1-9 魔女、魔女狩りから逃げる

「いたぞ! 魔女だ! 追え!」


 その言葉と共に体のすぐ横を矢が通り抜けていった。魔女からそれた矢は木の幹に突き刺さる。その横を魔女は走り抜けた。矢が当てにくいよう左右に不規則に動きながら逃げるのはなかなか集中力を必要とする。


「すばしっこい奴め!! 止まれ!」


 背後から聞こえた怒声に「止まるはずがないじゃろ」と内心返しつつ、魔女はどうしたものかと眉を寄せた。考えている間にも矢は魔女を狙っていくつもはなたれ、合間に魔法も飛んでくる。森の中だということを全く考えていない火の魔法を打ち消しながら、魔女は舌打ちした。


 追ってくるのは魔女狩りだけ。魔法を使えるのはその中でも数人で、攻撃魔法の初歩を使える程度らしい。それだけだったら魔女の脅威ではないのだが、問題は魔力を吸い取る弓矢にある。少しかすめただけでも魔力を持っていかれるため、攻撃魔法をいなしつつ鏃に当たらないように避け続けなければいけない。


 動けば動くほど脇腹の傷が痛む。治癒魔法をかける時間もなく逃げ続けているので傷が開き、包帯がどんどん赤く染まっていく。

 あとどのくらい持つだろうかと魔女は考えた。魔法使いが追ってこないのも気になる。騎士団の駐屯地からここまでそれほど距離もないはずだ。となれば森から逃げられないように囲んでいるのだろうか。そんな嫌な考えが頭に浮かんで魔女は焦った。


 このままじわじわと魔力を使い切ってしまえば終わりだ。魔女といえど魔力を失ってしまえばただの人間。今の大人の姿を保てなくなることを考えれば、普通の人間よりも状況は悪い。


 魔女は魔族と契約した段階で体の成長が止まっている。大人の外見をした魔女が多いのは変身魔法によるもの。その魔法すら維持できなくなれば契約したときの年齢、白銀の魔女の場合は十四歳に戻ってしまう。魔法も使えず、負傷した状態で非力な少女になってしまえば生存の可能性はゼロと言っていい。


 逃げるなら今しかない。

 そう魔女は決心した。魔力がつきる前に逃げられなければ魔女の負け。その先にあるのは処刑のみ。


 魔女は足を魔法で強化し地面を蹴る。背後から驚く魔女狩りの声が聞こえた。慌てたように放たれた矢が髪をかすめるが構わずに幹を蹴り、太い木の枝に飛び乗る。すぐさま次の枝へと飛び移り、木から木へと移動する。


「猿か!? あの女!」


 後ろから非常に不本意な言葉が聞こえたがかまっていられない。猿扱いされて命が助かるなら安いものである。


 「追え、急げ!」という慌ただしい声が聞こえ、ガサガサと木々をかき分ける音が続く。争うような声が背後から聞こえて、統率のとれない魔女狩りで良かったと魔女は思った。相手が騎士団であれば連携のとれた動きで魔女を囲い込んだはずである。

 今のうちに振り切ってしまおうと魔女は足に力を込める。地上を走るよりも木の上を移動する方が断然早い。弓だって飛んでこない。もっと早くこうすれば良かったと思っている間に、前方から明るい光が差し込んだ。木々に遮られた太陽の光が見えるということはもうすぐ開けた場所に出る。


 森の出口かと魔女は気を引き締める。騎士団が森一帯を囲んでいるのであれば、立ち止まることなく駆け抜けなければいけない。勝負は一瞬。騎士団に見つかり、魔法を使われたらおしまいだ。


 いつでも魔法を使えるようにと全身に魔力を行き渡らせる。そのまま魔女は勢いよく木の枝をけり、光の中へと飛び込んだ。

 そこで魔女が目にしたものは……


「嘘じゃろ!?」


 切り立った崖とその下を流れる川。魔女の足下には地面がない。木々を飛び移る時の浮遊感とは比べものにならない落ちていくという感覚。慌てて周囲を見渡すがつかめるようなものもない。


 運勢最悪という運命の魔女の言葉が脳裏に浮かんだ。まさか飛び出した先が崖だとは思わない。見事に崖を飛び越えて川まで落下するとも思わなかった。


 このままだと水にたたきつけられる。水の上に高所から落ちる衝撃に人間の体は耐えられない。万全であったら魔力を身体強化に当てて衝撃を無にすることも出来たが、今はそれが出来るだけの魔力がない。使えるのは魔力量が少ない初心者向けの魔法くらい。


「こうなったら一か八かじゃ!!」


 そう叫びながら魔女は初級の水魔法を放った。魔女の手から放たれた水が勢いよく水面へぶつかり、大きな水しぶきが上がる。体が濡れ、服や髪が肌に張り付く。顔にかかる水しぶきで反射的に目を閉じそうになるのを耐えながら、魔女は魔法を使い続けた。

 威力を調節し無事に水面付近へと近づく。しかしそこで魔法を止めてしまえば水の中に沈んでしまう。背後には魔女狩りが迫っている。頭上から弓矢で狙い撃ちにされたら身動きの取りにくい水の中で対処は難しい。


 水面にたどり着く直前、魔力で体を強化する要領で足下に水の魔法を行使する。水しぶきを上げながら水の上を滑り進む魔女の姿は氷の上を移動しているようだった。目の錯覚を起こしそうな状況を楽しむ余裕はなく、ただ真剣に残り少ない魔力で水魔法の制御を続ける。


 そんな神業ともいえる魔法を魔女狩りは崖の上から見つめていた。初級の水属性魔法をなんとか使えるようになった青年は魔女を追うのを忘れてポカンと口を開ける。追いついてきた他の魔女狩りも水上を滑る魔女を見て言葉を失い、中には目をこする者もいた。


「魔女、すげぇ……」

 誰かがつぶやいた言葉に魔女狩りたちは静かに頷いた。


 魔女狩りの一部に尊敬の念を与えたとは知らない魔女は魔法制御を続けながら焦っていた。初級魔法とはいえ魔法を使い続ければじわじわと魔力は減っていく。魔法を使うのを止めれば水に落ちる。血を流し、体力を失っている魔女が水の流れに逆らって泳げるとは思えない。川の流れは速く、気を抜けば容赦なく魔女の体を飲み込む力を持っている。

 どこかに上がれる場所はないかと魔女は周囲を見渡すが、両側に高い壁があり休めるような場所もない。焦る魔女の気持ちを嘲笑うように魔力はドンドン減っていく。


 急に片足が沈み、魔女は体勢を崩した。視界にうつった手が普段見ているものに比べてずいぶん小さい。子供の手だ。そう思った時には背中が水にたたきつけられる感触がして、体が水の中に沈む。落ちたと思う間もなく体が水の流れに押し流された。


 魔力切れ。

 魔法を使えない少女の体は自然の中ではとても無力だった。なんとか顔を水面に出すが、服が水を吸い込んで重たい。体が縮んだことで服のサイズが合わず、手足を動かそうにも上手く動かない。

 

 このまま死ぬのかと魔女の脳裏に走馬灯がよぎる。今まで出会ってきた人や行った場所、魔女たちが順々に浮かび、昨日あったばかりの運命の魔女の姿はやけにはっきり見えた。悲しそうな運命の魔女に「すまない」と心の中で謝ると、最後に思い出したくもない顔が浮かんだ。

 楽しげに笑ったソイツは「思ったよりも面白かった」と魔女を見つめる。魔女の想像だというのに完成度が高い。それだけにイラッとした。頭上に生えた立派な二本の角に魔力が溜まっていることが分かっていることもあり、魔女は最後の力を振り絞って呻く。


「あの角、へし折ってやりたかった」


 「この状況でそれをいうとはほんと面白いな」と、どこかから腹立つ契約主魔族の声が聞こえた気がしたのを最後に、魔女の意識は途切れた。

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