救いがなさすぎてぴえん

第18話 七月二十一日、午後八時四十三分。

 羽虫根性の盛んな夜の街、夜のコンビニ。ネオン色のライトに群がる蛾や害虫共の気分が、今の僕には僭越ならが薄々わかる気がしたりしなかったりする。夜、暗いもんな、不安だもんな、怖いもんな、と。虫畜生に同情する。僕は記憶上、初めての夜ってもんを過ごしている。

 それなりにコンビニエンスしているコンビニで夜の買い出し中である。

 自動開閉ドアから押し流される人工的な冷気を浴びながら、入店する。

 ポップな入店メロディと、

 着色された白色ライトと、

 ありあわせの格好の僕と。

「……夕飯を買いに来たわけだけれども」

 我が家の冷蔵庫の中身事情は恐怖の一端を覚えるぐらいに何もなかった。少なくとも人の住んでいるアパートの一室に設備されている冷蔵庫の内容物を点数化するのであれば余裕の落第点で有り単位の再履修が必要になる程度であるぐらいには中身がなかった。やる気のない大学生でもまだ中身のあるレポートを提出できそうまである。つまり、余程である。

 唯一、取り残されていた一週間前に消費期限切れの菓子パンが哀愁を漂わせる冷蔵庫。

 緊急の課題として即座に弁当なりなんなりを買い占めなければ、と参上して今に至る。

 そう、明日を生き延びるために。

「……でも時間も時間やし、あんまりええもんもないんよなー」

 陳列されている商品はサンドイッチやおにぎり等々、絶妙に腹持ちが悪そうで、そのくせ割高な商品ばかり。明日をも知れぬこの命、まさか割高コンビニ商品を前に屈する羽目になりそうだとは。笑うに笑えない。これだから資本主義は、、、

「……ん?…………あー、うん。僕の分だけでええんですよね?」

 どうやら。どうやら『彼女』の眼には、僕が僕以外の誰かの分まで考慮しているように映ったらしい。

 その実態はまるで否であるわけだが、勘違いをされて困るものでもないのだから否定しないでおこう。

 ともかく、目や鼻や口の所作が見える程度では人の心を読もうだなんて断然無理な話らしい。

 もっとも、目や鼻や口も見えない『彼女』の心根など、

 なんでもない僕如きが知れるはずもない代物に違いないが。

「……ま、ええか、どれでも。……じゃ、このカップ麺で」

 なるべく味より量を重要視で。

 焼きそば最高。焼きそば最強。

「……あれ、いくらやっけ」

「……あ、一個二百円と四十円なのね。どうも」

「……予算は五百円以下やから、明日の分も含めて二個まとめて買っておいた方が二度手間にならんで済むよな」

「…………ま、そう言うことなら、二個まとめて買っておこうかな。しめて四百円と八十円」

 ……と、そう言うことらしいので、二個まとめて買っておこうと思う。これが噂の大人買いってやつだろうか。すると急にワルというか、ワイルドって感じがしてくるじゃないか。このさいだ、こっそり予算内でギリギリ余った二十円で駄菓子パーティーでも開いちゃおうかしら。

 ……僕じゃない、『彼女』のお金で。

 ……『彼女』のお金で。

 ……やめておこうかな。

「……あー、はい。これで。以上で。……ありがとうございます」

 二個の商品ともレジで会計を済ませてしまう。

 お釣りも受け取り、そのままの足で店外へ。

 店外はまさしく夜一色であった。黒と黒の間に街灯が挟まるだけの世界。これが滋賀県の県庁所在地大津市などではなく、都会の、例えば草津市あたりであればもうちょっと賑やかだったりするのだろうか。都会の引き合いに草津市を出すあたりが最高に田舎っ子を醸し出す僕ではあるが、思ったほどこの夜の孤独じみた寂しさってのに飲み込まれそうな気分ではなかった。

「…………ん、……あー、見えてますよ。見えてます。街灯もあるし」

 実はさっきから持っていた学生手帳の自由欄ページを、街灯の元に置く。


『無制限に拠出することを許すわけにはいかないので、五百円以内でお願いします。』

『私の分の夕食でしたら、ご心配には及びません。』

『二百四十円です。すぐ下の値札に書かれていますよ。』

『そのぐらい貴方の裁量に任せます。これは貴方の分の買い出しですので。』

『見えていますか?』


 どれもこれも僕の字ではない。それに、僕は土台もなければ、まして人の手に持たれたままの手帳に文字を書き起こすなんて器用な真似など出来やしない。あと、加えるならば、ここまで人間味のない書体の文字も書けそうにない。

「……あの、今更やけど、……その、いただきます」

『金銭についてなら、お気になさらないでください。』

 ひとりでに、文字が浮かび上がる。

『貴方に支払能力があるとは思えませんから。そのぐらいの金銭ならば捻出することも吝かではありません。それに、『わたし』の身体で風邪でも拗らされる方がずっと困りますから。気になさるのであれば目先の金銭などではなく、健康面を万全にしておくことを留意しておいてください。』

 嫌味も一緒に。やはり、ひとりでに。

「……本当に、信じられそうもないんよなぁ」

 今朝から続く一連の摩訶不思議現象の数々、順を追えば、身体の入れ替わり事件に、記憶喪失事件、教室でぶっ倒れる事件に、帰宅直後の事件。もう散々で懲り懲りと言ったところだったが、それでもまだ飽き足らずにサプライズを仕掛けてくれるのだから、このサプライズの主催者の陽キャっぷりは推して知るべしである。そのくせ、やることなすこと陰キャの所業ときたもんだから可愛げもない。チクショウめ。そう思うと腑が煮え繰り返りそうになる。

「…………ほんまにおんねんな?」」

 ……そうこうあって、終いには霊障現象。

 ……大事件やないか。

 遂に正真正銘のオカルト現象が勃発してしまった。

「……疑うわけやないけど、貴方が『本物』なんですよね?」

『話の趣旨がわかりかねます。が、私は岸辺織葉本人です。』

「……そっか。そっかー。じゃあ、やっぱり、僕は『偽物』で間違いなさそうやね」

 一つ、ようやっと確証を得た。『僕』の正体はやはりと言うべきか、『岸辺織葉』とは別人であるらしい。現に、ここにおられるであろうは『岸辺織葉』ご本人様である。そしてこの文字は『岸辺織葉』本人の文字である。まさかの事態で予想の斜め上の邂逅ではあるのだが、そうか、そうか。

 ……だったら、教えて欲しいのですよ。

 ……だったら、僕は一体、『何者』なのだろう、と。

「……これから、よろしくね。……岸辺、さん」

 嫌味を言われているのだから、こっちも嫌味ったらしく君の見た目のまま「さん」付けで君の名前を呼んでやろう。それくらいの意趣返し、きっとお天道様も許してくださるはずだ。君はせいぜい背筋の辺りをむず痒くさせていればいい。ざまー見ろ。はっはっはー。

 もっとも、幽霊相手に背筋が痒いなんて概念が存在すればの話だが。

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