9  磨けば潰れる!

 ライナムルから視線を外せないリーシャ、心臓がバクバク音を立てる。相変わらず綺麗な瞳がわたしを見詰めている。ほっぺたが、かぁっと熱くなる――


 と、ライナムルの視線がふと動き、やや下に向かった。

「リーシャ、イチゴの粒々が口元についてるよ――やっぱり粒々は曲者くせものだね」

「え、え、えっ?」


「ちゃんと拭いて。誰かに見られたら笑われるからね。ライナムルの婚約者はだらしない、なんて風評はごめんだよ」

慌ててナフキンで口元を拭っているうちにライナムルは食べ残したサラダの皿を持って窓辺に行ってしまう。ひと吹き、風が入り込んできたのはライナムルが窓を開けたからだ。


(残したサラダを小鳥にあげるのね)

 鳥なら食べるところを見てみたいわ、と慌てて食事を終えて立ち上がると、ライナムルが戻ってきた。


「なんだ、残念。小鳥たちを見たかったのに」

「なら、パンの残りもあげるから、一緒に来るといいよ」

皿に残っていたパンを一つリーシャに渡し、残りは自分が持って窓に向かうライナムル、慌ててリーシャが後を追う。


 窓の外は広々したテラスになっていた。石造りの囲いの上に置かれたサラダの皿には色とりどりの小鳥たちが集まっていて、楽しそうに野菜をついばみ、うるさいほどにさえずっている。


「わぁ! きれいな小鳥たち」

「オッキュイネのこと怖がってたから、小鳥も怖いのか思ってたけど、結構好きそうだね」

「小鳥は可愛らしいもの」

「うん、オッキュイネ、可愛いよね」

違うんだけど、ま、いっか、あえて訂正しないリーシャだ。ライナムルに絡んでも面倒なだけだ。


「パンは千切ってテラスにくと、足元に小鳥が寄ってくるよ」

 言われたとおりにすると、皿から数羽、それにどこから見ていたのか、次々と小鳥が飛んでくる。見渡すと、テラスの周囲に木立がない。木立どころか何もない。


「この子たち、どこから来たの?」

「うん? きっと屋根の上――リーシャ!」


 テラスの外はどうなっているのだろう? つい覗いてしまったリーシャ、囲いの外は、ずーーーーと下に森。そう、ずーーーーっと下、高い、高過ぎる――


 寝返りを打つとすぐそこにいた誰かにぶつかった。またスゥイテクが潜り込んできたのかしら? まだ四歳じゃ一人寝は寂しいかもね。そんなことを考えながらリーシャがうっすら目を開ける。

「うん?」


 目の前に見える顔はスゥイテクじゃない。では、誰? 波打つ黄金の髪、整った顔立ち、そしていい匂い――


「ライナムル!」

リーシャの叫び声、気が付いたライナムルが、眠そうに目を擦る。

「なんで? なんで?」

なんで一緒に寝ているの? そう言いたいが声が震えて出てこない。


「やぁ、リーシャ、気が付いたね――なんで、って、キミ、また倒れたんだよ。高いところが苦手なの?」


のそのそとベッドから出て行くライナムル、いつの間にか僕も寝ちゃった、と少しだけ恥ずかしそうな顔をする。

「いや、そういう問題じゃ」


「それじゃ、やっぱり貧血なのかな?」

一緒のベッドに寝ていたことを抗議したいリーシャにライナムルは気が付かない。それじゃあ意識したわたしだけが馬鹿みたい、とリーシャも声を引っ込める。きっとコイツ、言っても多分


「この城はね、高い崖の端っこに立てられているんだ。ん-、崖っぷち?」

グラスに水を注ぎながらライナムルが言う。崖っぷちなのはお城だけよね? なんとなくリーシャが不安になる。


「で、下は深い森。リーシャの代わりに落っこちたお皿はたぶん粉々……わざわざ拾いにも、見にも行かないけどね」

笑いながら粉々だなんて言わないでよ、そう思いながら差し出されたグラスを受け取るリーシャだ。


「我がザルダナ王国の南側は深い森と高い断崖に守られている。リーシャが見て目を回したのはその断崖と森だよ」

「森――向こうに、どこまでも続いているように見えたわ」

飲み干したグラスをライナムルに返してリーシャが言う。


「そうだね、ここからだとそう見える――王都の北東から回り込むと森に出られる。昔から何度も探索の部隊を出したけれど、森の外れに辿り着けた者はいないんだ」

「森の外れ?」


「そう、森の向こうに何があるのか、敵がいるのかいないのか? 歴代の王はそれを知りたがった。でも、いまだに判らない。とりあえず誰も攻めてこないから、ま、いっかなー、って放置してる」


 本当なのか冗談なのか、国防がそんなにいい加減? いやいや、ライナムルの言うことを真に受けるのも馬鹿馬鹿しい。冗談か、勝手にライナムルがそう思っているだけよ。あー、でもあの国王に王妃さまなら、本当にそうなのかもしれない?


 真面目に考えるのもムダと、さっさと切り替えるリーシャだ。

「へぇ……森にはどんな生き物が? 人間はいないって事よね?」

「いろいろ。普通の森と同じような生き物のほかに、魔物もたくさんいるんだって」


「魔物?」

また出たよ、わけの判らないお話が――でも顔色には出さずに済んだ。そろそろ慣れたのかもしれない。声を震わせずにいられた。


「怖がらなくってもいいよ。魔物が城を襲ってきたことはないから。それにかなり奥の方にしかいないみたいだし――探索隊が魔物に遭遇して、やっとのことで逃げ帰るなんて事もあったらしいよ」


「お城を襲ってこないって、魔物は飛べない、って事かしら?」

「うん? そうだね……そうなのかもね」

考え込むようなライナムルだったが、急にリーシャに向き直る。


「そうそう、もう少ししたらキミの先生が来るよ。行儀作法を教えてくれる――早く起きて髪を直さなくちゃね」

ウルマが教えてくれるんじゃなかったの? 聞きたいリーシャはやっぱり何も言えない。一緒にいたい、本音が飛び出してしまいそうだ。それに、一緒にいたいのはウルマ? それともライナムル?


 髪を直してくれたのも小間使いだった。ライナムルは小間使いが来ると入れ替わりにリーシャの部屋を出て行った。


 髪を結って貰いながら、小間使いに訊いてみる。ライナムルってどんな人?


「お優しいかたですよ」

「それだけ?」

「わたしどもはご用を言いつかる時くらいしか、お顔を見ることもありませんから」

そうか、知らないってことね――


 用を終え、小間使いが退出する。開けられたドアの向こうから『オホホ』笑いが聞こえた。王妃さまがいらしたのかしら? とリーシャが思っていると、ドアが閉められることもなく、入ってきたのはライナムルと見たことのない女の人だった。


 王妃さまより少し年配、もちろん貴族だろう。身分の高い女の人は、みんな『オホホ』笑いなのかしら? わたしも笑うときは『オホホ』にしないといけないかも? なんだかヤだわ、できそうにない。考えただけで、ずっしりとした疲れを感じる。


「リーシャ、ジュジャイ伯爵夫人だよ。リーシャに色々教えてくれる……伯爵夫人、この娘がリーシャ。お願いしますね」

優雅な笑みを残して部屋を出て行くライナムル、ジュジャイ伯爵夫人と二人きりにされたリーシャ、心細さに眩暈がしそうだ。


「ふぅーーーん」

 そんなリーシャをじろじろと見るジュジャイ伯爵夫人、

「そこに立って、そう、そこです」

甲高い、どこか冷たい声、ツンとした言い方……


「フン、あなた、年齢は?」

「じゅ、十四です」


どもらなくてよろしい――ライナムルさまと同じ年なのね。誕生月は?」

「三月です」

吃らないよう、声が震えないよう、頑張るリーシャだ。


「ライナムルさまは大晦日のお生まれ――たった三ヶ月ほどの違い。ま、いいわ」

何がいいんだろう? 訊きたいが怖くて訊けない。

「フン、十四なら背は高からず低からず……ライナムルさまが無駄に高いから、もう少し高くなっても問題なし、っと。低くはならないでね」


 そうか、わたし、品定めされてるんだ、心の中で納得するリーシャだ。

「でも痩せ過ぎ。食生活に問題があったのかしらね。修道女だってこんなに痩せていないわ――フン、きっと原因は好き嫌いね」

好き嫌いなんかないんだけど? でもなんだか言い出せない。


「ライナムルさまに虫が付いた……下々しもじもの娘だって言うから、どんなだろうと思ったけれど、見た目は悪くない。下品さも感じない。磨けば青虫は潰れるけれど、この娘は蝶のように華やかになる、かもしれない――フン、面白くもない」


 この人、わたしが嫌いなんだわ。どうしよう、意地悪されそう――泣き出したくなるリーシャ、でも今、泣いても誰も同情してくれない、泣くのをやめる。


「まぁ、いいわ、お座りなさい」

そう言うとジュジャイ伯爵夫人は椅子に腰かける。慌ててリーシャも椅子に座った。


「わたくしはジュジャイ伯爵夫人、名はマーリン、マーリンとお呼びなさい」

「はい、マーリンさま」


「あなた、少し痩せ過ぎ、もう少し太らなくてはなりません――そのままでは健やかなお子を産めなくってよ」

「えっ?」

「フン、顔を赤くすることはありません。血行の無駄遣いです」

「いや、って、なにそれ――」

「口答え禁止」

「はぁ……」


「ま、見た目は合格です。どれくらい娘か楽しみにしていたのに残念です。みっともなければ、『あの娘はおよしなさい』とライナムルさまに申し上げようと思っていたのだけど、フン!」


見た目が良ければそれでいいのですか? 口まで出かかった言葉をリーシャが飲み込む。


 それを察したのかマーリンが微笑む。

「見た目が良ければ、貴族の娘と偽ったって誰も疑わないという事よ――ま、中身も伴わなければいずれ化けの皮が剥がされる。そうならないように鍛えるわよ。覚悟することね!」


マーリンのオホホ笑いが部屋に響く中、眩暈を必死に堪えるリーシャだった。

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