26  強い願いは呪いと同じ

 それって……と、ロンバスがライナムルを見る。

「それからずっとライナムルさまはリーシャさまのことを思われていたということですか?」

ムッとしたライナムルが

「いけない?」

とロンバスを睨み詰める。


「いえ、いけなくはありませんが」

「いけなくはないけど、なんなのさ?」

答えに窮したロンバスが目を白黒させる。


「あ、そうだ。こんな話になったのは、十一歳を過ぎたころからライナムルさまの急成長が始まった原因は何かってことでした」

いい言い訳にロンバスがホッとする。けれどこの問いはライナムルの機嫌をよけいに損ねたようだ。


「ここまで話を聞いていて、察せないのか、ロンバス?」

怒りを隠さないライナムルに、

「わたしも判らないわ」

とシレッとリーシャが言った。えっ? とリーシャを見たライナムル、しょぼんと泣きそうな顔をする。


「リーシャまで僕を虐める」

「虐めてるんじゃないわ」

「本当に?」

「本当に。ライナムルの老け込みの原因が判らないのも本当」

「思ってた以上にリーシャって……いや、僕の説明がよくないんだね、はっきり言わないから」

また、おバカって言おうとしたな、そう思うリーシャだが、心の中で笑うにとどめた。


 ちょっと迷ったライナムルだったが、

「それまでは両親やオッキュイネの愛情で僕は回復できたんだ」

と話し始めた。


「でもリーシャを好きだって思った時から、親やオッキュイネの愛情ではだめって言うか、足りなくなった。えっと、なんだっけ……思春期?」

「思春期?」

ここでもリーシャとロンバスの口が揃った。


 やっぱりライナムルは少しムッとしたようだが、気にしても仕方ないと思ったのだろう、話し続けた。


「恋する気持ちが芽生えた僕には、その恋心を満たしてくれる何かが必要になったんだよ」

「それで修道院に行った後には少し若返りが進んだのですね」

とロンバスが感慨深げに呟く。


「でも年に一度だけ。到底足りなくって、僕の老け込みはどんどん進行していったんだ」

「それでオッキュイネに命じてリーシャさまを連れてこさせたのですか?」

 ロンバスの問いにライナムルが憤る。


「そんなこと! 僕はオッキュイネに命じてなんかいない。オッキュイネは僕の気持ちが判ってたんだ――その……オッキュイネの部屋で、修道院のあの子に会いたいって、なんだ、僕ね、よく泣いてたから。あの日、リーシャに気が付いたオッキュイネは、ライナムルの言ってたのはこの子だって気が付いたんだと思う」


「ライナムル――」

泣くほど私に会いたがってくれていたのね、リーシャがほろりとする。


「でも、まさか、オッキュイネが修道院からリーシャをさらうとは思ってなかった。シスターから大きな鳥がリーシャを連れて行ったって聞いた時、僕は内心焦った。オッキュイネが人攫いなんて、父上に知られたらオッキュイネは処刑されちゃう――しらばっくれるしかないと思った。リーシャには申し訳ないけれど、知らない鳥の餌になったことにして、修道院には帰さない、そうするしかないと思った」


「それでわたしを脅して王宮に住まわせることにしたのね」

呆れていいのか悪いのか、迷うリーシャだ。でもきっと、悪霊あくりょうきと脅されなければ、さっさと修道院に帰ってしまった。


 だって王宮の暮らしなんて、わたしには分不相応。そのうえライナムルはとっても素敵で、好きになってしまいそうな予感がした。今まで知り合った誰よりも綺麗な瞳、そしていつでもいい匂い。優しいライナムル……そんなライナムルは王子さま、身分が違い過ぎる。好きになれば自分が苦しむ――


(でもわたしは帰らなかった。少しの間でもライナムルの傍にいたいと思った)

ライナムルを見詰めながらリーシャは思った。ライナムルが望む限り、わたしはライナムルの傍にいよう。だってライナムルはわたしを求め、わたしもライナムルを求めている。それに――


「ライナムル……」

 リーシャがライナムルの名を呼んだ。ライナムルが静かな視線をリーシャに向ける。


「ライナムル。わたしを守ってね。わたしを諦めないでね。わたし、ライナムルの傍にずっといる、ライナムルを諦めない」

「リーシャ……」


 見つめ合う二人の邪魔をするのはロンバスだ。

「王妃さまから、くれぐれもお二人が男女の仲にならないよう監視しろと言われております」

と咳払いをする。抱きあいそうだったライナムルとリーシャが慌ててパッと離れる。


「だけどわたしはどうしたらいいのでしょう? お二人の仲を裂くなんてできません。むしろ応援したいと思えます。まぁ、王妃さまはライナムルさまとリーシャさまを引き離せとは仰いませんでした――ライナムルさまが女性に化石になってしまうからと、王妃さまはわたしを脅しました。ライナムルさまもご存じのことだから、そこまで心配しなくていいとも仰いました」


 どういうこと? リーシャがライナムルの顔を見る。そう言えば、前にもロンバスがそんなことを言ったっけ――


 不意にライナムルが立ち上がり、キャビネットの引き出しの鍵を開ける。いつも髪を束ねる紐が入っているあの引き出しだ。そこから団子になった紐の塊を持ち出してテーブルに置くとほどき始めた。


「紐を解くのを忘れていたよ。昨夜の嵐で大暴れして、ごちゃごちゃ絡み合ってるんだ。嵐の後はいつもそうさ」

ロンバスが黙って傍らに座り、ライナムルを手伝って紐を解き始める。


「生まれた時、呪いが掛けられたって話したよね」

 リーシャもロンバスも応えない。ロンバスは黙々と作業を続け、ライナムルを見るのを避けている。そしてライナムルを見詰めるのはリーシャだ。


「母上は夜ごと日ごと祈りを捧げた――夫とは心の底から愛し合っている。愛し合う夫婦にどうぞもう一人、子を授けてください」


夫を愛する喜びと、夫に愛される喜びをわたしは知っている。既に息子を一人授かった。その息子に愛情を注ぎ、慈しみ育てる喜びを知った。


「贅沢な望みなのは判っているのです。だけどせめてもう一人お授けください。最初の息子と変わらぬ愛をその子に与えると誓います。愛する喜びをもう少し味わいたいのです」


 団子になった紐は少しずつ解されて、一本一本バラバラにされていく。勝手に動く様子はない。


「ある晩、いつものように祈りを捧げる母上の耳に『その願い、聞き届けよう』と声が響いた。母上は驚いて、誰の声なのかと探ったけれど判らなかった。あまり熱心に祈ったものだから、そんな空耳を聞いたのだと思う事にした――そして母上は諦めたんだ。幻聴まで呼ぶほど思い詰めてはいけないと、思い直したんだね。兄上を出産されてから十年近くたっていた。自分は一人しか子を授からない運命さだめなんだ」


 お茶のお替りが欲しいな。ライナムルの呟きに、ロンバスが黙って席を立ちお茶を淹れ、ライナムルの前にカップを置いた。ライナムルはお茶を一口啜ってから話を続けた。


「だけど母上は懐妊した。その声を聞いてから三月みつきののち、その事に気が付いた。嬉しくて、嬉しくて、父上と二人、手を取りあって喜び合ったそうだ……それから出産の日まで、母上はいろいろなことに気を遣ってお腹の子を守った。父上も母上を、それは、それは大事にし、二人は無事に生まれるてくるのを心待ちにしていた――難産だったそうだ。そして僕が生まれたのは嵐の日だった」


 紐解きを再開していたロンバスが手を止めてライナムルを見る。ライナムルを見詰めていたリーシャが紐の塊に目を移す。


産声うぶごえは嵐の喧騒に負けることなく王宮に響いた。別室で待っていた父上が産室に駆け込むと、母上が怯えた声で父上に縋りついた」


『あの声が、あの声が笑っています』


「何を言っている? 父上にその声は聞こえなかった。嵐はますます激しく王宮の窓という窓を揺らし、雨は濁流となって崖を滑り落ちていく。その音を笑い声と感じたのだろうと思った」


 リーシャの手が紐に伸び、解く作業を手伝い始める。それに気が付いたロンバスがやはり作業を再開する。ライナムルはもう、紐に触れることもしていない。


「母上は、笑い声とともに呪いの言葉を聞いていた――子を授かりたいがゆえ、おまえは己の夫と既にいる息子への愛を祈りに込めた。強い願いは呪いと同じ、故に新たな息子には呪いが掛けられた。愛の呪いだ……」


 時に応じて必要な愛情を得られなければ、新たに生まれた子の命は死へ向かって進むだろう。


「時に応じて?」

ロンバスの問い掛けにライナムルが頷く。


「生まれてすぐは両親や世話をする者から向けられる愛情。成長に伴い、それに加えて慈しむ対象が必要となる。僕自身が愛情を注ぐことも大事。愛し愛される、それが母上の祈り」


 判るような、判らないような……ロンバスとライナムルの話を聞きながら、紐を解いていくリーシャだ。


「で、ライナムルさま、化石とは?」

「声は言ったそうだ。母上は夫婦の愛と息子への愛を口にした。新たに生まれる息子が両親の許しを得ずに誰かと愛を確かめ合うようなことがあれば、相手を化石にしてしまうだろう」


「えっ?」

慌てたのはリーシャだ。

「それって、わたしが化石になってしまうってこと?」


「うん、そうして愛を失った僕は急激に老衰し死を迎える。母上は泣きながらそのことを教えてくれた。でもリーシャ、心配しないで。婚約が正式なものになれば何の問題もなくなる。それまで、そんなことにはならないから」


それにロンバスが釘をさす。

「それならいいのですが――毎夜同じ寝床で眠っていて、大丈夫なのでしょうか?」

あとのほうが聞き取れないほど小さな声だ。


「ロンバス、なんて言った?」

 ライナムルが聞き直したけれど、ロンバスは答えなかった。

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