第7話 「ありえない。」クロスビーの悲劇



「ありえない。」

SUZUKIのつなぎをスパッと着こなしたその整備の方は、クロスビーのエンジンルームを見るなり、ガリレオのようにぼそっとおっしゃいました。

「ここも。ここも。ああここも。それからここも・・・。」「ありえない。」

ワシは絶望的な気持ちでその声を聞いておりました。

「いったいどうなったんですか?いったい。」


 妻のクロスビーを1年点検に持って行って、ついでにオイル類を交換してそれからスタッドレスタイヤを夏用タイヤに組み換えてもらって、帰りにガソリン満タンにして、帰って洗車して掃除機かけて、新しいボディカバーをすっぽりかけてガレージに仕舞ったのは忘れもしない2月の最後の良く晴れた日曜日のことでした。

 妻が病気を患ってクルマに乗れなくなったので、クロスビーを長期に保管することになりました。それから今日までクロスビーは屋根付きのガレージでぬくぬくと暮らしていたはずでした。

 それが今年の2月から3月4月にかけてのことで、ワシは仕事やら妻の病院通いやら、ネコたちの世話やら動物おじさんとの付き合いやらに追われて非常にバタバタした毎日を過ごしておりました。だって急に一人暮らしになって、なんやらかんやら生きていくための諸事に追われてホッとする間もなく毎日が駆け足で過ぎていったのですから。もちろん日々の仕事もあったしね。社保庁のおかげでね。←しつこい

 それから妻が退院したのは嬉しかったのですが、治療のために病院と家を周期的に行ったり来たりする生活が始まって、いろいろなバタバタもあって、ようやく一息付けたのは5月の連休の終盤の頃でした。

 ワシは前から気になっていた車庫に入れっぱなしにしているクルマたちの様子を見て、バッテリーチャージとタイヤの空気圧調整など最低限のメインテナンスをしておこうと思っていました。

 さあやろうと気合を入れて、午前中にZとキューブをやってしまって、ついでに二台とも30分ばかり走らせたのでもういいと思うよ。エンジンもタイヤも特に異常なかったし、あとはクロスビーをやって終わりにしようそうしよう


ワシはクロスビーのカバーを外してそれからボンネットを開けました。車体はもちろんピカピカで車内も乾燥剤のおかげでさわやかさわやか。エンジン始動前にボンネットを開けるのはネコなどの動物が入っていないかを確かめ悲惨な事故を防ぐためのワシの癖みたいなものであります。

 ぱかっとエンジンルームを開けて、ボンネットを支え棒で固定してエンジンを見たら2月にしまったときのまんまのピカピカンのエンジンルームでチリ一つない・・・

と思ったら何やら砂のようなものがいっぱいあってワシは????になりました。

「今年は黄砂とか多かったから吹きこんだんかのう。」

とも思いましたが、それにしてもひどすぎる。ガレージに入れてカバーまでかけてあったのにひどすぎる。ワシは再び「?」になりながら、掃除機を出してとりあえずこのゴミチリを吸ってみました。

 そん時やっと気づいたのですが、これはゴミチリじゃあなくてバラバラになって細かくなった電気関係のコードと言うか部品じゃあないかと。

 それからエンジンルームを点検してみたら、そういう目で見てみたら、さっきはまったく気付かんかったけど、あちこちのコードと言うか配線というかそういうものがあちこちで破壊されていてというか嚙み千切られてちぎられて、こんなん初めて見たんですけど、とにかくそういうことになっていたのでした。

 ワシはとりあえず運転席に移ってエンジンをかけてみました。なしてかというと、動揺していてどうしていいかわからなかったからであります。

そうしたら意外にもあっさりエンジンがかかりました。けど・・・。

 瞬間、あらゆる警告が次から次へと表示されてメーター周りが真っ赤かになったのを初めて見たのですが、とにかくすごい状態になっていました。でもエンジンは驚くほど静かに回っていてそのギャップがすごい!

 とにかくこのまま運転して60km離れたスズキ販売店まで運ぶ自信がなかったので、仕方なく電話をいれました。


 連休中にもかからわず、ワシは急がなくてもいいと言ったのに、ありがたいことに2時間着にはキャリアカーが到着。顔なじみの整備士の方が降りて来て、クロスビーのエンジンルームを見るなり

「ありえない。」

とおっしゃったのでした。(最初の場面な)

それから慎重にエンジンかけて、手際よくキャリアカーにクロスビーを載せると

「あとで連絡します。」

とおっしゃって帰っていきました。


 それからしばらくしてというかだいぶして電話がありました。

いつもは仕事の速いこの方というかこの会社が、連絡までに結構な時間がかかったことを考えると、きっとかなりてこずったに違いないと、ワシは絶望的な気持ちになって電話の内容をきいていました。

要約すると次の通りであります。

① クロスビーには3本のメインの配線つまり大動脈のような配線があり、これをすべて根こそぎ交換する必要があり、部品代だけで10万円オーバーである。

② それでも一度で完治しないと思われるので、症状やエラーや警告が出るたびにその都度対処して直していく事が不可欠であろうということで、かなり時間と費用がかかる。

③ それでも水没車よりはマシですよ。水没車は直していくはなから腐っていきますから。あははは。


と明るく言われますのでワシは

「どうしたらいいんですかねえ。」

と聞いてみました。そしたら

「修理されますか、どうされますか。」

「修理しないということは廃車にするということですか。」

「まあそうですかねえ。」

ワシは目の前が真っ暗になりました。「廃車」って。

妻が気に入って嬉しそうに乗っていて、使い勝手が良くて速くて広くて燃費も良くて、あらゆる便利安全装備もついていて広くて乗りやすくて、とにかく大事に大事に乗って来てワシも大事に大事にしてきて、図体だけのロッキーやライズとは比べ物にならないほどいいクルマなのに「廃車」なんて。



 ワシは藁にも縋る思いで泣きながら保険屋さんに電話をしました。なしてかというと、それ以外の方法というか対処が思い浮かばんかったからです。

こちらに帰ってきてからもう30年もお世話になっている保険屋のおばちゃん。声は小さいけどいつも親切に教えてくれるおばちゃん。うちにある5台のクルマの保険はすべてここで、ワシは毎年ヒーヒー言いながら保険料を振り込んでいる保険屋さんであります。

 自慢じゃアないですけど、ワシははっきり言って一度も保険のお世話になったことはありません。事故なんかしたことがないですから。でも昨年、クロスビーのフロントガラスにひびを見つけて、結局初めて保険を使って修理して、等級が挙がって保険料が高くなったので今年から一般車両だったのに限定車両に切り替えたばかりで、だから今回の件は絶対に無理だど、保険出ないど。ああ、なんであの時数万円をケチって一般車両を継続しておかなかったんか。

ワシはあきらめと絶望と後悔の入り混じった気持ちで電話をして状況を説明しました。そうしたら、意外とあっさり

「確認してみますけど、おそらく大丈夫だと思います。」

といつものか細い声で言われました。ワシはこの時ほどこの蚊の泣くようなか細い声を頼もしく感じたことはありませんでした。

結局修理費用は任意保険で何とかしていただけることが確定し、クロスビーはめでたく修理することになりました。良かった良かった。

それにしても原因は?というか誰がやったかと言うことについては、はっきり言ってまだ不明です。

 ワシはすぐに、車庫に住み着いていた子猫3匹の仕業ではないかと思いました。

3月の初め頃だったと思いますが、いつの間にか子ネコが車庫の中をウロウロするようになり、寒い時期でもあったので、エサを与えて段ボールでベッドを作って車庫に招き入れたのでした。ネコたちは住み着いて、それから元気に日に日に大きくなっていく様子を微笑ましい気持ちで見ていました。

 あいつらなら仕方がないと思いました。だって招き入れたのはワシですから。ワシのせいです。それはそれで仕方がないことじゃのうと思っていましたしもちろん怒る気も追い出す気もこれっぽっちもありませんでした。でも・・・。

 でも明らかにネコの噛み跡でなないそうです。ネコは噛まないそうです。今までのご経験からするとネズミではないかと言われました。

 確かに今までもネコが出入りしていたことはしょっちゅうあったのに、こんなことは一度もなかった。猫でなければネズミ。でも猫がおるおる車庫にネズミが入ってくるだろうか。それともタヌキとかイヌとかキツネとか、それとも未知の生き物とか。

 わかっていることは何者かの噛み後であることとエンジンルームの配線の主に根本の部分が粉々に噛みちぎられていたこと。床に短くなった導線やら配線の一部やらプラスチックの部品屋らが少々落ちていたこと。エンジンルームは噛みカスのようなもので砂をまいたような様子になっていたことだけです。特定不可能。こんなあり得ないことが起こってしまうなんてワシは不思議で不思議で今でも信じられないぐらいです。隣に止めてあったZとキューブ。もちろんエンジンルームを隅々まで点検したのですが何ともなったなかったのです。

 いやまあ、何とも不思議なことでしたが、事実であり事実は小説よりも奇なり」というのは本当だなあと思ったりしていました。

どなたか知っていたら、あるいはお気づきがあったらぜひ教えてくださいませ。


 そしてワシなりの推論ですが・・・。こんなことを言うといい歳こいてアホじゃあないかと言わると思うのですが・・。

ワシには心当たりがもう一つあって・・・。

実はちょうど妻が死にかけた時期なんです。ちょうど2度目の手術が終わって、遠方の大学病院に入院していた時期。病状も経過ももちろん退院さえも何にもわからずに不安で先がまったく見えずに一人で悶々とした毎日を送っていた時期。

ワシはクロスビーが身代わりになって妻を助けてくれたんじゃあないかと、そんなことをふと思いつきました。

こんなことってあるんでしょうか。

「ありえない。」

ですよねえ。


追記 

妻は手術と抗がん剤治療を終えて、何とか落ち着いて、おかげさまでまあ普通の生活を送れるようになりました。家に戻って無理のないように気を付けながら生活をしています。

クロスビーは・・・。とりあえず修理に入って2カ月ぐらいたちますが、まだまだ戻れそうもありません。

でも「ありがとう。クロスビー。」とワシは思っています。




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