第27話 引き受けた理由

「素手で奴の攻撃を受けたのが原因だったらしい。得物えものには毒が塗られていてね。切られたところから入り込んだせいで、私の体は痺れ始めていた。耐性もあったはずなのに、肝心なときに役に立たない」

「エレナさんはどうなったんですか?」


 ソフィアは再びそのときのことを思い出す。

 エレナにナイフが刺さったことは分かったので、彼女は急いで窓から飛び降り、仲間と取り決めていた合流地点まで懸命に走った。十五分後何とか合流したが、刺さったナイフにも毒が塗られていたせいで、彼女の意識はなかったのである。それを考えると亡くなったのだろうとは思った。

 しかし、ソフィアは「分からない」と答えた。


「どうしてですか?」

「怖くて聞けなかったんだ」


 ソフィアがエレナを抱え逃げている最中、毒のために意識がもうろうとするなか、体を委ねながら小さく呟いたのだ。


『助けて……お願い……』


 ソフィアはそのときのことを思い出す度に、深い悲しみと彼女を助けられなかった自分への怒りと腹立たしさで、胸のなかが焼かれるように苦しくなった。これほど悔しかったことはない。そして、エレナがどうなったかを知ることを恐れて、彼女のその後のことを聞けなかったのだ。


「私は助けるべき者を助けられず、彼女に守られて生きて帰ってきてしまった……。それが、許せなかった。以来同じ失敗をするのが怖くて、オウルス・クロウを追いかける一線から退いたんだ。戦意が揺らいでいる人間が戦いの地にいても、仲間の足を引っ張るだけだからね」


「じゃあ、どうして戻って来たんですか?」


 アルフィーの不安そうな、でもどこか悲しげな声の問いに、ソフィアは静かに答えた。


「潜入先がオウルス・クロウだと知らなかったのもあるけど、単純に子供を助けたいと思ったからだ。私にも3人の子供がいる。あの子たちはリョダリの血を引いているから強いけど、自分たちの力でどうにもでいない状況に追い込まれたとしたら――それこそユーインやアルフィーのような目に合ったのだとしたら、居ても立っても居られないって思った」

「……」

「もう一度失敗するかもしれないという恐怖はあった。でも、どこかで償いたいという気持ちもあったんだと思う」

「償い、ですか?」


 アルフィーが聞いた。


「そう。私はエレナを救えなかった負い目がある。ずっとそれを引きずって、自分を責めてきた。でも、あるとき、そんなことをしても何にもならないんだって思ったんだよ」

「……」

「もちろん、救えなかった者へ謝罪する気持ちは忘れない。でも、今の私に救える命があるのに、それを無視したら同じ罪だと思ったんだ。だから、私はあなたたちを助ける依頼を引き受けた――まあ、これが私が逃げて戻ってきた大まかな理由かな」


 救える命と、そうでない命があること。

 それは若かったソフィアにとって割り切れないものでもあった。リョダリという戦いに優れた部族として生まれた彼女にとって、周囲は皆、自衛する力を持っている。男は当然、女も子供も簡単には屈しない。

 そういう世界で生きてきただけに、社会の闇に飛び込んだソフィアのなかでは、自分たちよりも強いものなどほとんどないという自信を持って生きていたし、救えない命もないと思っていたのだ。しかしその「失敗の無さ」のせいで、エレナのことが強烈な出来事として記憶されてしまったのである。


 その後、ソフィアは八年悩んで思った。

 自分は強いが絶対ではない。でも、何もしなければ、何かを救うことすらもできないことを。行動をしなければ誰も助けられないということを。

 だから、ソフィアは行動することにしたのだ。今度こそエレナのような人を助けるために。


 するとアルフィーがお礼を言った。


「あの、戻ってきてくださって……ありがとうございます……。そうじゃなかったら、僕たち今頃どうなっていたか……」


 彼はユーインの服を強く握りしめ、ぶるっと震える。それを服越しに感じたのか、ユーインが頷いた。


「まだ、あなたたちのことを信頼しきっているわけではないですけど、とりあえずあそこから出られたことだけは感謝します」

「ユーインっ!」


 彼はつむじ曲がりなのか、それとも本心なのかはよく分からなかったが、アルフィーとの自然なやり取りにソフィアは少しだけ微笑む。少しずつ彼らの行動や言動から、肩の力が抜けているような感じがしていたからだ。

 だが、まだ乗り越えなければいけないことが残っている。


「お礼は有難いけどね、言うのはまだ早いよ」


 するとソフィアは少しだけ後ろを振り返った。森の深い闇がそこにある。


「もう一つ、乗り越えなくちゃいけないことがあるからね」



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