第5話 お前筋肉ないな

 どの種目をやるんだ? と浅井監督から言われたのは、入部して一週間くらい経ってからだったかな。八百メートルとか千五百メートルがいいです、と特に悩むことなく答えた。どうやらカンナが口だけじゃなくて本当に速いらしいことが分かってきたので、とりあえずアイツについていけるようになりたい、と思っただけだった。

 浅井監督は、ああコイツ陸上部に遊びにきてんだ──って呆れてたんじゃないかな。練習の合間はひたすらダベってたし、なんなら練習中にすらダベってたし。カンナはわたしにだいぶ巻き込まれてたとこもあったな……。

 もちろん、ダベってられないこともあった。タイムを出す練習だとカンナもキッチリ走るので、そうするとふざけてもいられない。わたしもひっつくためにはおしゃべりなこの口を呼吸に集中させないといけなくて、それは身体的にもそうだけど精神的にも辛いことだった。

 いつかは……もっと楽に、それこそ、こういう全力を出さなきゃいけない練習中にも笑っておしゃべりしながら並走したい。小さくなっていくカンナの背中を細目で睨みながら、わたしはそう願っていた。


 六月、七月、八月──毎日のように走り続けていたら時間はあっという間に過ぎていった。もちろん人生なので、走る以外にも色々あった。期末テスト期間は走らないで済んだけど、成績で死んでた。テスト休み中に一日だけカンナたちとファミレスに行って食べたいもの食べてドリンクバーで四時間潰して楽しかった。CD屋に寄って試聴機で二時間粘った。部活終わりでクタクタになって帰ってきたのに、店の皿洗いを手伝わされた。生きていたら、まあそんなもんだ。

 部活に話を戻すと、入部して三ヶ月ほど経って、カンナの背中がどんどん大きく見えてくるようになったのは、他人から見たらなんでもないかもしれないが、わたし個人としては劇的な変化だった。おお、ついてけてるじゃん。アイツ、また手抜き始めたか? いっぺん言ったらなアカンな……って違う、この頃はまだ関西弁使ってなかった。

 この頃のわたしは本当に自分の走りに関心がなくて、ストップウォッチで測ってもらっていてもタイムを聞きに行った試しがなかった。何分でも何秒でもどうでもいいと思っていた。どうせ監督がタイムをチェックしているし、何かあったら言ってくるだろう、くらいにしか考えていなかったし、実際に何か言われたことはなかった。この瞬間までは。

「三上。お前新人戦、千五百で出るか?」

 新人戦とは?

「三年も引退して、一二年だけの大会があんだ。蕪木も出るからお前もついでに出ればいいべ」

 ついでって……。まあ、そのくらいの期待感だったのは実際のところだろう。でも、この人よく見てんなーと思ったのは確かだ。カンナにだんだんついていけるようになったのは、アイツが舐めた走りをしてるからじゃないことは、さすがにわたしも分かっていた。タイムなんて見なくても、三ヶ月前と比べて明らかに走りの速度が上がってることは実感していたので。

 夏の大会は入部時期の関係でわたしに出場権はなかったし、あったとしても走らせてもらえなかっただろう。実力不足の上に走り方もよく分かってなくて、学校の恥になりかねなかった。九月の大会は新人戦だったから、多少出来上がってなくてもまあいいだろう、という判断だったんじゃないだろうか。

 浅井監督はぽつりと、お前筋肉ねぇな──と言って、またゆっくりゆっくり離れていった。

 肉付きが悪いってことか? どーせこちとら貧乳だよ! わたしは憤っていた。浅井監督の言葉の意味を、この時はまるで理解できていなかったのだった。

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