第7話

 翌日、幸生は緊張した面持ちで新人研修のため渋谷ダンジョンの入り口にいた。


 周りには、今日の新人研修の講師である3級ハンター1名と他15名の新人ハンターたちが集まっていた。年代は下が18歳から、上は50代と様々である。


 皆一通り集まったところで、3級ハンターが説明を始めた。

 「みなさんおはようございます。私が本日の講師を務めます、ハンタース事務所所属の志月雛乃です」


 (それにしても……講師があの志月雛乃しづきひなのって。俺でも知ってる超有名人じゃないか)


 3級ハンター志月雛乃。25歳と若くして3級になった水を操る能力者で、あの大手ハンター事務所であるハンタースに所属し、若手の中で成長株と注目されているハンターだ。

 しかも容姿端麗、スタイル抜群という、今やテレビにも引っ張りだこなアイドル的な存在だった。噂にはファンクラブなんてものもあるらしい。しかし最近、有名な1級ハンターと婚約を発表したとかで、少々炎上していた。


 周りの新人たちもざわついている。


 「今日はこの渋谷ダンジョンの1階層で講習を行います。浅層には危険な生物はほとんどいませんので安心してください。一応皆さんの能力は把握していますが、暴発するのを防ぐためにも能力の使用は基本的になしでお願いしますね。それでは早速行きましょうか」

 雛乃がニコッと微笑みながら言った。


 (やばい……好きかも)


 雛乃がダンジョンゲートの守衛にプロライセンスを提示すると金属製のゲートが開いた。


 世界各地にダンジョンが出現した当初はゲートなどなく、ただの洞窟の入り口のような穴が広がっているだけだった。しかし一般人が誤って入ること、ダンジョン内生物が外に出てしまうことを防ぐ目的でこういったゲートと検問所が設けられるようになった。

 検問所には24時間体制でハンター連盟の職員が勤務している。日本には現時点で56の大小様々な大きさのダンジョンが発見されており、東京都には特に密集しており13のダンジョンが存在する。

 しかし、ダンジョンが世に現れてからすでに5年が経過していたが、日本で最下層まで踏破されたダンジョンは数カ所にとどまっている。

 

 真っ暗な細い洞窟を壁伝いに10分ほど歩くと先に光が見えてきた。

 洞窟を抜けたそこは熱帯雨林のような光景が広がっていた。鬱蒼とお生い茂る背の高い木々。鳥のような、しかし地上世界では聞いたこともないような不思議な生物の鳴き声。そして、うっすらと漂う霧。


 「すごっ……」

 幸生は感動していた。社会人になってから毎日、毎日、楽しくもない仕事に忙殺され、夜遅く家に帰っては寝るだけの、無気力で無感動な生活を送っていた彼にとってこの非現実的な風景は全てが新鮮で、そして冒険に満ち溢れているように感じた。


 「ようこそ、渋谷ダンジョンへ。ここが日本で最初に発見されたダンジョンです。それではこれから1階層を散策しながら、ダンジョン環境や生物について説明していきますね」


 「あ、さっそく」と言って雛乃は周りを飛び回っていた小さな妖精のような生物を、パシッと捕まえた。


 ――遠目で見ると一見、妖精のような可愛らしい生物が羽ばたいているように見えるのだが、近くで見ると蜂のような凶悪な顔つきをしている。


 その醜い生物が雛乃の手の中でバタバタともがき、なんとも不気味な鳴き声を発していた。


 「これは妖精蜂アピスと呼ばれている生物です。とっっても可愛い生物ですよね」

 雛乃は本当に可愛いとでも思っているのか、ニコニコと笑っているが、研修生たちはみな気味悪そうに顔をしかめている。


 「こいつは毒針を持っているんですか?」

 研修生のひとりが質問した。


 「そうですね、ただ刺されたとしても少しかぶれる程度です。ただし、気をつけるのは針ではなく、この生物の知能の高さです。この子たちは新人ばかり狙って物資を盗もうをしてくるので、私も新人の頃はよく困らされてました。ちなみにこの子たちの体液には解熱作用があるので、たまに採取依頼もありますね」


 「さて、ダンジョンに生息するのはこのように可愛らしい生物だけではありません。基本的に深層に行けば行くほど、その凶暴度は増します。ですからハンター連盟はハンターシップ制度を設け、ランク別に各階層の推奨ランクを公表していますので、みなさんも確認してみて下さい。ちなみにランクがつくとこのようにライセンスに反映されます」と言って雛乃は首元からチェーンで下げたライセンスを皆に見えるように掲げた。ライセンスカード全体にうっすらと三本線が浮かび上がっている


 その後も低階層を散策しながら、ダンジョン内の生態系や、例えばその生物に襲われた時の対応について雛乃の講釈を交えながら研修して回った。何もダンジョンは凶悪な生物ばかりではないのだ。地上と変わらず、そこには生態系が、弱肉強食の世界で生物たちの営みが確かにそこにあった。

 

 もちろん、危険な生物は地上の比ではないのも確かだし、災害と呼ばれるほどの凶悪な生物もいるのだが。

 そういった危険な生物が地上へ出ないように深層にとどめるよう管理するのもダンジョンハンターの重要な仕事のひとつであった。


 ようやくその階層を半分ほど回った頃、「それでは少し休憩しましょうか。あまり遠くへは行かないようにお願いしますね」

 雛乃の宣言でみな思い思いに休憩をはじめた。


 幸生もひとり木陰に座って休んでいたのだが、

 「おい、ちょっとあっち行ってみようぜ」と言って20代くらいの男2人組みが集団から離れていくのが見えた。


 (おいおい……大丈夫かよ)

 幸生は心配になって、雛乃をチラッと見ると、他の新人集団に囲まれて質問攻めにあってるのが見えた。


 2人がどうしても気になった幸生は、やれやれ、と思いながらも後をこっそりついていった。


 1分ほど森の中を歩いていると、2人が視界から消えていた。


 「あれ……どこいったんだ?」幸生が周囲を見渡すと、右の方からガサガサと音がした。


 「そっちか……おーい、もう戻ったほうがいいですよ」と言って音のする方に向かって行くと――。


 「グルルルル……」

 草むらから出てきたのは……ハイエナのような、全長3mはあろうかと思われる獣だった。その獣は幸生に威嚇するように喉を鳴らしている。


 幸生の背中を冷たい汗がつたった。


 (やばい……逃げないと)

 しかし、後ろを振り向いた瞬間、この獣は飛びかかってくるだろう。幸生はそう直感した。


 ――動けない。ジリジリとすり足で少しずつ距離を取ろうとしていると幸生の背後の方で声がした。


 「なぁ、もう帰ったほうがいいんじゃね……って、うああああああ」

 幸生が背後を振り返ると、獣に気づいた先ほどの2人組が大声を出して、すでに背を向けて走り出している。

 それを見て興奮した獣が背後で飛び掛かってくるの感じた幸生もなりふり構わず走り出した。


 (なんでこうなるんだよおおお)

 幸生は自らの不運さ、そして間抜けさを呪いながら必死に走った。

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