異世界記者さん、走る ~そして転んで、悩んで、憤慨して得た真実の対価~

藤木 秋水

第1話 沈黙の湖畔

 もう春だというのに、湖畔の村は廃村のように静まりかえっていた。

 木々は葉を落としたまま、新芽を芽吹かす素振りはなく、骨のような枝を晒している。野には気の早い筈の春の草の頭も見えず、春を歌う鳥もいない。

 

 本来なら谷あいに湛えた湖と春の草花で、風光明媚な村なのだろうが、そういう風情は感じられなかった。

 何処からか、かすれた風の音が不快に聞こえてくる。

 曇天から差す陽の光は弱々しかったが、湖面に無闇矢鱈と反射し、その村を歩いている唯一人の細身の人影は、うっとうしそうに目を細めた。

 

 着用している旅用の厚手の衣服と、少しの防御効果がありそうな革のベストは、いかにも女性らしいラインを形作っていた。

 王国人には珍しい青みがかった深い黒髪を、首の後ろで大胆に切り揃え、長スカートと皮ブーツで大股に歩いてる様などは、たいそう活動的だ。

 20年前に魔王に率いられた隣国との戦争が手打ちとなって以来、いわゆるお転婆な女性の活躍の場は少なくなっているので、世間的には珍しいタイプの女性になる。

 

 そんな彼女は何の用があって、この寂れた村に現れたのか。

 彼女の目はよく動く。好奇心と意志の強さを宿した綺麗な目だ。いっそ不気味なくらいの村の中を、先程からしげしげと観察している。

 こうまで堂々としていれば、廃村に物取りに来た賊の類いなどではないだろう。


 と、その目が村の一角で不意に止まった。

 老爺が切り株の上に腰掛けていた。日当たりのよい場所なのだろうが、生気のない皺くちゃの顔と灰色の長衣のせいで、まるで彫像のようにも見えた。


「よし、第一村人発見!」


 彼女は勢い込んで呟くと、腰の雑嚢ポーチから一本の棒を取り出す。ペン程度の――先端をインクに浸す形式――長さのそれは、ニスを縫っただけの木の棒だったが、片方の先に指の爪くらいの水晶が固定されていた。


「我が耳目となり真実を記録せよ」


 彼女がそう唱えて、指先で八面体にカットしてある水晶の側面を指先でなぞるや、淡い輝きを発し始める。それを皮ベストの胸ポケットに差し込んで、老爺に向かって歩いて行った。


「こんにちは、よい天気ですね」


 いいや曇りだろう、とは老爺は突っ込みはしなかった。ただ彼女に目線だけ向けて、興味ないのか、また目線を元の中空に戻してしまった。


「わたし、こういう者なのですが!」


 次に彼女は腰の雑嚢ポーチから手のひらに乗る程度の薄い鉄の箱を取り出すと、その中から紙片を摘んで差し出した。


 この時代、紙はまだまだ高価だ。特に重要な書物に使われるような薄くて丈夫な紙は、錬金術師によって作られる高級品だった。手間暇と金子がたっぷりとかかる。

 と同時に厚紙だのわら半紙だのと言った低品質紙は、混ぜ物があって強度が一定しなかったり、ペン先が引っ掛かったりするものの、まぁ、何とか、都市部では普及している。

 

 彼女が差し出したのも、そういった低品質の板紙であり、紙面には手書きで『王国週報 ”風の声”地方支局 アーヤ・カーソン特派員』とある。

 驚くべきことにそれは名刺であり、その内容から、どうも情報発信機関であると推察できる。してみると最初に彼女――アーヤが起動させたステッキは、音声レコーダーではないだろうか。

 

 つまり我々の言葉にまとめれば、こうである。

 アーヤ・カーソンは幻想世界の新聞記者である、と。

 

 と言ってもアーヤの素性が知れたタイミングで、主題歌が流れてタイトルが大写しになる、という状況でもない。ファンタジーでも現実は非情だ。

 特に”風の声”とやらは、この湖畔の村にまでは届いていない。老爺にとってアーヤは威勢の良いお嬢ちゃんに過ぎなかった。現に名刺は受け取られる事なく、ただ、目だけはその文言を読み取っていたようで、


「お嬢ちゃん、悪いことは言わない、はやく立ち去りなさい。この村は呪われた……」


「!……その話、詳しく聞かせてください。”風の声”は王都や光明神の大神殿にも発信されています。事態が伝われば、救助が来るのも早くなりますよ」


 アーヤは国や大組織の救助と、ハッキリと言った。

 既に事前に冒険者ギルドで噂されていた話で、何か変事が起こっている可能性が高かった。何らかのリアクションが必要になる、という認識をギルドは持っているはずだ。

 老爺は腕を挙げ、震える指で村はずれの教会施設を指さす。


「……神殿に、すべての呪われた者が集められている。神官様が一人で面倒を見てくださっておって……だが、呪われた者が吐く息を吸うてはいかん。呪いまで吸い込んでしまうでな」


 アーヤは老爺に礼を言うと、雑嚢ポーチの中の手拭いの場所を確かめる。すぐに口元を塞げれば良いと考えていたが、それはすぐに誤りだと気付かされる事になる。

 神官が対応しているのなら、既に大神殿にも報告が上がっているかも知れない。この村での異変は、既に特ダネ性が薄れているやも。いや、それでも現地での取材は必要だろう。


 それに村外れの神殿――田舎じみた木造平屋の礼拝堂――の屋根の上に掲げられた聖印は、太陽を基調にした光明神の神殿を表しており、ここは庶民救済を掲げる地母神ほど医療団の派遣には積極的でない。

 もしかしたら、それで初動に遅れが出ている可能性だってある。

 だから自分の取材は無駄じゃない。

 

 この時はまだアーヤは意気軒高だった。報道の義務と社会貢献。彼女は淑女らしからぬ強い足取りで、光明神神殿の礼拝所へ向かう。

 が、白色で塗られた建屋に近づくにつれ、彼女の足取りは重くなっていった。

 

 町外れの空き地とはいえ、神殿であるならば春に花を咲かせるような木々も植えられようものだが、ここも村の周りと同じく、寒々しい裸の木々しか立っていない。

 礼拝所も掃除をしてくれる信徒がいないのか、風雨と共に屋根からすすが滴り落ち、白壁は灰色の汚れが目立っていた。

 そしていかにも荒涼とした風景に、何処からともなく聞こえてくる、かすれたような風音。


「……まるで墓地」


 誰にとでもなくアーヤは呟く。

 とは言え法と契約、ひいては秩序と正義を司る光明神は、その名の通り光の諸神の筆頭であり、その神殿の前庭で対立する闇の諸神の仕業である死霊・悪霊が跳梁跋扈……というのは通らない話だろう。

 

 通らない筈だ。

 アーヤはもう一度自身に言い聞かせると、礼拝所の木扉をたたいた。

 ややあって扉の向こうで人の気配がして、わずかな隙間ていど、扉が開いた。


「どなた――」扉の向こうから様子を窺うつもりだったその人影は、定型句の挨拶を急遽止めて、語気を強めて言う。

「何をしていなさるッ!早く鼻と口を塞ぎなさい!!」


 そういえば老爺からも注意されていた。アーヤはすぐに手拭いを取り出して口元に充てた、のだが、


「そうじゃない!こうだ!こう!!」


 扉の隙間を体でこじ開け、白い長衣――神官服に身を包んだ覆面男が現れた。そう、鼻と口を覆って後ろで縛るのだから、もう覆面だ。

 アーヤは剣幕に押されて自分も覆面スタイルになった。


「はっ、はいぃぃっ?!」


「何たる不用心か……それで、こんな辺鄙な山里の神殿に、何の御用で?」 


 神官はいささか、ぞんざいに問うた。顔の下半分が隠れているので表情は読めないが、覆面から出ている目の下には、深い疲労の隈が見て取れた。

 アーヤはここでも名刺を出し、深々とお辞儀をする。


「わたし、王国週報 ”風の声”地方支局のアーヤ・カーソンと言います。この村で起こっている事を、王国民の皆さんに知って貰うために来ました。その……呪い、とか……?」


 最後のは不確定すぎのるで、尻すぼみになる。

 アーヤを湖畔の村へ取材に来させた直接の情報源は、冒険者ギルドで仕入れた噂だった。

 連絡が取れなくなっている山間の村がある。


 事故、流行り病、闇の諸神の眷属モンスターの襲撃。理由は色々と考えられたが、結局は誰かが見に行く必要がある。が、冒険者ギルドが正式に依頼を出すなら、ギルドの自腹という事になるだろう。その点、新聞記者なら痛む腹は無い。前提の情報を与えれば、自分で取材に行ってくれる。


 そんな風に、何処かでエライ人が得意気に言ってるのかも知れない。


 が、当事者たちはそういう天上の判断など知った事ではない。

 現に神官は目を見開き、その事態が未だ特ダネである事をアーヤに示した。


「おお、”風の声”!知っていますよ。街の高札場で流れる、声と絵だ!それなら頭でっかちの大神殿にも、本当のところが伝わるに違いない!」


 興奮気味の神官は礼拝所の扉に手をかける。


「伝えてくだされ!この有様をっ!」


 そして扉があけ放たれた。

 

 老若男女。村のあらゆる類の人々が、一つ所に並べて寝かされていた。

 礼拝所の長イスは取り払われ、床にシーツが等間隔で敷いてある。その上に『呪われた』という人々が、狭い空隙を埋めるように効率的に寝かされていた。

 

 人々は背を丸め、あるいは上を向いて、皆が皆、ぐったりと憔悴しきっている。ときおり咳き込む人がいた。それが耳につく乾いた咳で、長く続くが、やがて疲れてぜいぜいという弱り切った雑音になる。

 

 唐突にアーヤは理解し、腰が砕けそうになるのを耐えるほどの衝撃を受けた。

 咳はまだ体力があるから出るのだ。それが続くと消耗し、やがてぐったりと、かすれた呼気を吐くだけになる。それはこの村に入った時から、微かに聞こえていた。あの不快な風音は、消耗しきった人々が吐く息だったのだ。


「……!?」


 あまりに悲惨な情景にアーヤの目尻に涙が溜まる。

 呪いなのか、流行り病なのか。どうあれ、この情報は持ち帰らねばならない。彼女は何とか衝撃による忘却という逃亡を選ばず、自分の中にあった職業意識を保った。動揺する手で雑嚢ポーチ

「我が目となり、ありのままを、残せ……」


 起動のワードはレコーダーと違った。地方特派員が持ち歩ける程度の低品質な記録器だが、目の前の光景を一枚だけ、画像として記録できた。つまり、カメラだ。

 それでアーヤはこの野戦病院じみた光景を写し取った。


 そこから何処をどうしたものか、神殿を辞して、彼女は湖畔に立ち尽くしていた。


 神官から事の顛末を記録した走り書きを預かっていた。同じものを大神殿にも送っていたが音沙汰がない、と憤慨していたのも覚えている。

 が、何しろ若い娘には衝撃が大きすぎた。十八歳と言えば一人前扱いされるし、実家の田舎だったらとうに所帯を持ち、子供を育てている者もいる。

 しかし、それとこれとは別だろう。いきなり、あのように無辜の人々を、無作為に襲う惨状を直視させられては堪らない。

 

 思い出したように覆面を外して衝撃にしばし自失し、湖面に鈍い陽光が照り返すのを眺めていた。と、喉の渇きを思い出した。そういや村に入ってから水を口にしていない。

 

 見れば目の前に美しい湖がある。澄んだ水を湛えていた。ずっと先の、深いところまでうっすら透けている。

 これなら問題なく飲めそうだ。ひざまずいて水に手を差し込もうとした、その時、ふとその手が止まった。静かすぎる湖畔に違和感を憶えた。

 

 アーヤはこの湖畔の山村とは趣が違うが、やはり山里の出だった。森は深く、峻険な山々が頭上にそびえており、そこから覗く空は狭い。ここのように開放的で、空が近いという印象とは真逆だ。

 それでも山の幸は豊富なのは良いところで、川に行けば水面を魚が跳ね、蛙が飛び込み、小鳥が水を飲みに降りてきて、なにかと騒がしい。

 あれと比べると、ここはどうだ。此処に着いたときから、まるで時の流れが止まっているかのように静かだ。

 

 気味の悪さが再来したアーヤは弾かれたように立ち上がると、急ぎ足で下山を始めた。

 干した果実を噛み噛み、喉の渇きを我慢しながら考えた記事は、程なく王国中に伝わり、大きく耳目を集める事になった。


 特に無我夢中で記録した礼拝所での一枚の画像。


 野戦病院と見まがう神殿の惨禍は、見る人に大きな衝撃を与え、地母神の医療団を動かした――その点ではあの神官が腐していたように、光明神の大神殿では、まだ些末事ととして扱われていた。


 アーヤ・カーソンは幻想世界のルポライターとして実績を積み、ついでに光明神の神殿からは覚えが悪くなった。

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