六月の花嫁は龍を恋慕う

星川とか

第1話 六月の花嫁、龍と出逢う

 少女が「この世」としてきた世界にある小さな村では、毎年六月に「神送り」という儀式が行われていた。

 天災に見舞われると飢饉に喘ぐ村々ではよく行われている慣習で、十五前後の娘が神に捧げられる。

 ある年に選ばれた少女「咲夜」は、触れた者の感情や感覚を読み取るという奇異な力を持っていた。その為に、彼女は体のいい口減らしの道具にされ、古びた小さな社に祀られている龍神に捧げられたのだ。


(もし、もしも。私に「次」があるのなら)


「――……人に愛される自分になりたいなぁ」


 終わりの記憶は飢えや乾き、暗闇への恐怖を通り越してしまった更に先。なんとも安っぽい願いを胸に抱いていたと咲夜は記憶している。こと切れるまで咲夜は何日も薄暗い社の中で天井を見上げた。暗闇の中で美しい螺鈿細工が施された龍が小さな天井を翔けていた。綺麗だ――と咲夜はそんな状況下でも目を細める。

 そうして段々と瞼が重くなって、指先一つ動かせなくなって、終わっていく。その感覚だけは咲夜の中でしっかりと残っていた。

 しかし、運命の悪戯なのかあるいは龍神の悪戯なのか。次に目を覚ましたその時から、彼女の人生は一変するのである。


 これは、神送りにより異界入りした少女とある龍の恋奇譚である。



 これはもう少し後になっての事だが、咲夜は「その世界」について「彼岸」と呼ぶ事にした。理由はいたって単純で、自身が生贄として捧げられた世界と、次に目を覚ましたその世界は異なるものだったからだ。

 自身は完全に死んだものと思っていた矢先、あろうことか知らない場所で目を覚まし、果てはひっ捕らえられられる彼女にはさめざめと涙したり絶望する暇もなかった。


「白麗様、久方ぶりに異界より寄越された花に御座いまする。何卒ご慈悲を」

「爺。花はお前たちが既に何輪も植えていよう。これ以上増やす必要が何処にある」

「そう仰いますが、貴方様は一輪もまだ摘んではおらぬではありませんか」


 景色も人々の風体も全く違う。まるっきり文化の違う何処かに居るということだけは無理やりにでも視覚から理解させられるのだが、一体何がどうなっているのかまでは理解が追いつかない。ただ現状としては数人の男に捕らえられ、落ち着いた声色をした青年が座る玉座の前に引っ立てられている。

 何処に行っても罪人のような扱いであることは此岸でも彼岸でも変わらないらしい。十数年の人生で起きた様々な出来事に感覚が麻痺しきっている彼女は、あからさまに狼狽える事はせず何もかもを観念したように目を伏せた。


(神様によっぽどこれまでの行いが悪いと思われているのかな)


 このまま一度ならず二度までも殺されてしまうのだろうか。

 玉座に座る青年の表情は、咲夜には見えない。何故ならば彼女の視界には彼の足元がせいぜい映るくらいで、あとは左右にたくさんの臣下がいて、彼の話を聞いている所くらいしか見えないのだ。その中央、更に深く礼をする爺と呼ばれる翁の横に咲夜は腕を縛られた状態で平伏す形となっていた。翁に頭を押さえつけられ触れている場所から、様々な翁の打算的な感情が入り込んでくる。


『異界、器、龍宮の安寧』


咲夜の能力は極めて特殊だが、相手の感情や感覚を読み取ると言っても、思考を一言一句読み取る事は出来なかった。わかるのは、翁が自身を利用して何かしらの利益を得ようというあまり気持ちのいいものではない感情の一端。加えて知らない単語がたくさん出て来たこともあり、現状も踏まえてますます困惑する。


(この老人に利になる価値がどうして私に?それにここが現実だとして、一体ここは何処で、この人たちは誰?)


 そんなことを聞ける雰囲気ではない。

 男──白麗は小さな溜息を吐いて「爺」ともう一度翁を呼ぶ。


「疾くその者の縄を解け。花と呼びながらそのような扱いをするとは何事か」

「はっ、ただいま」


 そうして咲夜の腕は自由になる。咲夜は知らない場所と予期せぬ事にすっかり萎縮してしまい、平伏したまま動けずにいた。

 生贄として社に入った時は既に何もかもを諦めて冷静でいられたのに、今はどうしようもなく恐ろしくて堪らないのだ。そうしていると白麗が一段と柔らかでゆったりとした声色で咲夜に話しかける。


「顔をお上げ」


 それは咲夜にとっては予想外のものだったが、不思議とその声色は彼女の心を落ち着けるのに十分すぎるものだった。自分に言われているのだと自然と理解しながらも、戸惑いを隠せずに咲夜はおずおずと顔を上げる。視線の先に座る白麗の姿を見て咲夜は目を見開いた。高く一つに括り上げた銀髪の髪に金色の瞳、藤色を基調とした着物を着た、それは美しく聡明そうな青年だったからだ。

 これまでの動揺も恐れも諦めも、そういった自身の淀んだ何もかもを濯いで失くしてしまうような存在との出会いに、咲夜はただ息を飲んだ。

 この世のものとは思えない美しさに、咲夜は男性ではあるが天女が実在したらこんな容姿かもしれないと思ってしまった。白麗は咲夜に微笑む。少々困ったような、そんな微笑みに見えた。


「手荒な真似をした事、まずは非礼を詫びよう。すまなかった。名はなんという?」

「え、あ、咲夜と申します」

「さくや。不思議な響きだが、良い名だ。異界より来たそなたに身寄りはないであろう。長旅の疲れを癒すと良い。──⋯⋯杏朱」


 杏朱と呼ばれた女性が「此処に」と恭しく白麗に礼をする。両手を胸の前で合わせて上下に動かす。咲夜の世界では見た事のない礼の仕方だった。後にそれを揖礼と呼ぶと学ぶのは、まだ先の事だ。


「この娘を月華園に」


 月華園という言葉に臣下達は一瞬ざわつく。杏朱と呼ばれた女性も驚いた様子であったが、すぐに返事をした。


「仰せのままに」


 杏朱が咲夜の前に立ち、咲夜を見下ろす。この人もまた銀髪の髪と朱色の瞳が大変美しいなと見惚れていたところを翁に肘で押され、咲夜は立ち上がる。杏朱が咲夜を静かに見据えた。


「ついて来なさい」


(異界。私がいたところが此処にとって違う世界ということ。じゃあ此処はあの世なのかな)


 いや、この世界の住人にしてみれば此処がこの世なのだろうけれど。そんなことを考えながら、よたよたと咲夜は杏朱の後ろを歩く。

 久しぶりの歩行は笑えるほど覚束無いものだった。

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