28  ライナムルの運命

 そんなリーシャをチラリと見るとホシボクロは、おへそを上に向け四本の足を伸び伸びと延ばした。そしてそのままの体勢で後ろ足を元に戻し、前足はヒョイっと上げて、腹の毛繕いを始める。もちろん、持ち上げた頭は腹に届いている。猫って身体が柔らかいだけじゃなく腹筋も強いのねと、なんとなくリーシャが思う。


「随分とくつろいでるわね……」

その様子にリーシャがぽつりと言う。


「うん? あんたがボクに何かするとは思えないからね」

「ほかの人はあなたをいじめたりするの?」


「人間の言葉が喋れるってバレればね。魔物だっ! て追い回されて、捕まったら殺されるんじゃないかな? ま、実際、魔物なんだから、魔物だって言われるのは構わないけど――」

「魔物!?」


驚いたリーシャが腰を浮かせる。すると毛繕いをやめてホシボクロがリーシャをまじまじと見る。

「あんた、おバカ? 人間の言葉をしゃべる猫がなはずないじゃん」


 ライナムルに言われるならまだしも、なんでこんな猫にバカって言われなきゃならないの? 泣きたい気分のリーシャ、それでも相手が魔物となれば下手なことは言えないと黙っている。


 ホシボクロは毛繕いの気分じゃなくなったのか、よいしょと座り直した。

「あんた、とは言えライナムルの婚約者なんだろう? 魔物ぐらいでビビるなよ」

「ビビるわよっ! 魔物になんか会ったことないもん」


「ライナムルも魔物だぜ?」

「えっ?」


「正確には魔物のうつわ。地下に閉じ込められてる魔物の王はさ、ライナムルの身体を乗っ取って復活しようと目論もくろんでる。封印された時、魔物の王は本質だけのモアモアした存在だったんだ。器なんかなくても人間に後れを取ることはないと、ザルダナ建国の王を見縊みくびってたんだろうね――長く封印されていれば恨みが募って、復活してザルダナ国を亡ぼしたいと思うじゃん。モアモアのままよりも器に入ったほうが力を発揮できる。一度負けてるしさ。だからなんとしても良質な容器が欲しい。そのためにチッチピッピオの『もう一人子どもを』って願いを叶えたんだ」

「なんなの、それ?」


 力が抜けてソファーにくずおれたリーシャをホシボクロが気の毒そうに眺める。

「ライナムルったら、あんたに何にも話してないのかい? そう言えばこのことを教えてやった時、ロンバスに言うなって言ってたなぁ、チッチピッピオにも」

「あなたがライナムルに教えたの? ライナムルはね、心配かけまいと思って周囲には黙っているのよ、きっと」


「自分一人じゃどうにもならないんだからさ、みんなを頼りゃあいいじゃん。ライナムルはあんたよりおバカかもね」

「ライナムルを悪く言わないで!」


 ホシボクロを責めても意味はない、これじゃあ八つ当たりだわ。泣きそうなリーシャをホシボクロが薄く笑う。人間って馬鹿だよね、とでも言いたそうだ。


 そんなホシボクロにリーシャが恐る恐る問う。

「魔物ってことはあなた、魔物の王の味方なの?」

これにはホシボクロもムッとする。


「魔物の王に味方なんかいるもんか。アイツは長年に渡って森に棲む魔物たちを蹂躙して従わせてたんだ。救ってくれたのはライナムルのひいひいひい……いくつかが付く祖父じいさんだ。魔物たちはみんな王家に感謝してる」

「それじゃ、ライナムルの味方なのね?」


「もちろん! ライナムルは死にそうだったボクを助けてくれた。ボクだけじゃなく、ボクの兄弟やママのこともね。まぁ、最終的にボクしか助からなかったけど――ボクはライナムルのために色々働いてる。情報を集めてライナムルに持って行ったり、頼まれれば潜入捜査だってする」

「そうなのね……」


 魔物だからって敵ではないと知ったリーシャ、ホッとして涙ぐむ。

「あんた、よく泣くねぇ」

ホシボクロは呆れているようだ。


 ふと思いついてリーシャがホシボクロに尋ねた。

「ライナムルに掛けられた呪いって、魔物の王を倒せば消えるの?」

ホシボクロが少し首を傾げる。


「あの呪いの正体はよく判らない。でもきっと、魔物の王がゆくゆくはライナムルを乗っ取るためのものだと思う。どっちにしろ魔物の王は倒さなきゃ。アイツは嵐のたびに脱出を試みている。脱出されたら剣が戻らない限り、消滅させることも再び封印することもできないかもしれない」


「脱出? どうやって?」

「アイツの封印は実は不完全。途中で魔法の剣を取られたからね。上部は封じられてないんだ。アイツが飛べなくてよかったよ――力が強くなる嵐の夜、塔の壁をじ登る。封印の部屋はオッキュイネの部屋のすぐ下まで筒状になっているんだ」


「それって――ライナムルが言ってたわ。嵐の夜は崖の流れに逆らって何かが昇ってくるって。それのこと?」

「そうそう、それだよ。人間どもが探ったけど判らなかった。でもオッキュイネは知ってる。だから嵐の晩は必ずあの部屋にいて、紐の相手をしながら魔物の王がどこまで登ってくるか監視してる。今のところ、塔の高さの半分までって言ってたね」


「オッキュイネも魔物の王が判るのね」

「はっ! あはははは! あんたやっぱりおバカだね。なんでライナムルはあんたにしたんだろうね?」


 ホシボクロが笑いだす。

「あんた、こんなに話しているのに、まさかオッキュイネがでっかい鳥だと思ってる? あいつはね、飛ぶ鳥の魔物、鳥の魔物の王の血を受け継いでいるのさ。そして魔物の王を憎んでいる。自分の両親を殺したのは魔物の王だって知っているからね」


「オッキュイネが魔物? それに両親? オッキュイネの卵を孵化させて育てたのはライナムルでしょう?」

「姿を消せる鳥がただの鳥なもんか――オッキュイネは卵のままずっと待っていたんだ。魔物の王を倒せる王子が自分を見つけてくれるのを……ライナムルは魔物の王との決着をつける王子だ。魔物の王がライナムルを器に選んだのがその証拠だ」


「でも、でも……」

 リーシャの身体から再び力が抜けていく。


「オッキュイネが魔物なのも、ライナムルの味方なのもよく判った。そしてライナムルが魔物の王と戦わなくてはならないことも――だけどホシボクロ、ライナムルは魔物の王に勝てるの? 勝てる見込みはあるの?」

「そんなのボクに判るかよ」


ホシボクロがソッポを向く。

「そりゃあボクだって『勝てるさ』って言いたい。でもそんなの気休めだ。あんた、気休めなんか聞きたくないだろ?」

「聞きたかったわ。気休めでも――ライナムルは負けたりしないって」

ホシボクロが溜息を吐く。


「人間の考えは判んねぇや。気休めなんか、これっぽちの足しにもならねぇ。勝てる見込みがないのなら、勝てる見込みが立つ戦い方を考える。そのほうがよっぽど建設的だと思うけどな」

「何かいい考えがあるの?」


「それは――」

ホシボクロが気まずげな顔をする。

「それがありゃあ、サッサとライナムルに進言するさ。でもね、リーシャ、決戦の時、魔物はみんなライナムルの味方だ。ライナムル一人を死なせやしねぇ」

「死ぬのが前提の話はやめて!」

リーシャの悲鳴に、ホシボクロが済まなさそうに縮こまった。

「ま、そうだよね、ボクたちだってライナムルだって、死にたいわけじゃないからな」


 とうとう泣き出したリーシャにチラチラ視線を向けるホシボクロだ。居た堪れなくなったのか、ソファーからトンと飛び降りてリーシャの膝に乗ってくる。

「泣かないでくれよ、リーシャ」

そう言ってリーシャの頬を舐めてくる。


「あんたを泣かせたくってこんな話をしたんじゃないんだ。あんた、ライナムルのにとは言え婚約者なんだろう? 知ってたほうがいいかなって思ったんだ。どうせライナムルのヤツ、自分じゃ言い出せないだろうからね――それとも知らないほうがよかった?」


 泣きながらリーシャが首を振る。知らなければなんの覚悟もできない。知っていれば、こんなわたしでも何か役に立てることがあるかもしれない――


 うんうん、とホシボクロが頷く。

「ライナムルが見込んだメスだ。あんたは泣き虫で弱っちいけど、ライナムルを思う気持ちは強いんだね――でもさ、リーシャ、あんたが泣いているとライナムルが心配する。泣きめよ」

ホシボクロがリーシャに優しく身体をこすりつける。


 と言われたことにムッとしたリーシャだが、相手は猫だ、仕方ないと苦笑いする。

「あなたから話を聞いたって、ライナムルには言わないほうがいいのかしら?」

涙を拭いながらリーシャがホシボクロに問う。


「そんなの自分で考えたら? リーシャが知ってるとなったらライナムルがどう感じるのか、そんなの人間のあんたのほうがよく判るんじゃないの? 魔物の容れ物って言ったって、ライナムルはれっきとした人間だ。でもまぁ――ボクとしては、余計なお喋りをしたってライナムルに怒られるかなって今、ちょっとビクビクしてる」


 判った、と呟くリーシャを再度ホシボクロがマジマジと見る。

「ねぇ、リーシャ。あんた、があったりしない?」

「本当の名前?」


「うん――なんだったけかな……そうそう、アリアッシュレア」

「アリアリ?」


「アリアッシュレアだよっ! 舌が回らないんかぃ? 猫のボクが言えるってのに!?」

「ごめん、わたし、小さい時からお喋りは得意じゃなかったらしいわ」


「んで、母ちゃんの名前がクレアッシュレア」

「ごめんね、ホシボクロ。なんでそんなことを訊くのか判らないけれど、わたしはリーシャ、母はレイシア」


「そっか、違うならいいんだ。ヘンなことを聞いちまったね――おっ、ライナムルの足音が近づいてくる」


 リーシャの膝から飛び降りたホシボクロが廊下に繋がる扉の前に座って見あげた。お出迎えする気なのだろう。ライナムルに今まで泣いていたと悟られないよう、慌てて顔を拭うリーシャだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る