第5Q 負けず嫌いの先

「はぁ……、はぁ……ゲホッ」

「まあ、久しぶりにしては及第点か」


 大丈夫か?と聞かれ、声は出せずも首を縦に何度か振る。膝に両手をつき、息もやっと整ってきた頃。今の現状を少しずつ理解出来るようになってきた。ペタリ、と額に張り付く自身の前髪をかきあげる。

 

 10本先取の1vs1ワンオンワン。結果は10対0。俺は最後の1本も取れず、……0点。1点も取れなかった。

 

 ディフェンスを抜けないのだ、1。上、下、横と全方位からボールを叩かれ、シュートにもいけずに10本は終わった。現役引退して、幾分か経っているはずだというのに相手である桝田さんは息も上がっていない。俺は中学生でスタメンではないが、ずっと部活で走っている。体力に関して自信はそれなりにあった。大丈夫だろうと。


 Tシャツの襟で汗を拭う目の前にいる彼は、それを恨めしく思うも、自身との実力差を痛感する。


「あーー! 流石にキツい」


 そんで悔しいものは悔しい。そう思いながら、床に寝転ぶ。真正面には、目に沁みるほど強烈な光。体育館全体を照らすそれに思わず、目を細める。先ほどの1vs1《ワンオンワン》で抜かれに抜かれまくったシーンが脳裏に焼き付くほど鮮明に出てくる。行儀が悪いがうつ伏せになって、手の甲に顎を乗せ、寝そべった。

 

「いやー、試合でも見てたけど速いな」

「速い?」


 決してこの姿勢は不貞腐れているわけではないのだ、と脳内で自身に言い聞かせていた矢先のことだった。言葉に釣られ、顔を上げる。

 

「でも、お前。に意識持ってかれすぎ」

「あっはい」

「あと、全部が速ければいいもんじゃないからな。をずらすようにすればもっと良いと思う」

「はい」

「まあ、今挙げたやつの他にも色々あるけど」

「ウッ」


 グサリ、グサリと何度も言葉の矢印が刺さった感覚。上げていた顎の位置は手の甲に戻った。だがそれ以上に、この人アドバイスくれるのかなんて思いながら生返事のような返しをしてしまう。いや、ありがたいけれども。首をブンブンと犬のように振る。俺が、今聞きたいことはそれじゃない。

 

「この間も言った気がしますけど、なんでそんなアドバイスくれるんですか」

「他にも色々あるけど。夜野、お前良い選手になれる資質があるからかな」

「何を根拠に言うんですか。……俺全然出来なかった」


 実際、俺は1本も取れずに現在もこうして床に横たわっている。実力差を痛感して、弱音も零れる。ああ、本当に


「――その顔」

「は、顔?」


 桝田さんの指す先には、俺。ただ顔と言われても、顔に何か付いているのだろうか。しかし今この床にしっかりと掴まるように這い蹲っている俺の状況で、自信の顔を話題に出されても何を指しているのかよくわからなかった。

 

「顔からして、諦めてないのが分かる。次はどうすればいいか、考えているだろ?」

「……!」

「チャレンジして、失敗したあと。何故出来なかったのか?どうすれば出来るのか?次を、先を考えている奴ほど。この界隈バスケはやっていけてると俺は思っている」

「……次を考える」

「そう、まあ言い方としてはトライアンドエラーかな」

「……トライアンドエラー」

「まあ俺は学生時代、同世代の中では上手いシューターの部類だったが、プロに入ってもできることが増えるどころか課題の方が多くなる一方。そんで身長もそんな高いとはいえないしな」


 聞こえた言葉について考え込んでしまい、オウム返しのような返答をしてしまう。

 まあ俺自論だけどな、と彼は肩を竦めながら自信なさげに笑う。その姿を見て思考を、意識を現実に戻した。それでも彼は、俺の目線より少し上。175センチの俺の少し上となると、明らかに180センチはありそうである。しかし、プロとなると180センチ越えがほとんどなのだ。なんなら、日本人ビッグマンと呼ばれる人達は2メートルいくかいかないかほどだし。ビッグマンではない日本人でさえ、基本185以上あることが多い。その中で戦ってきたからこその言葉なのだろう。


「でも課題はどんどん増えていくし、身長差はいつかどうにかなるもんじゃねえ。じゃあどうすればいいんだってなるわけだ。その答えは誰も持ってないし、誰にも委ねちゃいけない。そんでバスケは団体スポーツでも。自分の芯を持たなければ、我を、自分の強みを出さなきゃ生き残れないものでもある」

 

「お前は、――どうやってこの世界を生き残る?」


 まるで時が止まったような感覚。いつの間にか、足元に転がっていたそれを拾いドリブルをダムダムとつきながら、彼はどこへ向かうのだろう。追った視線の先は、――スリーポイントラインの後ろ。

 

 位置に立つ。真正面には、赤いリングとバックボード。シュルルル。手に持っていたボールを逆回転させる音。床に弾んだそれは彼の、桝田さんの手に収まった。1歩、2歩。膝も柔らかく流れるようなシュートフォーム。ピッという音が聞こえるように放たれた。ゴールへ真っすぐに綺麗な弧を描く。思わず、見入ってしまった。

 

 トンットトン、とネットをくぐったボールが床に弾んだ音だけが体育館に木霊した。

 

「俺は……」


 言おうとした言葉を、まるで錠剤の薬を飲んだときのように一度息を吞み込んだ。これでいいのだろうか、だなんて不安な気持ち。だがそれ以上に。あの場所に立ちたい、という思いが勝った。あの場所に、あの歓声の会場に立つためなら、俺はここで。こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。俺がここで燻っている間にもどこかでは、その景色を選手として見られるプレイヤーは消え、生まれ続けている。

 

「1番上手いとか関係なく、あのブザービーターを放てるような。最後まで諦めないプレイヤーになりたい」


 先日の、中学最後の試合。あの感覚。諦めなかった先の景色。まるで点と点が線に、夜空に輝く星々を繋げた星座になったかのような。それは星空に魅了される人の気持ちに近いのかもしれないと、何故か感じた。俺の言葉を聞いた桝田さんは、満足が行く返答だったのかニヤリと笑う。そんな笑い方は、まるで悪戯小僧のようで。それを目の前で食らった俺は、今ここに鏡があれば鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているかもしれない。

 

「諦めない気持ちか。いいんじゃねぇの、ただブザビで満足するんじゃないんだろ?」

「……ああ、ブザビだけじゃない。ルーズボールとか全てのチャンスを自分で掴むことのできるプレーとか」

「ははっ。いっぱいだなあ、おい」


 指で数えながら、色々なプレーを挙げる。そんな俺を見る彼にちらりと視線を動かした。腹を抱えながら年甲斐もなく笑う姿は、第一印象である幽霊のような雰囲気とは程遠かった。それどころか霧散していた。ああ彼は、ただバスケが好きななのだと。

 

「まあお前のバスケはまだまだ続くんだ、焦らずとは言わないが。俺は好きだぜ、そういう負けず嫌いな奴」


 口を動かして何か呟いていたような気がしたが、気のせいだろうか。


「そんなお前に、特別にいいことを教えてやる」


 桝田さんが続けて言う。


「――水咲高校。そこに行けば良いことがある、いやあるから来いよ絶対」

「……は、水咲高校?」

「はは!楽しみだなぁ」

「ちょっ……自己完結しないでもらえません!?」

「ほらほら、借りてる時間無くなるぞ?そういや俺から1本取ってないの誰だったかなー、諦めないプレイヤーになるんじゃなかったのか?」

 

 突然の情報に驚く。いやそれ以上にめっちゃ煽るじゃん……大人気ないと思わないのか?、と思うのと同時にまた負けると思われてるのが尚更ムカつく!と眉間に皺を寄せながらも笑う。自身の内に秘める感情は歪のように見えて、纏まっていた。

 

 彼の言う良いこととは何かと疑問に思うところだが、何故か桝田さんに関係することなのかなとその場で理解することができた。そしてそれに対する答えもすぐに出た。この先どうなるか分からない。けれどそれ以上にこの人へ着いていけば俺は、今よりもっと変われるのかもしれないという思い。やってやる、その気持ちを目の前の人物に向けながら、指を指す。

 

「……アンタがそういうなら、水咲高校に行ってやるよ。そんで今から1本じゃねぇ、全部取ってやる!」

「威勢のいいやつだなあ、やってみろ!」


 ディフェンス側である桝田さんが、オフェンス側である俺にトスする。1vs1ワンオンワン


 深呼吸。一拍置いてから、ゴールに向かって右に仕掛けた。それにすぐ着いていく桝田さんディフェンスを横目に見ながら、一度速度を緩め、もう一段階加速する。少しでも一歩先へ。

 

 ――アンタに、俺の人生を賭ける。

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