転生管理部転移課所属!

酢味噌屋きつね

第1話 やり残したことはあるか

 連勤に次ぐ連勤。

 寝不足に次ぐ寝不足。

 ただでさえ短い人生を、自分の時間を、他人のための仕事で消費する。

 同じことを繰り返し、刺激の無い日々を過ごしていると時間が早く過ぎていくように錯覚し、寝不足が重なって感覚が麻痺している脳は、もはや眠気すら感じなくなっていく。


 天野サカヒコはいつものように目覚め、いつものように出掛ける。もちろん仕事に行くためだ。

 身だしなみは大丈夫か? 忘れ物はないか? 

 そんな心配は無用。毎日同じことを繰り返しているサカヒコには、朝起きてから会社に行くまでの一連の流れが全自動でこなせるようプログラミングされている。

 これで「生きている」と言っていいのだろうか。と、たまに考える。自分の人生を自分の時間を、自分の意思では自由に使えず、死んだ目をして心を殺す。生きるために仕事をこなし、仕事のために自分を殺す。

 何のために生きているのだろう。

 普通の人間には趣味と呼べるものがある。だがサカヒコにはこれといった趣味がなかった。やりたいことが思い浮かばないのだ。明日死ぬとしてもサカヒコにはやりたいことが無い。死ぬ間際に「やり残したことはあるか」と聞かれてもおそらく上手く答えられないだろう。サカヒコはそういう男なのだ。

 

 フィットベーシックのエンジンをかける。ほとんど通勤時にしか使ってやれていないが、愛車として丁寧に扱っているつもりだ。ここ最近エアコンの調子が悪いのだが修理に出す暇も無いので、これから迎えるであろう冬に今から震えている。

 とにかく会社に向かおう。


 いつもの見慣れた道路沿い。手入れの行き届いていない庭のある一軒家を右に曲がる。そこから信号を4つ経由すると会社に着く。

 だが3つ目の信号の手前で見慣れない物を発見した。


(花……?)


 昨日まではなかった。ここで誰かが亡くなったのだろうか。

 特に見通しの悪い交差点ではないが、事故はいつ起きるか分からない。いっそ自分も事故にでも巻き込まれれば入院して仕事に行かなくてもよくなるのではないか、などとぼんやりと考えていた──その時だった。

 信号が黄色から赤に変わったところが見えた。交差点に3分の1ほど進入した状態。驚きと焦りを感じて咄嗟にブレーキを踏む。それもいけなかった。右に影が伸びてきて、気付いた時には遅かった。

 鈍い衝撃音が辺りに響く。

 乗用車とトラックが交差点内で派手に衝突した。後にトラックの運転手は運転中の居眠りによる過失致死の疑いで逮捕され、乗用車の方も信号無視をしていたことが目撃者の証言で立証される。不運が重なったことで訪れた不運。そして、その交差点には、初めて花が供えられることとなった。



─────────────────────────



「くあっ……はぁ」


 目覚めと同時にあくびが出る。久々にぐっすりと眠れた気がする。

 ちょっと待て、今何時だ。


「げっ!」


 7時30分。まずい、このままじゃ遅刻だ。

 急いで出勤の準備をしなければいけない。

 だが皮肉にも俺は準備のプロ。いや、出勤のプロと言っても良い。目を瞑っていても全てをこなせ──


 あれ……?


 感じた違和感。いつもの部屋。いつもの布団。だが何かが違う。

 何だ。何が違う?

 俺はふと時計に目をやる。時間は7時31分。目覚めから1分が経っている。時計に変わりはない。視線を下に移す。スーツが上下揃えてハンガーにかけてあったが、これにも変わりがない。

 気のせい……?


 時間がない。とにかく会社に向かうとしよう。

 洗面所で顔を洗い、ヒゲを剃る。髪をオールバックに固め、ネクタイを整える。オールバックは簡単でいい。邪魔にならないから。

 朝食はいつも食べない。昼も食べる時間を確保できない場合が多く、そういう時は夜にまとめて食べている。だけどそこまで大食いじゃないから摂取カロリーは少なくなってしまう。おかげで太らずに済んでいるがあまり健康的とは言えないだろう。

 かかとに靴ベラをすべらせて革靴を履く。今日感じている違和感はぐっすり眠ったせいで脳がびっくりしているんだろう。たぶんそうだ。会社にさえ向かってしまえばまたいつも通りの感覚に戻るに違いない。俺は自分に言い聞かせるようにそう考え、玄関のドアを開けた。


「おう、早いな。お前が新人か?」


「え……?」


 右隣から男が声を掛けてきた。顎ひげに天然パーマ、歳は俺より上に見える。だがその顔に見覚えはない。確実に初対面だ。

 というか「新人」ってどういう──。


「最初から気合入れすぎてすぐバテないようにな」


「へ?」


「へ、ってお前初日から間抜けな顔してんじゃねえよ。ほら行くぞ」


 男は無理やりに俺の腕を掴み、つかつかと歩き出した。


「えっ? えっ?」


 状況がまるで分からない。男に腕を引っ張られながら外の景色が目に入る。見たことのない街並み。見たことのない公園が下にあって、見たことのない手すりが目の前にある。今歩いているのは見たことのない廊下だ。いつもの安アパートとはまた違う。


「あの、すいません!」


「あん?」


 俺は男に声を掛ける。男は歩みを止め、俺の腕を離すと顔だけをこちらに向けた。


「ここって、どこですか?」


「はあ?」


「俺、なんかいつもと違う場所にいるみたいで、部屋を出るまではいつも通りだったんですけど、なんか場所が違うっていうか……」


 混乱していて要領を得ない説明をしているのが自分でも分かった。だが言葉にしていると状況が少し見えてくる。俺は記憶が飛んでいるようだ。

 昨日まではいつも通りだったのだが、今日になって記憶をどこかに置いてきてしまったような感覚がある。違和感の正体はそれだ。体と部屋だけがここに移動してきてしまったような、そんな状況だ。

 男は俺の話を聞くなりため息を一つ吐き、呆れたように口を開く。


「あのなあ、事前に説明したはずだぞ? 転生管理部で働くってのはなあ、それなりに名誉あることなんだ。それが初日から場所がどうとかなんとか。少しは公務員の自覚を持て」


「転……公務員? あの、意味がよく分からないんですけど……」


「ったく、記憶障害かあ? とにかく着いてこい。管理部で確認するから」


 転生? 今、転生って言ったかこの人。それに公務員って、俺が働いているのはめちゃくちゃ民間のガス会社だぞ。何がどうなってるのかさっぱり分からない。くそ、どう判断すればいいんだ。大人しく着いて行けばいいのか?

 俺は半ば諦めるように男の後ろを歩くことにした。状況が意味不明過ぎて不安が込み上げている。その中で唯一話のできる人間が目の前のこの男だけなのだ。今はこの男に従う他ないだろう。


 部屋を出てから男に連れられ廊下を左方向に歩いた。少しすると左側に階段があり、男はそこを降りていった。知らない場所で階段を下りるのは怖い。だが今は男を見失ってしまうことの方が相当恐ろしかった。

 階段を降りると、すぐに出口が現れた。どうやら俺の部屋はこのアパートらしき建物の2階にあるらしい。昨日までは3階だったことを考えると、やはり全く知らない別の場所に来てしまっていると考えるのが正しそうだ。さっき男が言っていたことも気になっている。


(転……生管理部、とか言っていたか?)


 転生。俺でも分かる言葉だが、現実味が無さ過ぎて耳が受け付けていない。現実には起こり得ないと思っていることが現実に起こってしまうと、脳がそれを拒否しようとしてしまうのだろうか。とりあえず、今俺がいるこの場所は昨日までとは違う世界であると思っていた方が良さそうだ。


 アパートから出ると、さっき上から見えた公園が広がっていた。小さな噴水が公園の中央にあり、端の方ではブランコとシーソーが寂しそうにしていた。公園の様子は昨日までの世界とそう変わらないように見える。


 それから3分程歩くと男がこちらを振り向いた。


「ここ。ここが転生局。俺らの職場。お前は今日からだけど」


 職場……。見ると確かに「転生局」と書かれた館銘板かんめいばんがビルの入り口に建てられていた。


「えぇ……」


 俺は思わず引いてしまう。もはやイタズラとかのレベルじゃない。


「行くぞ」


 男は再び歩き出しビルの入り口に向かって行った。


 入口を抜けると中には丁寧に受付らしきカウンターが設けられていた。カウンターの中には女性らしき人物が2人座っている。

 その横を抜け、男は改札のような機械にカードのような物をかざす。ピッという音と共に緑のランプが光った。昨日までの世界と同じような仕組みだった。男が機械の横に立つ警備員らしき人物と話をした後、俺に向かって指で手招きした。

 俺は警備員の方をちらりと見て軽く頭を下げる、が警備員らしき人物は無愛想に目線を前に向けたまま動かさなかった。

 

 局内をつかつかと歩く男の後ろを、俺はおどおどと着いていく。数人とすれ違ったが誰もこちらを気に留めていないようで、なんだか疎外感を感じてしまう。


「ここだ」


 男は指を上に向けて部屋に入って行った。

 そこには『転移管理課』と書かれていた。「転生」に「転移」。これまでに出てきた言葉たちが急に現実味を帯びてきた気がする。


「おーい、何やってんだ? 早く入れ」


 中から男に呼ばれる。俺は慌てて部屋に足を踏み入れた。

 部屋の中は至って普通だった。普通の会社、役場のような内装で、数人が机について何やら仕事をやっているようだった。ふわっとコーヒーのような香りが部屋に充満している。そこも昨日までの世界と同じポイントだ。


「こっちこっち」


 部屋の奥の机の横で男が手招きしている。俺は素直にそちらに向かった。


「課長、こいつです。今日からここに配属になった新人の」


「あー、そう。そうなの。それじゃあよろしくね」


 課長と呼ばれた初老の男はどっちりと椅子に座ってコーヒーらしき物をカップで飲んでいた。初老代表のような顔だちでこちらを見るとにっこりと微笑んでくる。


「それでなんですけど、こいつなんか記憶障害が起きてるっぽくて、これからどうすればいいっすかね」


 男が課長に訊ねる。


「んー、記憶障害? 珍しいねえ。ここ最近は全然聞かなかったけどねえ」


「そうなんすよ。なんかいつもとは違う感じがしまして、ちょっと転移名簿確認させて欲しいんですけど」


「あー、そうねそうね。それ確認しておいた方がいいかもね。どれどれ」


 課長は目の前のパソコンらしき物の電源を入れると、キーボードらしき物をカチャカチャと操作し始めた。

 昨日までいた世界と違った物は今のところ見当たらない。見たことの無い場所というだけで、どれも昨日までの世界にあった物と同じようなものが使われている。局内の様子を見たことで、考えられる可能性として大規模なイタズラやドッキリの線が再浮上してきた。


「んー君、名前はー?」


「あ、はい。天野サカヒコです」


「天野サカヒコくんねえ」


 イタズラやドッキリと考えると少し落ち着きが出てくる。部屋ごと別の場所に移動し偽物の看板さえ立てれば今の状況を作り出せるだろう。だがそうなると俺は会社を無断で欠席していることになる。やらなきゃいけない仕事は山ほどあって、俺がやらなければ回らない仕事もかなりある。後々苦労することになるのは結局休んだ自分なのだ。そう考えていると段々腹が立ってきた。

 一度目の前の男を問い詰めてみるか?


「ん~、あっこれじゃない? どうマッコール君」


 課長は男に声を掛けると男はパソコンのディスプレイを覗き込んだ。


(マッコール? めちゃくちゃ日本人顔なのにマッコール?)


「あー、これは、あーそうっすね」


 マッコールはディスプレイを確認すると顔を歪め、顎に手を当て自分を落ち着けようとヒゲを触っていた。


「サカヒコくん」


「……はい」


「ごめんねえ。ちょっと人違いで配属されちゃったみたい」


「人違い?」


「うーん。何て言ったらいいかなあ……」


 課長はそこで言いよどんだ。人違いでドッキリをかけてしまったということだろうか。とにかく俺は元の場所に返してもらえればそれで良いと思った。状況が一向に分からないこの状態はかなりストレスだ。


「こっちのミスなんだよねえ。転生リストで申請しておかなきゃいけなかったんだけど、転移リストの方で申請しちゃってるみたいでね。死んだ人は転生の方で処理しないと合計が合わなくなるからまずいんだよねえ」


「へ?」


 転生? 転移? 死んだ人?


(死んだって言った? これ、俺が死んだってこと?)


「あー、つまりだな。お前は死んで転生するはずだったんだが、間違って転移しちまってここに配属されることになったってことだ」


「やっぱり俺が死んだってことですか⁉」


「まあそうだ」


 自分が死んだと聞いて、開いた口が塞がらないという経験を人生で初めてすることとなった。


「これあれっすよね。手続きし直すってなると……」


「かなり面倒なんだよねえ……うーん」


 課長とマッコールが難しい顔をして唸った。


「……このままここで働かせちゃいますか?」

 

 マッコールが難しい顔をしたまま言った。


「うーん……そうねそうね。そうしちゃいましょうかね」


「え?」


 マッコールが俺の肩に手を置いた。


「いいか。お前は今日からここで働いてもらう。まあ全然分からないことだらけだと思うが、その内覚えるから大丈夫だ」


「い、いやいやいや、全然大丈夫じゃないですよ! ていうか俺死んだって意味が分からないですよ!」


「ばっ……! 声でけえよ! ちょっと来い!」


 マッコールが俺の肩に手を回し部屋の隅に引き寄せて小声で話す。


「いいか、お前は元の世界で死んだ、これは事実だ。あとで証拠も見せる。ここに来たのはこっちのミスだが、ここで働くのはお前のためでもあるんだ」


「俺のため?」


「ああそうだ。いいか? お前は死んだが、今ここでは生きて動けている。記憶も昨日今日の前後は曖昧だろうが今までのものはあるだろう?」


 神妙な声色に押され、俺は黙って頷いた。


「ここからが大事だからよく聞けよ。お前はこっちのミスでここに配属されることになったが、そのミスを手続きし直すとなるとお前は転生されることになる。そうなるとどうなると思う? お前の自我は無くなり、お前は本当の意味で死ぬことになる。いいのかそれで? やり残したことはないのか?」


 心が揺れる。

 話は理解できた。

 俺は死んで、手違いでここに来た。だが俺は死んだがまだ完全には死んでいない。

 やり残したこと? あるに決まっている。


「な? 悪い話ばっかじゃないだろう? ここなら元の世界の物も手に入るし、定時で上がれるぞ? 好きな本とかゲームとかできるぞ? な? どうだ?」


 マッコールの圧が滝のように全身に覆いかぶさってくる。

 好きな本? 好きなゲーム? あるに決まってる!

 定時で上がれる? そんな天国がここ以外にあるか? いいやあるわけがない!

 ていうか定時って何時だ? 19時か、20時か? そんな時間に帰ったのは何年前の話だ?


「それにねぇ、毎月バーベキューパーティーもやるよお。どう? 一緒に働いて見ない?」


 それを聞いた瞬間、「うーん、それはマイナスかなあ……」とサカヒコとマッコールは同時に思ったが口にはしなかった。


「……分かりました。いや、本当は分からないことも色々あり過ぎますが、今回は口車に乗せられておきます」


 俺は死んだが死んでいない。俺にとっとここは死後の世界ということになるが、死後の世界でも働くはめになるとは思わなかった。だが昨日までの世界よりは面白そうだ。だから口車に乗せられておく。

 



俺がやり残したこと──それは。




「それじゃあ、まあ、分からないことは俺に聞いてくれ。マッコールだ」


「はい。よろしくお願いしますマッコールさん。天野サカヒコです。それじゃあさっそく雇用契約について訊きたいのですが──」

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