第19話 孤独

 戦いの音がまだ聴こえる。

 私がこうして姫の手を握っている間にも、多くの人が傷付いているのだろう。どうか無事でいてほしいと湧き上がる不安に蓋をした。


 リーリン様の両手は震えが収まらず、顔を上げる余裕も無いようだ。ここは安全だから、今の内に気を休ませてほしいのだけれど。

 付き人たちが控室の扉の前で警戒しているのを横目に、私は彼女に言った。


「大丈夫ですよ、深呼吸はできますか」


 返事はなかったが、彼女は大きく息を吸って吐く動作を繰り返す。先程より幾分か落ち着いてくれたようだ。


「トキノは怖くないの」


 鳴り渡ってくる僅かな轟音に紛れてリーリン様がそう尋ねた。表情は見えない。ただ何かに縋りたいという想いが伝わってくる。

 私は逡巡した後、彼女の問いに答えた。


「怖いです」

「そうには聞こえないわ」

「そうでしょうか」

「あなた、心からさっきゅんを信頼しているのね」


 意味深長な彼女の言葉に首を傾げる。その物言いは、まるでリーリン様が誰も信頼していないようだった。


 千田くんに彼女の家系について聞くなと言われていたけれど、気にならない訳がない。

 パーティ中もあんなこと――「皆そう、リーの顔色ばっかり見て、本当の事を言ってくれない。リーがフェイト家だからって皆嘘を吐くっ」――と言っていた。尋ねてはいけない理由の大体は見当がつく。


 胸の奥で千田くんに謝り、私は膝を付いて姫に問うた。何故そのようなことを仰るのかと。リーリン様は逡巡したのち重い口を開いた。


「リーが魔力を持っていない出来損ないだから」


 フェイト家は魔法界の中でも名高い優秀な魔法使いの一族で、存亡の危うい他の一族を傘下に入れて何百年もの間、その地位を保ち続けていた。周囲からの信用も厚く、いつしか彼等は「憧れの的」として見るようになったそうだ。


 やがて月日が流れると、フェイト家は子宝に恵まれなくなった。一時、家系の途絶える危険が背後まで迫ってくることになる。

 幾度の死産を目の当たりにし、傘下の者たちもおもての憂色を隠せずにいた。そんな中やっとの思いで生まれた後継ぎの女の子がリーリン様だった。


 溢れる期待と過度な愛情で幼少期を過ごした彼女だったが、ある日、傘下の者の立ち話を聞いてしまったらしい。


「聞いたか? ご令嬢、もう五つになるのにまだ魔法が使えないって」

「噂だと魔力が欠片もないんですって」

「魔法が使えない魔法使いだなんて洒落にならないな」

「出来損ないはいらないのに。ご主人も苦心しておられる」


 そして。


「産んだ意味、無いじゃない」


 その時受けた衝撃はあまりにも大きく、まだ幼い彼女の心や人格を踏みにじるのに十分過ぎた。

 自分には生きる意味がないと、彼女は思い知ったのだ。


 存在を否定されたリーリン様は、盗み聞きしたことを必死で隠し、皆の前ではいつも通りを取り繕った。周りの魔法使いたちが口々に「未だ魔法が使えないのは子供だから」と言われ続け、嘘だと理解していても阿呆な皮を被ったままでいた。

 それでも定期的に行われる会合やパーティでは、フェイト家の次期頭首として表舞台に立ち、仕事で忙しい両親の代わりに家系の顔をする。脳髄に猛る失望の炎を秘めて。


 しかし七歳の時に転機が訪れる。千田くんとの出会いだった。


 当時彼は十一歳で、母親が魔女狩りに利用される丁度、半年前だったらしい。

 魔女であるのは母親だけであった筈なのに、彼等は家族ぐるみでフェイト家と交友関係を結んでいた。その頃の千田くんは明るく穏やかで、傷ついたリーリン様にとっては良い存在となったそうだ。


 彼女の家系の間で交わされる陰口を聞きつつも、彼は本心のままで接してくれた。嘘を吐かなかった。思ったことを率直に話してくれた。


「リーはさっきゅんに救われたの」


 世間体がどうとか、大人の都合がどうとか、子どもには関係ない。純粋に千田くんはリーリン様を支えていたのだろうし、またリーリン様も傍に居てくれる彼を深く信じていたのだろう。


 だがそうしていられたのも束の間だった。

 例の出来事が、彼に襲い掛かった。


 元より千田くんの家系(シュレイア家)は裏切り者であるということで有名だったため、魔法使いの界隈でもその報せは瞬く間に広まった。

 勿論その話はフェイト家にも、リーリン様の耳にも届いた。


 悲劇の後に開かれた舞踏会。


 そこに居たのは一人の少年のみで、以前の仲睦まじい家族の姿はない。年相応の応答も、一笑を浮かべもしない彼を魔法使いたちは奇異の目で見ざるを得なかった。

 視界に映る全員が敵であるように睨みつける彼に、リーリン様でさえ恐怖を感じたそうだ。


「フェイト家が居たというのに千田家を孤立させた。カエデさんを独りにさせてしまった。悪いのは、気付けなかったリーたちなのに」


 リーリン様は俯いて、ぽろぽろと涙を零しながら言った。


 ひとりぼっちを知っている彼女だからこそ、孤独の手に掴まれた千田家の気持ちを、特に彼の母親の気持ちを痛感している。

 まだ彼女は十二歳の子どもだというのに。


 リーリン様は、自分の周りにどれだけ人がいても、その口から発せられる言葉が全て嘘だと知っていたから愛情に飢えていた。

 反対に千田くんは、自分の周りには人などおらず、むしろ害をなす可能性しかないからを信じず孤独を生きていた。


 似た者同士なんだ、二人とも。

 最初から他人を見限ってしまうところが本当によく似ている。不器用で、独りは淋しいと言えずに強がって生きてきたところも。

 私一人では、きっと知ることができなかった。


「な、なんでトキノまで泣くの?」


 リーリン様は潤んだ瞳を瞬かせて驚く。膝をついたままの私は、幼い姫の顔を見つめるので精一杯だった。


 どうして涙が流れているのか分からない。感情移入したつもりはないのに何故か胸の辺りがとても苦しい。

 でも一つ言えるのは。


「すごいです、貴方たちは」


 幼少期の頃から誰かを頼ることもできずに、今に至るまで強く生きていた二人が眩しく見えた。もし私が彼女たちの立場だったら到底生きていけない。人間不信になってしまう。

 心の淵から、尊敬に近い想いが零れた。


 淋しがり屋の二人の支えになりたいと思った。


 私は魔法が使えないし、気配りも下手で立ち回りなんか以ての外。だからこそ役に立ちたい。何もできないけれど、傍にいることはできる。


 短くてもいい。この人の心の拠り所になれたなら。


「もう独りではありませんよ」


 リーリン様は酷く戸惑ったような、それでいて嬉しそうな表情になって頷いた。


 ・

 ・

 ・


 戦いの音が静まる。

 視界には割れた皿、踏み潰された料理や鮮血が散乱していた。高鳴っていた鼓動を落ち着かせると、俺は周囲の状況を確認するのに歩み出した。


 魔女狩りは何とか阻止することができ、狩人も捕らえられた。しかし会場を含め被害は甚大。各々の使い魔は瀕死の状態が多かった。

 通常、使い魔のみで戦うことなど滅多にない。魔女本人が戦場に立ち共に戦うのだから、彼等も疲労困憊といったところだろう。乱戦となった今回は自分の悪魔が何処にいるのかすら不明だ。まぁ、死人はいないようだから及第点としよう。


 ふっと嗅ぎ慣れた匂いが漂う。

 肩にずしりとした重みが掛かり、熱のない腕が首に巻きついてきた。背を覆う気配に俺は不愛想に言う。


「疲れてんだろうけど、お前を背負えるほどご主人様も元気じゃねえんだ。ハルデ」


 後ろから、こちらに抱き着くような形でくっついてきた使い魔は「知ってる」と一つ返すと黙り込んだ。

 身長は俺の方が高いから彼は爪先立ちをしているのだろう、軽く体重を掛けられ後方へ体が持っていかれる。


 普段はあるじが触ろうとすると威嚇する猫の如く拒絶するのに、甘えているみたいだった。ハルデは戦闘に極力出さぬようにしていたから、久しぶりの殺し合いにメンタルも揺らいでいるのかもしれない。情緒不安定な悪魔ってなんだよ。

 これでは歩けないから、渋々彼に解除魔法をかける。瞬く間に子猫の姿になったハルデは丸まって主の腕の中に収められた。


 使い魔をいつ、いかなる時も呼び出せる魔法――いわゆる召喚魔法は、呼び出される側に大きな負荷を課す。


 使うのは躊躇われたが、そんなことを言っている場合ではなかったから仕方なかった。

 と、割り切れるなら良かったのだが。


 主の胸の前で眠る子猫は規則正しく呼吸を繰り返す。小さな体には生傷が目立っていた。


 それなりに痛かったのではないかと思う。でもコイツは悪魔だし、簡単には死なないのは承知している。使えるものは何であろうと使うのが数年前の考え方だったが、ここ最近は否定的だ。


 使い魔は、ハルデは、道具じゃない。


 そう思うようになったのは、弱くなったからなのだろうか。


 会場の騒ぎが落ち着いてきたのを察したのか、避難していた貴族の魔法使いたちが戻ってきた。皆揃って胸を撫で下ろしている。

 人混みの中、少女を連れて泉がやって来た。二人とも怪我はないみたいだったため一安心だ。


 リーリンが甲高い声で怖かったと、こちらに猛スピードで泣きつく。

 苦笑しつつあやしてやっていると、首の一部――丁度呪いの刻印がある箇所に温かさを感じた。思わず泉の方に目を遣る。彼女は相変わらずの無表情で、自分の刻印に触れていた。


「無事でよかった」


 棒読みで感情のない言葉。なぜだか安心する。


「お前もな」

「さっきゅんさっきゅん! あのね!」


 唐突にリーリンが顔を上げる。彼女の頭が俺の顎に直撃し、咄嗟に手を当てたが物凄く痛い。

 慌てて彼女が謝るが、俺は痛みを堪え言葉の続きを催促した。彼女は気を取り直して言う。


「あのね、リー、トキノと結婚するのっ」


 数秒間、この少女が何を言っているのか理解できなかった。ゆっくり咀嚼してみると、途端、思考が停止する。


「はッ⁉ おま、何言って」

「あ、もちろんさっきゅんとも結婚するよ」

「そういう問題じゃねーよ! おい泉どういうことだっ」

「私もよく分からない」

「だめじゃねーか!」


 コイツら、なんでそんな仲になってんだ。というか結婚って正気かよ。こっちが殺り合っている間に何があったんだ誰か教えてくれ。

 混乱する魔女を他所に、泉は冷静な様子で少女に耳打ちする。


「リーリン様、流石に二股は宜しくないかと」

「別にいいじゃない二人くらい。なに? トキノはリーと結婚したくないの?」


 リーリンは唇を尖らせ問いかける。彼女は動揺すらせず答えた。


「大変光栄なことではありますが、結婚は貴方様にとってとても大切な選択です。ご決断はもう少し先でも良いのではないでしょうか」


 淡々としているが優しい物言いで諭す。コイツ見た目も心も紳士だな。

 泉の提案にリーリンは不服そうな反応を示したが、しょうがないわねと言って身を引いた。泉はすっかりこの少女の取り扱いに慣れてしまったようである。


「リーリン嬢、お帰りのご準備が整いました」


 間を見計らったのか彼女の付き人が言った。時刻は二十二時になる頃だ。

 お嬢様は駄々をこねかけたが、これまた泉の一言で丸め込まれる。


「今夜はありがとう、次はリーが会いに行くわ」


 去り際、彼女は満面の笑みで言った。正直もう暫くは会わなくていいな。


 我儘なお嬢様が立ち去って間もなく俺たちも会場を後にした。

 冬に差し掛かった夜の空は、吐いた息が凍ってしまいそうなほど寒い。落下防止のために背中に引っ付く泉の体温があたたかった。


「今日は色々ありがとな、すごく助かった」

「こちらこそ。良い経験になったよ」


 抑揚のない声音。彼女も疲れが溜まっているのだろう、眠そうにも聴こえる。


 とりとめのない会話であるのに気が散ってしまっていた。漠然と泉の様子がおかしいと察する。


 いつもなら俺の背に自身の肩を委ねているだけのに、今回は腕をこちらの腹に回してきていた。

 確かにこれだと落ちる心配がない上に安全だが、触れている面積が広い。コイツもよく異性の身体にくっつけるもんだな。


 沈黙が続くと泉が口を開く。


「千田くんは、淋しくない?」


 彼女が時折する、脈絡のない質問だ。ひと呼吸置いて答える。


「淋しくねーよ」

「そっか、うん」

「なんでンなこと訊くんだ」

「なんとなく」

「意味わかんねぇ。淋しいっつったらどうするつもりだったんだよ」


 背からの声が途絶える。軽く振り返ろうとしたが、なんだかそれは野暮な気がしてやめた。

 だが彼女がぎゅっと力を込めてくる。驚いて視線を向けると、泉は俺の背中に額を押し当てていた。


「私が居るのにって思う、だけ」


 その言葉の真意は分からなかった。ただ優しく、囁くような口調だった。


「俺が淋しそうに見えたのか」

「うん、ちょっとだけ」

「……そう」


 深い意味のない会話はこれ以上続かなかった。冷たい風が二つの影の合間を縫って通り過ぎるだけ。二人の短い髪をなびかせるだけだ。


 お前たちがいるから淋しくない、と言うのが正解だっただろうか。

 俺は僅かに視線を下ろす。


 少し前までは孤独など感じる暇もなく生きていた。だから彼女が思っているより淋しいとは思ってはいない。

 ……厳密に言えば孤独よりも、皆とは違う世界に自分は生きているという事が悲しかった。何度も魔女なんかに生まれなければ、と過去を恨んだ。


 でも今はそうじゃない。


 魔女として生きる道を選んだからこそ、リーリンやシューク、ハルデ、シン、そして泉と出会えた。

 我ながら悪くない選択をしたのではと、最近は思えるようになっている。


 三日月の浮かぶ夜空に、二つの影を運ぶ箒が駆けていった。

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