第5話 空白補完効果と生足の関係 3/4

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 トイレから出てきた霧ヶ峰さんは、どことなく落ち込んでいた。

 あまり格好良くない姿を見せてしまったのを悔やんでいるようだ。気にしなくていいのに。


「あの、ありがとうございました」

「いえいえ」

「それじゃあ、失礼します」

「どうするんですか?」

「とりあえず、アパートの入り口のあたりで知り合いを待とうと思います」

「そうですか。ちなみに、その人は後どれくらいで来てくれるんですか?」

「うーん、二時間くらい、ですかね」


 随分とかかるな。

 このままだと、霧ヶ峰さんは二時間ほどアパートの入り口に濡れたまま立ち尽くすことになる。

 5月になったとはいえ、今日は天気が悪く気温も低い。

 下手をすれば風邪をひいてしまうことになるだろう。


 それに、人の目もある。

 雨に濡れたまま立ち尽くす少女。

 このままでは、霧ヶ峰さんが住人たちから、不審な目で見られることになってしまう。


 お隣さんとして、放置することはできない。


「よければ、二時間くらいならここにいます?」

「え、いやー」


 霧ヶ峰さんは迷っているようだった。

 他人の世話になるくらいなら、一人で耐えていたほうが楽という人は一定数いる。

 どちらかといえば、ぼくもそちらに含まれると思う。

 居心地が悪いという点が共通するのであれば、他人に迷惑をかけないほうを選ぶ。


 だけど、外は雨風が激しい。

 こんな中で部屋の前で立ち尽くしていたら、住人に不審がられるはずだ。

 霧ヶ峰さんも、彼らから一々話しかけられるのは避けたいだろう。


 だから――。


「ぜひ寄って行ってください。この状態の霧ヶ峰さんを放っておくことは出来ません」

「でも、ト、トイレに行きたい私を足止めすることは出来ましたよね?」


 成程、なかなか鋭い指摘だ。

 痛いところを突かれてしまった。

 だけど――。


「あれは仕方のないことです。誤解を解く必要性がありました」

「急がなくてもいいんじゃないですか!?」

「霧ヶ峰さんに誤解されている時間は短いほうがいいですし」

「そのおかげで、別の疑惑が生まれましたよ!」

「別の疑惑? 具体的にはどんなものですか?」

「いえ、その……。何でもありません……」


 霧ヶ峰さんは急にトーンダウンした。

 一体、ぼくはどんな誤解を受けたのだろうか。


「それで、これからどうしますか? 外は暴風雨が続いていますけど」

「それは、あの……。それじゃあ、お願いできますか?」

「はい、どうぞ」


 ぼくはコートをハンガーにかけると、浴室に持っていった。

 浴室の換気扇を回し、さらに隣の脱衣所から扇風機で風を送る。

 どの程度乾燥するかは分からないが、何もしないよりはましだろう。


 さて――。

 問題はここからである。

 招き入れてしまった女性を、どうもてなせばいいのか。


 そもそも、この家に人を呼んだこと自体が初めてだ。

 小学生の頃は仲間内でもっともゲームの上手い子の家にいつも集まっていた。

 中学生になってからはそこまで親密な付き合い自体がなかった。


 しかも、異性である。

 さらにいうなれば、美女である。


 とりあえず、リビングのソファーに座ってもらった。

 その正面にテレビがあるから、適当な番組でも見てもらうことにしよう。

 うちは映像配信サービスを契約しているから、そちらを見せてもいいだろう。


 そう考えていたのだが、霧ヶ峰さんの視線は、テレビの横に向けられていた。

 そこにあったのはゲーム機。携帯状態でもテレビ接続状態でも使える最新の機種だ。


「霧ヶ峰さん、ゲームをやる人ですか?」

「ええ、まぁ。嗜む程度に」


 お嬢様っぽい返事だった。

 どうも、ある程度はできるらしい。


「それじゃあ、勝負してみませんか?」

「はい」

「ゲームの種類とかはなんにします?」

「白雪さんのお好きなもので結構です」


 ぼくは、画面の中から一つのゲームを選んだ。

 画面の外に吹っ飛ばすタイプの格闘ゲームだ。


 霧ヶ峰さんは、攻撃力が低めだけど素早く動けるネズミのキャラクターを選んだ。

 対するぼくが選んだキャラクターは、超能力少年だ。

 霧ヶ峰さんは初心者だろうから、かなり手加減しないと一方的な展開になってしまうだろう。


 そう考えていた。


 だが、対戦が始まってからしばらくして、その必要がないことに気付かされた。

 ぼくも手加減をしてはいるのだが、常に霧ヶ峰さん有利にゲームが進むのだ。

 少しずつ本気を出してみたものの、逆転できる気配はない。

 そして、ぼくのキャラクターが一度画面の外に吹っ飛ばされた時、ようやく真実に気付いた。


「霧ヶ峰さん、?」


 この返し、漫画やゲームへの造詣の深さが伺える!


 横目でちらりと様子をうかがう。霧ヶ峰さんの細い指は高速で動きながらも、精緻にコントローラーをさばいていた。その柔らかいまなざしは、今まっすぐ画面だけに向けられている。


 ぼくが操るキャラクターは、一方的に蹂躙され、次々と画面の外へと吹っ飛ばされていく。

 ここまで一方的な展開は初めてだ。

 動画サイトなどで極端にうまい人が存在することは知っていたけど、現実にもいるものらしい。


「偶然勝てましたぁ。それじゃあ、白雪さん、もう一戦行きましょうか」

「は、はい……」


 もしかしたら、怒らせてしまったのかもしれない。

 いや、こちらは一応トイレを貸した立場であり、今も家に避難をさせている立場だ。

 怒っているなんてことは――うん、十分に在り得るな。

 冷静に考えて、トイレを我慢している女性をその場で待たせるとか、頭おかしい。


 実際、霧ヶ峰さんはゲームの中でぼくの操るキャラクターを蹂躙しまくっている。

 ゲームが始まると同時に、一方的に攻撃され続け、こちらかの攻撃はほとんどあたらない。

 どれほど勝ちたいと思っても全く勝てないので、そのうちぼくは考えるのをやめていた。


「これで、私の二十三連勝ですね」

「ああ、はい。そうですね」


 あまりに勝てないので、返答もおざなりだ。

 勝てそうだと思えるような場面もあったが、間一髪で負けてしまう。

 もしかしたら、すべて霧ヶ峰さんの掌の上なのかもしれない。


 そう思ったぼくは、ゲームを変えることにした。

 今度は、レースゲームだ。ぼくもそれなりにやりこんだものだから、完敗と言うことはないだろう。


 そう思っていたのだが――。


「負けました。はいはい、負けましたー」


 ぼくは完膚なきまでに敗北していた。

 敗北を繰り返していた。


 もはやゲームに集中することすら面倒になったぼくは、霧ヶ峰さんに話しかける。


「霧ヶ峰さん、もしかして凄いゲーマーなんですか?」

「いいえ、嗜む程度です」


 絶対に、その域は越えてしまっている。

 大幅に飛び越してしまっている。

 だが、そのことについてはそれ以上話さなかった。

 代わりに、日常の何気ない話に移る。


「霧ヶ峰さんは、何をしている人なんですか?」

「高校生一年生です。わけあって、こんな時期ですけど転校することになりました。中央高校というところなんですが」

「それなら、ぼくも同じ高校です」

「あーそうでしたか」


 霧ヶ峰さんはそう言いながら、レースゲームの中でぼくに妨害アイテムを投げつける。

 当然のように直撃した。


 それにしても『わけあって』か。

 その内容を聞いてもいいものなのだろうか。


 いや、止めておこう。

 霧ヶ峰さんは、あえてその内容に触れなかったのだ。

 あまり聞かれたくないものなのかもしれない。

 他人の家の問題に首を突っ込んでも、邪魔になるだけだ。


 霧ヶ峰さんは、だいぶ緊張もほぐれていたようだった。

 最初は背筋を伸ばしていたが、今ではソファーに深く座り、背もたれによりかかっている。

 まるで慣れ親しんだ友達の家にいるかのような態度だ。


 ちなみに、雨で靴下も濡れてしまっていたため、今の霧ヶ峰さんは裸足だ。

 パジャマから飛び出しているのは、


 だからどうということもない。

 だが、まぁ、そういうことなのだ。

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