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 アカウント名『おと』の自宅は下北沢のアパートだった。

 電話で捜査の協力を頼んだところ、夜だというのに彼女はすぐに聴取に応じてくれた。すでにニュースを見て蓑田の死を知っていたらしく、電話越しでも鼻声になっているのがわかった。

 女性の証人から聴取する場合、表立って捜査のハンドルを握るのは概ね速水のほうだ。速水は少し緊張しながら、アパートのドアをノックした。

 部屋の奥からパタパタと足音が響いたあと、ドアが開く。

 ドアの向こうから出てきたのは、小柄な少女だった。身長は一五〇センチほどで、あどけなさの残る童顔もあいまって、下手をすれば女子中学生かと見紛うほどだ。髪を頭の両サイドで括っており、キャミソールとショートパンツの部屋着姿は、いけないものを見ているような気分になる。ぱっちりした瞳が赤く充血しているのは、先程まで泣いていたからなのだろう。

 彼女は速水の顔を見ると、少しだけほっとしたように表情を和らげた。

「あの、蓑田さんの事件を捜査している刑事さんですよね? どうぞ、中に入ってください」

 促されるままに室内に入ると、雑然としたワンルームの小さなテーブルを挟んで向き合った。

「光石音乃さんですね。急な連絡にも関わらず、捜査にご協力いただいてありがとうございます」

「いえ……蓑田さんを殺した犯人なんて、絶対に捕まえて欲しいですから」

「光石さんは、蓑田さんとはどういったご関係だったんですか?」

「私のところに来たってことは、刑事さんもなんとなく察してるんだと思いますけど……私と蓑田さんは、その、男女の関係で……」

「あの、失礼ですが光石さんはおいくつですか?」

「あっ! 私、これでもちゃんと成人してますからね。ほら」

 言って、光石は財布から免許証を取り出した。確かに、今年の二月で二十歳になっているようだ。

「……失礼しました。では、蓑田さんとはどういう経緯で男女の関係になったのでしょうか?」

「えっと……話が長くなるんですけど、大丈夫ですか?」

「もちろんです」

 速水がうなずくと、光石は一度深呼吸してから話し始める。

「私、十五歳の時からアイドルをやってて……エンジェルウィッシュっていう十人組のアイドルグループだったんですけど、あんまり人気が出なくて。去年とうとうグループが解散しちゃって、他のみんなは芸能界を引退しちゃったんですけど、私はまだこの世界で夢を叶えたくて……結構きわどいグラビアとかもしてなんとか仕事を続けてたんですけど、自分でも限界ってわかってて、そんな時に手を差し伸べてくれたのが蓑田さんだったんです」

「具体的にはどんなことをしてもらったんですか?」

「私、アイドルやってた頃は全然バラエティ番組とかで活躍できなかったんですけど、アイドルグループが解散してから蓑田さんの番組に呼んでもらったら、すごく面白くしてもらえたんです。それからも何度か番組にも呼んでもらえるようになって、他のお仕事も増えたりして……蓑田さんがいなかったら、私も今頃芸能界を引退してたかも……」

 当時を思い出して感極まったのか、光石が鼻をすんすんと鳴らし始める。

 この状態でうかつに踏み込んだ質問をすると、感情的になって話をしてくれなくなる可能性がある。速水が慎重になっていると、槇原が横から爆弾を投下してきた。

「番組出演の際に、なにか蓑田さんから要求されませんでしたか?」

「槇原さんっ」

 速水は慌てて相棒を制するフリをするが、これは常套手段だった。槇原が証人を攻め立て、速水が証人をかばう。この連携で何度も証人の口を開かせ、証言を引き出してきたのだ。

 アイコンタクトを交わす必要もなく、槇原はそのまま攻め立てる。

「あなたはこれまで、バラエティ番組で結果を出せていなかったんでしょう? そんな人を番組に呼んで失敗でもしたら、下手したら蓑田さんが責任を問われかねない。そんなリスクを背負ってもいいと思えるほど、蓑田さんにはあなたをキャスティングするメリットがあったのでは?」

「槇原さん、そんな言い方は」

「……いえ、いいんです」

 こちらのいさかいをやんわりと制してから、光石は話し始める。

「刑事さんが疑うのも無理ないと思います。でも、私と蓑田さんがそういう関係になったのはなりゆき上のことで、蓑田さんから肉体関係を求められたことはないんです」

「具体的にはどういうなりゆきだったんですか?」

「蓑田さんとの出会いは、今年の二月に初めて番組のオーディションに呼ばれた時でした。オーディションで全然爪痕を残せなかった私に、もう一度だけチャンスをくれると言って一対一で再オーディションをしてくれたんです。そこで私のダメなところを全部指摘してくれて、このままだと全然バラエティじゃ結果を出せない、売れないまま終わっていくって正直に言われて……私がショックで泣き出すと、蓑田さんは急に優しくなって、俺がお前を一人前にしてやる、だから俺に全部任せろって言ってくれて……それで私、蓑田さんを心から信じることにしたんです。その日の帰りに、もう少し今後の活動について打ち合わせをしようって言ってくれて、それで近くのホテルに入って……そこで、初めて男女の関係になったんです。それからなんとなく会うことが増えていっただけで、別に枕営業とかを強制されたわけじゃないんです」

 話を聞き終える頃には、速水の胸は蓑田への嫌悪感でいっぱいになっていた。

 槇原に視線で促され、速水はやんわりと彼女に説明する。

「失礼ですが、蓑田さんと一対一で行われたオーディションというのは、典型的な洗脳の手法ですね」

「洗脳、ですか……?」

「はい。外部からの情報を遮断して、密室の中で相手に恐怖感を与え続け、相手の恐怖がピークに達したところで安心を与える。DVの被害者がよく受けている手口と酷似しています。ホテルに連れて行かれた時も、蓑田さんに選択肢を提示されませんでしたか?」

「はい……このまま帰るか、リラックスできる場所で打ち合わせを続けるか、どっちがいいか聞かれて……」

「相手に選択肢を与えたようで、自分の求める結論に誘導するのも洗脳の典型的な手口です。自分の芸能活動が終わるかもしれないと思ったあなたが、自分を助けてくれるかもしれない権力者の誘いを断れるわけがない。光石さん、あなたは蓑田さんに洗脳されていたんだと思います」

「そ、そんな! 蓑田さんが私を洗脳なんて……」

「信じたくないのはわかります。ですが、あなたと蓑田さんのメッセージアプリのやりとりを見ている限り、蓑田さんはあなたのことを『セックスのためにいつでも呼び出せる都合のいい女』としか思っていなかったと思います。そんな風に都合よく扱うために、洗脳の手管を使っていたんです」

「嘘ですっ! わ、私、そんなこと信じません!」

「番組を何本も抱えている蓑田さんからしたら、数ヶ月に一回女性タレントをキャスティングするのは造作もないことだったと思います。確認したいのですが、蓑田さんから二人の関係を口止めされていませんでしたか?」

「……それは……そう、ですけど」

「彼はあなたの他にも、複数人の女性と同様の関係を持っていた疑いがあります。あなたは彼の都合のいいように利用されていただけなんです」

「そんな……」

 複数人というのはだいぶ控えめな表現にしたつもりだったが、それでも彼女は相当にショックを受けたようだった。もし「あなたの尊敬している人は、百人以上の女性タレントを食い物にしてきたクズ野郎です」と言っていたら、ショックのあまり卒倒していたかもしれない。

 青ざめた表情の光石が心配になり、速水は思わずテーブルの上に置かれた彼女の手をそっと握りしめた。

「傷つけるようなことを言って申し訳ありません。ですが、今後また同じような手口で騙されて欲しくないので、正直に言わせてもらいました」

「いえ、ご親切にありがとうございます。ですが」

 ショックから立ち直ったのか、彼女が顔を上げた時にはすでにあどけなさの残る少女の顔ではなく、痛みを知った女の顔になっていた。

「きっと、今の私があの瞬間に戻れたとしても、まったく同じ選択をしていたと思います。それくらい、私にとって芸能界で輝くことは大事な夢なんです」

 真っ直ぐな瞳で突き放され、速水は思わず言葉に詰まってしまった。

 聞きたいことは山ほどある。なぜそこまでして芸能界にこだわるのか。尊敬していた人物にモノのような扱いをされたと知っても、芸能界への憧れを消せずにいられるものなのか。その執念はどこからくるのか。自分から見世物になって、男たちから下卑た視線で見られることにどうしてそこまで情熱を燃やせるのか。速水には到底理解できないことばかりだった。

 だが彼女の視線があまりにも真っ直ぐだったので、そんな疑問をぶつけて、彼女の意志に冷や水を浴びせる気にはなれなかった。

 速水の動揺を見て取ったのか、すぐに槇原が必要な質問を続ける。

「一昨日の夜も蓑田さんから呼び出しがあったようですが、その時になにか普段と変わったことはありませんでしたか?」

「いえ、特には。いつも通り蓑田さんの自宅にうかがって、エッチをして、タクシー代をもらってすぐに帰りました」

「蓑田さんの様子に不審な点は? 口論やいさかいなどもありませんでしたか?」

「そうですね……いつもは他愛のない雑談とかもしてくれるんですが、その日は部屋に入ってすぐそういう流れになって……いつもより乱暴だったような気もしますが、それ以外は特には」

「これは形式的な質問なんですが、昨日の二十二時から二十四時の間、どこでなにをしていましたか?」

「その日は仕事もなくて一日オフだったので、その時間は部屋でひとりで映画を観ていました」

「あなたと蓑田さんの関係を知っている方がいたら、こちらに氏名と連絡先を書いて頂けますか?」

 言って、槇原は手帳からページを一枚破き、ボールペンとともに差し出す。

 それを受け取りながら、光石は困ったように眉を寄せた。

「あの、いない場合はどうすればいいですか?」

「その場合は、あなたのお名前と連絡先だけ記載していただければ大丈夫です」

 光石は言われるがまま、紙片に自分の連絡先を書こうとするが、右手で何度ペン先を滑らせてもインクが出ない。

「おっと、インク詰まりですかね。お手数ですが、芯を替えてもらってもいいですか?」

 言って、槇原は有無を言わせず替えの芯を差し出す。

 強面の槇原に頼まれると断りづらいのか、光石は仕方なく受け取り、ペン先の口金を右手で力いっぱい回す。だが固く締められた口金はびくともせず、光石は助けを求めるように槇原を見た。

「あの……」

「あぁ。外れませんでしたか。失礼しました」

 槇原はボールペンを受け取ると、簡単に口金を外して芯を替えた。そして光石にボールペンを戻し、今度こそちゃんと連絡先を書いてもらう。

 これで確認すべきことは確認できた。槇原が目で合図を送ってくるので、速水は聴取の締めを引き継いだ。

「光石さん、捜査にご協力いただいてありがとうございました。またお話をうかがうことがあるかもしれないので、なるべく連絡が取れるようにしていただけると助かります」

「わかりました。……あの、刑事さん」

 光石は一瞬だけためらってから、悲しげに笑って言葉を続ける。

「蓑田さんを殺した犯人のこと、絶対に捕まえてくださいね。本当はひどい人だったのかもしれないけど、やっぱり私にとっては、終わりかけていた夢を繋いでくれた大切な人だったんです。もしこれで私のキャリアが終わっちゃったら、私、絶対に犯人のことを許せません」

「……全力を尽くします」

 可能な限り誠意のある言葉で返答してから、速水と槇原は光石のアパートを出た。駐車場の車に乗り込んだあと、槇原はこちらも見ずに尋ねてくる。

「あの娘、お前はどう見る?」

「口金の回し方を見ると右利きで、犯人と利き腕は一致しています。アリバイもありませんが、蓑田との間にいさかいはないようでしたし、蓑田に利用されている自覚もありませんでした。蓑田が死亡したことで大きなデメリットを被っているのもありますし、彼女が殺害に関わっている可能性は低いかと。第一、口金も外せないような腕力で大の男を撲殺するなんて無理があります」

「お前はそう言うだろうと思った」

「槇原さんは違う意見なんですか?」

 尋ねると、槇原は口の端に苦笑を浮かべた。

「俺が女ってやつらを信用してないのは知ってるだろ? いさかいがあったかはどうかはあの娘の証言だけだし、本当に洗脳されてたかどうかも疑わしいところだ。本当は全部わかった上でのっかってたのかもしれない。蓑田が番組へのキャスティングを渋ったのか、行為を盗撮されてたのに気づいて、カッとなって殺害計画を立てたって可能性もある。腕力だって怪しいもんだ。本当は口金が外せたが、わざと外せない演技をしてたのかもしれん」

「ですが、洗脳されていたとわかった時の彼女の反応は、とても演技とは思えませんでした」

「相手は芸能人だぞ? 演技のレッスンくらいは受けてると思え。そうでなくても、女ってのは天性の役者だからな」

 凄まじいほどの猜疑心だったが、彼の経歴を思えば不思議なことではなかった。

 槇原は刑事の父と専業主婦の母の家庭で育ったが、槇原が幼い頃に、父親が公務で殉職してしまっていた。父親の保険金受け取った母親はギャンブルにつぎ込んで借金まみれに陥り、十歳の槇原と無理心中を図るが、槇原は必死に抵抗して一命をとりとめた。その後、彼は親戚の家に引き取られたが、その家では叔母に育児放棄されており、幼少期から極度の女性不信になってしまったのだ。

 学生時代には女性に触れられるだけで吐き気がするような生活だったらしいが、警察学校に入る頃にはなんとか克服し、何度か女性と付き合った経験もあるらしい。だが女性に好かれる顔立ちではなかったこともあり、浮気や手ひどい裏切りを繰り返され、彼の女性不信は静かに降り積もっていった。

 それが公務に悪影響を与えるようなら問題だが、彼の場合、女性不信のおかげで何度も犯人の嘘を見抜いて警視庁の検挙率に貢献しているため、速水としても何も言えないでいた。

 槇原はしばらくスマートフォンをいじっていたが、何かを見つけて顔を上げた。

「光石音乃が前に所属していたアイドルグループだが、どうやらメンバーの不祥事で解散になったようだな」

「不祥事ですか?」

「ああ。グループの中心核のメンバーのスキャンダルがすっぱ抜かれたらしい。妻帯者との不倫、過去のSNSでの差別発言、学生時代の売春経験……それが同時に雑誌とネットに出回ったせいで、人気があったトップの三人が揃って炎上して収拾がつかなくなって、事務所もグループごと解散せざるを得なかったらしい。まぁ完全に自業自得だが、同時に出るってのは何か作為的なものを感じるな」

「まさか、光石が情報を漏らしたと思ってるんですか?」

「可能性がないわけじゃないだろ」

 そうだろうか。少なくとも、速水には、光石にそんな大それたことをする度胸も機転もあるとは思えなかったが、槇原はどんな女性にも躊躇なく疑いの目を向けられるようだった。

 ふと疑問が湧いて、速水は思わず槇原に尋ねていた。

「そんなに女性を信用していないのに、どうして槙原さんは私と組んでいられるんですか?」

 何の気なしに発した質問だったのだが、槇原は目を丸くしてこちらに視線を向けた。

「お前、もしかして俺が女嫌いかミソジニストだと思ってないか?」

「違うんですか?」

「言っとくが、俺は別に女が憎くて疑ってるんじゃない。女がなにを考えてるのかまるでわからんから、必死になって頭をひねってるだけだ」

 それに、と前置きしてから、槇原はにやりと笑う。

「お前は確かに女だが、俺の同類だろ? 俺が女を信用してないように、お前は男を信用してない。だからお前の考えはなんとなく理解できるし、持ちつ持たれつでやってられてるんだ。お前もそう思ってるから、俺のことを相棒として計算できてるんじゃないか?」

「……そうですね」

 フラッシュバックしかけた苦い記憶を振り払うように、速水は車のアクセルを踏み込んだ。

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