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 街の外壁を出て、山道を三人で上る。いつもと違い、荷車の後ろをロンが軽く押してくれたから坂道を上るのは随分と楽だ。


「そういえばイギー、ロン。その謎の緑色の光なんだけどさ、わたしもどこかで見たような気がするの」

「本当?」

「うん。ただ、どこで見たか思い出せないのよね。屋敷の中じゃなかったと思うんだけど」


 そもそも緑色に光るものというものの存在を、イギーは知らない。アダ爺さんは炎の色が金属によって違って見えることを以前教えてくれたことがあって、確か銅を燃やすと青っぽい緑になる。けれどイギーが目にしたものは炎の光とは全く違っていた。あれは猫なんかの目が光るのにそっくりで、おそらくこの辺りの森には棲んでいないと云われているゴブリンとかオークとか、そういった類の化け物なのだ。

 もしそんなものが一つでなく大量に潜んでいたら、逃げることすら難しいんじゃないかと思ったのだけれど、マリアンヌもロンもそういう不安は全く見えない。


「あのさ、ずっと疑問に思ってたんだけど、オレ」

「何かしら?」

「屋敷から出たゴミを毎日イギーが捨てに行ってただろ? それって捨て続けたらゴミの山になるじゃん? いつかその山が屋敷も街も呑み込むくらいでかくなんじゃないかって……不思議に思わなかったか?」


 何を言い出すのかと思ったら、そんな話か。イギーはロンとマリアンヌに説明してやる。


「ゴミを捨てるったって、ただ捨てるだけじゃない。ある程度になったら土を掛けて、そこを新しい大地にするんだよ。基本的に谷とか、どこか大きな穴が空いていたりするところに捨てて、埋め立てるんだ。今の穴も俺が新しく見つけたところで、たぶんこの山にいっぱいあるんだろうよ、そういう場所。少なくとも俺たちが死ぬまでにここが全部埋まるってことはないよ」


 本当にそうだろうか。

 ゴミを捨て始めた頃、ロンと同じような疑問を抱いて、一度アド爺さんに尋ねてみたことがある。するとアド爺さんはこう教えてくれた。


「ゴミという名前で呼んでおるが、大半が残飯か、使えなくなった木材や金属片じゃ。そういうのは土の上に置いておくとな、細かな目に見えない生き物が分解し、別の栄養素とかにしてくれる。どこの博士だったかはそういう精霊がいるんだと熱弁しておったが、蟻よりもっと小さな生物がいるとわしは思っとる。だからその分解する力を大きく超える量のゴミを捨てない限りは、安心していいんじゃよ」


 あの当時はイースタン街もあそこまでの腐臭は漂っていなかった。城や中心街の水路が整備され、多くの下水が東ラント湖に流れ込むようになってから、徐々に変わっていたのだ。あれこそアダ爺さんが言っていた分解する力を大きく超えた状態なのだろうか。

 そろそろだ、と身構えたのだが、一向に臭いがしない。


「どうしたんだ、イギー?」

「いや、いつもならここら辺で既に臭ってくるんだ。でも今日はそれがない。寧ろ山の清々しい空気だ」

「それならいいじゃねえか。臭いよりも美味しい空気を吸いたいもんだ」


 ロンはイギーの言った意味が分からなかったようだが、マリアンヌの方は考え込むようにイギーに視線を向け、黙り込む。

 坂道を上り切ると、すぐに右手側に鋭い傾斜が見えてくるはずだった。

 だがそれがない。

 ない、というか、何もない。消えていた。


「何だよ……」


 イギーよりもロンが先に声を漏らした。

 穴になっていた部分が消失し、どこまでも深い深い谷が生まれ、下の方は靄が渦巻いていた。


「なあ、地震とか地崩れとか、あったっけ?」


 ロンの疑問にイギーもマリアンヌも答えない。イギーはじっと目を凝らし、その白い靄を睨みつける。

 と、一瞬、緑色に光るのを見た気がした。


「見えた?」


 尋ねたのはマリアンヌだ。


「今、光ったよね」

「え? え? どこ?」

「あそこ。白い靄の中」


 イギーはロンが覗き込む隣で、麻袋の中身をその深すぎる谷へとぶちまけた。残飯や人参とジャガイモの皮が落ちていく。それらが小さくなり見えなくなった、と思った刹那、再び緑色の光を見た。


「あ!」


 今度はロンにも見えたらしい。


「あれ、何なんだよ」

「さあ、な」


 イギーは構わず、次々とゴミを捨てていく。その度に靄の中で光る緑色が現れたが、一度に二つ、三つと光ることもあり、ひょっとするとアレが増えているのだろうかとも思えた。


「これじゃあ流石に確かめに行けないわね」

「近くだったら確かめに行くつもりだったのかよ」


 マリアンヌに呆れながら言ったロンだが、イギー同様、襲われるような距離じゃなくて本当に良かったと安堵している表情だ。

 全てのゴミを捨て終えると、イギーは二人に付き合ってもらった感謝を言い、荷車を引き始める。


「何だよ。もう終わりか?」


 強気になったロンはそんなことを言うが、


「無理はしない方がいい。それに、さっさと帰らないと飯抜きになっちまうぞ」

「それは困る」

「だろ?」


 二人は互いに笑みを見せ、歩いていく。

 だがマリアンヌだけがしばらくその深い谷の底に視線を投げたまま、動こうとしなかった。

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