第5話

 エピローグ 妖(まが)霊(つみ)の星


「この不始末! どう責任を取るつもりか!」

 大声を出すのは、いつもの関東副支部部長だ。

 彼が関東支部長の腰ぎんちゃくであるのは、有名な話だ。体を震わせるように声を張り上げるが、声が甲高いためにイマイチ迫力が伴っていない。

「何が、『妖霊まがつみの星』だ! お前の星占いのおかげで、我が宗門は対外的にトンデモない大恥をかいてしまったではないか! あのように大騒ぎをして、何も起こらないとは! 大山鳴動して鼠一匹というが、これでは鼠一匹すらおらんではないか! 協力を要請してしまった政府や他の集団に、どう顔向けができるというのだ!」

 関東支部長は、彼の横で腕組みをして黙っている。厳めしい顔を作っているが、口元が笑っているのを完全に隠せていない。

 彼らは伝統派を名乗っているが、それは自分自身では現代的な価値を何も生み出せないと自己紹介しているのも同じではないか。おっと、それは拙僧も同じか。

「まったく、かつては『千の間諜スパイに勝る』とまで言われた男が、聞いてあきれるわ! かくなる上は……」

 バンと、畳に拳を打ち付ける。

 それを合図にしたようなタイミングで、下座の襖が開いた。

「お集りの皆様、法印ほういん様がおみえになりました」

 女性の声に、部屋に集まった一同が一斉に首を垂れる。公式の席で、法印登壇の際に面を上げることは許されていない。

 カラリと乾いた音を立てて、上段の間に続く襖が開く。それ続いて、しずしずと進む足音が聞こえてきた。布の擦れる音がして、法印が着座した。

「皆様、どうぞおもてをお上げください」

 その声に、部屋に集まった皆が顔を上げる。

「この度は、まことにお疲れさまでした。皆様のご尽力のおかげで大いなる災いを未然に防げたこと、私も法印としてまことに嬉しく思います」

 その言葉を受けて、部屋に集まった皆が再び頭を深く垂れる。

 その後、お互いにタイミングをはかりながら、参加者一同が顔をあげて座りなおした。

「法印様の御配慮、我ら一同、まことに痛み入ります。ところで、このような騒動を引き起こした痴(し)れ者に対する問責は、如何にしましょうや?」

 最初に発言したのは、関東副支部長だ。

「はて? 問責とは?」

 法印が首をかしげる。

「恐れながら、申し上げます。大きな変化の兆しがある、などと大げさな奏上をし、我が宗門を大いに混乱させました。いくつもの他の組織に、備えへの協力を要請もしました。しかし、何事も起こらなかったではございませぬか! この愚か者に何らかの処分をしなければ、巻き込んだ他の組織にも顔向けができないのではないでしょうか?」

 関東福祉部長が、声を荒げる。

 しかし、法印はすずしい顔だ。

「先ほども申し上げた通り、皆様の迅速な対応のおかげで、大いなる災いが未然に防がれたものと考えています。皆様の迅速な対処に感謝こそすれ、責任を問われるべき者はおりません」

「しかしながら! 各方面にこれだけの動員をかけたにも拘らず何もなかったでは、当方の面目が立ちません!」

「『星よみの翁スターゲイザー』の奏上の件なら、彼は自身の職務に忠実に報告しただけです。星の運行を見て、災禍の予兆を見抜く。今までに彼がどれほど偉大な貢献をしてきたか、知らぬものはないでしょう? 今回の報告にあった『妖霊まがつみの星』は、この世を乱す大いなる動乱の予兆! 歴史上、この星が現れる度に、大きな災禍が引き起こされています。かつては軍の至宝とまで呼ばれた彼ほどの術者が、その予兆を読み違えるものでしょうか? 私には、とても思えません! そのうえで何も起こらなかったのならば、予期された災いを未然に防いだということでしょう。功績こそあれ、処罰などは考えておりません」

「しかし!」

「この度に力をお借りした各方面には、私の方から丁重にお礼を申し上げておきます。それに、私はこのような昔話を聞いたことがあります。かつて、大陸で多くの予言者たちが世界の終末の日を予言したことがあったそうです。貴族や富裕者、それに多くの庶民に至るまでもが、財産を処分して予言された運命の日に備えました。しかし、その日には何も起こらず、終末の日を訴えた予言者たちは責任を問われて処刑されたそうです」

 皆、黙って法印の話を聞く。

「実は、その日、草原で一人の男の子が生まれました。彼は成長して、チンギスハーンと呼ばれる偉大な覇者となりました。そして、予言通りに大陸に破壊と創造をもたらしました」

 法印は一息つき、言葉を続ける。

「いかがですか? 憂慮すべき故事だと思いませんか? もしかしたら、変化の兆候は既に表れているのかもしれません。皆様の一層の奮起を期待しております。……それに、実は、思わしくない報告も上がってきているのです」

 法印の声にあわせて、全員の手元に資料が配られる。

「先ほど、国立の天体観測所から報告がありました。未確認の彗星が観測されたそうです。私がこの宗門会に遅れたのは、この報告を確認していたからなのです。時期など詳しいことはまだ分かりませんが、地球に向かうコースであることは間違いないとの話でした」

 謁見の間が、ザワザワとし始める。誰もが顔を見合わすばかりで、発言をためらっていた。

「宜しいでしょうか? 法印様は、新たに観測されたこの彗星が伝説の『妖霊まがつみの星』であると、そう仰られるのですかな?」

 沈黙を破って質問したのは、関東支部長だった。

「いえ、今のところ断言はできません。しかし、新たに発見されたこの惑星には、通常の彗星には見られない特徴がいくつも見られているそうです。これは私見ですが、ただならぬ不吉な気配が感じられます。今後も、注視していく必要があるでしょう。何か分かれば、皆さまにもお知らせします」

 法印の言葉を妨げる者は、いない。

「中国の古典『戦国策』に、『知者は未だきざさざるに見る』と申します。わずかな予兆にも目を光らせ、災いを未然に防ぐのが肝要です。……では、今回の動員に関する細かい報告に関して、各支部より伺いましょう」

 その後は業務的な話が続き、会は解散となった。


「スターゲイザー、もう宗会は終わりましたよ。面を上げてください」

「この度の事、まことに申し訳ございませんでした」

「はて、貴方が謝るべきことは何もありませんよ。……ところで、そろそろ口調を戻しても良いかな?」

 そう言って、法印は大きく伸びをした。

「堅苦しい宗門会ってのは、どうも苦手だね。各支部長同士の腹の探り合い、足の引っ張り合い、ここじゃなく他所で勝手にやってほしいもんだよ。関東支部の連中に突っつかれて、スターゲイザーも大変だったんじゃないかな」

「お気遣い、有難うございます」

「それと、にもよく伝えておいてくれるかな? 急に北海道なんかに行かせることになって、おまけに北海道全体の監視のまとめ役なんかも任せてしまった。いくら彼でも、いろいろ大変だっただろうから」

「重ね重ねのお心遣い、感謝の念に堪えません」

「だから、もう宗門会は終わったって! 堅苦しい物言い、そろそろ止めてもらえるかな?」

 改めて見ると、目の前の頼りない感じの若者が先ほどまで前に座っていた威厳に満ちた法印と同一人物とは、にわかに信じがたい。

 しかし、彼を知る者として、拙僧にもよく分かっている。目の前にいるこの若者が秘めた力は、国家の命運すら左右するほどの恐るべきものであると。

「スターゲイザーも、本山に詰めっぱなしで疲れただろう? あとは残務処理だけだから、自分の寺に帰ってゆっくり休んでくれ。また何か気が付いたことがあったら、今まで通り遠慮なく言って欲しい。あ、そうそう。先の昔話じゃないけど、この日に生まれた新生児なんかにも、気を付けておいた方が良いかもしれないね。もしかしたら、伝説の『転輪聖王てんりんじょうおう』なんかが生まれているかもしれないから」


 転輪聖王てんりんじょうおうは、インドの伝説に登場する偉大な帝王のことだ。この世からすべての善が失われた暗黒の時代に生まれ、新たなる繁栄の時代を築くとされている。

「それは、法印様の『弑神者かみごろし』としての直観でしょうか?」

「そう、かもしれないね。なんと言うか、大きなことが起こりそうな予感と言うか、胸騒ぎがするんだ」

 そう言って、法印は悪戯っぽく笑う。

「大きな騒乱の予兆は、意外と身近なところで起こっているのかもしれないね」

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