序章2 孤児と貴族

「じゃあ娘のこと、あなたが守ってね。セカイなら安心だから」


 セカイの伴侶だったゼラ・アンリエットはそう言って家を出た。


 嫌われたのだろうか、ゼラは魔獣の気配を察して世界の外に1人冒険に行ってしまった。


 たった2人の娘を残してゼラは行ってしまったのだ。2人が1歳の時のことだった。


 ただ「娘のことを守ってね」という言葉から愛想を尽かした訳ではないことはなんとなく分かったけど、破天荒という言葉が含む要素を積み木細工のように丁寧に組み上げたような存在であるゼラのことだから、額面通り受け取って良いかはわからない。


「おい、ちょっと! ゼラ!」


 そうやって反論しようとした時にはもう彼女は部屋にはいなかった。豪華絢爛と言わんばかりの内装の部屋から窓を突き破り、飛び出していったのだ。


 ゼラ・アンリエット。何年か前に発生した魔獣災害で著しい活躍をした冒険者のクルーである「アリスホーム」のリーダーで、このアルファラ王国の中枢貴族の跡取りだった。

 そんな相手と天涯孤独だったセカイが結婚した。

 この王国では両親がいる家族というのは当たり前で、セカイのような両親のいない孤児は育ちが悪い、みすぼらしいという扱いを受ける。


 両親は5歳の頃に魔獣に遭遇して死んだ。思い出したくもない光景は詳しくは考えない。


 そんな感じでこのアルファラ王国の中央地区、通称優生地域に住んでいたが天涯孤独になって外側の通称貧困地域に移り孤児院のフェイ院長に育てられた。

 なによりもそんな孤児と中枢貴族の跡取りが結婚するなんて、おとぎ話に出てくるアーカルムの魔人がこの世界に現れるくらいありえない話だった。


「こんなみすぼらしい孤児がここにいるなんて考えられないわ」


 この国では差別はないが区別はある。

 まぁこれも「差別はやめましょう」程度のスローガンのようなものだが、この国では家族がいるかいないかで大きく扱いが変わる。


 この国の貴族には愛情を持って育てられることで人として完成するという風潮があり、片親だったり孤児だった人間と家族に愛をもって育てられた人間は明確な差があるとされている。


 両親のいない人間は人として欠陥してると言う貴族もいるくらいだ。


 まぁそこまでいくと差別だと糾弾されるが、そのくらい孤児というのは貧困地域よりも内側にある優生地域の貴族には嫌われる。


 それはセカイも例外ではなかった。ゼラがいたからこの由緒正しきアンリエット家に迎え入れてもらえたが、ゼラがいないのであれば人として欠陥している孤児だった男など家に置いておくわけがない。


 特にアンリエット家は女性が強い貴族だったから、男のセカイは嫌われた。

 現当主でゼラの母であるカリア・アンリエットはゼラが出ていったことを知り、セカイに告げた


「さて、ゼラがいないならもう文句言う人はいないでしょう。あなたがこのアンリエット家の敷居をまたぐ理由がないので、出ていってくださる?」

「……えっ?」


 正直、理解ができなかった。


 セカイ1人なら不快だから出て行けと言われるのも納得がいくが、今は娘がいる。

 ただ1人部外者である自分がこの家に滞在するのはかなり厳しいものがあるが父としてセカイはカリアからいじめられても耐えながら娘を育てるつもりだったし、ゼラはカリアに口利きをしてるはずだ。


 そういう根回しを忘れるような間抜けな貴族の娘ではない。


「娘はどうする気ですか?」

「もちろんウチで預かるわ」


 カリアは2人の娘をアンリエット家でゼラの妹であるライラの娘として育てると言い出した。


 普段は何を言われてもすいませんと平謝りしていたがそれだけは譲れず、口論になった。「娘を守って」とゼラに言われたのだからセカイが家を出たら守れない。


 アンリエット家は超一級の貴族であることは知っているが、降りかかる火の粉や魔獣から守ることに関しては自分よりも心もとない。


「ゼラから話は聞いてるけど、あの子のいうことをそのまま聞くわけないでしょう、全て聞いてたら死んでるわ」


 カリアはそうやってこちらに指をさしながら、汚いものを見る目でこちらを見ていた。

 セカイよりも長くゼラと一緒にいるカリアの言葉は至極正論に聞こえたけれど、それとこれとは違うと切り分ける。


「で、でも! ゼラが帰ってきたらどうするんですか」


「その時はわたくしが当主の座をゼラに譲って孫のアイラとアリナには謝罪するわ。貴族の謝罪の重さはあなたでも知っているでしょう?」

「そんなんで子供を振り回していいのかよ」


「あなたに育てられるよりマシです。貴族の娘たるもの貴族らしい環境で一流の教育を受けさせるのが筋でしょう? その一流の環境にあなたがいることはふさわしくないのです」


 強く言われた。その後も口論は続き、セカイも折れなかったけれど無意味なやりとりが続いたが一言が決着の引き金となった。


「あなたたちじゃ、娘を守れないだろ……!」

「……っ! それはこの街の治安維持や官憲を管理するアンリエット家に対する侮辱と言ってもいいのかしら? ゼラと同じ冒険者のクルーにいたからといってあまり大きな言葉を使わないことね!」


 カリアが大きな声をあげたところでそれを聞きつけた旦那様が止めに入り、一旦は落ち着いた。


 そして「あなたたちじゃ守れない」という一言に激昂したカリアは片方を預かると言い出したのだ。


 正確には1人だけ連れて行きなさいと許可を出した。彼女はまるでセカイの娘を自分の所有物かのように言い「貧困地域で暮らさせるなんて考えたくもない」とセカイに罵詈雑言を投げつけて育てる条件を提示してきた。


・アイラに姉妹がいると言わないこと

・不可能だと思うがアリナに会わないこと、会おうと思わないこと

・ゼラの旦那であることを口外しないこと

・この3つを守れなかったらアンリエット家と縁を切ること、つまりアイラをアンリエット家に速やかに引き渡すこと


 そういう条件だった。


 その代わりカリアが預かるほうの子供は幸せに立派に育てると誓った。


 こんなのめちゃくちゃだというのはセカイとカリアのお互いが分かっている。ただお互いが折れないために旦那様が本当に苦しい表情でそういう提案をした。

 愛する孫の教育に手を抜かず、貴族として育てるために、孤児という存在からも遠ざけたいカリアの最大限の譲歩だった。

 セカイはこの条件だって当然飲めないし飲み込みたくない、簡単に言えば双子の片方を別の家の子供として扱うということだから。


 でもセカイにそれを覆すだけの発想も、身寄りも、力も、何もなかった。

 ただ1人しか守れなかった。

 悔しかった。

 セカイは体を強張らせ、太ももを強く殴りつけたあとに、首を縦に振った。



 そうしてセカイは双子の姉であるアイラを引き取り、貧困地域に住んでたころに使っていた家で暮らすことにした。

 別にゼラを恨んではいない。セカイは未だに彼女を愛していて、信用している。

 ゼラがやることはどんな時でも正しく、正確な判断だった。だから今回飛び出したことも必要なことなのだと思っている

 そう思いながらセカイはゼラの帰りを待つ。

 彼女が帰ってきてさえくれれば、妹のアリナともまた家族になれるんだ。


 そう思って生活して4年が経ち、セカイは25歳になり、アイラは5歳になった。

 アリナも5歳になる年だろう。



 ゼラはまだ帰ってこない。彼女は今年で23になる。

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