第17話


         ※


 三年前、関東地方某所。


「な、なあ、本当に行くのかよ?」

「だって、この前も行方不明者が出た廃病院だぜ?」

「今からでも引き返せば……」


 弱音を立て続けに背後から浴びせられ、和也はむっとして振り返った。


「何言ってんだよ! この病院跡地には何かある! それを確かめに来たんじゃないか!」


 小柄な体躯で四肢を目いっぱいに動かし、和也は悪友三人を説得する。


 今は六月の半ばで、新・中学一年生という輝かしいメッキはとっくに剥がれ落ちている。

 当時の和也は学年一位、二位を争う不良少年として、この廃病院にやって来た。不可解な現象が後を絶たないと噂されている。


「ほら、入ってみようよ。……なんだ皆、シケた顔して。僕は夜目が利くんだ、大丈夫だって! なんなら幽霊と握手してる写真を端末で撮ってくれてもいいんだよ?」


 和也が不良になったのは、彼に勉学の才能があったため、そしてそれを良しとして甘やかされてきたため。

 和也の通っているのは有名進学校だったから、とりわけ優秀な和也はデカい態度を取ることができている。


「午後零時ちょうどだな。よし、進むよ」


 和也はおどおどとついて来る悪友たちに一瞥をくれた。その姿は実に颯爽としている。残る三人も、身を屈めながら進みだした。

 梅雨特有のじっとりした空気感に締め付けられそうになりながらも、四人は進んでいく。解体工事中だったのか、鉄筋や水道管らしきパイプが露出している。


 和也が異変に気づいたのは、それから間もなくのことだった。


「皆、止まれ!」


 囁くように指示を出す。L字型の廊下から顔を覗かせる。そして和也の瞳は、これでもかと大きく見開かれた。

 廊下中ほどの部屋から、柔らかな光が漏れている。これが幽霊? いや、幽霊は暗い場所に現れるものだ。ということは、ここにいるのは――人間?


 気配を察したのだろう、悪友たちがざわめいた。和也は片手を振ってそれを制しながら、じっと反対側の廊下を見つめる。すると、向こうから黒いスーツを纏った大男が二人やって来て、照明の生きているらしい部屋に入室した。


「今日は? 誰にも見られていないだろうな?」

「はッ、斥侯に出ましたが、民間人の姿はありません」

「よし、では取引開始だな」


 がちゃがちゃと金属部品をいじる硬い音がする。これはどうやら、本格的にマズい事態に陥ってしまったらしい。

 誰に知らせればいい? 父親か? 母親か? いや、まずは警察か?


 和也の逡巡が、致命的なミスを生んだ。

 すぐ背後で銃声がしたのだ。消音器を付けているようだが、この閉鎖空間ではあまり意味を為していない。

 では、誰が撃ったのか? その答えは、視線を上げて間もなく判明した。またしても、黒服の大男二人組だ。


 拳銃からは硝煙が上がり、火薬臭さが漂っている。和也は直感的に、これが実銃であると察した。そしてうずくまっている悪友のうち、一人はぴくりとも動かない。


 どうしたのかと尋ねたいのは山々だったが、事態は明らかだった。夜闇より暗い影、否、液体が、悪友の頭部から噴出している。

 残る二人も同じ憂き目に遭った。間違いなく、射殺されたのだ。


《パトロール04、どうした?》

「子供が悪戯をしに紛れ込んだらしい。すぐに片づける」

《了解》


 そのあまりにも冷淡な口調に、和也の背中からぶわり、と冷や汗が滲んだ。

 自分は、ここで殺されるのだ。誰に知られることもなく、何の抵抗もできないままに。


 和也は振り返り、大男たちに掌を向けて首と一緒に振りまくる。


「悪いな坊ちゃん、決まりなんでね」


 そう言って、大男のうちの一人が無造作に腕を上げた。ちょうど眉間に銃口が押し当てられる。


 まさかこんなことで命を落とすとは――。

 和也は顔を硬直させたまま、汗を拭うことすら叶わない。

 もう駄目だ。


 そして消音器付きの発砲音は、高らかに鳴り響いた。剣矢の頬を僅かに掠めながら。

 大男が転倒したのだ。


 続いて廊下の窓ガラスが割られ、身を丸めながら何者かが建物に飛び込んできた。数は二つ。

 一つ目はホルスターから拳銃を抜き、片手で一丁ずつ持ちながら連射した。堪らずもう一人の大男も倒れ込む。

 二つ目は真正面から、抱き着くようにして和也を押し倒した。


「動かないで!」


 鋭利な声を飛ばしながら、こちらも自動小銃を取り出す。


《パトロール04、何が起こった?》


 何かの取引場所になっていた部屋から、五、六人の黒服が現れる。そこに飛翔したのが、二つの人影から放たれた弾丸だった。

 まさに土砂降りのような勢い。ただし、この雨は真っ赤で鉄臭い。


 敵の第二陣は、あまりにも呆気なく殲滅された。廊下の反対側に逃げていく者もいたが、今度は窓ガラスではなく壁面が破られた。爆破されたらしい。

 そこから現れたのは、黒服たちに負けず劣らず屈強な人間。爆発で吹っ飛ばされた黒服に散弾銃を突きつけ、頭をザクロのように撃ち割る。


「剣矢! 髙明!」


 和也に圧し掛かっている人物は、指を立てた手をくるくる回し、安全確保を命じた。

 

「君、大丈夫か?」


 その声音から、和也は自分を庇ってくれたのが女性なのだと初めて理解した。

 壁ドンならぬ床ドンの要領で、ずいっと顔を和也に近づけてくる。


「大丈夫かと訊いているんだ! 怪我は? 撃たれはしなかったか?」

「あっ、は、はい……」

「しばらくこのまま伏せていろ。それから少し、我々の話を聞いてもらう。いいな?」

「はいっ!」


 葉月、という呼びかけに、彼女はゆっくりと拳銃を抜いて、先ほどの室内に入っていった。


 この一部始終を、和也はぼんやりと見つめていた。しかしいつでも鮮明に思い出すことができる。これが美奈川葉月との出会いだったのだから。


 それからしばらく部屋を物色していたらしい葉月は、携帯端末を手に廊下に出てきた。

 

「ドク、葉月です。状況クリア。こちらの損耗はなし。ただし、民間人に作戦行動を見られています。ええ、ええ――。では彼を同伴させると? そう、ですか。了解しました」


 端末を腰元に差し込んだ女性、いや少女は、鋭い声で、君! と呼びかけてきた。

 十中八九、和也のことだ。


 和也は膝を震わせながらも立ち上がり、こちらに近づいてくる少女と目を合わせた。


「私は美奈川葉月。実戦部隊のリーダーだ。他の二人にはおいおい挨拶させる。他には情報管理官が二人。今ここにはいないけどね。私たちは撤収するけれど、ボスが君を連れて来いと言い張っているんだ。名前は?」

「……の、かず……小野、和也、です……」

「そう緊張することはないよ、我々フォレスト・グリーンは敵以外は殺さない」


 さあ、行こうか。

 葉月の一声で、二人の少年、すなわち剣矢と髙明は正面玄関へ向かって歩き出した。


「帰りの運転はどうするんだ、剣矢?」

「悪いな、まだ余裕はあるが、この目を使った後だから、念のため誰かに頼みたい」

「了解、じゃあ俺が」

「すまない、髙明」


 そう話しながら、二人の少年は和也の横を通り過ぎていった。

 

「私たちは後部座席でいいだろう。構わないか?」

「あっ、はは、はいっ!」


 帰りの車内、三時間の行程は、とても楽しいものとは言えなかった。沈黙が車内を支配していたからだ。

 殺人を行う前よりも、後の方が饒舌になる? いや、そんなことはあり得ない。

 そんな少し考えれば分かるようなことを、和也は実感した。


 この時会話したのは、身分証の提示を葉月に頼まれた時なのだが、生徒手帳をどこかにやってしまったらしい。


 それからドクの根城に到着し、和也はドクとエレナを紹介されるはず、だったのだが。


 ドクはいつものラボではなく、休憩室でテレビに見入っていた。そこに映し出されていたのは、とある一軒家が轟々と燃え盛る映像だった。


《現在、消防車十五台が出動して消火作業にあたっています。火元は不明ですが、この家に住む三人のうち、誰とも連絡が取れていません》

「ああっ!」


 ドクとエレナを押し退けるようにして、和也はディスプレイを正面から覗き込んだ。


「どうしたんだね、少年?」

「こ、これ、僕の、家……」


 自己紹介はしていなかったが、ドクは既に和也の人となりを大まかに把握していた。自宅の焼失が何を意味するのかということも。


 ドクは席を和也に譲り、自らの携帯端末を取り出した。これはドク専用の特殊仕様で、現場の人間とダイレクトに通信できる。


「ああ、そこまでは分かっている。――うむ、やはりな。問題はそれを、あの少年にどう伝えるか……」


 ドクが眉間に手を遣った、まさにその時だった。耳をつんざくような悲鳴が、休憩室を震わせた。

 

 通話のため退室していたドクが慌てて休憩室に戻ると、こんなテロップが流れていた。


《本日未明の火事、被害者二名。一名と連絡取れず》

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