第4話

 後部座席から降車した俺は、自分がいかに疲弊しているかを思い知らされた。

 全身が重い。あれだけの超人的な戦いを十分も続けていればこうもなるか。

 よく見れば、防弾ベストの上に着込んだシャツは血塗れだし、そもそも暑くて全身汗だく。下着が全身にへばりつき、不快なことこの上ない。


 そんな鬱屈した気分を晴らしてくれたのは、真夏の草花の香り。それと、まん丸に輝いている月だった。さっきの沿岸工業地域とは、環境的にえらい違いだ。

 俺は戦闘の反動で酷く疲弊しながらも、どこか心が洗われるような気分を味わった。


「悪い剣矢、俺のリュック、取ってくれ」

「あいよ」


 ずしり、と片腕にかかる重量。今の俺が片腕で支えるには、なかなか大変だ。

 髙明はそれを易々と受け取り、さっさと運転席を降りた。


 俺はと言えば、自分の胸に手を当てて呼吸と心拍の安定を図っていた。

 髙明が心配げにこちらを一瞥したが、俺は頷くことで大丈夫だと伝えた。悪夢から覚めた直後には、肋骨を跳ね飛ばしかねない勢いで高鳴っていた心臓。それも落ち着きつつある。


 俺は自分のリュックを片手で持ち上げ、背中の方に提げた。拳銃二丁と手榴弾数個しか入っていないから、だいぶ軽い。

 するとちょうど、二台目の乗用車が駐車場に滑り込んでくるところだった。葉月と和也が乗っているものだ。


 助手席で、和也が何かをしきりに喚き立てている。だが、葉月はすっと視線を上げて俺を捕捉した。そのまま運転席から降りて、ぬかるんだ駐車場を真っ直ぐに歩いてくる。


「剣矢、大丈夫か? 顔色が優れないようだが……」

「ああ、いつものことだろ」

 

 俺は自分の左目を覆う眼帯を指先で突いた。


「何かあったら、すぐにドクに処置してもらうんだぞ」

「ご心配痛み入るよ」


 俺は丁寧に礼を述べたつもりだったが、葉月は何故か気分を害されたらしい。片頬を僅かに膨らませ、半眼で睨んでくる。ふざけたように聞こえたのだろうか。


 この微妙な緊張状態をぶち壊したのは、和也だった。


「ねえねえ葉月! 僕の話聞いてる? あの海風が吹く中で、五百メートル先の敵にヘッドショットを喰らわせたんだよ? 凄くない?」

「ああ、和也。君のお陰で随分救われているよ。ここにいる全員がね」

「やった! 葉月に褒められた!」


 ぴょこぴょこと飛び跳ねる和也。それを見て目を細める髙明。

 まだ作戦は終わっていない、ドクに報告するまでが作戦だ。きっとそう言いたいのだろう。

 だが髙明も、和也のずば抜けた狙撃能力を買っている。和也に文句を言う筋合いはないと自覚がある……というか自制しているのか。


 さて、そもそもここはどこなのかを確認しておかねばなるまい。

 ここは、今日の現場からやや離れた急峻な山の頂上だ。

 ドクの根城、と髙明は言ったが、駐車場を兼ねた小振りのグラウンドには廃墟しかない。


 廃墟と言ってもあるのは一棟だけ。和風建築で木造の、背の低い建物だ。寺院だったらしい。らしい、というのは、原型が判別できなくなるほどボロいからだ。

 だが、俺たちは知っている。この地下にある設備と人員こそが、俺たちにとっての生命線なのだということを。


         ※


 足元に気をつけつつ、俺たちはゆっくりと朽ちた寺の境内に上がり込んだ。その最奥部には、周囲と比べ不似合いなほど近代的な装置がある。金属製のスライド式のドアと、その横に取り付けられたボタンだ。


 ご丁寧にも、ボタンには「▼」のマークがついている。先行した葉月がそれを押し込むと、リン、と音がしてドアが展開し、箱状のスペースが現れた。これはエレベーターなのだ。


 俺たち全員が乗り込むと、勝手にドアが閉まってエレベーターは降下を開始した。

 俺は体力の温存のために背中を壁につけ、そのままずるずるとしゃがみ込む。

 狭い空間で気不味いからか、和也も黙り込んだ。


 ふと身体の芯が傾く感じがして、俺は片手を床に着いた。そのままずるり、と横たわりそうになって、なんとか耐える。


「剣矢、本当に大丈夫なのか?」

「ん……。ちょっと暴れすぎたかな」


 俺の返答に、問いを投げた葉月は肩を竦めて腰に手を当てた。


「FGリーダーとして命令だ。剣矢、お前は地下に到着し次第、ドクに診てもらえ。でなければ、次回の作戦参加は見合わせてもらう」

「んな大袈裟な……。俺なら大丈夫だってば」

「いいや駄目だ」


 葉月は一歩も退かない覚悟のようだ。ここままだと、顔を真っ赤にされて怒鳴られるかもしれない。


「分かったよ。じゃあドクへの報告書は、後で三人で挙げておいてくれ」

「了解だ」

「えっ、ちょっとちょっと、待ってよぉ! 葉月、剣矢ばっかりじゃなくて、僕のことも心配してよ!」


 喚き立てる和也の頭部に、髙明が軽く拳骨を喰らわせた。


「いたっ! 髙明まで何するんだ!」

「和也、お前こそこのチームの風紀を乱すな。今一番衰弱しているのは、明らかに剣矢なんだ。リーダーの葉月が真っ先に心配するのは当然だろうが」

「む……」


 そうこうするうちに、再びリン、と音を立ててエレベーターは停止した。

 ドアがスライドして引っ込むと、その向こう側で何者かの気配がする。随分と小柄だ。しゃがみ込んでいた俺とだけ、ちょうど目が合った。


「やあ、エレナ」


 俺はできる限り、気楽な体を装って微笑んだ。上手く笑みを作れた保証はないけれど。


「おう、エレナか。待たせちまったか?」


 自分より頭二つ、三つぶんは背が高い髙明に向かい、エレナは首を横に振った。

 少し慌てたように見えるのは、やはり二メートル近い身長を誇る髙明のことが怖いのか。


 エレナは、簡単に言えば敏腕の情報管理官だ。ドクの右腕といったところで、FGにおいては最も若い。というか幼い。確か今年で十三歳になるのではなかったか。


 エレナ・イーストウッド。名前の通り欧米人で、わけあってドクに拾われた。

 その顔は極めて精緻。それこそ西洋人形のようだ。高い鼻や青い瞳、背中に長くストレートに流された銀髪。

 だが頬や口元は丸みを帯びていて、あどけなさを感じさせる。


 そんなエレナには、もう一つ特徴がある。口を利くことができないのだ。

 五年前、日本の研究施設を両親と共に訪れた際にテロリストの急襲に遭い、目の前で両親を射殺された。二人はエレナを庇って死んだのだ。

 そのショックゆえに、発話機能を失ってしまったのだという。

 

 その後、テロリストたちは研究施設のデータを強奪したものの、駆けつけた武装機動隊との銃撃戦で全員が射殺された。


 エレナも気の毒に……。まあ、FGにいるのは、何らかのロクでもない事件事故に巻き込まれた少年少女であるわけだが。


「エレナ、早速だがドクに会いたい。今どこにいるか、教えてもらえるか?」


 エレナはこくり、と頷いて、踵を返して歩き始めた。


「大丈夫か、剣矢?」

「ああ、悪いな葉月」


 俺は葉月の手を借りて立ち上がった。歩けるかと問われたので、負ぶってもらうわけにもいかないだろうと返しておいた。

 後ろからジリジリと殺気を感じる。間違いなく和也のものだ。きっと嫉妬しているのだろうが、知ったことじゃない。


         ※


 この地下施設は、俺たちFGの脳であり心臓である。万が一ここの位置が特定され、破壊行為に晒された場合、俺たちは返り討ちにする戦略さえ失ってしまう。

 そんな重要施設を運用しているのが、ドクとエレナの天才コンビ。二人がいればどうにかなるというのが、俺たち戦闘員全員の総意だ。


 そんな施設だが、その内装は実に味気ないものとなっている。

 コンクリート打ちっぱなしの床、壁、それに天井。狭い通路は、髙明のような巨躯の人間にはさぞ圧迫感があるだろう。

 真夏なのにひんやりしているのは、ここが地下であり、かつ冷房がガンガンに使われているからだ。これは、スパコンの処理熱を排除しなければならないという理由による。


「剣矢、俺たちは武器整備室で後片付けをしておく。お前の拳銃も見てやるよ」

「頼むよ、髙明」

「お安い御用だ」


 視線を下ろすと、エレナは再び、こくん、と頷いて俺の前を足早に歩み始めた。


         ※


「にしても綺麗好きだな、ドクは」


 俺は半ば感心し、半ば辟易しながらそう言った。

 コンクリートでできているはずの施設内部が、大理石のような輝きを帯びている。


 ドクは天才肌だから、俺たちがいない間にこの施設専用の清掃器具でも開発したのだろう。


 最後の通路分岐で右に曲がったところで、エレナが軽く駆け出した。

 その先にはスライドドアと電子パネル、それに網膜認証システムが配されていて、ドクとエレナ、及び彼らに連れてこられた人間しか入れないようになっている。

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