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 高樋のスマートフォンのGPS情報が携帯キャリアから開示された時には、日をまたいで深夜になっていた。

 高樋のGPS情報は十月一日の午前二時頃から途絶えており、端末を破壊したか電源を切っていると予想された。おそらく警察に足取りを辿られることを警戒しているのだろう。GPSは秋森しずくの自宅付近で途切れており、移動履歴を見たところ、九月三十日の二十三時頃に自宅から電車で中目黒まで移動したあと、秋森の自宅付近をずっとうろうろしていたようだった。二十三時以前には下北沢や表参道、中目黒方面を移動していた履歴があり、高樋の日記に記載のあった『おかしなやつ』という人物を特定するのはすぐには難しそうだった。

「まずはGPS情報が途絶えた場所を調べるぞ。速水、念のため鑑識班も呼んでおけ」

 槇原の指示を受け、速水は本部に鑑識班を要請してから、高樋のGPS情報が途切れた場所まで車を走らせた。

 該当の場所は秋森の自宅マンション近くの路地裏で、街灯もなければ防犯カメラもない場所だった。車が入れるような幅はないが、一本表に出ると車の往来が少ない車道が通っているため、速水たちはそこに車を止めさせてもらった。車を停めると路地裏の奥がすっぽり隠れる形になり、捜査の様子を市民やマスコミに嗅ぎつけられることもなさそうだった。

 路地裏の調査は鑑識班に任せ、速水と槇原は周辺でざっと高樋の居場所の手がかりになりそうなものを捜索する。深夜だけあって人通りもなく、捜索作業を妨げるものはなにもない。だが高樋がいた時点から十日以上が経過しているため、当然わかりやすい遺留品などは見当たらなかった。

 一通り捜索を終えてから、速水は鑑識班の作業を眺めながら槇原に尋ねた。

「やはり、高樋はここで秋森と接触していたんでしょうか?」

「まぁそれ以外は考えられんな」

「だとしたら、一体どんな話をしたんでしょう? やはり、二人の接触が今回の事件に関係あるんでしょうか?」

「高樋がここで消息を絶ってから、蓑田殺害までわずか一週間だ。何の関係もないなんてことは考えられないだろうな」

「今すぐ秋森に聴取をかけますか?」

「いや、今はいいだろう」

 槇原の煮え切らない返答に首を傾げるが、彼には何か考えがあるのだろう。相棒に隠し事をされるのは気分がよくないが、槇原が意味のないことをするとは思えない。彼がまだ話すべきでないと判断しているのなら、そうすべきなのだろう。

 鑑識班の作業も難航しているようだったが、槇原は何か期待するような眼差しを彼らに向けていた。

「槙原さんは、鑑識で何か手がかりが見つかると思ってるんですか?」

「……そうだな。俺の最悪の予想が当たっていれば、絶対に見つかるものがあるはずだ」

「手がかりが見つかることが、最悪の予想なんですか?」

「まぁな。今に結果が出るさ」

 それだけ答えると、槇原は腕組みしたまま険しい顔で鑑識作業を眺め続けた。

 しばらく待つと、ようやく鑑識の指揮を取っていた出渕班長が近づいてきた。

「さすがだな、槇原。お前さんの言ってた通りのもんが出たぞ」

「……そうですか」

 そう応じる槇原の顔には、喜びよりも沈痛な色が浮かんでいた。一人状況についていけていない速水は、出渕に対して尋ねる。

「あの、一体何が見つかったんですか?」

「そこの路地裏の地面から、ルミノール反応が出たんだよ」

 ルミノール反応とは、血液の存在を発光で知らせる反応のことだ。それが出たということは、あの路地裏で誰かが出血したということに他ならない。

 驚く速水に対して、出渕は説明を続ける。

「ルミノール反応の範囲からして、出血量は大体蓑田茂、須賀和馬殺害時の出血量と酷似している。つまり……この場所で、第三の被害者が出たかもしれないってわけだ」

 速水は思わず槇原を振り返る。槇原がしていた『最悪の予想』とは、つまりこのことだったのか。これなら、高樋が急にケータイの電源を切って行方をくらませたのも納得がいく。高樋は十月一日にここで誰かを殺害し、捜査の手から逃れるために、GPSの履歴が残らないようケータイの電源を切ったのだ。

 だが、だとしたら被害者は一体どこにいるのだろう? 高樋が運び去って発見されにくい場所に遺棄したのか、あるいは……殺し損ねて誰かに発見され、病院などに搬送されたのか。

 いずれにしても、この発見は捜査を大きく進展させるに違いなかった。

「……くそっ。もっと早く高樋の捜査を進めておくべきだった」

 槇原は吐き捨てるように悔恨を漏らしてから、すぐに顔を上げた。その目には、すでに犯人逮捕のための闘志が燃え上がっている。

「速水、付近の防犯カメラの映像を手当たり次第にかき集めるぞ。絶対に犯行を証明する何かが出てくるはずだ」

「はい!」

 速水ははやる気持ちを抑えて、白み始めた空の下を駆け出した。


 防犯カメラ映像をかき集めて警視庁本部に戻ると、映像の解析を専門の部署に任せてから軽く仮眠を取った。

 目を覚ました頃には正午を回っていて、慌てて仮眠室を出ると捜査一課のデスクで槇原が雑誌を読んでいた。

「すみません。寝過ごしました」

「二、三時間しか寝てないだろ。もう少しゆっくりしててもよかったんだぞ?」

「それを言うなら槙原さんもでしょう」

 速水の指摘に、槇原は苦笑したようだった。そんなつもりはないのかもしれないが、槇原は時々速水のことをひよっこ扱いしているように感じる。女性刑事ということで気を遣っているのかもしれないが、相棒としてはそんな気遣いは不服でしかなかった。

 槇原は再び雑誌に目を落とすと、黙々と記事を読み始める。槇原らしくない行動に、思わず速水は疑問をぶつけていた。

「今はまだ待機中なんですか?」

「まぁ、俺たちは昨日の早朝から働きっぱなしだからな。ここらでしっかり休んでおかないと、夜に動けなくなるからな」

「あぁ……例の作戦は今日から始めるんですね」

 長濱を囮にして犯人を誘い出し、殺人未遂で現行犯逮捕する作戦については、速水ももちろん聞いていた。今までの犯行がすべて夜間だったため、今回も夜間の犯行になると想定して、日中の内に捜査員を少しづつ休ませるという上層部の判断なのだろう。

「それにしても、槙原さんが雑誌を読んでるなんて珍しいですね。いつもは読んでも文庫本とかじゃないですか」

「これも捜査の一環だからな。忘れたのか?」

 言って、槇原は雑誌を持ち上げてみせた。『週刊晩秋』と書かれたその表紙を見て、速水はすぐに納得する。

「長濱の記事ですか。そう言えば、今日発売の雑誌に載るって話でしたね。どんな内容でしたか?」

「あいつが言ってた通りの内容だったよ。読んでみるか?」

 雑誌を手渡され、速水は該当の記事に目を走らせた。

『衝撃のスクープ! 蓑田茂と秋森しずくの爛れた関係。蓑田氏殺害の裏に隠された真実?

 十月七日、あの有名テレビプロデューサーの蓑田茂が殺害されたのは、読者諸氏の記憶に新しいことと思う。実はこのほど、その蓑田氏の私生活に隠されていたスキャンダルが明らかになった。なんと、蓑田氏は数多くの女性タレントに枕営業を強要し、自分の番組にキャスティングする代わりに性行為を要求していたことがわかったのだ。犠牲となった女性タレントの数は百人以上にも及び、その中には今をときめく人気タレント秋森しずくも名前を連ねていたようだ。当社の調べでは二人の関係は五年ほど前から始まっており、二年ほど前に関係は決裂したらしい。その期間に、二人がホテルへ入っていくところや、秋森しずくが蓑田氏の自宅へ入っていくところを何度も当社のカメラが捉えている。蓑田氏の番組制作の腕は業界内でも評価が高く、バラエティ番組を作らせれば業界でも五指に入るとまで言われていたが、まさか彼がこんな淫蕩な生活を送っていたとは……死者の名誉を傷つけるつもりはないが、筆者である私としても衝撃を隠せないところだ。そしてまた、次世代のバラエティ女王と名高い秋森しずくの活躍が、実は枕営業に裏付けされたものだったということも、多くのファンにとってはショッキングな事実として受け止められるに違いない。ときに、蓑田氏殺害の犯人はいまだ捕まっていない。まさかとは思うが、二人の間に痴情のもつれがあって今回の悲劇が起きてしまったのではないか……バラエティ界で輝き続けた二人の裏には、途方もない闇が広がっていたのかもしれない。

 文・長濱京次郎』

 記事の隣には、蓑田と秋森が一緒にラブホテルに入っていく写真や、蓑田の居住マンションに入っていく秋森の写真がでかでかと掲載されていた。

「……思った以上に扇情的な内容ですね」

「だが、これなら犯人が動き出す可能性は高いだろう。腹は立つが、使えるものは全部使わないとな」

 殺人事件の犯人を追っているので、その気持はわからないではないが……速水としては、どうしても秋森のことが気になった。こんな記事を載せられてしまえば、彼女の今後に大きな影響が出るに決まっている。警察に雑誌の発行を止める権限などないが……こんな記事が出るとわかっていて、止めることができなかった自分が歯痒くて仕方がなかった。

 速水と違って、槇原はそのあたりを完全に割り切っているようだった。自分のスマートフォンをいじると、画面をこちらに向けてくる。

「長濱の顔写真はネットにも上がってる。犯人はおそらく、週刊晩秋のオフィス付近で長濱を待ち伏せて尾行を始めるだろう。俺たちも距離を置いて、長濱の周囲をがっちり警護する形になるだろうな」

「それにしても、長濱はよく囮なんて受け入れましたね」

「あいつにとっちゃ、協力すりゃ真犯人逮捕をどこよりも早くすっぱ抜けるわけだからな。そりゃ喜び勇んで飛びつくだろうよ」

 結局、今回の事件はすべて長濱にとって有利に働くということか。速水としては、大勢の女性のスキャンダルを食い物にして生きてきた男が、何の裁きも受けずにいるのはどうにも釈然としないものがあった。

「長濱のこと、罪には問えないんでしょうか?」

「俺も一応考えてはみたが、正直難しいだろうな。蓑田の枕営業強要も、須賀の恐喝行為も、長濱がいつ知ったのかを証明できないと従犯や犯人隠避罪にも問えない。証明できたとしても、罪に問えるかは怪しいもんだな。肖像権は侵害してるが、ありゃ親告罪だしな」

「……ああいう悪に対しては、私たちはなにもできないんですね」

「残念だが、今の法律じゃ無理だな」

 言って、槇原は椅子から立ち上がって速水の目を真正面から覗き込んできた。その迫力に思わず後ずさりかけるが、踏みとどまって彼の目を見返す。

 吸い込まれそうな瞳には、複雑な感情をないまぜにした暗黒が広がっていた。

「速水、俺たちが正義を行ってるだなんて思うな。悪人を裁くのは裁判所の仕事だし、善悪を法として定めるのは国会の仕事だ。俺たちにできることなんて、せいぜい現行法の違反者を捕まえることだけだよ」

「槇原さんは、それで納得できるんですか?」

「納得するかどうかの話じゃない。権限の話だよ。俺たちには長濱を悪だと断定する権利さえない。法で裁けない人間を裁こうなんてのは、犯罪者の考えだ。そこ履き違えたら、蓑田や須賀を殺したやつと同じになるぞ」

 高樋の日記に綴られていた内容を思い出し、速水は身震いする。確かに、高樋の日記には蓑田や須賀、長濱を邪悪と断じる言葉が並べられていた。秋森や被害女性の気持ちに寄り添うあまり、高樋の気持ちとシンクロしてしまうとは、刑事としてあるまじきことだ。

「……失礼しました」

 羞恥で顔が赤くなったのを隠すため、速水は軽く頭を下げた。これでは槇原にひよっこ扱いされるのも当然だった。

 槇原は特に気にした風もなく、椅子に座ってパソコンに向かう。

「別にいいさ。若いもんを指導するのも俺の仕事だからな。それより、休まないんだったら報告書を作るのを手伝ってくれ。夕方の捜査会議には間に合わせないと、警部にどやされる」

「了解です」

 速水は一度だけ深呼吸して気持ちを整理すると、デスクについて作業に没頭することにした。

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