☆第36Q うちのエース

 互いにロッカールームから出ては、シューティングを始める。メインタイマーが2分を表示するとオフィシャルの人がブザーを鳴らし2分前を知らせる。

 それを聞いた選手たちは、自チームのベンチへと戻っていく。その様子を見ても、筑波凛城つくばりんじょうの選手の表情は冷静である。


 他のコートでは後半の試合が始まっているにもかかわらず、観客席に座る多くの他チームの選手やコーチ陣の視線は水咲と筑波凛城つくばりんじょうの試合が行われるコートに釘づけられており、彼らは観察するようにコート上に視線を向ける。その中には、対戦相手の分析のために試合の映像を撮るためにビデオカメラを回す人が複数人。


「筑波は相変わらずメンバー変わらず、か」

「エースの大狼おおがみを止め切れていないに加え、他メンバーも実力はある奴らばかり。ここで点差を引き離すつもりなんでしょ」

「それに対して、水咲はスタメンに戻してきたっぽい」

「打つ手なしって感じか?」

「いや、違うみたいだ」


 様々な意見が観客席で行われている中、水咲ベンチには座って、桐谷の説明を聞いていた5人の中には前半から出ずっぱりの須田、海堂、朝比奈。それに加え、前半出番無しの海堂かいどうと第1Qクォーターで爆発的なスリーを見せるも第2Qクォーターはその勢いが失速した安藤の姿が見えた。


「作戦はロッカールームで言った通り。メンバーは、先程も言ったように後半白橋から海堂、内山は安藤に変える。他メンバーもいつでも出られるように準備しておけ」


 桐谷の手元にある作戦盤でフォーメーションを確認している中、ふと顔をあげた桐谷の視線は夜野に向けられていた。それに気づくのは、水咲の誰も気づくことはなかった。とはいえ、チーム全員の気合の籠った返事が揃う。

 互いのチームの後半開始のメンバー5人がベンチから立ち上がると、どよめきが起こる。


大狼おおがみはどんなプレーを魅せてくれるかね」

「個人的には、久保田のゴール下は安心して見ていられる」

「出てきたぞ、水咲7番。海堂祐かいどうゆう

「やっと出てきたな」

「前半から出しても良かっただろうに、水咲の監督は何を考えているのやら」


 言いたい放題言われている水咲のコメントを聞いて、Web記者の高岡はしかめっ面で口を開く。


「……言われてますね」

「まあこの点差でエースを温存する理由は余程の事があるんだろうよ、まあ分からんでもないけどよ」


 隣に座る楠は脚を組み直し表情を変えることなく言うも、個人的に気になっていることがあった。


 ――公式戦出場していたのは半年以上前。果たして、彼の実力はどうなっているのか。


 海堂は、いわばブランクがある状態。たとえ練習をしていても試合勘というのは、練習だけで戻るものではない。会場の雰囲気、相手の表情・姿勢を含めて状況は練習と違う。

 そんな中、水咲ベンチ前では桐谷と海堂が会話していた。海堂は前半試合に出させてもらえなかったというのもあり、少し嫌味に近い言葉を桐谷に投げかける。


「桐谷サンも、はよ俺を出してもろてもよかったんに」

「……すまんな。コンディションが分からなかったとはいえ、もう少し早く出してやれればよかった」

「……まあいいです。とりあえず目に物見せてきますわ」

「頼んだぞ」


 しかし桐谷はそう言うと、海堂は返事をせずにニコリと笑うだけでコートに入っていくも表情とは裏腹に、その内心は荒れていた。


 ――俺がエースとちゃうんか。


「おい」


 その様子をみかねてか内山は、パイプ椅子から立ち上がり海堂の目の前まで近づく。170㎝とは思えない威圧感を背負いながら伝える。


「あの筑波相手にこの19点差を後半から詰めていくんだからな、気合入れろよ」

「……ほな、気楽にやりましょか」

「っておい!」

「なんや、あんさん。気合入れたら試合に勝てるなんて甘ちゃんの考えることやろ」

「ああ言えばこう言う……はぁ……」


 内山は溜め息をつくも、何を言っても言い返されることを知っているため何も言わずにいた。


「さっと点差戻してくるさかい、ベンチで大人しく見とけや」

「……チッ、ポカやらかすんじゃねぇぞ」


 海堂の表情を見て、内山はベンチへ戻る。その後ろ姿を横目に、海堂は数度屈伸をする。


「言われんでも分かっとるわ。あのヘマは二度とやらん、そう決めたんや」


 しかめっ面でぼそりと呟く海堂だったが、すぐに表情は笑顔に戻った。後半は水咲ボールのスタートのため、スローインする海堂がコート外に立つ。


「海堂さん、ずっと笑ってますけど大丈夫なんです?」

「ん? ああ、あれはアイツの癖みたいなもんだから別に気にしなくていいよ。それに……」


 怪訝そうに海堂の様子を見ていた朝比奈は、近くにいた安藤の返答に本当かと不安を覚える。そうとは知らず、海堂は目の前にいた筑波凛城つくばりんじょうの選手に声をかけていた。


「ほな、よろしゅう頼んます」

「……」

「シカトかいな、……まあええわ。俺ん仕事は変わらんからな」


 ――身長差はさほど俺とは変わらない。身長は188㎝だがスピードは速くない。そこまで脅威が無い、俺は海堂という選手を映像越しで見たときにそう結論付けた。けれどコーチ達、チームのメンバーのほとんどから言われたのは警戒しろとの一言。


 筑波凛城つくばりんじょうの最上は、自分が付くマークである海堂を舐めているわけではない。それでも、この緩い雰囲気を纏う目の前の男を見ているとそこまで脅威とは思えなかった。


 ――まあ警戒はしとくけどさ。俺が戦犯になりたくないし。


 そう思いながら最上は腰を低くし、ディフェンスの姿勢に入る。

 審判の笛と共にボールはコート内に投げられる。その先には、朝比奈。ボールをキャッチした朝比奈は、ゆっくりとハーフラインを越えた。

 

 ダムダム。タタン、タン。

 ゆっくり、時々細かくリズムを変える。目の前にいるのは、前半大きな壁となっていた人物ではないのを視認した。


 俺じゃなく、あの大狼でかぶつは安藤さんに付くわけね。まあいいよ。そっちの方が都合良い!


 朝比奈はディフェンスを背に、味方のスクリーンを待つ。すぐさま路川がセンターラインからハーフライン近くまで来て、ディフェンスの壁となる。


 路川さんは右にいる。なら、アンタはそっちにいるよな。

 

 路川のいる右に行くフリをして、朝比奈は左にドライブをしかける。それを見切っていたディフェンスだったが、くるりとその場で方向転換のロールターンで路川のスクリーンに己のディフェンスを引っ掛ける。するとヘルプディフェンスが来ること、数的有利となるのを分かっていた朝比奈はとある方向にパスを出した。


 ――やって見せろよ。エース!


 朝比奈から海堂にボールが渡る。強いチェストパスだった。


 気持ちの籠ったええパスや。そんでいいところにボールを出してくれた。つまり、俺がここで勝負しろって言いたいんだろう。

 しゃーなし。折角だから、見せてやるわ。


 海堂は朝比奈の態度を己も去年やっていたことを思い出し、余計に2年に上がったことを自覚させられる。全く生意気な後輩ができてしまったと、海堂は鼻で笑うもどこか嬉しそうな表情であった。

 そうして、海堂はディフェンスの最上を背にしながらドリブルを突く。攻撃の機会を伺っているように。対してディフェンスの最上は、ボールを狙う隙を伺う。少しでも手が届きそうなところであれば、スティールしようと手を伸ばす。その間、他の水咲のメンバーはスリーポイントラインより外に離れており、気が付けばコートの右側にぽっかりとスペースが空いていた。


「アイソレーション」

「突然どした?」

「今さっきまでコーナーに立っていた安藤が左に切れて行ったデショ。それでスペースが右側にできタ。そんで前の新人戦、梅が枝うちが水咲に負けた理由があれだったなと思い出したダケ」

「ああ、あれは敵ながら凄かった。まあ次は負けないけど」


 アイソレーション。ある選手に対して1対1をしかけるために、他4人が外に出る。所謂フォーアウトの陣形で1人の選手のためにスペースを空けるオフェンスの一種だ。


 同じ会場にいた水咲と同じ地区予選から上がってきた梅が枝の主将・副主将である高畠と丹上が観客席で試合の行方を見ていた。梅が枝の試合は午後からとはいえ、同じ地区予選から上がってきた者として、この試合は見ておきたい2人。丹上に至っては、2mをもつ身長もあり、観客席の中で一際目立っている。本人は気づいていないが。


「筑波は、海堂を舐めすぎダ。ああやって1対1をやるスペースを作ってしまうだけで海堂のお得意なアレが出てくル」


 高畠はコート上で対峙している2人を見ながら顎に手をやる。以前にやられた過去を思い出したのか、少し苦虫を嚙み潰したような表情であった。

 外野がそう言っているとは知らず、コートの中での勝負はあっけなく終わる。


「……は?」

「なんや、あっさりかわせたわ」


 ひらりひらりと蝶が舞うかのように、海堂は左右にゆっくりとステップを踏みシュートを決めていた。


「元々彼はドライブが上手いケド、それ以上に厄介なのが、ユーロステップ。ドライブのスピードがないけど、フェイクを織り交ぜながら来るあのシュートは止めるの至難の技ダヨネ」


 その名の通り、ヨーロッパの選手が多用していた事から「ユーロステップ」と言われているが、現代ではNBAだけでなく世界で使われている技術だ。ジグザグにステップを踏むことで、ディフェンスをかわしながらシュートをすることができるランニングシュートの一種。2000年代のNBAで活躍したスター選手のマヌ・ジノビリの名前を取って、「ジノビリステップ」とも呼ばれている。


「ああやってしれっと点を入れるのがうちのエース、海堂だよ。ムカつくけど」

「そうだな、あれが一応俺たちのエースかつ詐欺師眼鏡ってわけ」

「やーい、俺らのエース詐欺師ー! チッ!」


「すげぇボロクソに言われとる……」


 ベンチで海堂の得点シーンを見ていた2年の白橋達のコメントに引いているのは夜野である。白橋に至っては、リズミカルに舌打ちをしてコーチの桝田に注意されていた。

 そんな混沌となりつつある水咲ベンチで、とある男が口を開く。その男は、海堂とは犬猿の仲である内山本人であった。


「……1年のお前らは知らんだろうがな。海堂って奴は、昔っからああやってここぞというところで決めてくれるんだよ」

「それご本人に言ってあげてみたらどうです……?」

「絶対言わねぇ、死んでも言わねぇ。言ったら言ったで天狗になるだろうし、それ以上にあの気持ち悪い笑みで僕を面白がるのは分かってるからな、猶更言わん」


 内山は嫌な顔のまま言うのを見ていた夜野は、「従兄弟間の亀裂深すぎだろ」と思うも口にすることはなかった。


 流れを引き戻すため、筑波凛城つくばりんじょうはすぐさまリスタートをするが水咲はある策を仕掛ける。それに驚いたのは、観客席に座る人々だけでなく筑波凛城つくばりんじょうの選手もであった。


1-2-1-1ワン・ツー・ワン・ワンのオールコートプレス!?」


 1-2-1-1ワン・ツー・ワン・ワン。水咲の場合、朝比奈、安藤、須田の3人が前に出て他二人はハーフラインとフリースローライン付近を守るディフェンス。それに加え、前半はやる素振りを見せず、突然後半に仕掛けた。筑波凛城つくばりんじょう側の動揺はそれなりにある。


 大狼おおがみには朝比奈と安藤の2枚のディフェンス。そのため、もう1人のガードにボールが渡る。しかし、前に詰めるのは須田。そこにもう1人、朝比奈が走ってダブルチームを仕掛ける。それに動揺したのか、もう1人のガードの選手は、すぐにディフェンスが1枚になったハーフコート近くにいた大狼おおがみへボールを渡そうと、ボールを手から離した。


「ばっ! こっちに出すな!」


 しかし、大声で叫ぶ大狼おおがみ。何故大声で叫んでいるのか、分からないままボールは大狼おおがみのいる方向に投げ出される。大狼おおがみの視界にはある男が走り込んでいるのを捉えていた。


「スティール!」

「ナイス海堂!」


 ハーフコートラインに立っていた海堂が、パスカットを狙って前に飛び出していたのである。すぐさま海堂は、ゴール下までドリブルをし、レイアップで点を決める。

 おお、と観客席でどよめきが走る中。楠と高岡の2人は、冷静に状況を分析していた。


「水咲は前半どこか、スリーに固執していた。だからこそ、後半の最初のセットオフェンスに海堂くんのアイソレーションを選択した」

「そんで、恐らく桐谷監督は水咲の点が決まったらオールコートをすると決めていたんでしょう。小柄ながら、走力のある朝比奈と安藤を前にしたってわけですか」

「……2連続で海堂くんのシュートが決まった、水咲からしたら前半の悪い流れを断ち切れたんじゃないか?」

「完全とは言えませんが、筑波のターンオーバーを誘い、自ら連続で得点。そんで次の攻撃ポゼッションからは内が入れるようになると――」


 ディフェンスの掛け合いで、マークマンが変わる。すると最上は、朝比奈にディフェンスをすることになる。しかし脳内で考えていたのは、ここで厄介なのは海堂から再び朝比奈に回されてディフェンスを掻き回されること。そして、安藤にスリーを決められること。この2点であった。

 もう1人のガードである彼は朝比奈のディフェンスをしていたが、路川のスクリーンで一瞬とはいえ動けない。安藤には大狼おおがみがべったりと付いているので問題はない。


 ここで俺がやるべきなのは、誰かに海堂を一瞬止めてもらい、朝比奈のディフェンスすること!


 その状況を理解したのか、すぐさま竹馬ちくまがヘルプディフェンスに入る。


「スイッチ!」

「わぁった!」


 朝比奈によって手渡しされ、海堂はすぐさまど真ん中をぶち抜くかのようにドライブを仕掛ける。竹馬ちくまが一瞬だけ海堂を止める。


 よし、後は朝比奈を……。いや待て、竹馬ちくまが付いていたマークは誰だった?


 バスケにおいて、一瞬の出来事が命取りになる。

 竹馬ちくまを含め複数のディフェンスはまたペネトレイトか!? と中に何人かがゴール下付近のペネトレイトエリアに集まっていた。それを海堂は見逃さない。シュートフェイクを織り交ぜてゴールへ行かず、左のコーナーへパスを出した。


「――外が空く」


 そう呟くのは観客席に座る高岡。だが、コートにその言葉は届かない。


「くそっ、やられた!」


 ボールの行方を見失った最上は、外にいたある男へボールが渡っているのに気づく。しかし、同時に今から向かっても間に合わないことを理解してしまう。


 その男は、スリーポイントラインより外側でシュートモーションに入る。ピッ、と手首のスナップを返す。角度のない0度のシュートはリングまで管が通っているかのような綺麗な放物線を描いてボールはネットを潜った。


「4番のスリーが決まった!」

「後半7-0のランだ!」



「っしゃおら見たかこん畜生! まだ諦めてねぇぞこっちは!」

 

 海堂がノールックでパスを出した先でスリーを決めたのは須田であった。手をスリーポイントシュートのジェスチャーをしながら、セレブレーションをおまけに付けて吠える。

 それを見かねた筑波凛城つくばりんじょうの監督である小西はタイムアウトを取る。後半始まって2分も経たない間の出来事である。



第3Q 8:35


筑波凛城 水咲


 44   32



 気が付けば、水咲は少しずつ筑波凛城つくばりんじょうの背中を捉えようとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る