第28話

 ぱっと髙明を突き飛ばすドク。好都合だ。

 俺は髙明を抱き留めながら、彼の背中を思いっきりドクにぶつけた。ただし、髙明の背中に腕を回した状態でだ。


 この俺の突進に耐えきれず、ドク、そしてその背後にあった壁が破砕され、俺たち三人は空中へと投げ出された。


 迫りくるアスファルトに向かい、俺は壁を蹴って思いっきり身体を反転。自分の背中が地面にぶつかるよう調整し、受け身を取りつつ髙明を無事地上に転がした。


「うっく! がはっ! かは……」


 荒い息をつく髙明。生きてはいるな。俺の目論見は当たっていたらしい。

 その顔にちゃんとガスマスクが装備されているのを確認してから、俺はヘッドセットに吹き込んだ。


「和也! そこからドクが見えるか?」

《ああ! 君たちの前方にある、立体駐車場の中ほどだ!》

「あのグレネードで狙えるんだろうな?」

《もちろん、任せてくれよ!》


 俺はほぼ無傷、無痛の状態で、ドクのいるという立体駐車場を見上げた。高さとしてはせいぜい十二、三メートル。飛び降りてこられたら厄介だが、その前に俺は和也を信じることにした。


 今の通信で出てきたグレネードとは、言うまでもなく神経鈍化煙幕弾のこと。

 いくら怪物になりかけているとはいえ、ドクとて生き物、動物だ。呼吸はしている。その呼吸器系から始まって、全身の動きを滞らせる。それが俺たちの狙いだ。


 バシュン、という音が繰り返され、俺と髙明の頭上を煙幕弾が飛んでいく。

 夜空を横切るように、真っ白な煙の尾を引いて。


 そしてグレネードは、全弾見事に駐車場の隙間に撃ち込まれた。

 一定の高さから濛々と白煙が上がる。その中で、やたらと長い手足を振り回しながら飛び降りてくる影がある。


 それがドクであることは分かった。だが、それが人間なのかどうかは分からない。


「髙明、引っ込んでろ!」

「お、おう!」


 髙明を突き飛ばしながら、俺は影を見上げた。

 影の落下スピードと位置に合わせ、俺は思いっきり腕を引き絞った。

 通常なら回避されてしまったかもしれない。だが、今はドクだって煙幕から逃れようと必死だ。


 この拳を当てる。そして片をつける。

 俺は足の裏から力を溜め、膝、腰、肩と筋肉に力を込めていく。


 そして、バゴッ、という鈍い音と共に、落下してきた人影を殴り飛ばした。

 ドクは殴られた勢いのまま、ほぼ水平に吹っ飛び、立体駐車場の一階へ。そこにあった廃車に激突し、ぐったりと項垂れた。


 俺は背中から、予備として携行していた拳銃を抜き、その車のガソリンタンクに狙いを定めた。


「くたばれ、クソジジイ」


 直後、この周辺だけ昼間になったかのような大爆発が巻き起こった。予想外の熱風に、俺も髙明も伏せて頭を覆う。

 ドンドンドンドン、と連続する爆発。どうやらドクが吹っ飛んだ先にあったのは、廃車を積み重ねただけの危険な燃料の集積所だったらしい。

 俺たちはしばらく、吹っ飛んできたガラスや金属片から自身を守るのに手いっぱいだった。


 少なくとも十数秒は経過しただろうか。俺はガスマスクを脱ぎ捨て、ヘッドセットの位置を直した。


「こちら剣矢、皆、無事か?」

《和也、無事だよ!》

《こちら髙明、辛うじて無事だ》


 その後、トントンという一定の符丁が聞こえてきた。エレナだ。

 無事か否かをヘッドセット越しに確かめるために、状況を知らせる暗号、いわばモールス信号のようなものを決めておいたのだ。


 しかし、妙だな。こういう時に、一番乗りで状況報告してくる人物からの通信がない。


「葉月、聞こえるか? 剣矢だ。無事か?」

《……》

「負傷したのか? 取り敢えず応答してくれ」

《……》


 これは何かあったのではないか。さっきの連続した廃車の爆発で飛散した物体が、葉月に傷を負わせていたとしたら。


「葉月、今からお前を救出に向かう。なんとか持ちこたえて――」


 と言いかけて、俺は不吉な何かが胸の底から湧いてくるのを感じた。

 それは恐怖にも似た感情だ。不気味な何かが蠢いている。あの爆炎の中で。


 俺が葉月の配置場所に向かうのをやめ、身体を燃え盛る炎に向けた、まさにその時だった。

 ズン、ズン、と静かに、しかし確かに何者かが炎の向こう側から現れた。


 その何者かというのがドクであると分かったのは、右肩部に『00』の番号が見えたから。

 逆に言えば、他に人間の体を為している部分がほとんどなかった。


 長い腕先の手を握り、ゴリラのように迫ってくる。体高は三メートルはあるだろうが、極端に腰を折った状態でいるから、立ち上がれば五メートルくらいになるだろう。

 体表は高温で焼けただれているが、ぶるぶると全身を震わせると、真っ黒になった外皮がぱらぱらと剥がれ落ち、赤褐色の新しい表皮が見えた。

 顔はのっぺりとしており、目元と口の端が歪んだ苦悶の表情で固まっている。


 そいつが出てくる間に、俺は自覚した。

 俺の身体強化のタイムリミットが迫っていることを。


 眼帯を外したことによる戦闘力強化はまだ保てそうだ。だが、アンプルを打った方の効果が切れかけている。


 俺は油断していた。まったく片などついてはいなかったのだ。あの怪物を倒さなければ、俺は、いや俺たちは乗り越えるべき壁を越えられない。


「速攻で仕留めてやる!」


 俺は再度、足の裏に力を込めた。ミシリ、と足元のアスファルトが沈み込む。

 ドク、否、怪物が腕を上げるタイミングを狙って、俺は駆け出した。


 上体を折り、最初に戦った時のドクのように滑空。厳密には、極めて広いストライドで疾走しているのだが。

 真っ直ぐ突っ込むと見せかけて、怪物の手前で急停止。怪物が振り下ろした拳をタンッ、と回避して跳んだ。


 その先にあるのは、立体駐車場の外壁。

 それを蹴って軌道を修正し、再度腕を引き絞って怪物の頭部にめり込ませる。――はずだった。


 それが叶わなかったのは、怪物の肩が変形し、槍のようになって飛び出してきたからだ。


「おうっ!?」


 俺は引き絞っていた拳を解いて槍を掴み込んだ。お陰で身体を貫通されずに済んだが、左脇腹に灼熱感が走った。浅く斬られたようだ。


 俺が腕を放し、着地しようとしたその時。今度こそ、怪物の拳が横薙ぎに襲ってきた。

 ドゥン、という空間が歪むような音。それと共に、俺の身体は勢いよく吹っ飛ばされた。


 肋骨がやられた。

 この鋭い痛みは、きっと肺に達している。鮮血が口から溢れ、空中に尾を引いた。


 なんとか両手足を広げ、受け身もどきの体勢を取る。そして再度、背中全体に激痛が走った。廃倉庫の壁をぶち抜き、俺は無惨に転がる。


「くっ……」


 その痛みに耐えながら、上半身を強制的に引き起こす。

 しかし、怪物のいた地点にあったのは砂塵だった。他には何もない。


 いや待てよ。アスファルトが異様に沈み込んでいる。あれは怪物が跳躍した残滓ではないのか。ということは。

 俺は今日何度目かの横転を自らに強いた。うつ伏せになって、両腕で身体を跳ね飛ばす。


 すると予想通り、俺の横たわっていたところに怪物が降ってきた。

 天井をぶち破り、俺を踏みつけにすべく降りてきたのだ。


 近い。近すぎる。俺は咄嗟に距離を取るべく、カポエイラもどきの蹴りを繰り出した。

 が、それはあっさり怪物に掴まれた。そのままぶん投げられる。

 ざざざざっ、とアスファルトに顔面を擦りながら、俺は停止した。


「ぶふっ!」


 鼻骨が折れて派手に赤いものが飛び散る。

 ああ、もう限界だ。眼帯を外した戦闘態勢を維持するだけの力は残されていない。当然、アンプルを打った効果はとっくに切れている。


「和也っ……。グレネードを撃ち込め!」

《剣矢! もう普通の煙幕弾しか残ってないよ!》

「構わない! 奴の足を止めろ!」

《りょ、了解!》


 再度、空中をグレネードが舞った。倉庫の観音扉にドンドンと撃ち込まれていく。

 俺は匍匐前進して、髙明の下へ向かった。


「髙明! さっき渡したアンプルを寄越せ!」

「なっ! お前、まだ薬品を使うってのか!?」

「でなきゃあの怪物を倒せない! 俺に任せてくれ!」

「そんな……」


 珍しく愕然とした表情をする髙明。だが、彼の冷静さがあれば気づくはずだ。俺が再度アンプルを注射すべきだということに。


「分かった」


 それだけ言って、背後に手を遣る。しかし、髙明はなかなかアンプルを渡してこない。


「おい、何をやってるんだ?」

「ない! アンプルがねえんだ!」

「なくしたのか?」

「まさか、そんなはずが――」


 髙明の言葉を打ち切るように、怪物が白煙を振り払いながら迫ってくる。のそのそしているのは脚部に負荷がかかったからか。しかし、直に回復してしまうはずだ。


 くそっ、どうしたらいい? もうこの場にはただの人間と怪物しかいない。

 ここまでか。

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