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 昼まで須賀の遺族や仕事の人間関係を中心に捜査に当たってみたものの、めぼしい情報は入手できなかった。

 昼過ぎには警視庁本部に招集がかけられ、樫村管理官の指揮の元、捜査会議が開かれる。

「事件の概要を」

 管理官の短い指示に、槇原が立ち上がる。

「被害者は須賀和馬、二十八歳。芸能事務所に所属する俳優で、下北沢の自宅アパート前で死亡しているのを発見されました。蓑田の事件と様々な点が酷似しており、財布やスマートフォンなどはそのまま残されていて、死因は後頭部を殴られたことによる脳挫傷。棒状のもので死後も何度も殴打されているのも、右側頭部への打撃痕があるため犯人が右利きと考えられるのも同様です。また、被害者の打撃痕には蓑田のDNAも検出されたため、蓑田殺害と今回の殺人の凶器は同一のものと考えられます。検死の報告によれば、死亡推定時刻は本日十月十一日二時から三時あたりとのことです。被害者は大量にアルコールを飲んでおり、死ぬ直前まで近所のバーで酒を飲んでいたという目撃証言があります」

「殺害の目撃者は?」

「地取り捜査を進めていますが、深夜の犯行だったため望みは薄そうです。住宅街のため付近の防犯カメラも少なく、こちらも蓑田殺害事件と同様、期待はできなさそうです。また付近の駐車場の防犯カメラ、駅構内の防犯カメラでもそれらしい人物を特定できていない状態です」

 不甲斐ない報告内容だったが、樫村管理官は怒りを顔に出さず、あくまで淡々と会議を進める。

「凶器の線からの捜査は進んでいるのか」

「被害者の遺体の損傷を元に、折りたたみ式の警棒などを中心に首都圏の販売店を当たっていますが、いまだ犯人の特定に至っていません。引き続き調査を続けますが、購入時に住所などの申告が必要なものではないので、店頭販売で購入されていた場合、凶器の線から足取りを追うのは困難かと思われます」

「被害者の人間関係は?」

「両親は健在で、埼玉の浦和に住んでいるようです。被害者は一人っ子だったようですが、大学を中退して以来、両親との人間関係は疎遠になっていたようで、年に数回メールで連絡を取り合う程度だったそうです。役者仲間の話によると、須賀の女性関係はかなり奔放だったようで、同時期に複数人と交際をしていたり、配偶者のいる相手を誘ったりすることもあったようで、男女問わず彼を恨んでいる人間は多いとのことです」

「……つまり、また大量の容疑者リストを潰していかねばならんわけか」

 樫村管理官は一度だけうんざりしたようにぼやいてから、会議を進める。

「次、鑑識」

「はい」

 槇原の代わりに、鑑識班の出渕班長が立ち上がる。

「遺体発見現場はアパートで人の出入りも多く、不鮮明な下足痕が多数発見されており、犯人の下足痕を特定することは困難です。また毛髪も多数発見されましたが、現場が屋外なので蓑田殺害事件と同様アテにはならなそうです。現場の出血量からして、発見現場が殺害現場なのは間違いはないでしょう。被害者の自宅アパートはほとんど服で埋まっていて、通帳などを見ると金回りはかなりよさそうでした。押収したスマートフォンを解析中ですが、蓑田の事件同様、女性関係はかなり乱れていたようです。お手元のリストを御覧ください」

 出渕班長に促され、会議前に配られた資料に目を落とす。

「お配りしているのはメッセージアプリのやりとりの一部をコピーしたものと、やりとり相手のリストです。どうも須賀という男、百人近いの女性タレントのスキャンダルのネタを握っていたようで、その内の四十人からスキャンダルをネタに恐喝を行っていたようですね。スキャンダルを売った実績もあるようで、雑誌記者と思われる『ハマー』という人物に情報を売ってると思しきやりとりもメッセージアプリに残っています。また、それ以外にも多数の一般女性から借金をしていたようで、それらの督促はすべて無視していたようです」

「また百人以上の容疑者か。女性タレントが含まれているのなら、蓑田茂殺害の参考人リストに載ってるものはいないのか?」

「ご推察の通り、蓑田茂の参考人リストと重複している人物が数名いました。光石音乃、秋森しずく、七瀬瞳の三人です。いずれも蓑田茂と肉体関係のあった女性であり、うち二人は蓑田茂と関係を断とうとしていたこともあり、殺害の動機は十分にありそうです。ただ、須賀も蓑田も芸能関係者ということで、双方のメッセージアプリに登録されている人物は他にも多数いるため、前述の三人だけに対象を絞っていいかの判断は難しいところかと思います」

 名前の並びに、速水と槇原は思わず視線を交わした。蓑田殺害の際、初日に聴取した三人だ。あの時は参考人リストの数が膨大だったため、あれ以上聴取に時間を割けなかったが……そのせいで須賀の殺害につながったのかと思うと、激しい後悔が胸を襲う。

 捜査資料には須賀と三人の直近のやりとりがコピーされており、速水は素早くそれらに目を通す。

 光石音乃と須賀和馬とのやりとりは、ここ数ヶ月で始まって急速にやりとりの頻度を上げていた。光石からのメッセージは恋人同士のようだったが、須賀からの返信は淡白なものが多かった。


 おと『カズくん、今日遊べる? ――九月二十五日 十二時二十四分』

 和馬『今日は無理。 ――九月二十五日 十二時四十一分』

 おと『えー? じゃあ明日は? ――九月二十五日 十二時四十三分』

 和馬『舞台の練習。遊べる時はこっちから連絡するから。 ――九月二十五日 十二時五十七分』

 おと『わかった! 絶対誘ってね! ――九月二十五日 十三時〇分』

 おと『今日もダメ? ――十月二日 十四時二十九分』

 和馬『今日も舞台の練習。 ――十月二日 十八時三十七分』

 おと『今から会えない? ――十月八日 十五時四十三分』

 おと『つらいことがあったから、話聞いてほしい……。 ――十月八日 十五時四十五分』

 和馬『今気づいた。そっち行こうか? ――十月十日 二時十二分』

 おと『来て! 待ってる! ――十月十日 二時十四分』


 蓑田殺害が報道された十月八日を機に、急激に光石のメッセージのトーンが重くなっている。その後二人は会っていたようだが、なにがあったのかは本人に聞くしかないだろう。

 続いて秋森しずくと須賀とのやりとりだが、こちらも四年ほど前に光石と同じようなやりとりを頻繁にしていたようだった。その頃に須賀に金も貸していたようで、秋森は何度か返済を催促していたようだが、二年ほど前からその手のやりとりもなくなって没交渉になっていた。おそらく、売れてから秋森は須賀を切ったのだろう。だが、蓑田殺害を機に急に須賀から連絡が入っていた。


 和馬『蓑田さん死んじゃったみたいだね。 ――十月八日 十五時四十八分』

 しずく『急になに? ――十月八日 十八時十四分』

 和馬『しずくと蓑田さんのこと、俺知ってるんだよね。 ――十月八日 十八時十八分』

 しずく『何のこと? ――十月八日 十八時二十四分』

 和馬『しらばっくれても無駄だよ。今からお金持ってこれる? ――十月八日 十八時二十六分』

 しずく『バカにしないで。 ――十月八日 十八時三十五分』

 和馬『強がんなよ。せっかくのキャリアが台無しになっちまうぞ? ――十月八日 一八時四十二分』

 和馬『おい、無視すんな。 ――十月八日 二十時五十一分』

 和馬『どうなっても知らねえからな。 ――十月十日 十二時二十五分』


 秋森に完全に無視されて、須賀は逆上していたようだった。その後彼は『ハマー』という雑誌記者にメッセージアプリで、秋森のことをタレコもうとしている。『ハマー』は多忙なせいか返信は返ってきていないので、おそらく須賀は『ハマー』という記者に会って詳細な情報をリークする前に亡くなったものと想像できた。

 七瀬と須賀は五年前からやりとりが始まっていて、一年間ほど頻繁にやりとりがあったようだが、借金返済の督促が増え始めたあたりからやりとりが少なくなっていき、その後すぐに連絡が途絶えていた。その後、蓑田殺害の報を機に、須賀から七瀬に連絡を取り始める。


 和馬『結婚するんだってね。 ――十月九日 十二時六分』

 七瀬『は? ――十月九日 十二時二十三分』

 和馬『IT会社の役員を落とすなんてすごいね。 ――十月九日 十二時二十八分』

 七瀬『どうして知ってるの? 気持ち悪いんだけど。 ――十月九日 十二時三十四分』

 和馬『松嶋さんって言うんだっけ? 彼が君と蓑田さんとのこと知ったらどう思うかな? ――十月九日 十二時四十分』

 和馬『無視すんなよ。今すぐチクるぞ? それが嫌なら今すぐ五百万持ってこい。 ――十月九日 十三時十九分』

 七瀬『好きにして。 ――十月九日 十三時二十三分』

 和馬『は? 金持ちとの結婚が台無しになるんだぞ。 ――十月九日 十三時三十分』

 七瀬『彼、たぶんもう知ってるから。 ――十月九日 十三時三十五分』

 和馬『なら、雑誌にリークするぞ。 ――十月九日 十三時三十八分』

 七瀬『どうでもいい。 ――十月九日 十三時五十二分』

 和馬『後悔することになるぞ。 ――十月十日 十二時二十八分』


 須賀からの連絡は、ちょうど槇原と速水が聴取に行った翌日だった。槇原からの電話で、蓑田との関係が恋人にバレてしまったことを知らされた翌日、という意味でもある。その事実を知っていると、七瀬のメッセージはひどく無気力で厭世的に感じられた。

 ぬかに釘といった感じの反応に、須賀は手応えを感じずに諦めたのだろう。ここでやりとりは終わっており、宣言通り須賀は『ハマー』という人物に七瀬のこともタレコんでいる。『ハマー』からの返信はやはりなく、須賀の殺害によってリークが防がれる形になっていた。

 資料から顔を上げると、出渕班長が報告を終えて席に座るところだった。樫村管理官はしばし黙考してから、捜査方針をまとめる。

「この三人は蓑田茂殺害と須賀和馬殺害をつなげる重要参考人だ。少数精鋭で徹底的に当たれ。だがそれとは別に、他の参考人も潰す必要がある。そっちは人海戦術で潰してくれ」

 そこまで言ってから、会議室に集まった一同の顔を見渡し、力強く宣言する。

「犯人はすでに二人殺している。三度目が起きることは絶対にあってはならない。総員、全力で捜査に当たれ」

 捜査員たちが散会する中、槇原は前方の席に向かって迷わず直進していった。速水も慌てて、その背中を追う。

 槇原が向かった先にいたのは、東雲警部だった。会議室の前方の席に座っており、しかつめらしい顔で捜査資料を睨んでいる。東雲班長はこちらに気づくと、うんざりしたように顔を歪めた。

「お前らか。こんなところで遊んでないで、さっさと捜査に向かえ」

「東雲警部。光石、秋森、七瀬の三人の聴取、俺らにやらせてください」

「そういや、蓑田茂殺害の時にその三人を聴取したの、お前らだったな」

 東雲警部は資料を乱暴に机に置くと、立ち上がって槇原を睨み上げた。一九〇センチを超える槇原の長身に対し、東雲警部は平均的な身長だったが、長年現場に出て警部になっただけあって体格以上に迫力がある。

「お前らがまともな聴取してたら、須賀の殺害は防げたんじゃねえのか? その上、もう一度自分たちに聴取させろだ? あんま俺をなめるなよ」

「俺と速水は、前回の聴取で彼女たちの信頼を得ていますし、彼女らの聴取の勘所もわかっています。それに、速水のような女がいるのは聴取の武器になる。他の誰よりも俺たちが適任です」

「前回ミスったから、汚名返上したいってのか? お前らのワガママに付き合ってやれる状況じゃねえんだよ」

「わかりました。なら、一番優秀な刑事を彼女たちに当ててください。例えば、一番検挙率が高い刑事とか」

 槇原の提案に、東雲警部は舌打ちした。少なくともここ二、三年の捜査一課で、一番検挙率が高い刑事は間違いなく槇原だったからだ。

「クソ生意気な。てめえは自分以上に優秀な刑事はいねえと思ってんのか?」

「そんなことはありません。俺はただ、自分のできる全力を尽くして、犯人を挙げたいだけです」

 しばし睨み合ってから、東雲警部は根負けしたように顔を背けた。

「わかった。上には俺が話を通しておく。例の三人の取り調べは、引き続きお前らが当たれ」

「ありがとうございます」

 槇原とともに頭を下げてから、二人で会議室を出た。車に乗り込むと、速水は車を走らせながら槇原に尋ねる。

「あんな無茶して大丈夫なんですか?」

「東雲警部とのことか? それなら心配するな。あの人は最初から俺らにこの仕事を振るつもりだったよ」

「え? じゃあ、どうしてあんなに揉めてたんですか?」

「毎度毎度、重要な仕事を同じ部下に回してたんじゃ、あの人の立場も悪くなるだろ。だから、ああやって意見が対立してる風に見せたほうが都合がいいんだよ。あの人が本気で嫌ってるなら、俺はとっくに別の班に飛ばされてるさ」

 警部と槇原は付き合いが長いので、速水には推し量れない駆け引きがあるのだろう。

「つっても、これで次の殺人が起きたら完全に俺たちの責任だ。後がないと思って死ぬ気でやるぞ」

「了解です」

 速水はうなずきを返し、アクセルを踏み込む足に力を込めた。

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