大迷宮の八代目
榮織タスク
祖先の求めた大秘宝
神授迷宮の第百八十五層。
朽ち果てた神殿の敷地と、誰の手も加えられていない野原や雑木林が広がる大地。特に罠の類もないが、空に輝く天球があたかも地上のように錯覚させる階層である。
だが、それは迷宮の中では何も不思議なことではない。天地の法も届かない、神の御業。
神殿の南方にあるひときわ大きな雑木林の中で、ティレンは木登りに興じていた。
手近に生っていた果実を掴むと、ぶちりと摘んで躊躇なく口の中へ。
「くぅ、甘ぇ!」
甘露とも言える果汁が喉を通り、疲れを癒やしてくれる。甘味と酸味が心地よく、全身に活力が漲る。
しゃくしゃくと咀嚼しながら、もうひとつ近くにあった果実を摘む。
果実の形をじっくりと確認して、確信を持ってひとつ頷く。
「間違いない、こいつだ」
取り敢えず他に三つほど摘んで、腰に提げた袋に放り込む。
ひとつは土産、もうひとつは迷宮の外へ届けるとして、残りは帰りの食材だ。
草原と雑木林、神殿の跡。静寂こそが似合いそうな雰囲気だが、ここはそれほど甘い場所ではない。
この階層に生きる者たちの気配が、弱肉強食の理が、餌となりそうな獲物を見定めている。
「ほいっと」
しかし、ティレンはそれらを無視して木から飛び降りた。
背中に差した銀色の長剣ではなく、腰に差した骨製の刃物を右手に携えて歩き出す。その顔にも態度にも、警戒の色はない。
周囲から感じる視線は絶えず、しかし彼を遠巻きにするばかりで襲いかかろうとして来るものはなかった。斧とも鉈ともつかない刃物には、赤黒い血がべったりと付着していたが。
立ち去った後、獣たちが我先にと集う。
その場所に乱雑に放置された食材に群がったのだ。ティレンが木に登る前に襲いかかった、愚かな同胞の骸。
迷宮の中では、彼我の実力差を正確に測れない者から死んでいく。元々この地に棲んでいる者にも、別の場所からやってきた者にも等しく不変の真理である。
少なくともこの迷宮の中で、ティレンという青年は間違いなく強者の側にその身を置く存在であった。
***
神が開き、地に住まう民に与えられた迷宮はあまりに深く、そして広い。
中で見つかる多くの秘宝や霊薬の類は社会を富ませ、また発展もさせた。
攻略は神への奉仕であり、人々の生活を潤す実利でもある。だが、千年の時を経て今、最下層へ挑もうと思っている者は決して多くない。
最初に攻略を諦めたのは、誰あろう長命種たちだった。おそらく神から攻略を最も期待された彼らは、迫りくる脅威や仲間の死、ひたすら続く階層に心をすり減らし、少しずつ諦めていった。
迷宮攻略を最後に離れた長命種は、人々にこう言ったとされる。
「神はきっと、気合を入れすぎたのだ」
残されたのは、短命種の者たちである。彼らは長命種より遥かに数が多く脆弱で、そしてひたすら続く迷宮攻略に飽きるほど永い寿命を持ってはいなかった。
百年を過ぎた頃、変化が現れた。
一部の短命種が、地上に戻るのを諦めたのだ。
各層に『前線基地』という名の集落を作り、そこで補給を行う。浅い階層から、深い階層へと物資を運びながら、前線基地は少しずつ深く、深く造られていく。
前線基地で生まれる子供も増えた。種族も年齢も、容姿の美醜すら問われることはなく、強い者や賢い者が夫として、妻として望まれる。生まれてきた子供たちは、父母よりも少しだけ迷宮に順応し、そしてまた深くへと進んでいく。
ティレンは危険極まりない第百六十層で生まれた。鮮やかな銀髪と、右耳の上から後ろに流れる赤い独角が特徴的な『第八世代』の一人である。
***
第百八十五前線基地。
恩寵のダンジョンのまさしく最前線であり、代を重ねた短命種たちの中でも選りすぐりの探索者たちが集まっている。
「よう、ティル! 今回は長旅だったな」
「ああ、ヴァルフ。アンブロージャだ、ようやく見つけた」
第八世代の一人であるヴァルハロートが、
年はヴァルハロートが一つ上だが、生まれた基地の場所はティレンの方が深い。差し引き同格ということで、二人は対等の兄弟盃を交わしている。
「美味そうだな、ひとつくれよ」
「おうさ。中々美味いぜ」
古びた袋から虹色の果実をもうひとつ取り出し、ヴァルハロートに投げ渡す。
しゃくりと音を立てて齧る横を通りながら、基地の中央へ。ここをねぐらにしている仲間達がわらわらと集まってくる。集まる数が多いほど、この場所で認められている証拠だ。
ティレンとヴァルハロートは、現状の最深層であるこの前線基地で、最も人を集められる狩人であり探索者である。
中央の台座に上がると、手持ちの袋から今回の探索で得た戦利品を取り出す。台座に並べて、声を張り上げた。
「戻ったぜ、皆! 今回の収穫はダイヤホーンの角と毛皮、ディアボトレントの枝だ! 手持ちと交換したい奴はいるか!?」
「よお、ティル! アンブロージャを見つけたんだろ!? そいつは出さねえのか?」
「おう、悪いなコーロ。余ってるのはこれだけでよ、こいつはうちの先祖の『宿願』なんだ」
「……そうか、それじゃあ仕方ねえ」
声をかけてきた馴染みが、羨望の眼差しでティレンを見る。
『宿願』。
迷宮に潜ることを定めた者が、その命を懸けて求めた秘宝。自身の世代では見つけることが出来ず、いつか見つけて欲しいと子孫に宛てて願いを残す。
願いを残した者も、残さなかった者もいる。しかし百層を超えるほどに深くまで潜った彼らは、大なり小なり残された願いを背負っているものだ。だからこそ、彼らは互いの宿願を尊重するし、誰かの宿願の秘宝を手に入れれば、優先的に譲ったりもする。
「食いたきゃ自分で取りに行きなよ。ここから南に十日ってとこだ。ある程度目印はつけてあるから」
「そいつはありがてえ! お前の十日だと、俺たちじゃ二十日以上かかるか。おう、アンブロージャの採取に付き合う奴ぁいるかぁ!?」
ティレンの言葉に、じゅるりとコーロが涎を拭きながら周囲に声をかける。大声で行くと答えた四人ほどが、コーロと一緒に輪から離れた。
前線基地に住む者は協力者への情報提供を惜しまない。それが巡り巡って自分たちの命を救うと理解しているからだ。
同時に、一層一層が広い迷宮の中にあるものは、彼らが隠して独占するにはあまりに多すぎる。
去っていくコーロたちを目で追っていると、近くにいた美女がおずおずと声をかけてきた。
「ティル。ダイヤホーンの毛皮、譲ってくれるかい?」
「あ、シェン姐。そういえばこいつ姐さんの『宿願』なんだっけ?」
外側はダイヤの煌めきを称えながらも、内側は動物の皮らしく柔らかい。肉はそれなりの味だが、宿願でもない限り狩った者の腹に納まるのが常のことだ。
ティレンは特にためらうことなく、毛皮をシェンに手渡す。シェンもまた当然のように受け取り、腰に提げている袋を開いた。
「悪いね。この中から好きなのを持って行っておくれよ」
「そうだなぁ……。んじゃ、これ貰うよ」
シェンの袋から三つ目鳥のハツを取り出し、自分の袋へ。塩焼きにして食うと美味いのだ。
欲のない弟分に、シェンは相好を崩した。
「あたしに旦那がいなけりゃね。あんたを放っておかないんだけど」
「所帯持つにはまだ早いや。届けるのはギム兄が戻ってからになるかな?」
「そうだね。あの馬鹿、どこをほっつき歩いているんだか」
けらけらと笑いながら、シェンがねぐらに戻っていく。
その後もしばらく台座の上で物々交換のやり取りを続けた後、ティレンもまたねぐらに戻る。
「さて、荷物をまとめるかぁ」
決して多くはない私物をまとめて、手製の皮袋に詰めていく。今日手に入れたアンブロージャを含め、貴重品は別の袋に。
使い古した革鎧を脱いで、しっかり寝たら長旅だ。
明日から、迷宮逆行の旅が始まるからである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます