ヴァンパイアらばぁあ!〜魔界に落ちた少女は恋を知る〜

巴 雪夜

彼と出逢い、恋というものを知った

第一章:出会いは突然に

第1話 魔界へ落ちた少女



「ヴぁぁぁっ……」



 形容しがたい巨体な獣が倒れ伏す、それを冷めた眼差しで男は見詰めていた。襟足の長い浅葱色の髪を靡かせて、黒いロングコートを翻すと男は歩き出す。



「今日はついていない」



 男は愚痴る。下級魔物の討伐だと聞かされていたというのに、蓋を開けてみれば中級魔物でしかも群れを成していた。何組かに別れ討伐にあたったが、群れの長に当たり思った以上に時間がかかってしまう。


 下級魔物だと誤報が回ったことへの始末書のことを考えると面倒でならない。そもそも、それに関しては自分は関係ない。


(連日の捜査と討伐で魔力をだいぶ消費してしまった。早く、血液を摂取しなくては……)


 男は腕につけた時計に目を遣って空を見上げればゆっくりと日が沈み始めていた。


(人工血液では回復が追いつかないないか……献血を頼るか)


 男がそんなことを考えた一瞬の隙、バシュッという何かが引き裂かれる音が響いた。溢れ出る血、男の脇腹は深く切り裂かれていた。



「……っ!」



 男は素早い動きで振り返ると魔弾を放つ。それは一直線に獣の方へと飛び、その身体は破裂した。ばらばらに飛び散る肉片、群れの長の最後の力のようで男は脇腹を押さえながら苦笑した。


「あぁ、本当についていないな、今日は」


   ***


 魔界という異世界が存在する、それを人間界で生きる者たちは知らない。そもそも、信じている者すらいない。そんなものなどただの御伽噺だとしか思われていないのだから。


 魔界でも人間という存在はいるが人間界で生きていた人間は少ない。けれど、稀に人間界から魔界に落ちてくる人間というのがいる。人間界の人間の血肉は極上であり、魔族からは贔屓されるが命の保証があるわけではない。



「いいかい、シオン。お前は人間界から落ちてきた哀れな人間だ。死して魔界に落ちてきたのなら最後、元の世界に戻ることはできない」



 神父の姿をした年老けた男が目の前に座る少女にこの世界のことを説明する。シオンと呼ばれた少女は黙ってそれを聞いていた。


 シオンは人間界で暮らしていた人間だ。彼女は人間界での事故で両親と共に死んだのだが、魔界に落ちてきてしまった。右も左も分からず不安と恐怖で固まっているところを神父の男に拾われたのだ。


 街から外れたぽつんと建つ小さな教会の傍だったこともあってか、魔族に見つかることもなく神父の男に保護されたシオンは彼に事情を話した。それを聞いた男がこの世界のことを教えたくれたのだ。



「シオンは今日からこの世界の人間として生きなければならない。そうしなければ、魔物に食い殺されるか、魔族にいいように扱われるだけだ」


「あたし、どうやって生きれば……」



 シオンの愛らしく中性的な顔が不安で歪む。神父の男は彼女のボブカットに切り揃えられた赤毛の髪を優しく撫でた。



「お前は今日からわたしの元で暮らしなさい。わたしの娘として生きていけばいい」


「でも、あたし……」


「何も知らないのは当然だ、わたしが教えよう。それにシスターになれとは言っていないさ」



 この世界で生きれるように教えるだけだと神父の男は安心させるように笑みを見せる。シオンはまだ不安そうにしているがこの男の申し出を断れば、自分は長く生きられないのは理解できたので頷くしかない。



「その、本当にいいの?」

「いいよ。丁度、娘が欲しいなと思っていたところだ」



 男は「わたしには子供がいないからね」と言って優しく微笑む。シオンは彼が嘘なく本心から言っているのだとその表情から察した。


 シオンはこうして神父の男、リベルト・ルデーニの娘として魔界で生きることになった。


  

 シオンはそんな少し前のことを思い出していた、自分が人間界から魔界に落ちてきたことを。小さな教会の前で落ち葉を箒で掃きながらシオンはこの世界は不思議だなと思う。空を飛ぶドラゴンに、翼の生えた魔族、魔物、それらを見てはいるけれど実感が今だにない。


 これは夢なのかと思うこともあるけれど、お腹は空くし、怪我をすれば痛みを感じる。疲れも、睡魔もあるのだから現実なのだ。


 黒い修道服にもすっかりと慣れてしまったシオンはこの魔界を実のところ楽しんでいた。未知の世界に不安や恐怖がなかったわけではない。どうなるのだろうかと考えていたし、魔族や魔物を恐れたこともある。


 とはいえ、もう自分は元の世界に戻ることはできないので、此処でやっていくしかないと受け入れてシオンは楽しむことにした。


 そうやって気持ちを切り替えて生活してみると、思ったよりも居心地が良くて住みやすかった。人間界であった便利な器具はないにせよ、魔術が発展しているため魔法で済んでしまうので不便に感じたことはない。


 火を熾すのも、水をくみ上げるのも、魔法だ。ヴァンパイア用の人工血液も魔術によって作られているらしい。採血や献血だって魔術で作られた器具で行えるのだから、人間界よりも凄いとシオンは感じた。


 自分を拾ってくれた神父、リベルトは人間だけれど魔術が使えるのでシオンは彼の魔法を見て毎度、驚いている。そんなシオンにも彼は簡単なものを教えてくれていた。


 シオンが使えるのは火を熾す魔法と水をくみ上げる魔法だ。まだこれしかできないけれど、練習すれば護身術くらいならできるようになるとリベルトから言われている。自分が魔法を使えるとは思っていなかったのだが、使えるようになると幼き頃に夢見ていたことが現実になって嬉しかったのを覚えている。



「シオンちゃーん」



 名前を呼ばれて振り向けば、長い金糸の髪を靡かせて駆けてくる少女の姿があった。色白の肌が日差しに煌めいて、真っ青な瞳はシオンを捉えている。その隣には白毛の髪をもつ猫の耳を頭に生やした少年が彼女を追いかけるように走っていた。


 鮮やかな緑のワンピースを着こなす少女はシオンの前までやってくると、「シオンちゃんおはよう」と声をかけた。



「サンゴ、おはよう。今日も元気だな」

「ワタシはいつでも元気よ!」

「その元気に付き合わされる僕の身にもなって、サンゴ~」



 やっと追いついた少年はサンゴの隣に立つと息を整えながら愚痴ると彼女が「ごめね、カルビィン」と手を合わせた。



「サンゴって人魚の割に地上で元気だよな」

「シオンちゃん、人魚でも地上では元気よ」

「カルビィンは虎の獣人でも足遅いもんなぁ」

「それ、僕が気にしていることだからね!」



 シオンの言葉にカルビィンはむーっと頬を膨らませる。そんな様子にサンゴはくすくすと笑い、シオンは「ごめんって」と謝る。


 二人はシオンのこの世界での友人だ。リベルトの友人の息子と娘で、シオンが此処に来てからいろいろと世話を焼いてくれた魔族である。シオンが人間界から落ちてきた人間というのを知っている数少ない存在なのだが、そんな彼女を彼らは態度を変えることなく友達として接してくれていた。


 サンゴは人魚で、カルビィンは虎の獣人だ。見た目は人間となんら変わりない二人だが、サンゴは水の中に入れば下半身を魚に変えることができ、カルビィンは頭に猫の耳と尻には長い尻尾が生えている。


 魔族であるけれど人間は人間として見ているので、特に差別をすることも贔屓することもないのだと彼らは言っていた。そんな彼らに助けられながらシオンは生きている。



「今日も孤児院のお手伝いに行くんでしょ? ワタシも手伝うわ」

「なんか、いつも手伝ってもらっている気がするけど、いいのか?」

「いいに決まってるじゃない! 家に居ても暇だし」

「サンゴはまだ働き口決まってないからねぇ」

「そっち、探した方がよくない?」

「えー、でもまだ十九歳だし、遊んでいたいなぁって」



 サンゴの返事にシオンはこれが人間界だったら批判されるだろう言葉だなと思った。二人は比較的、裕福な家庭で育っているらしく、二十歳になるまでは自由に過ごしていいのだという。二十歳になると両親からの紹介や、斡旋所で仕事を見つけるのだとか。


 これは裕福な家庭だからできることで、そうでないところは今は必死に仕事探しらしい。なんと恵まれているなと二人の様子にシオンは思ったけれど口には出さなかった。



「シオンちゃんは此処を継ぐの?」

「お父さんからは継がなくていいって言われてるから、孤児院で働こうかなぁって」



 リベルトはシオンを娘として迎え入れたけれど、この教会を継げとは言わなかった。シオンの自由にしないさいと彼は一任したのだ。シオンは孤児院の子供たちの世話するのが嫌いではなかった。


 子供たちに御伽噺を聞かせて、外で遊び、彼らの面倒を見るのは苦ではなくて。子供たちも懐いてくれていて、孤児院の院長からも「ぜひ、うちで雇いたい」と話がきている。


 シオン自身、リベルトに拾われた身なので少しでもその恩を返せるのならばと働くことに意欲的だ。彼の優しさに縋ってばかりでは申し訳ないというのもある。



「ワタシも孤児院で働こうかなぁ。子供たち可愛いし」

「シオンとサンゴにはぴったりだと思うよ。僕はお父さんと同じガルディアに就職することになるけど」


「ガルディアって、対魔族魔物犯罪取締組織だっけ?」

「そうだよ」



 魔界には対魔族魔物に関する犯罪などを取り締まる組織が存在する、人間界でいうところの警察機関である。魔族の犯罪や魔物の暴走など様々な問題を解決するための組織であり、そこに就職できるだけでエリートだと憧れる存在だ。


 カルビィンの父はそのガルディアに所属している。カルビィンは就職するための試験を合格しているため、既定の年齢になるとガルディアに就職することになるのだと話した。



「ガルディアは二十歳以上からだから」

「来年、就職かー」

「僕でやっていけるか不安だよ」

「お父さんが一緒だから大丈夫よ、カルビィン」



 カルビィンはお腹を押さえていた、考えると胃が痛むらしい。父親がいるとはいえ、心配なことには変わりないのか、「迷惑かけないようにするよ」と不安げだ。



「就職とか考えるだけで憂鬱になるから、他のこと考えましょう! まだ若いんだから恋とかのこと考えましょう!」


「でた、サンゴの恋愛脳」



 サンゴは恋に積極的だった。恋をしてみたい、愛してみたいし、愛されたいと夢見る乙女だ。シオンは人間界でもそうだったのだが、恋愛というのに全く興味がない。


 もちろん好き嫌いの判別はできるのだが、それが親愛なのか情愛なのかが分からない。友達は友達だしと思ってしまうし、誰かを夢中で好きになったこともない。サン ゴの言う恋がどれなのか、シオンには想像がつかないのだ。


 あの魔族がカッコイイとか、誰かに優しくされたとか、そんな話を聞いても「そうか」としか思わなくて。気になる人とかいないのかとと問われても、別に何か惹かれる存在はいないとしか答えられない。


 魔界に来てから日が経つとはいえ、好きだとか恋愛感情らしいものを抱いたことはない。そもそも、人間界時代から今までで恋愛経験なんて無いので、女子特有の恋愛話になるとシオンは途端についていけなくなる。


 サンゴは「同い年なんだからそろそろ恋とか考えなきゃ!」と主張する。どうやら、魔界では結婚する平均年齢が低いらしい。成人年齢が十八歳でこの年で結婚していても若すぎるとは言われず、むしろ「結婚おめでとう!」と祝福される。子供ができての結婚などしようものなら「よくやった!」と褒められるのだ。


 魔界特有である感覚にシオンは戸惑ったのを覚えている。サンゴは友人が十八歳で結婚したので少しばかり焦っているようだった。人魚である彼女はまだまだ若く長く生きられるのだから焦らなくてもいいとシオンは思うのだが、それを言うと倍になって返ってくるので言わない。



「シオンちゃんはもうこの世界の住人なのだから、ここで旦那様を見つけなきゃならないのよ!」


「いや、まぁそうだけどさ。まだいいかなって……」

「そんなんじゃ行き遅れちゃうわよ!」

「そうかなぁ」

「でも、シオンはばったり出会いそうだよね~」

「ばったり?」



 のほほんとした口調でカルビィが言ったので、ばったりってなんだとシオンが顔を向けると、「シオンってお人好しだし」と話す。



「困ってる人とか魔族を見かけたら放っておけない性格じゃん。人間にしては珍しいんだけど、それきっかけでありそうだなぁって」



 カルビィンの言葉にサンゴもなるほどと頷いた。シオンは二人が言うようにお人好しだ、知らない人間や魔族であっても困っているなら声をかけてしまう。それはシオンの性格ゆえで、彼女からしたら困っている存在ならば種族など関係ない。


 魔界に落ちてきてもそれは健在なので二人から心配されるほどだ。そんなシオンだから彼女の親切心と優しさに惹かれる魔族がいるかもしれないとカルビィンは指摘する。そんな都合よくあるものかとシオンは笑えば、サンゴは「そうでもないのよ?」と話す。



「私のお母さん、お父さんに助けられたから出会ったんですもの」

「あー、絡まれていたところを助けられたんだっけ?」

「そう。だから、案外そう近いうちにあるかもね」



 サンゴはにっこりと笑む。そんなものがそうそうあるわけもない、そうシオンは思うのだが二人は「シオンならありえる」と言うものだから否定ができなかった。


 確かに困ってる人とか放っておけない性格なのは認める。けれど、そこまで頻度が多いわけでもないし、出会ったからといってそんなふうに流れができるのはなかなかに難易度が高くないだろうかとシオンは考えて首を振った。



「そうそうないって!」

「じゃあ、もしあったらその方を紹介してね?」

「あったらなー」

「あ、これ絶対に紹介しないやつだ」



 カルビィンの言葉は間違ってはいなかった。シオンは仮にそんな出会いがあったとしても、言わないつもりだ。あったらあったで「運命よ!」とサンゴが言いかねない。夢見がちなところがある彼女ならば絶対に口に出すとシオンは自信があった。



「でも、気を付けるのよ? シオンちゃんは人間界から落ちてきた人間なんだから。気づかれて狙わちゃうかもしれないからね?」


「それは気を付けるよ」

「でも、シオンならお人好し発動させそうだなぁ」



 カルビィンが心配そうに言うとシオンはうっと言葉を詰まらせる。放っておけない質なので気を付けていてもやりそうだと自分でも思ったのだ。



「シオン」

「あ、お父さん」



 二人と話しているとリベルトが教会から出てきた。サンゴたちに挨拶をすると彼は「そろそろ孤児院に行く時間ではないかい?」と時計を見遣る。はっとシオンは腕に付けていた時計を見れば、約束の時間に迫っていた。



「うっわ、遅れる!」

「急ぎましょう!」

「三人とも気を付けてね」

「行ってきます、お父さん!」



 慌てて駆け出す三人の背をリベルトは優しく笑みながら見送った。



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