第28話 魔物への変貌

 魔物になる。その言葉に、俺だけではない、その場にいるほぼ全員が目を見開いた。

 人間が魔物になる、ということについては、この世の中でそんなに珍しいことではない。魔物に攻撃されたり襲われたりして魔物の体液が体内に侵入した場合、たまに人間が魔物に変じることがあるのだ。

 だがしかし、今この状況で、俺が魔物になるというのはどう考えてもおかしい。そもそもディーデリックの言い方も引っかかる。


「ノールデルメール?」

「何を言い出すんだ、いきなり」


 エレンもロドリゴも不思議そうな顔をしてこちらに、というかディーデリックに問いかけてきた。二人に視線を向けながら、ディーデリックは話しだした。


「吾輩の手には秘策がある。あやつの『界』を引き裂き、魔法を至近距離で叩き込み、あやつにダメージを負わせること……吾輩のならばそれを為せる」


 彼の発言に俺達の中から小さくどよめきが起こった。

 『界』を引き裂くための「近接武器に魔法を乗せて放つ」という行動を、ディーデリックが行えるということ。直接対峙した俺自身も初めて聞いたことだが、彼が「秘策」という程だ。本当の本当に奥の手なのだろう。

 だが、そこでディーデリックの瞳がちらりと光った。


「しかし、その為には吾輩の力を、十全に発揮せねばならん。その為には、装備品としての我輩……着ぐるみとしての我輩では物理的に力が足りんのだ。分体にさせようにも足りぬゆえ、吾輩本体でなければならぬ」


 続けて話された言葉に、冒険者数名から息を呑む音が聞こえた。

 なるほど、分体でも使用できない大技だと言うなら、俺も他の面々も目にしたことがないのは無理もない。だが、ちょっと待ってほしい。

 ディーデリック・ノールデルメール本体でなければ使えない。しかし今の、着ぐるみの姿では使えず、力を発揮する肉体が必要である。

 真っ先にその結論に思い至ったのはロドリゴだった。慌てた様子で彼に問いかける。


「お、おい、ディーデリック。まさか君はライモンドの身体を使って」

「えっ、おい」


 ロドリゴの言葉に俺も一気に理解が進んだ。先程の「魔物になる覚悟はあるか」との問いかけの真意とは、つまり。


「左様。吾輩は戦士と融合する・・・・


 果たして、静かな声色でディーデリックは言った。

 その言葉を聞いて俺は、彼の内側で目を大きく見開いた。ディーデリックと俺の融合。なるほど、そうすれば確かにディーデリックは本体のまま、十全の力を発揮できる。俺の元々のステータスもあるから、ものすごい力を発揮できるのは間違いない。

 だがしかし、そうなると。

 苦々しい表情をしながら、マリカが重々しく口を開く。


「それは、つまり……ライモンド・コルリは魔物と化す、ということか」

「左様」


 彼女の発言にディーデリックはぽつりと、短く返した。

 そう、魔物であるディーデリックと融合を行えば、当然俺だって魔物になってしまうのだ。

 人間と魔物の融合ということ自体、結構力のある魔物でないと自力では行えない。ディーデリックほどに長く生きてきた魔物なら出来ても不思議ではないだけに、発言にも信憑性がある。

 だが、そうだとしても。こんなことを急に言われて、納得できるはずもない。


「お、おい。待てよ、冗談だろ」


 戸惑いながら大声を上げると、ディーデリックは暗い光を瞳に灯しながら言葉を返した。


「だが、他に手はないのだ。吾輩は毛皮の内の肉体を得て、内の肉体は吾輩の力と融合して吾輩の力を十全に振るい、魔法を為す。戦士の剣に魔法を乗せるのでは魔法が拡散して為せぬ。吾輩の爪が、この場を打開する唯一の方法だ」


 彼の発言に、俺は言葉に詰まる。

 言わんとすることは分かる。俺は確かに魔法を結構なレベルで使えるようになったが、まだまだ初心者。武器に攻撃魔法を留めるなんて芸当、出来るわけもない。

 実際、爪ならば大きさもそんなではないし、肉体の一部だ。魔法を留めるに当たってもやりやすい。たしかに、そっちの方がやりようはあるだろう。

 次の言葉が出てこない俺に、ディーデリックは続ける。


「安心しろ、戦士。肉体の主導権は貴様・・にある。貴様は吾輩の真なる力を手にして、強大なる力を持つ魔物としてこの場に立つ。そこに、吾輩はおらん・・・・・・

「おっ、おい、なんだって!?」


 だが、彼は最後にとんでもないことを言い出した。

 融合した果てに、そこにいない。肉体の主導権も俺が握る。ということは。

 ディーデリックの発言にエレンとロドリゴも慌て始めた。


「おらん、って……!?」

「ディーデリック、まさか、君は」


 エレンが俺の脚にすがってきた。ロドリゴも俺の肩を掴んでくる。

 当然だ。ディーデリック・ノールデルメールは今ここで、自らの命を・・・・・投げ出そうとしている・・・・・・・・・・のだ。

 ふと、俺の頭が軽くなる。今まで上から押さえつけられていたような、軽い圧迫感がなくなった感じがある。後から考えれば、ディーデリックはここのタイミングで俺にかけられた呪いを解いたんだろうが、後の祭りだ。


「時間が惜しい、始めるぞ」

「待てよ、ディーデリック、待ってくれ!」


 俺が声を張り上げ、彼を止めようとするも、遅かった。俺も俺ですっかり、彼を仲間だと思っていたのに。その仲間が消えていこうとするのを、止められないのが歯がゆかった。

 刹那、俺の身体とディーデリックの身体が光を放った。圧力を持った光がエレンとロドリゴの手を跳ね除ける。同時に、俺の全身を激痛が襲った。融合が始まったのだから当然だ。


「あ――!!」

「ライモンド!」

「くそっ、干渉は出来ないか!」


 ロドリゴが悲鳴にも似た声を上げる。マリカも動き出すが、光の圧力で阻まれて近づけないようだ。

 前方で戦っている冒険者達もこちらを見ていた。攻撃に耐え続けていたヘイスベルトも、こちらを見ているのが分かる。そりゃ、こんなことが目の前で起こっていたら、戦闘どころではないだろう。

 融合が進んでいく。俺の皮膚から虎の獣毛が生え始め、ディーデリックの毛皮と一体化していくのが分かる。同時に骨格も変わっているようで、頭やら脚やら、弾けるくらいに痛い。

 その瞬間、俺の脳内に声が響いた。


「戦士……いや、ライモンド」


 聞き慣れたディーデリックの声が、いつもよりひどく優しげに聞こえた。久しぶりに名前を呼ばれ、痛みと衝撃で飛びそうな意識が引き戻される。

 そうする間にも融合はどんどん進んで、とっくに俺の頭は虎のそれになっていた。どうも本体とはいえ、獣人ファーヒューマンらしい肉体構造にはなっているらしい。腰から尻尾が生え始めたのも分かった。

 もう、俺を覆う着ぐるみの熱は、感触は、ほとんど感じられなくなっていた。そんな中、ディーデリックの声は続ける。


「貴様と出逢ってからの日々は、とても充実していた」

「……!!」


 最後の、満足したような言葉。それを聞いて俺は既に大きく見開いていた目を、ますます見開いた。

 これまで、多くの人間を狂わせ、殺し、喰らってきた『黄金魔獣』。その気まぐれで助けられ、彼を装備した俺。仲間になったエレン、ロドリゴ。

 きっと、彼自身にも得がたいものだったのだ。長きを生きてきた彼にとっても、満足感のあるものだったのだ。

 既に声は消え入りそうなほどに小さい。その声が消えゆく最中、遺すように彼が告げた。


「これからは、貴様がノールデルメールだ」


 その言葉は、蜘蛛の糸のように細く、小さく、儚いものだった。

 その声が消えゆくと同時に、俺から発せられていた光が消える。糸が切れたように崩れ落ち、俺は倒れ込んだ。両手を石床につけて、息を荒くして呼吸を整える。心臓の鼓動がやけに早い。


「っ、あ……!!」

「ライモンド!」

「ライモンド、大丈夫かい!?」


 ようやく俺に触れられるようになったか、エレンとロドリゴが俺に寄り添った。二人の手が触れる感覚が近い。素肌に触れられるのと同じような感覚だ。

 しかし、それと同時に頭の毛を触られるような、そんな感触もあった。同時に、俺の視界に入ってくる縞模様の黄金色の毛皮・・・・・・・・・・。それが、両腕を、手を、指を覆っているのが分かる。


「エレン、ロドリゴ……俺は、大丈夫だ……だが……」

「うん」

「分かってる」


 ゆるりと二人を見ながら、俺は声を発した。声色は、今までよりも若干低いように聞こえる。喉の構造も変わってしまっただろうか。

 両手に力を込め、ゆっくり立ち上がる。どうも一糸まとわぬ姿のようだが、今はそんなことを気にしている余裕もない。難しい顔をして立っているマリカへと顔を向けた。


「マリカ、一ついいか」

「どうした」


 俺の問いかけに、マリカが短く返す。もふもふとした胸毛に手を置きながら、俺は問いかけた。


「今の俺は……なんだ・・・?」


 その問いかけは、随分と抽象的だったと思う。なんだ、と問われて的確に意図を読み取れる人間もそういないだろう。

 だが、マリカは幸い、意図をちゃんと汲み取ってくれたようだ。ため息混じりに首を振りつつ答える。


「着ぐるみを身にまとった冒険者、ではない・・・・。虎の獣人ファーヒューマン、しかしそのステータスは並の魔物を超越している。魔王クラスの……そうとしか、私には言えん」


 マリカの言葉に、俺は視線を逸らした。

 やはり、そうか。しかしステータスが魔王クラスとは恐れ入った。

 ふと、固いものを叩く音が聞こえる。見ればヘロルフが床に膝をついて、拳で床を殴っていた。


「くそっ……!!」

「ディーデリック、無茶をして……!」

「こんな……こんなことって……」


 マンフレットもエレンも、愕然とした様子で言葉を漏らしている。やはりと言うべきか、魔物勢の方が衝撃と悲しみが大きいようだ。ノールデルメールの称号の通りを考えると無理もない。

 だが、その称号は、今や俺が継いでいる・・・・・。地面に転がっていた愛用の大剣と、大剣を固定するためのベルトを手に取り、ベルトを腰に巻いて大剣を背負う。


「みんな、すまない。道を開けてくれ」

「え……」


 そして、俺はゆっくりと歩き出した。脚の構造が変わって、ふわふわして変な感じだったが、不思議と違和感はなかった。

 既に戦闘が止まってしばし。俺の歩みを阻むものはいなかった。視線の先では、ヘイスベルトが姿勢を整えている。


「ヘイスベルト、お前はここで殺す」


 大剣には手をかけず、右手をかざすようにしながら俺は言った。

 ディーデリックは、俺に託してくれた。ならばその想いに応えなくてはならない。

 一部始終を目にしていたヘイスベルトも、納得した様子で口を開く。


「魔物との融合を果たしたか、人間の戦士。いや、おのれは既にノールデルメールを継いだか」

「ああ、俺はもう、完全に魔物だ・・・・・・


 彼の言葉に、俺も自嘲するように返す。自分で言ってて不思議だが、こうなった以上、もう人間とは名乗れないだろう。

 かざした右手の、五本の爪に意識を集中させる。先程の融合でディーデリックの力も上乗せされたのか、魔法のランクも上昇していた。光魔法第九位階、豪雷ヘビーサンダー。無詠唱で爪に乗せると、俺の爪が青白い電光を放ち始めた。


「ディーデリックは俺に、力と身体を残してくれた。その力を、世界を守るために残してくれた。世界を脅かすお前は、ここで俺が殺す」


 魔法が拡散しないように意識を集中させる。俺の爪がまばゆいばかりに輝くのを見て、ヘイスベルトが鼻で笑った。


「吠えてみせる。生まれ落ちたばかりの獣人ファーヒューマン一人で、我を殺すだと? やってみせろ、貴様の爪で我の『界』を破れるものならな!」

「やってみせるさ! 必ずな!」


 こちらを挑発するヘイスベルトに、俺も吠えた。そのまま、勢いよく地を蹴る。

 右手の光が尾を引いた。バチバチという破裂音が一層大きくなる。ヘイスベルトの姿がどんどん大きくなって、一瞬のうちに俺は彼に肉薄していた。

 ここだ。


「おぉぉぉぉぉっ!!」

「おぉぉぉぉぉっ!!」


 俺が爪を振るう。それと同時にヘイスベルトが『消滅の界』を創って身体を覆い、その全身が漆黒に包まれる。

 俺の振るった爪と、爪から弾き出されるように放たれた魔法が、激しく輝いて視界を満たした。

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