自分はここにいるヘレンよりも、グマグよりも遥かに弱い。迷宮商人とはいえ、さすがに百七十層に居を構えているだけのことはある。自分が罠にかかる前に出会った迷宮商人も、探索者たちも、比較にならない。

 ちらりと外のティレンを見る。

 銀髪と、日に焼けた肌。第八世代というが、一体どんな種族の血が混ざっているのか、その姿からは想像もつかない。

 自分を助けてくれた時に使われた銀雷という魔術は、おそらく自分の知るどんなエルフも使えないだろう。それほどの効果と、魔術を行使する際に見えた緻密な魔力制御。

 先程ヘレンに言った魔術が苦手というのは、正確ではない。ティレンの魔術を見て自分たちの魔術の常識が覆されたからだ。何より、自分を襲ってきた狼たちには自分の扱える魔術がひとつも通用しなかった。火の壁で時間を稼いでこそいたが、助けが来なければ魔力が切れるのと同時に食い殺されていただろう。

 食いつかれた右腕をそっと撫でる。薬草と包帯を手際よく巻かれた場所が、わけもなく痛んだような気がした。


***


「ねえ、銀雷。ダイヤホーンの角だと、この装備にはちょっと足りないのよね」

「そうなのか?」

「おい、ヘレン」


 奥から出てきたアリアレルムは、先程よりは随分と迷宮向きの装備になったように見えた。が、同時に出て来たグマグの嫁からの言葉にティレンは眉を寄せる。

 注意しようとしたグマグを制して、ヘレンは自身の要求を告げてきた。


「あんたが戻ってきたら、あたしらを最前線の基地まで連れて行ってくれない? それでチャラにしたげるよ」

「それくらいなら別に構わない。ここから百八十五層までならそれほど時間もかからないし」


 懐にある品を追加しようと思ったティレンだが、その要求であれば特に負担もないので快諾する。なにしろ最前線からここまで寝ずにきたのだ。ティレンの意識では大した距離ではなかったのだ。

 グマグが困ったような、それでいてどことなく嬉しそうな顔をしたのは、迷宮商人として他に先んじることが出来る喜びからだろう。


「世話になった」

「構わないよ。出来れば早いとこ戻ってきて、あたしらを連れて行って欲しいとこだね」

「急ぐようなら、腕に信用のおける知り合いを紹介するけど?」

「そこまで焦っちゃいないよ。あんたとしっかり顔を繋ぐ方がありがたい」


 明け透けな物言いだが、ティレンにしてもそちらの方が分かりやすくて良い。

 どうにも後から来る連中は、変に交渉を持ちかけてきて面倒なのだ。欲しければ自分で採って来ればよいのに。


「で、これからすぐ出るのか?」

「いや、今日はこの基地で休んでいくことにした。アリアレルムさんの怪我の具合も気にしないとな」

「わ、私は別に」

「じゃ、戻ってきたらまた」

「ああ」


 自分がお荷物であると自覚しているのか、焦った様子のアリアレルム。ティレンはぷらぷらとグマグたちに手を振ると、特に説明もせずに歩き出した。ティレン自身はすぐにでも先に進めるが、グマグの言葉を聞いてアリアレルムの実力にかなりの不安を感じたのだ。

 少なくとも、この階層はもうすぐ夜になる。ここはしっかり休んで、最初は実力を測りながらゆっくりと進んだ方が良いだろうとティレンは判断していた。


「ちょっと、ティレンさん!」

「まあまあ、取り敢えず腹ごしらえにしようぜ」


 そして、探索者のたしなみとして。ティレンはアリアレルムの実力を疑うような発言はするまいと心に決めていたのだった。


***


 ヘレンはこの日、ひとつ誤りを犯した。

 最前線に向かうのであれば、ティレンとヴァルハロートだけは頼るべきではなかったのだ。

 第八世代の中でも屈指の力をもつこの二人は、体力も並外れていた。

 ふつう、ひと眠りもせずに十層を踏破するのは他の第八世代でもやらないし、やれない。

 ヘレンとグマグがこの日のことを心から後悔するのは、これよりかなり後になってのことである。


***


 前線基地には、食堂などという気の利いた場所はない。

 どの基地にも大体中央近くにある炊事場で、自分たちで適当に調理して食べるのがルールだ。

 迷宮商人たちのこともあるので、食材は基本的に無料だ。狩ってきた獣の肉や果実などを、悪くなる前に勝手に調理して食べて良いことになっている。別の階層の食材は物々交換で手に入れることもあるが、その辺りは道楽の一種とみられている。

 探索者を引退して狩人専門でやっている者もいるので、獣の多い階層では食糧が不足することはない。


「ほい、食べなよ」

「料理、できるんだ……?」

「切って焼いた程度だよ」


 ティレンは先程狩った狼の肉を手早く焼いて、アリアレルムに手渡す。

 迷宮のモンスターは、同じ階層に住むモンスターを食わない。食うのは侵入者である探索者だけだ。

 だからなのか、肉食獣であっても身に臭みはあまりなく、美味い。

 何やら決死の覚悟でかぶりついたアリアレルムの相好が崩れた。


「お、美味しい!」

「そりゃ良かった」


 自分も狼の肉を噛み千切りながら、ティレンはアリアレルムがようやく笑みを見せたことに内心で安堵するのだった。

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